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いっしょに食べよう。〜あおちゃんと星野さんのおいしい日記〜  作者: 芝村あおい


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11/14

11 風邪に負けない卵雑炊


 いつも朝早いはずの子どもが、なぜか今朝は起きてこなかった。


「おい。寝坊か? そろそろ起きて支度しろよ」


 星野が子ども部屋に声をかけると、小さなベッドの上でもぞり、とかたまりが動くのを見た。放っておいたら起きてくるか、と星野も朝の支度を進める。今日は遅番で、子どもと自分の準備をする時間があった。

 だが、トーストを焼いて10分経っても子どもがリビングに出てこない。さすがにもう朝食を食べる時間はなさそうだ。叩き起こして着替えだけさせるか。


「おい、起きろって。遅刻するぞ」


 もう一度子ども部屋をのぞいて声をかける。すると、ゆっくりとした動きで子どもがベッドから上半身を起こしてこちらを見た。


「………………」

「なんだ、起きたんならさっさと支度しろ」


 子どもは無言でうなずいて、のろのろとベッドから降りる。

 そこではじめて、星野は異変に気がついた。

 子どもの白くてまあるい肌が、妙に赤い。慌てて近寄って頬を両手で潰す。星野の行為に、子どもはなにも反応を示さなかった。半眼でふらふらとしている。


「……お前、熱があるな」



/*/



 スマートフォンで学校に欠席の連絡を済ませて、病院の診察予約も入れる。ようやく職場に連絡を入れると、電話に出たのは池澤だった。


「なんでお前がうちの課の電話取ってんだよ」

『席お隣さんですからね。それで? どうしたんですか』

「ちょっと風邪ひいてな。欠勤の報告だ」


 星野の言葉に、池澤が驚いたような気配を感じた。


『星野さんが風邪? 大丈夫ですか? 飯食えます? なにか買って持っていきましょうか?』


 その反応に、自分の言葉が足らなかったことを悟る。


「俺じゃねえ。ガキの方だ」

『もっと大事だった。あおちゃん、バナナとりんごとどっちが好きです? 持って行きますよ』

「どっちも好きだから、道場で会ったら渡してやってくれ。じゃあな。うちの上司に連絡よろしく」


 電話口で池澤がまだなにか言っていたような気配があったが、さっさと用件を済ませて通話を切る。いろいろとやることが多いのだ。

 氷嚢をつくって子ども部屋に戻る。ベッドではいつもやかましい子どもが身動きもせずにじっとしていた。


「おい、これ額に当てとけ」


 手渡しても、視線をこちらに向けるだけで反応が薄い。

 いつもおしゃべりで、ちょろちょろと動き回ってやかましい印象しかなかった。こんな風に反応が薄いと不安になる。


 ──ただの風邪だよな?


 子どもは命にかかわる病気に突然かかると言う。いや、風邪でなくてもインフルエンザやコロナウイルス、食中毒、アレルギーなども考えられた。

 昨夜はなにを食べたのだったか。そう、鶏団子鍋だ。スーパーで買ってきた鶏つみれと白菜、にんじん、豆腐、ネギをぶち込んで出汁醤油で煮立ったものを食べた。悪くはないが特別うまくもなくて、子どもも「星野さんってば、この具材でなんでこんなおいしいともまずいとも言えない味わいを生み出せるんですか? 天才では?」とひたすら爆笑していた。微妙に腹が立つな。


 だが、元気だった。


「……ほしの、さん……」


 小さな声で名前を呼ばれたので、子どもの顔色を確認する。なぜか青くなっていた。内心動揺していたが、大人が動揺すれば子どもも引きずられるだろう。こらえていつものように頭をなでた。


