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キスは呪縛の呪い

作者: 鳳 翔平

私はそこにいた。


吊るされていた、というほうが正しいかもしれない。


足元は宙を浮いていて、首には冷たいロープが食い込んでいた。苦しさも、痛みもなかった。 ただ、動けなかった。声も出なかった。


私はもう、生きてはいなかったのだと思う。


部屋の中は、月明かりだけが差し込んでいて静かだった。 でもときどき、人の足音が聞こえることがあった。


私は、誰かが来るたびに、ただ目を開いたまま揺れていた。 そしてその誰かが、私の顔を見てしまうと……次は、その人がここに来ることになる。


それが私に残された、唯一の意味だった。


ある夜、何人かの若い人間がやってきた。 騒がしく、軽い調子で、死を知らない声だった。


でも、その中の一人だけが、私の顔を真正面から見た。


そのとき、私は“引かれた”のを感じた。 ロープがちぎれ、床に落ちた。 死体だったはずの私の体が、動いた。


のそり、のそりと、彼らに向かって這い出した。


みんな逃げた。叫びながら、必死に逃げた。


でも、その中の“あの人”だけは、逃げなかった。


……私は、画面の中から這い出た。


それが何かの機械であったことは、なんとなく理解していた。 画面の外、別の場所。そこに“あの人”がいた。


私は出ていく。 それが呪いだった。


なのに、彼は私を抱きしめた。 前髪を払って、唇を重ねた。


その瞬間、私の中に何かが入り込んだ。 冷たく、重く、逃れられないもの。


――口づけは、彼からの呪いだった。


「一目惚れした」 「俺と結婚してくれ」


――なぜ?


私は答えられなかった。 答えを持っていなかった。


それでも、彼は微笑んでいた。


私はあの廃墟に戻ろうと必死に蠢いた。 でも彼から受けた、あのキスという呪いが私を縛り付ける。


そして首からロープが外され、代わりに 細い革のチョーカーをつけられた時、呪いは決定的なものになった。


その黒い紐は、呪いを形にした首輪だった。 それが巻かれた瞬間、私は彼に囚われた。 死ぬまで、いいえ、死んでも解けない呪縛。


私はもう、廃墟に戻れなくなった。 ロープがなければ、あの部屋へ帰ることはできない。


私の居場所は、画面の外になった。 鏡の中、水の反射、夜の隅。


どこへ行っても、彼はいた。


彼は私を気に入っていた。喜んでいた。 服をくれた。髪を洗わせた。


そのたびに、私は髪を落とした。排水口に詰まるくらいの黒髪を。 彼はそれを掃除しながら、笑って言った。 「綺麗になってくれてありがとう」


私は何も言わなかった。 何も感じていなかった。はずだった。


でも、彼の視線は私を“飼って”いた。


横断歩道で待っていた夜。びしょ濡れのまま車に乗ると、彼はまた嬉しそうに笑った。 傘もささずに待ってくれてたんだね、って。


違う。私は、そこにしか行けなかっただけだ。


それでも、彼は喜んでいた。 私は黙って、それを受け入れていた。


ある夜、彼が眠っている隣に横になった。 「おいで」 そう言われたからだ。


その腕は、冷たい私の体をあたたかく包んだ。 そのぬくもりが、少しだけ、 ……少しだけ、残酷だった。


年月が経ち、彼は老いた。 体が衰えて、病院のベッドに寝たきりになった。


私は、いつも通り、暗い部屋の隅にいた。


そしてその夜、彼の命が尽きた。


私は彼の顔を見つめた。 目を閉じ、穏やかな表情で、死んでいた。


その額に、私はそっと口づけた。 彼のために。そう、彼は思っただろう。


私は微笑んだ。 生前の彼が、見たことのなかった表情だった。


でも、私は知っている。


それは愛じゃない。


私は、あのときロープを外されて、代わりに首輪をつけられた。 廃墟という檻を壊され、別の檻へ移された。


だから今度は、私の番。


私は、そっと首元のチョーカーに手を添えた。 カチリと外れた音がした。


それが、彼の死の証。呪縛が切れたということ。


私は、チョーカーを彼の胸元に置いた。 まるで、それがはじめから彼のものだったかのように。


そこにあったのは、愛ではなく、呪いだった。


私は、こと切れた彼の顔を見つめたまま、


彼の最後の言葉を思い出す。 「ありがとう」「また会おう」


……また会おうなんて、言わないで。


あなたはもう、私のもの。


私は、微笑を湛えたまま、光の粒へと変わっていく。 その唇が、風に紛れて、かすかに動いた。


――「捕まえた」


その口元には、呪いにも似た、歪んだ笑みが浮かんでいた。

拙い文章、読んでいただきありがとうございました。


男目線で描かれている、前作「俺は冷たい彼女と暮らす」を合わせて読んでいただければ、この物語の、男の異常さがより伝わると思います

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