12 夢見がちなブッシュ・ド・ノエル 前編
星野はいつになく悩んでいた。
職場でしごとをしていても、ずっとその悩みが頭の片隅にあって離れない。
どうしたらいいのかわからず途方に暮れる、なんてことは案外少ないものだ。
その「案外ない」が今、星野に襲いかかっている。
「アイツ、サンタクロースを信じてるのか……?」
「……重大な悩みを抱えてますね、星野さん……」
星野の呟きに、池澤が反応した。
今日は書類しごとをするために職場に詰めていて、池澤が隣でコーヒーを飲んでいる。
「あおちゃんって小学5年生でしたっけ。かーなーりー微妙なお年頃ですね」
星野は黙ってうなずく。そのくらいの児童は、サンタクロースを信じている者と、正体を知っている者と大きく二分される。センシティブな話題で、親はもちろん教師も発言に気を使う。
「ちなみに、星野さんはどうだったんですか? あ、俺は幼稚園の時に親が面倒くさいってんでプレゼントだけ渡されてた側です」
「…………」
信じていた。中学に上がるまで、実家にはサンタクロースが毎年来ていた。
歳の離れた兄が、そういったイベントごとに全力で挑むタイプなのだ。しかも田舎にある実家は家ばかり広くて、煙突はないが暖炉というか、囲炉裏のようなものがある離れがあった。和風クリスマスをするのには十分な広さがあったのだ。
サンタクロースの正体を知ったのは、中学校に入った時。
その年、兄の持病が悪化して入院した。
家にサンタクロースはやって来ず、姉が用意したプレゼントだけが枕元に置かれていて、なんとなく事情を悟ったのだ。
そういうわけで、星野は悩み続けていた。
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教室で、りえちゃんが大きなため息を吐き出す。りえちゃんはあおちゃんの後ろの席なので、とても気になってしまった。
「どうしたんです?」
「……この時期になるとユーウツになるの」
「なんでですか? 一般的に12月と言えば! クリスマスじゃないですか! プレゼントとケーキ楽しみですね!」
あおちゃんがぐっと拳を握って気合いを入れる。それを眺めて、りえちゃんはじっとりとした視線を向けてきた。
「……アンタってさ……その……」
珍しくりえちゃんが言い淀んでいる。それにあおちゃんはぴーんときた。りえちゃんと額がこっつんこするくらい近づいて、小さな声で話す。
「あおちゃんは、サンタさんが大人の誰かだって知ってますよ。もうあおちゃんにはサンタさんは来ませんから」
りえちゃんは真顔になって、そう、とだけつぶやいた。ちょっとしんみりさせちゃいましたね。
あおちゃんにはお父さんもお母さんもおばあちゃんもいないので、そういうのはちょっと前からなくなっている。
「……言っておくけど、美恵は信じてるから」
「……重要な情報です!」
この時期、クラスどころか学年でクリスマスの話題は慎重に扱わないといけない。
ときどき、訳知り顔のクラスメイトが「サンタって親なんだぜ!」とか言ったりするが、そういうのは最悪だ。自分で気がつくのも、親が事情を説明するのもどっちでもいいと思うが、クラスメイトが賢ぶって「え、お前まだ信じてんの? ガキくせー」とか言うのは最悪中の最悪で、そういうひとが一番ガキくさいのだと思う。
あおちゃんは奈々ちゃんみたいな素敵なおねえさんになるので、そういうことはしたくない。
「……りえだってひとなみにプレゼントは楽しみだけど、気を使うからこの時期はあんまり好きじゃないの」
「なるほどー」
りえちゃんは、これで案外気遣いさんだ。普段生意気なことを言うのは、相手を試しているのだと思う。なんのためかは、あおちゃんにはわからないけれど。
「……そうだ! じゃありえちゃんと美恵ちゃんとあおちゃんで、クリスマス会をしましょう! そうしたら、クリスマスの話題を出したり、プレゼントを楽しみにしたりしてても、悟られ難いんじゃないですか?」
「……ふーん。悪くないわね」
「おもてなしはできないですけど、星野さんのお家はどうです? 奈々ちゃんも呼んだら、多分星野さんもいいって言ってくれます」
「そうね。りえの家だとちょっと仰々しくなっちゃうし。でも、奈々誘う? 裕一郎が文句言ってこない?」
「あー」
裕一郎くんはちゃんと奈々ちゃんと約束しているのだろうか。奈々ちゃんは裕一郎くんに誘われたら断らないと思うけれど、どっちもちゃんと約束しないのはなぜなのだろう。大人ってよくわからない。
