16 元気になれる七草粥
「星野さん、おはようございます!」
「おはようさん」
キッチンにいた星野さんへ元気にあいさつをして、浄水器を付けた水道からコップにお水を入れて飲む。あおちゃん、お水がないと目が覚めないんですよね。
一息ついて背の高い星野さんを見上げると、珍しく鍋をかき混ぜていた。
「あれ、朝からお料理ですか?」
「縁起物だからな」
なんのことかわからずに首を傾げていたら、星野さんに睨まれた。
「さっさと顔洗って支度してこい。体操着の準備したか?」
「は! 忘れてた!」
今日はあおちゃんが大・活・躍! する体育があるんです!
あわてて洗面所へ行って顔を洗い、自分の部屋で着替えをして、一緒に授業の準備をしてからリビングに戻る。すると、ガラステーブルの上に星野さんとあおちゃんの分のお椀が並んでいた。
「あれ? 今日はパンじゃないんです?」
「七草粥だ。春に採れる草を粥にして食う」
「へえー」
お椀には、緑の草っぽいなにかが入ったおかゆが盛られていた。匂いはおだしの香りがするので、塩粥ではなく星野さんがちゃんと味付けをしてくれているのだろう。
でも、どう見ても緑が混じった白いお粥だ。
「……あんまりおいしそうじゃないですね……」
「ただの菜っ葉粥だからな。なんだ、食ったことないか?」
「ないですね」
はじめて食べた七草粥は、星野さんがおだしの粉をたくさん入れたのか、ちょっとしょっぱい味がした。
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「ということで! 今朝はじめて『七草粥』というのを食べました!」
胸を張って教室でりえちゃんと美恵ちゃんに言うと、ふたりは顔を見合わせた。
「へえ、今まで七草粥食べたことなかったんだ?」
「ないです!」
「うちは毎年おばあさまがつくってくれますよ。お餅が入ってるやつ」
「えっ」
「えっ」
今度はりえちゃんも目を丸くしていた。
「……りえの家の七草粥は普通に春の七草だけど……」
「えー? 今ってスーパーでもなかなか全種類って売ってないんじゃありません? おばあさまはナズナとお餅を入れてくれます」
「スーパーなら七草粥セット売ってるじゃない」
「ただの葉っぱなのに高くありません? お菓子の方がいいですよ」
「……星野さんのはほうれん草と小松菜でした……」
「へえ? もしかして、結構家で入れるもの違うんだ」
りえちゃんの大きな瞳がきらりと光った気がした。大きすぎる知的好奇心が動き出したのだろう。
あおちゃんもちょっと興味がある。星野さんのお粥も悪くなかったけれど、よそさまのお家のお粥もおいしそうだ。
「いいわね。じゃあ今日はいろいろなひとに、七草粥のことを聞いて回ろうじゃない!」
「おー!」
「おー!」
午前の授業が終わって、給食をごちそうさましてから、まずは平川先生のところへ行った。
先生はあおちゃんたちに給食のお盆が配られてから最後にご飯を食べるので、まだ食事中である。教室の隅に置いてある先生用の机で食べているところを、あおちゃんとりえちゃんと美恵ちゃんで囲った。
「ああ、今回は七草粥を調べてるんだ?」
平川先生はやさしい笑みを浮かべてあおちゃんたちの話を聞いてくれた。でもお口には高速で給食のハヤシライスが流し込まれている。スプーンで運ばれる量とスピードがお顔と一致していない。学校の先生の特殊能力だろう。ちなみに、今日の給食はハヤシライスとブロッコリーと白菜の蒸し野菜、デザートにりんご。おいしかったです!
