19 だから今日はオムライス記念日
「来週の土曜日、休みだぞ」
夜。夕食を食べながら何気なく星野がスケジュールを伝えると、子どもはこの世の終わりのような顔をした。
「なんだその顔は」
「だって! 星野さんがせっかくお休みなのに! その日あおちゃんは課外授業でおでかけですよ!」
はて、そうだったか?
スマートフォンで学校の掲示板サイトを見にいくと、たしかに学童保育に加入している児童の課外授業日の案内が掲示されていた。
目の前でチャーハンを前にして頭を抱えている子どもは、非常に悔しそうにしている。
「りえちゃんと美恵ちゃんも一緒に行くのでなければ! なければ! 星野さんと一緒にお休みデートしたのに……ッ!」
「ちなみに、どこに行くんだ?」
「いちご狩りです! そうだ、星野さんも一緒に行けばいいのでは⁈ 保護者なので参加費さえ払えば行けるのでは!」
「…………遠慮しとく」
そういうわけで、久しぶりにぽっかりと、自分の時間ができた。
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「それで、土曜日のお昼にこんな場所にいるのかい」
駅前の喫茶店のマスターが、コーヒーを差し出しながら笑った。
子どもがいないので、今日はカウンターだ。位置の高いスツールに腰掛けると、マスターがこだわっているミルや器具の様子がよく見える。子どもが一緒にいないだけで、視野がまるで違った。
小洒落たカップを手に持って、黒い液体をひと口含む。星野に味の違いがわかるほどの知識はないが、深煎りというやつで、濃い匂いが心地良く舌に広がった。
「少し寂しいんじゃないかい? あおちゃんはにぎやかな子だからね」
「やかましいのはそうだが、寂しくはねえよ」
あの子どもが家に来るまでは、これが星野の当たり前だった。休日にはこうしてゆっくりコーヒーを飲んで、どこか適当に昼食を取り、場合によっては友人や女と出かけて夜は酒を飲む。しごとがなければ、星野の日常はそんなものだ。
「お正月は実家に帰ったの?」
「ああ。兄貴の方がはしゃいでた」
あの子どもは意外に人見知りするので最初は星野の足元に隠れていたものの、兄のテンション高めの言動に釣られてすぐに警戒を解いた。他人から見れば、星野よりあの二人のほうが親子に見えただろう。
「お兄さんがあおちゃんを紹介してくれたんだっけ?」
「……兄貴はあれで、体が弱いからな。子どもを預かる条件を満たしてなかったんだよ」
それで星野に「しばらく預かってくれ」と声がかかった。
今のところ、「しばらく」の終わりは見えていない。
「……まぁ、今日は久々にのんびりするさ」
「時間があるなら、今日はうちでお昼を食べていかないかい? 息子が新しいメニューを出すんだよ」
マスターの息子は料理人だ。若いころからレストランで修業をして、つい最近マスターの店を手伝うようになったと聞いている。朝はマスターだけだが、昼から夕方にかけては息子の方が店を切り盛りしている。
「そうか。じゃあ、頼む」
「お昼までここにいるかい?」
「ああ」
星野は久々に煙草に火を付けて、長いこと自室に置きっぱなしになっていた文庫本を開く。
マスターはそれきり声をかけなくなって、星野は文字が織りなす世界に集中──
──できたのは、三十分ほどだった。
ずっとスマートフォンが震え続けていた。
緊急事態ではないはずだ。その場合は電話だろう。スマートフォンはずっとショートメッセージの通知を知らせていた。
「……………………」
「……あおちゃんからかな?」
ついにマスターから声がかかって、星野はスマートフォンを立ち上げる。
子どもたちがいちご狩りに勤しむ様子の写真が、ずっと送られ続けていた。
「……これ、写真撮る度に送ってきてねえか?」
「あはは。かわいいね。いい思い出になるよ。アルバムをつくるといい。あとで見返してもいいし、あおちゃんが家を出ていく時に渡しても喜んでもらえるよ」