「なんのお話ですか?」
声の方を向くと、美恵ちゃんが近寄ってきていた。
「あおちゃんたちでクリスマス会したいなぁという話です!」
「わあ! いいですね!」
「場所をどうするかなのよ。まあ、どこもダメならうちがあるけど」
「りえちゃんのお宅は、ちょっと緊張するので……なら、わたしのお家はどうでしょう? おばあさまも、クリスマス当日は家にいるんですよ」
それ絶対準備してる。
りえちゃんに目配せすると、りえちゃんも浅くうなずいた。
「え、えっとー、じゃあお家に帰って、それぞれ場所について保護者に確認しましょう!」
「はーい」
「はーい」
星野さんの家に帰る。今日は遅番なのか、まだ星野さんが家にいた。もう出かける寸前なのか、黒いスーツを着ている。
「ただいま帰りましたー!」
「おかえり。今日は奈々ちゃんに来てもらえるから、ちゃんと飯食って寝ろよ」
「はーい!」
いつも通り元気にあいさつして、子ども部屋に荷物を置いて手を洗う。リビングに戻るより先に、星野さんは玄関で革靴を履いていた。
「ねえ星野さん。りえちゃんと美恵ちゃんでクリスマス会していいですか?」
「ここで?」
「はい」
星野さんは一瞬、なにか言いかけて、頭を左右に振った。
「……ダメだ。クリスマスと年末は忙しいんだよ」
「奈々ちゃんが一緒だったらいいです?」
「……お前、さすがにクリスマスはダメだろ……」
「やっぱりダメですかー」
星野さんは裕一郎くんに気を遣っているのだ。それに、この前あおちゃんは熱を出して奈々ちゃんに看病してもらった。これ以上はただのご近所さんに甘えられないということかもしれない。
「……ところで、お前……その、クリスマス……というか、プレゼントは……」
星野さんが珍しく言い淀んでいる。
あおちゃんはぴーんときた。
星野さん、あおちゃんがサンタさん信じてるかどうか、迷ってます⁈
正直に「あおちゃんはサンタさんいないの知ってますよ」と言うのはいいだろう。
でも、それを言ったら大体のひとはしんみりしてしまうのだ。星野さんにしんみりしてほしくはない。
「え、えっとー、あおちゃん、クリスマスプレゼントはなにがいいかまだ悩み中なんですよねー! サンタさんにお手紙書いておこうと思います!」
とっさにそう言ったら、星野さんはうなずいた。
「……そうか。そうしとけ」
いつも通りそっけない返事だけして、家を出て行ってしまった。
「奈々ちゃん、クリスマスにりえちゃんたちと遊ぶって言ったら、一緒にいてくれます?」
星野さんと入れ替わりに家へ来てくれた奈々ちゃんに訊ねてみる。
奈々ちゃんはポトフというお料理をつくってくれていて、お鍋の火加減を見ていた。
「うーん。クリスマス・イブは予定がありまして。なんか裕一郎が珍しく『空けておけ』ってうるさいんですよね」
「そうですかー」
やっぱり。でも、裕一郎くんは前回の反省を活かしてちゃんと約束をしたらしい。それはそれで、よかった。
「クリスマスの前の週の土日なんかはどうです? 星野さんはおしごと柄おやすみは難しいでしょうけど、それならわたし、付き合えますよ」
「そうですねえ。みんなと相談してみます」
「わたしが言うのもなんですけれど、ここじゃなくてもりえちゃんの家を使えばいいんじゃないですか? あの家、部屋余ってるでしょうし」
お金持ち同士のお付き合いは、相手の家の部屋数まで知っているものなのだろうか。それとも、あおちゃんが思っている以上にりえちゃんと奈々ちゃんのお家は仲良しなのだろうか。
「どうしてもダメならそうしようかって言ってますけど、ちょっとあおちゃんたちにりえちゃんのお家は大げさなんですよねえ」
「ああ、なるほど。たしかにそうかもしれませんね」
奈々ちゃんは笑って、コンロの火を止めた。深めのスープ皿と買っていたパンをテーブルに並べる。
ポトフはじゃがいも、にんじん、キャベツ、たまねぎ、ベーコンがどれも大きめに切られていた。金色のスープはコンソメだ。野菜はどれもどろどろになる寸前の色とカタチで、コンソメの味がしみしみなのが見てわかるくらい。
「これがぽとふ! じゃがいもがほこほこでおいしそうです!」
「ふふふ。コンソメに塩胡椒、野菜とソーセージかベーコンをぶち込んで煮たらおおまかポトフと言って差し支えありません」
コンソメが全てを解決する。
奈々ちゃんの名言だ。