「はい! 先生のお家の七草粥はどんなのです?」
「僕の実家はセリとダイコン葉、小松菜なんかかな。塩粥で、八分炊きくらいにしてたよ」
「おおー、やっぱり違うんですね!」
あおちゃんが手を叩いている横で、りえちゃんがスマートフォンでメモを取っていた。なるほど、スマートフォンにはそういう使い方があるのか。
星野さんに! もらった! スマートフォンがあるので!! 今度やってみましょう。今はどうやって使うかわからないので後回しにしておきますね。
平川先生は口の中のものを飲み込んでから、七草粥について改めて説明してくれた。
「七草粥はその年一年、病気になりませんようにと春に採れる七草──セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロを入れたお粥を食べる季節の食事のことだよ。みんなはお正月にたくさんごちそうを食べただろう?」
「おばあさまと一緒においしいおせちを食べました!」
「うちの料理人が気合い入れてたわね」
「星野さんのお兄ちゃんが出してくれたおせち、いっぱいお肉が入ってました!」
「たくさんごちそうを食べると、お腹が頑張り過ぎてしまうんだ。だから少し休ませようね、とお正月が終わった一月七日にお粥を食べるんだよ。毎日ごちそうだと、体が疲れてしまうからね。そういう自分の体を気遣うことが、本当に無病息災につながるんだろうと思うよ」
あおちゃんはあまりたくさんご飯が食べられないので、すごくよくわかる。星野さんの実家でお正月を過ごした時、星野さんのお兄ちゃんがいっぱいおいしいものを出してくれたけれど、食べすぎてお腹を壊したので。
隣の美恵ちゃんは、「え、そんなことありますか?」みたいな顔をしている。ひとそれぞれみたいだ。
「でも面白い研究だね。いろいろなひとの話を聞いて、先生にも後で教えてほしいな」
「はーい!」
「はーい!」
「はーい!」
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「それでね、奈々ちゃんにもせっかくだから聞きたいんですけど、奈々ちゃんのお家の七草粥ってどんなのです?」
星野さんの家に帰ると、キッチンに奈々ちゃんがいたので今日のことを話した。
奈々ちゃんは、どうやらお家から持ってきたらしい高そうなお鍋でおいしそうななにかをつくっていた。万能コンソメの匂いに似ているけれど、ちょっと違う。なんだかコンソメに似た、もっとお上品な匂いだ。
奈々ちゃんは、手元からちょっと視線を上げて記憶を振り返った。
「そうですね……なんだかいろいろ入っていた気がします。セリ、昆布、栗、青大豆、タラの芽、干し柿、青菜、餅……」
「えー! 柿?!」
「甘じょっぱくて悪くないですよ。うちの本家は雪国にあるので、地元で青菜が手に入る時期じゃなかったからでしょうね」
「なるほど……!」
雪がいっぱい降っていたら、たしかに葉っぱも見つからないだろう。
ということは、七草粥の中身の違いはご家庭の差、というより地域の違いということなのか。これは結構面白いですね。
「もしかして、いっぱい雪が降ってる場所だと、『草』じゃない七草粥もあるかもしれないです?」
「うーん、どうなんでしょうね。考えてみたこともなかったですけれど」
「裕一郎くんのお家も奈々ちゃんと同じです?」
その時。
一瞬だけ、お鍋からほかほかの湯気が出ているのに、キッチンの温度が下がった気がした。
奈々ちゃんが遠い目をしている。
「……………………裕一郎……?」
その低い声に、あおちゃんの顔も青くなった。たしか、クリスマスに奈々ちゃんと裕一郎くんはケンカをしたみたいだった。でも──
まだケンカ中なんです?!
いつもケンカしてもすぐに仲直りしている気がしていたので、年をまたいでいるとは思ってませんでした!
