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いっしょに食べよう。〜あおちゃんと星野さんのおいしい日記〜  作者: 芝村あおい


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15/15

15 年越しまで待てない海老天そば


「池澤せんせーっ!」


 あおちゃんが全力で走ってこちらの腹に突っ込んでくる。なんとか受け止めて、頭をなでた。


「はい。あおちゃん、こんにちは」

「こんにちはーっ!」


 あおちゃんはコートを来ていても半ズボンで、今日も元気いっぱいだ。

 その後ろからゆったりとした歩幅で道場の門をくぐる長身の男。星野さんだ。

 黒いコート、黒いスウェットとボトム。全身黒尽くめの厳つい顔と体格のおにいさんが、まさかこの元気いっぱいな女の子の保護者とは誰も思うまい。いいところボディガードではないだろうか。

 星野さんはあおちゃんの分の稽古道具と、自分の稽古道具を背負っている。


「お、星野さんも今日は参加ですか」

「ああ。部署が変わって荒事が少なくなっても、少しは鍛えておかないとな」


 星野さんは軽く笑って、道場の奥に消えた。それを追いかけてあおちゃんも離れてしまう。


「せんせ、また道場で!」

「はいはい」


 軽く手を振ってやると、あおちゃんも全力で手を振り返してくれる。池澤にはまだ子どもがいないので、かわいいな、と素朴に思った。


 池澤の実家は剣道場をしている。祖父の代からずっとで、池澤もしごとを続けながら、半ばボランティアのつもりで地域の学生たちに稽古をつけていた。祖父は亡くなったが父はまだ健在で、普段は父が師範として道場に立っている。

 今日は池澤が非番で、年末も近いということもあってあいさつがてら午後の稽古だけ顔を出していた。

 あおちゃんと星野さんも来たのなら、これはラッキーだ。池澤は一度も星野さんに勝てたことがない。星野さんの異動で稽古が一緒になる機会も少なくなっていた。ぜひ今日はお相手願おう。






 防具を脱いだあおちゃんが、ひとこと。


「お腹減りました……」

「まだ片付けあるぞ」


 星野さんが注意して、あおちゃんは精一杯の力をふり絞って背筋を正した。

 昼の稽古が終われば、一度清掃して夜の部に備える。さすがに両方を指導するのは大変なので、今日の夜の部は父の担当だ。


「じゃあうちで夕飯食べていきますか? 今日はそばなんですよ」

「またそばか」

「池澤せんせいも好きですよねえ」

「お財布に響かない好物だからねえ」


 外食すると意外と高くつくが、家で食べるには悪くない。嫁もそう思っているらしく、しょっちゅう家庭で登場する。


「まあ、お前の嫁さんは料理が上手いから」

「ぜひいただきます!」

「結局食べていくんですね」


 なんだかんだ言って、このふたりは結構似ている。見た目は大きいのと小さいのだし、年齢は離れているが、どこか雰囲気というか、ノリが同じのような気がする。他人に遠慮せず甘えられるところとか。

 席を外して台所へ向かう。調理場に立っている嫁に声をかけると、そのつもりで用意していた、と笑われた。できた嫁である。


「ふたりとも、今日は海老天みたいですよ」

「やったー! あおちゃん、海老好きです!」

「ちゃんと全部食べろよ」

「あおちゃんのはちょっと少なくしとこうな。それにしても、あんなに動いてちょっとしか食べないなんて、エネルギー効率良すぎじゃない?」


 あおちゃんは星野さんに引き取られてから稽古をはじめたが、筋が良い。それに、物怖じせずに有段者に向かっていくから、上達も早かった。級の受験をさせようかと星野さんと相談中である。


「これでも食べるようになった方だ」

「前からそんな少食だったの?」

「んー。どうでしょう。前のことはよく覚えてないです」


 あおちゃんはそう言って、席を立ってしまった。道場のぞうきんがけをするのだろう。ほかの門下生もぞろぞろと疲れた体を引きずって水場へ向かっている。


 はぐらかされた。


 それを補足するように、星野さんが小さく言った。


「……あんまり食わせてもらえなかったらしい。それに慣れちまってるんだと」

「……酷いことする大人もいるもんですね。あんなかわいい子に」

「そういうのは山程いるだろ」


 池澤も星野さんも、『酷いことをする大人』を相手にしているしごとだ。本当に、毎日毎日相手をしていても切りがないほどいることを知っていた。


「ケースワーカーが、遺産の話をしなかったらしい。自分の家から養育費持ち出しとなったら、そういう待遇になるんじゃねえか」


 遺産の話をすれば使い込む連中もいる。ケースワーカーが話さなかったのは意図的なものかもしれない。けれど、国からの保証だけだとそういう境遇に陥ってしまうとは、なんとも胸糞悪い話だ。