「……どこか辛いところはあるか?」

「いっぱい……うでとか、ひざとか、いたいです……」


 関節痛か。もう一度体温を測らせる。さっきは37度程度だったが、上がっているのではないか。病院に行ってもいいものか。


「あと、のど、いたい……」

「水持ってきてやる」


 部屋を出て、キッチンでリンゴジュースをコップに入れる。少し考えて、キッチンの隅に溜めていたコンビニでもらったストローをコップに差した。


「ほしのさん、おねつ……」


 部屋に戻ると子どもが小さな手で体温計を差し出してきた。38度。子どもにこの熱は辛いだろう。


「座れるか? リンゴジュース持って来た」


 コップを差し出すと、だるそうに体を起こす。枕を背もたれに置いてやると、ひとくちジュースをすすった。


「のどいたいです……」

「もうひとくち飲んだら寝とけ」


 飲みづらそうにひとくちすすった子どもは、もぞもぞとベッドの中へ戻っていった。

 残ったコップと体温計を引き上げて、リビングに戻る。


 どうする。このまま病院に連れて行けるか?


 車か。タクシーか。

 いや、感染症ならそういうわけにはいかない。ただ、歩けるほど体力があるとは思えなかった。背負っていくか。外は冬の気配が濃くなってきていて、風邪を引いた子どもには酷な気温ではないか。

 ひとりであれこれと考え込んでいると、玄関の呼び鈴が鳴った。インターフォンに設置したビデオカメラを確認すると、奈々が立っている。

 扉を開けると、分厚いスウェットにジーンズのパンツを無造作に履いた奈々が回覧板をかざして見せた。


「あ、よかった。星野さん、今日はいましたね。これマンションのお知らせです。残り星野さんのお宅だけなんですよ。サインもらえます?」

「ちょうどいい。家入れ」


 奈々を自宅に引きずり込んで、事情を説明した。奈々もすぐに顔色を変える。


「えっ、あおちゃんが高熱? そうですね、病院……は感染症の危険性が? それなら、お医者さまに来てもらうのはどうでしょう」


 なるほど。その手があったか。


「訪問診療をネット検索してもいいですけれど、多分りえちゃんの実家に連絡して紹介してもらった方が早いでしょうね。裕一郎のところでもいいですけれど、やっぱり同い年のりえちゃんの家に相談した方が小児医療とつながりやすいと思います」

「助かった。恩に着る」

「あおちゃんは女の子ですし、私が看病しましょうか?」


 奈々の申し出は、かなりありがたい。いくら女児でも、赤の他人の星野が着替えさせたり体を拭いてやったりするのはよくないだろうと途方に暮れていた。


「ありがたいんだが、もし感染症だったら……」

「ああ、気にしなくていいですよ。私は定職に就いているわけでもないですし、私を訪ねて来るもの好きなんて裕一郎くらいしかいませんから」


 それは裕一郎に恨まれるやつではないだろうか。

 だが、背に腹は代えられない。裕一郎に恨まれる覚悟で、奈々に頭を下げた。


「すまん。いつか埋め合わせはする」

「いいですよ。あおちゃん、早く元気になるといいですね」



 /*/



 医者に来てもらったところ、熱は高いがただの風邪だと言う。処方箋だけもらって、駅前の薬局まで走った。

 帰り際、スーパーが目に留まって、なにか弱った胃にやさしいものを買って帰ろうと店に入る。

 ただ、惣菜コーナーを眺めていても、どれも揚げ物ばかりで風邪っぴきの児童にはよくなさそうだ。


 仕方がない。自分でつくるか。


 果たして自分にもつくれる、病人に優しい食べ物とはなんだろうか。ひとまず、りんごと生姜、牛乳とゼリー飲料だけは買い物カゴに入れた。あとは卵がなかったので買っておく。風邪の時に良いものはほかになんだ?