感情をなくした奈々ちゃんの様子にあたふたしていたら、上の方から深ぁいため息を吐き出す音が聞こえてきた。
「…………裕一郎の家は、大根、ホウレンソウ、餅、小豆、ナズナです。米まで含めて『七草』扱いだそうですよ……」
「そ、そうなんですか……」
奈々ちゃんの顔が急に憂鬱そうになって、あおちゃんは焦った。
どうしよう、どうしよう。
「え、えっとー、星野さんのはほうれん草と小松菜だけだったので、どっちも豪華でおいしそうですねー」
「そうですか? ……でも、星野さんはあおちゃんのためにつくってくれたんですから、きっとおいしかったでしょう」
「もちろんです!」
星野さんの手料理はいつも微妙な味わいではあるものの、あおちゃんにとっては世界一おいしい! そういうものなんです。
あおちゃんの即答に、奈々ちゃんはようやく表情を和らげてくれた。
「あおちゃんはいい子ですね」
「奈々ちゃんのお料理も、あおちゃんは大好きですよ」
なにせ、奈々ちゃんのお料理はかんたんであおちゃんにもつくれる。とても重要だ。それなのに、ちょっとおしゃれな感じもする。奈々ちゃんがつくる料理はあおちゃんのことを考えてくれているので、もちろんあおちゃんは星野さんの料理の次に奈々ちゃんの料理が好きだった。
「………………………………」
奈々ちゃんはまたため息を吐き出して、今度はしゃがんであおちゃんを抱きしめてきた。
「…………やっぱりあおちゃんは癒やされますね…………」
「お、お役に立てたなら、なによりです……」
どうやら奈々ちゃんは裕一郎くんとケンカして、ちょっと繊細さんになっているらしい。きっとさみしいのだ。
奈々ちゃんの頭をなでなでしていると、玄関のドアが開く音がした。
「…………なにしてんだ、お前ら」
すぐにリビングに入ってきたスーツ姿の星野さんが、キッチンで団子になっているこちらを見て首を傾げた。
奈々ちゃんのつくったロールキャベツを食べながら、あおちゃんは今日のできごとをふたりに一生懸命お話しした。
ちなみにこのロールキャベツ、いつもの万能コンソメの味ではない。とびきりおいしい。奈々ちゃんはイチからコンソメをつくった、と言っていた。コンソメって自分でつくれるんです? と興味を持ったものの、星野さんが一瞬無言になったので、深く突っ込めなかった。
七草粥の話になった時、星野さんはもうロールキャベツを食べ終わってお茶をすすっていた。
「ふーん、地域によって七草粥の具が違うなんて、考えたことねぇな」
「そもそも、よそのお宅の七草粥なんて食べることありませんからね」
ならなんで裕一郎くんのお家の七草粥のことは知ってるんだろうか。
そうは思ったけれど、今の奈々ちゃんに「裕一郎」は地雷ワードだ。口に出すのはやめておくことにする。
星野さんはふと、なにかを思いついたように顔を上げた。
「……お前、今朝七草粥知らねえって言ってたよな?」
「はい。食べたことないです」
「じゃあ、正月のあとに、家族で食べた覚えのあるものはあるか?」
お正月のあとに、みんなで食べたお料理……。
あおちゃんが家族と一緒にお正月をしたのは、けっこう昔のことだ。ちょっと記憶はおぼろげだけれど、毎年のことだったのですぐに思い出せた。
「あ! ありますよ! あおちゃん、アレ好きでしたから!」
「ふーん。……つくれそうなら、つくってもいいぞ。俺か奈々ちゃんがいる時ならな」
「えっ、ホントですか?! やったー!」
手を上げて、すぐにキッチンに向かう。
リビングから星野さんの低い声が届いた。
「こら、食べ終わってからだ。しかも、今からつくるのか? 材料あるか?」
「あ、ありそうです! ご飯食べ終わったらつくりましょう! それで、明日の朝食べます!」
「……それなら、まあ……」
星野さんがうなずいたのをキッチンから見て、あおちゃんは一度ぴょんと飛び跳ねた。
やった……! はじめて火を使った料理を星野さんに振る舞えます!
あおちゃんはキッチンで見つけた、あおちゃんのお家の『七草粥』のもとを抱きしめた。
「……餅とレトルトの汁粉……?」
「……あおちゃんって、雪が深い土地生まれだったんですね……」
これ食べると、元気になれるんですよねえ!
あおちゃんと星野さんの日常【春】編です。
今回も最後までお付き合いいただけるとうれしいです。
ーーー創作メモ
星野さん=ありあわせの青菜・野草をてきとうにいれる(奥多摩・東京)
奈々ちゃん=7種類の具と餅を入れた粥(セリ、昆布、栗、青大豆、タラの芽、干し柿、青菜、餅)、新潟県
裕一郎=大根、ホウレンソウ、餅、小豆、ナズナ(米と水も加えて7種類と称する)、山梨県山梨市
※奈々ちゃんと裕一郎くんは出身は東京だが、本家が地方にある。
りえちゃん=一般的な七草粥(米国暮らしが長いので、料理長がスタンダードなものを用意)東京新宿区
美恵ちゃん=餅とナズナ入りの粥(おばあさまが京都出身)京都府京都市
平川せんせい=セリ、ダイコン葉などの青菜を入れた粥。宮城県仙台市
あおちゃん=あずきもち。焼き餅のしるこ。北海道松前
※ただし、あおちゃんの母親が北海道出身。あおちゃんは東京出身。
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ウィキペディア「七草粥」項目を参照