たしかに、星野がつくったアルバムなど渡したら号泣しそうだ。そして「やっぱり出ていくのやめます」と言うだろう。
「……つくらねえよ。俺は本当の親じゃない」
「でも、家族だろう? 家族アルバムなんていくつあってもいい」
「マスターはつくってんのか?」
「内緒だよ。さすがに恥ずかしいからね」
マスターは笑って、指先を唇にあてた。若いころなら女が悲鳴を上げたことだろう。いや、おそらく今でも悲鳴を上げる女はいる。
星野は子どもへ適当にメッセージを返信をしつつ、落ち着かないなりに読書とコーヒーを楽しんだ。まあ、遠出しても安否が確認できるのは悪くない。そう思おう。あのキッズケータイを渡すのが早かったとかではないはずだ。
昼に差し掛かる少し前、星野より少し年下の青年が店に入ってきた。可愛げのある目元で愛嬌のある造りの顔をしている。歳上の女性に可愛がられそうな風体だった。
なぜか、彼がマスターの息子なのだとすぐにわかった。端正な顔立ちのマスターとはあまり似ていないのに、不思議なものだ。
それに、どこかで見た顔のような気がする。住まいもこの辺りならどこかですれ違っている可能性もあるだろう。
「悪い。少し遅くなった」
「大丈夫だ。そんなに流行ってない店だからな」
マスターが笑うと、息子の方も苦笑してカウンターの中へ入った。
ちなみに、別にこの店は流行っていないわけではない。ただ、流行遅れだった。なにせ分煙とはいえ喫煙席があって、禁煙席の方が奥側という仕様だ。おかげで喫煙者しかこの店を使わず、今日日そういう人間も数を減らしつつあった。
それでも、休日になれば禁煙席が埋まっていることがあるので、地元では知らないひとはいないと言っていいだろう。
「出勤早々なんだが、新作をひとつつくる用意をしてくれ。星野さんに感想を聞くから」
「はいよ」
カウンターの中での会話が言葉数の少ない男同士のもので、星野の目には新鮮に映る。
星野は父親が他界するのが早かった。以降は歳の離れた兄に育てられたし、保護者をやっている今も被保護者は小学生女児のため、こんな落ち着いた会話は縁遠い。
ちょっと、羨ましいなと思った。いや、別にあの子どもにこんな風になってほしいわけではないが。女児と男児の子育ては別物だろう。知らんが。
息子の方が調理場に引っ込むと、また店内は静かになった。時折、客の出入りがあったりするだけで、星野は店に漂うコーヒーと煙草の香りの中、時折スマートフォンに触れながら文庫本の内容を楽しんだ。
二杯目のコーヒーが空になったタイミングで、マスターが店の奥からトレーを運んできた。
トレーにはケチャップがかけられたつるんとしたオムライスとオニオンスープ、グリーンサラダが乗せられていた。
「新しいメニューって、オムライスか?」
「そう。今までカレーとナポリタン、サンドウィッチと喫茶店の定番は揃えてたけど、もう少しメニューを増やしてもいいかと思ってね。ただ、息子しかつくれないから昼だけの限定で」
オムライスは、最近すっかり見かけなくなった、しっかりと卵が巻かれているタイプだ。これはたしかに調理技術が必要だろう。
オムライスは難しい料理だ。
星野は子どもにせがまれて、一度オムライスをつくったことがある。ライスを玉子で包むなんてことはとうてい無理で、玉子そぼろをケチャップライスにのっけるだけの一皿を生み出した。子どもは爆笑しながら食べていたが、味も玉子そぼろケチャップライスだった。まずくはないが、断じてオムライスではないなにかだった。
己の過去をひとまず忘れて、スプーンでオムライスを割る。まず、卵液が流れてこない程度の程よい半熟の玉子と、赤いケチャップライスが見えた。ケチャップライスには玉ねぎ、人参、グリーンピースが入っている。彩りも華やかだ。
ひと口含むと、とろとろの卵と固めに炒められたライスが口の中でよく絡む。ケチャップライスに入った野菜は小さく刻まれていて、大人の舌ではほとんど存在を感じないほどだ。野菜より少し大きめに切られた鶏肉が食べ応えを出している。