 懸命に脳内で献立を考えていたところへ、スマートフォンが震える。店内の隅に寄ってディスプレイを確認すると、奈々からだった。


「どうした?」

『それが、あおちゃん、心細くなっちゃったみたいで、星野さんを呼びながら大泣きしてて……多分熱が上がったんだと思いますけれど、帰ってこられそうですか?』


 普段は機嫌よく過ごしている子どもなので、急に泣き出して奈々も驚いているらしい。聞いたことがないほど戸惑った声だった。

 あわてて会計を済ませてスーパーを出る。

 走るほどではないと頭ではわかっているが、気持ちは焦る。体は間をとって早足になっていた。

 マンションに戻って扉を開けると、すぐに子ども部屋から泣き声が聞こえた。


「ゔぁああぁあ゙あん! ぼじのざーーーーーーーーん!! どこでずがーーーーーーー!!」


 ──ギャン泣きである。


「あおちゃん、星野さんはお薬を買いに行っているだけですから、すぐに帰ってきますってば」

「やだあぁああぁああ!! あおぢゃんのごど、ずでで、どっかいっちゃったんですーーーーー!! やだーーーーーーー!! あ゙ーーーーーーー!!!!」

「おい、帰ったぞ」


 星野が部屋の中に声をかけると、泣きすぎて顔を真っ赤にした子どもが星野へ視線を向けた。

 大きな瞳からはぼろぼろと大粒の涙がこぼれて、熱だけでなく泣きすぎて目も鼻も真っ赤になっていた。

 星野を見て落ち着くかと思いきや、また泣き出した。


「ゔわあああああああ゙ん!!」


 ベッドから降りて、星野の腰に抱きついてくる。いつになく力が入っていない。そのまま体を抱き上げて腕に乗せた。首筋に細い腕が巻き付く。


「なんだ。体しんどいのか」

「うぅ……ほじのざん……ほじのざん……」


 名前を繰り返し呼ぶばかりで、意味のある会話はできそうになかった。


「怖い夢でも見たのか」


 背中をなでると、まあるい頭が小さくうなずいた。

 しばらくなにも言わずに抱いたまま背中をなでていると、すぐに寝息が聞こえてきた。傍で見ていた奈々が、ほっと息を吐き出す。


「よかった……こんなあおちゃん見たことなくて、柄にもなく動揺してしまいました……」

「手間をかけてすまん」

「いえ。……いつも機嫌の良い子どもなんて、いるわけありませんよね。いたとして、きっとどこかで無理してます。あおちゃんが、ちゃんと星野さんにわがままを言えるみたいだって、わかって良かったです」