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教室に行くと、もうりえちゃんと美恵ちゃんがいた。りえちゃんの机の前で、ふたりがなにやら話している。
「おはようございます!」
「おはよ」
「おはようございます、あおちゃん。クリスマスの件、おばあさまにお話ししたら、うちでも良いって言ってくれたんですよ!」
美恵ちゃんがにこにこ笑顔で言った。
「わあ! ほんとですか! うちはクリスマス・イブはちょっと難しそうだったんですよね」
「じゃあ美恵の家に行こうか」
「はい、いらっしゃいませ!」
「わぁい! 美恵ちゃんのお家、はじめて行きます!」
美恵ちゃんはお祖母ちゃんとふたり暮らしと聞いている。事情は、あおちゃんは知らないけれど、りえちゃんは知っているようだった。あまり話題には出ないので、あおちゃんみたいな事情かもしれない。
「どんな会にしましょう? わたし、みんなでプレゼント交換したいです!」
「じゃあ、お小遣いで買えるものでプレゼントを買って行きましょう!」
「……お小遣いって、具体的にいくら?」
りえちゃんのお小遣いは、多分あおちゃんたちとは桁が違う。直接言ってこない辺り、りえちゃんは気遣いさんだ。
「せ……千円!」
あおちゃんが適当に言った金額に、美恵ちゃんもこくこくとうなずく。
よかった。このあたりはわりとご家庭によって感覚が違うので、ちょっとどきどきします。
りえちゃんも真面目な顔をして何度もうなずいた。
「千円ね。わかった」
「あとはどうしましょう? ご飯つくって持っていきますか? あおちゃんは昨日、奈々ちゃんにぽとふという料理を教えてもらいました!」
「あんた、最近料理習いはじめたからってやたらとそういう企画を持ち出してくるわね……まあ、いいけど」
「じゃあ、一人一品、なにかつくって持ち寄りましょうか。足りないものはおばあさまと相談して、うちで用意しますね」
「あとケーキ! ケーキなにがいい? これ、りえが用意するから!」
りえちゃんが急に前のめりになった。りえちゃんは洋菓子が好きなので気合いが違う。
そして、確実にりえちゃんにお願いした方がおいしいものが食べられるのだ。
「うーん、今の時期はいろいろあるから、迷ってしまうんですよね」
「あおちゃんはケーキだったらなんでもいいです」
ケーキは好きだが、二人ほどの情熱はないあおちゃんである。
「では定番で、ブッシュ・ド・ノエルはどうでしょう?」
「いいわ。ちょうど子ども三人が食べるのにサイズも選べるだろうし」
「じゃあ、クリスマス・イブは美恵ちゃんのお家に集合です!」
こういう時、真っ先に相談しなければいけないのは保護者だ。
家に帰ったら私服の星野さんがいたので、クリスマスの予定を話す。
「わかった。料理はあらかじめつくったのを持っていけ。つくるときは、俺か奈々ちゃんがいる時にしろ」
「はーい」
そこは譲らないらしい。奈々ちゃんは当日、裕一郎くんとのデートがあるので前日に用意するしかない。
星野さんはスマートフォンで電話をかけはじめた。多分、美恵ちゃんの家とりえちゃんの家に連絡を入れているのだろう。裏とりと言うやつだ。
こういう時、保護者になると嫌でもほかのご家庭と連絡を取らないといけない。星野さんが嫌だと思っているかはわからないけれど。
ひとしきり電話をかけ終えて、星野さんはリビングでおやつを食べているあおちゃんを振り向いた。ちなみに、今日のおやつは市販のプリンだ。
「……それで、お前……サンタさんに手紙書いたのか?」
「あっ、忘れてました!」
そろそろ決めないと、星野さんが慌てることになる。
でも、ほしいものって……
「ううーん……サンタさんって、モノじゃなくても用意してくれるんでしょうか?」
「内容によるだろ」
「それもそうですね。じゃあ、書くだけ書いておきます」
わかりやすくモノが浮かべばよかったのだけれど、ちょうどあおちゃんに今欲しいものはない。あ、星野さんが食べる料理をつくるスキルはほしい。でも、それはこれからあおちゃんが頑張るしかないとわかっている。
せっかく星野さんからもらえるなら、星野さんしか用意できないものがほしいなあ。
あおちゃんはわりとわがままなのかもしれない。結構なレア物をねだることになる。星野さんが読んだらびっくりするかもしれないけれど、まあそのときはそのときだ。
今回は前後編です。後編は明日の20時更新予定です。
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