「うまい」
素直に感想が出たのを、マスターが聞いていたらしい。いつもより笑みが深い。
「そうかい? それじゃ、このままメニューに載せても大丈夫そうかな」
「下手なレストランより上等なんじゃないか? マスターは食べてないのか?」
「身内の贔屓目があるような気がしたんだよ」
つまり、マスターも美味いと思ったのだろう。星野はとくに味にうるさい方ではないが、これは誰が食べても絶賛されるのではないだろうか。
「食材も別に変わったものはねえし、上にかかってるのも市販のケチャップだよな? なんでこんなに味が違うんだ?」
「私には料理のことはよくわからないけれど、やっぱり卵の火加減なんじゃないかな。あと、お米はオムライス用に選んだって聞いているよ」
「……オムライス用の米……?」
「いや、息子が思ってる味になる米ってだけで、普通のお米だよ。商売だから予算もあるしね」
このあたりの店で昼食として売ろうとしたら、高級店でもない限り千円前後だ。おそらく、このオムライスもそのあたりの価格になるのだろう。
星野はため息を吐き出した。
「……マスター、この店が流行ったら、俺はどこで煙草吸えばいいんだ?」
「あはは。そんなこと言われるくらいになればいいんだけどね」
マスターは、ちっともそんなことを考えていないような口ぶりで洗ったばかりのコーヒーカップを拭き上げている。
すると、調理場から息子が顔を出した。ポップな赤色の三角巾と揃いのエプロンを身に付けていて、ジャズの流れる渋い店内で異彩を放っている。
「親父。これ、思ってたより時間がかかるな。土日だとけっこう待ち時間できちまうかも」
「そうか。なら、平日限定にしようか」
「あと、限定10食とか、そういうのにしておいた方がいい」
ふむ。それなら、多少星野の居場所が守られるかもしれない。
「そうだ。星野さんがおいしいって言ってたよ。流行るってさ」
「それは、どうもありがとうございます」
息子は三角巾を外して、星野に会釈をしてくれた。星野も、オムライスを食べながら軽く頭を下げる。
「星野さんはこの店の常連さんでね、長く通ってくれてるんだ。最近はお子さん連れでね」
「やめろ、マスター。誤解を生む。……子どもを預かってる。俺はバツのない独身だ」
「はあ、そうですか……。
もしかして、この前サンドウィッチのお店に来てくれました?」
そこで、星野は思わず息子をまじまじと見た。
どこかで見た顔だと思ったら、以前子どもと一緒に訪れたサンドウィッチ店の店員だった。
「アンタ……」
「やっぱりそうだ! この前はありがとうございました。俺、あの店もやってて、親父の店も手伝ってるんですよ。あの時はたまたまバイトがいなくて、自分で店番してたんです。星野さん、たしかに、あおちゃんも星野さんって呼んでましたね」
息子は子どものことも覚えているようで、さっきまでの緊張した雰囲気がすっかり解けて笑顔になっていた。隣で微笑むマスターと、よく似ている。
「よかったら、あおちゃんも連れてきてくださいよ」
「アイツは平日、学校で給食食ってる」
「ああ、そうですよね……うーん。この店は喫煙者も来るから、あんまり子どもには良くないかぁ……」
「またサンドウィッチの店の方に行くさ」
「はい。よろしくお願いします!」
息子は客商売に慣れた者の笑顔で頭を下げた。
ふと、星野は興味本位で息子に訊ねる。
「……オムライスなんだが……家でつくるには、どうすればいい?」
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「星野さーん! 星野さん、星野さーん!」
課外授業から戻って、バスから学校の校庭に降り立った子どもが、元気よく星野に駆け寄ってきた。