「コイツはいつもそれなりに我を通してくるぞ」

「そうですね。星野さんだからだと思います」


 私にはいつもいい子ですよ、と奈々に言われて、そんなものかと思う。この子どもにも外面があるらしい。

 腕から下ろした子どもの体をベッドに寝かせる。額に手を滑らせると、かなり熱かった。薬を飲ませたかったが、今寝たばかりなのでそのままにするしかない。


「お買い物、途中でしたよね? 私が代わりにお買い物に行ってきましょうか」

「いや。それより、病人でも食べられて、俺でもつくれそうな献立を教えてくれないか? 全く思いつかん」


 星野の質問に、奈々は安心したようにようやく笑った。



 /*/



「星野さん……? なんでいるんです……?」


 風邪っぴきが起きたらしい。リビングにぺたぺたと軽いスリッパの音がした。キッチンから振り返ると、子どもがパジャマ姿のまま目をこすっている。


「なんか、あおちゃんすっごく目が開きにくいんですけど……あ! もう6時?!」


 言動がしっかりしている。どうやら熱が引きはじめたらしい。もう大丈夫だろう、と星野は笑ってみせた。


「さっき大泣きしてたからな」

「えっ? あおちゃんが? なんでです?」

「知らん。奈々ちゃんに看病されてたら、急に泣き出したんだと。赤ん坊みたいに泣いてたぞ」

「!」


 風邪っぴきなだけでは説明できないくらい顔を赤くして、それから視線を明後日の方に向ける。


「え、えー? 怖い夢でも視たんですかねー? あ! きっと昨今流行りの熊と戦ってたんですよ!」

「ふーん。熊と戦ってんなら、俺を呼んでも役に立たねえぞ」

「熊さん相手なら星野さん勝ちそうじゃないです?」

「勝てねえよ」


 コイツの中で自分はどんな屈強な男になっているのか。

 呆れながらコンロの火を止めて鍋をかき混ぜた。煮立った鍋に、溶き卵を回し入れる。再びかき混ぜて、火を止めた。


「さっきから、なんかおいしそうな匂いがしますねえ。もしかして、星野さんがなにかつくってくれてるんです?」

「病人食なんかつくるのはじめてだからな。奈々ちゃんに教えてもらった」

「わあ! それなら安心ですね!」


 どういう意味だ。


「というか、そんなぺらぺらしゃべってて大丈夫なのか? 声かすれてるぞ」

「んー、ちょっと痛いですね。リンゴジュース飲みます!」


 さっきは二口飲むのがやっとだったくせに、自分でコップに注いであっと言う間に飲み干した。もう一杯注いでいるのを見て、体は大丈夫そうだなと思う。


「食べられそうなら、これ食って薬飲め」


 子ども用のどんぶりに鍋の中身をよそう。

 すりおろした生姜、刻み海苔を上からかけて完成だ。


「卵雑炊ですね! おだしの匂いがおいしそう!」


 子どもがいつも通りに食事に反応を示した。リビングのガラステーブルに雑炊と薬を用意する。星野も自分の分を用意して、二人で手を合わせた。


「いただきます!」

「いただきます」


 子どもが匙からひとくちすする。米は少なめに、水分を多めにしておいたのでスープのような仕上がりになっていた。


「はぁ、おだしと生姜でぽかぽかしますねえ」

「小学生女児の感想にしては渋いな」

「ねえねえ星野さん。これ、なかに入ってるの鰹節です?」


 卵雑炊の中には茶色い小さなかたまりがふわふわと浮いている。


「パックの削り節」

「これ、おだしの香りが濃くなりますね!」

「奈々ちゃんに聞いた」


 醤油、顆状だしのほかに、パックの削り節をまるまる入れる。鰹節の風味が効いて風味が増すのだとか。


「さすが奈々ちゃんです! おいしー!」


 子どもは食欲を取り戻したようで、あっという間に雑炊を平らげた。食欲があるなら、明日には熱も下がっているだろう。


「薬、ちゃんと飲めよ」

「……苦いです?」

「今どきの薬はそんな苦くねえよ」


 星野の子どものころは、わざわざシロップで甘くした薬があったが、正直シロップがマズすぎてかえって飲みづらかった。最近では糖衣のものもあれば、苦みを抑えた通常の粉薬もある。

 今日処方されたのは粉薬だ。


「人間ってのは、舌先で味を感じるんだ。だから、粉薬は舌の上に乗せるな。舌の下側に乗せて、水で一気に飲み込め」

「へー、やってみますね」


 粉薬をさらさらと口に入れて、一気に水を飲み干す。子どもが眉間に皺を寄せて苦い顔をした。


「………………………マシではありました」

「そうか。飲んだら歯を磨いて寝ろ」


 子どもは素直に洗面所に向かって、その後自分で新しい寝間着に着替えて子ども部屋へ向かった。

 少し心配になって、子ども部屋を覗き込む。子どもはベッドの上で大人しく布団にくるまっていた。ただ、視線はドアの傍に立った星野へ向けられている。


「ねえねえ、星野さん」

「なんだ」

「……お昼、怖い夢を見たような気がします」

「……そうか」

「……星野さんに置いて行かれる夢です」

「…………」


 この子どもは、肉親を喪ってから親戚中をたらい回しにされた挙げ句に、なんの縁もない星野のもとへやって来ていた。


「……ただの夢だろ」

「……そうですかねえ……」

「ああ。ただの夢だ」


 星野が言い切ると、子どもが笑った。

 いつも通りの笑みだった。


「星野さん、看病してくれて、ありがとうございます。おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

 

 

冬のあおちゃんと星野さんたちをお楽しみください。

明日も20時ごろの更新を予定しています。

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