「……それで。前にも訊きましたけど、星野さんはこれからどうするんですか」

「…………簡単に決められる話でもねえだろ」

「それはそう」


 ただ、星野さんはあんまり考えるのに向いている質ではない。

 こんなに長く一緒に暮らしている時点で、答えは出ているんじゃないかと思った。

 まあ、そうなら外野がつつくのも野暮な気がする。


「そうだ。年末どうします? 俺、さすがに新婚だってんで御用納めいただけそうなんですけど」

「年末にテロでも起こらなけりゃな」

「やめてくださいよ。あらゆる意味で縁起でもない!」

「俺は年末までしごとだ。休みは年始からだな」

「ふーん。議員さんも年末までしごとなんですね。ご苦労なことで」

「えっ! 星野さん、お正月休みあるんですか?!」


 どうやらぞうきんがけしながら近くをうろちょろしていたらしいあおちゃんが会話に加わった。思わず星野さんを見る。言ってないんだ。


「おう。実家に行くから、お前、泊まりの用意しておけよ」

「えっえっ?! 星野さんの実家? すごい田舎って言う?!」

「すごい田舎って言うな」

「星野さんのお兄さんのいる実家!?」

「そうだ」


 あおちゃんは大きな目をきらきらとさせて、星野さんの背中に飛びついた。


「あの! あおちゃん、星野さんのお兄さんにいっぱいありがとうって言いたいことあるんですけど! お手紙書いていいですか!?」

「ああ、書いておけ。っていうかお前汗びちょびちょなままくっつくな」

「わー! すごい! わー! 年始からあおちゃんの夢がいっこ叶います!」


 あまりに騒ぐので、周囲の門下生の視線があおちゃんに集まる。あおちゃんは道場の真ん中まで行って、


「星野さんのご実家でご挨拶します!」

「星野さんの」

「星野さんの」


 自慢げにするわりに、門下生たちの反応は薄い。星野さんは強面で、稽古でも容赦がないので門下生たちからの人気はあまり高くない。一緒にいるあおちゃんがいくら可愛くても相殺できていなかった。


「はいはい。早く掃除して、汗拭いてよ。風邪引くからね」


 門下生たちを急かして、星野さんにも目配せする。アンタはさっさと着替えに行ってくださいよ。

 星野さんは防具を片付けて、母屋へ向かった。長い付き合いなので、シャワーでも浴びるつもりなのだろう。せめてひとことくらい言ってほしい。





 門下生を返して道場を締めてから、星野さんとあおちゃんを母屋のリビングに招待する。

 道場と母屋は同じ敷地にあって、行き来できるようになっていた。母屋は和風ではあるが普通の住宅で、二階建てだ。家族それぞれに部屋がある程度の部屋数はあるが、子どもが生まれたら手狭だな、くらいの広さ。リビングもダイニングテーブルとこたつ、テレビが置いてあって、それで余裕がなくなる程度だ。


「こたつ……」

「入るな。泊まることになるぞ」

「泊まるならちゃんと支度して来てください。俺ももう独身じゃないんで」


 ほかの家族はもう少し遅い時間に夕食を取るので、今日は池澤と星野さん、あおちゃん三人の食卓だ。

 嫁が用意してくれたそばと海老天、小鉢になすの煮浸しとごぼうのきんぴらが添えられていた。

 海老はスーパーで売っている外国産だが、ちゃんとまっすぐになるように包丁が入れられていて見栄えがする。金色の薄い衣からは、ほかほかと湯気が立ち上っていた。小鉢はいずれも昨夜の残りだと知っているが、どちらも味が染みたほうがうまい。池澤の好みの食事を用意してくれる、できた嫁だった。


 星野さんとあおちゃんも、嫁が用意した食卓に笑みを浮かべている。


「わあ、おだしのいい匂い!」

「お前のとこ、ちゃんとてんぷら家で揚げるんだな」

「そうですよ。うちの嫁に感謝してください」

「じゃあ、池澤せんせいの奥さんに感謝して、いただきまーす!」

「いただきます」

「いただきます」


 茹でたてのそばを、音を立ててすする。醤油よりだしの味がするつゆが絡んで、いくらでも食べられそうだ。

 そこに揚げたての天ぷらをひとくちかじる。衣がさくりと軽い音を立てて、口の中で海老の身がぷつりとはじけた。


「んー! 揚げたてのてんぷらなんて、すーっごく久々です!」

「スーパーの惣菜やチェーン店のやつだと、こう衣が薄くねえからな」


 ふたりとも気に入ったらしい。夫としても鼻が高かった。

 そばは市販品だが、だしも自宅で取っているはずだ。冷蔵庫にだしボトルが常備されているのを知っている。ときどき、麦茶と間違えて飲んで嫁に怒られていた。


「あとで奥さんにおいしかったですってお伝えしますね!」

「そうしてくれる? 嫁さんも喜ぶからさ」


 やはりあおちゃんはいい子だ。自分に将来子どもが出来たら、星野さんとあおちゃんにぜひ子育ての秘訣を教えてもらおう。


「でも、今から海老天そば食って、年末どうするんだ」

「年末も食うんですよ。我慢する必要あります? ……って、嫁が」

「なるほど」

「なるほど」


 嫁は天ぷらが好きだった。

 池澤に献立の選択権はない。すべては嫁の采配次第だ。






 星野さんとあおちゃんが帰る時間になって、母屋の門まで送る。あおちゃんにはりんごとバナナをお土産に持たせた。


「あおちゃんは、年内で会うのは最後かな」

「池澤せんせい、今年はお世話になりました。良いお年をお迎えください」


 ぺこりと頭を下げるあおちゃんが可愛くて、笑ってあおちゃんもね、と頭をなでた。

 こういうあいさつ、学校で習うのだろうか。それとも星野さんの教育なのか。


「じゃ、星野さんはまた明日」

「俺は明日は直行だからお前とは会わん」

「わっかんないじゃないですか。なんかあって現場でかち合うかも」

「縁起でもねえこと言うんじゃねえ」

「じゃ、せんせいさようなら!」


 あおちゃんが星野さんの手を引いて行った。星野さんもあおちゃんの手をしっかりとにぎる。


 ひとは見かけによらないものだ。


 まあ星野さんが、見かけによらず面倒見が良いのは知っていた。

 なにせ新人時代、自分がずいぶんお世話になったので。


 だからまあ、星野さんが納得のいく道が選べればいいのにな、と、大きいのと小さいのの背中を見て思うのだった。



一週間お付き合いいただき、ありがとうございました!

皆さまも良いお年をお迎えください。


年明け〜春先までのエピソードを3月ごろにご用意できるよう予定しています。

ブックマークをしてお待ちください。


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