土曜日ということもあって、星野以外にも お迎えの保護者がそここに立っている。もはや顔見知りになったりえちゃんのホームセキュリティーの顔ぶれも見えた。
「星野さんがあおちゃんのお迎えしてくれるなんて、今日はお迎え記念日ですね! 来年もお祝いしましょう!」
「絶対にせん。……ほら、荷物貸せ」
「大丈夫です! 星野さんのお土産のいちごですが、星野さんも手が塞がってるので自分で持ちます!」
星野は両手に下げたスーパーの袋を見て、一度うなずいた。子どもの自主性を重んじて、そのまま2人並んで校庭を出る。途中、子どもが一生懸命にりえちゃんと美恵ちゃんに手を振った。
「星野さん、今日はひとりぼっちで寂しくなかったですか?」
「ああ」
「そこは、あおちゃんがいなくて寂しかったー、って言うところですよ!」
「喫茶店のマスターのところにいた」
「本当に寂しくなかったアピールしないでくれます⁈ あ、煙草吸いましたね? いっぱいにおいしてますよ」
「……あとで洗濯しとく」
「ほかにはなにしてたんですか?」
「……オムライス食った」
「ええー! うらやましー!」
「お前はケーキ食ってただろ」
「そうですけど! あおちゃんも食べたかったです!」
「……なら、晩飯はオムライスにしてやる」
そう言ったら、子どもが大きな目でこちらを見上げてきた。
「星野さん、前つくった時『二度とつくらん』って言ってたじゃないですか」
「それ俺の真似か? ……簡単にできる方法を習って来た」
「えー、どんなですか?」
「素人は卵を巻くのが難しいから、ライスの上に乗せるといいんだとよ。バターを溶かしたフライパンの中に溶き卵を流して、周りが泡立ってきたらフライ返しで真ん中に寄せる。それを繰り返してフライパンよりひと回り小さくなった玉子を、ケチャップライスの上に乗せると」
「乗せると⁈」
「ファミレスで出てくるオムライスになるらしい」
「ほおー!」
子どものどんぐりみたいな目がぴかぴかとひかめく。おそらく、自分にもできそう、とか思っているんだろう。正直、やり方だけ聞けば子どもにでもできそうではある。
できるだけ調理工程を簡略化し、均一の仕上がりになるように研究されたファミレスのレシピだ。おそらく難しいものではないはず。
「お料理、あおちゃんも傍で見てていいですか?」
「大人しくしてろよ。火と油使うからな」
「はい!」
子どもはご機嫌にぴょんと飛び跳ねた。背負ったリュックも大げさに揺れる。
「星野さんは、オムライス食べてあおちゃんのこと思い出してくれたんですか?」
「……お前に散々コケにされたからな」
「あはははは! でも、あれはあれでおいしかったですよ!」
「やかましい」
「あおちゃんがいなくても、星野さんはあおちゃんのこと、思い出してくれたんですねえ」
そのしみじみと嬉しそうな声音が歳不相応に思えて、星野は思わず眉をひそめた。
──お前がそんなだから、せっかくの休日もゆっくりできねえんだろうが。
「……お前になにかあったら、保護者の俺の責任だからな」
「そうですねえ。今日はお迎え記念日であるとともに、オムライス記念日ですね」
「話を聞け」
「早く帰ってオムライスつくりましょう!」
静かに興奮しているらしい子どもは、今にも走り出しそうだ。クールダウンさせる時間が必要に思える。
星野は、スーパーの袋を持ち替えて、子ども側の手を空けた。
「……走るな。握っとけ」
「……はい!」
子どもがぎゅっと握ってくる手のひらはあたたかく、けれど酷く自分の手になじんだ。
すっかりこの温もりが当たり前になってしまったらしい。
そんな自分に気がついて、思わず顔を歪める。それを見ていたらしい子どもが、星野さんへんな顔してるー、と盛大に笑った。
マスターの息子初登場話はこちら ⇒ 「08 寄り道のサンドウィッチ」https://ncode.syosetu.com/n9047lg/8/
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