散歩がてら、弟の親しい人を
武家の長男として生まれた敬介は、家族からも屋敷で働く者からも慕われる、文武両道の穏やかな青年だ。
『敬介がいれば家は安泰だ』と、ずっと言われ続けてきた。
そんな敬介に怪訝な目を向けるのが、弟の宗介だ。
宗介も、文武両道に秀でた気高く美しい男だ。
しかし、真面目すぎて物言いがきつく、笑う事もほとんど無い。
その上、屋敷の中で唯一敬介を『危険人物』と見なしている。
何故、敬介を『危険人物』と見なしているのか、当主である父が尋ねても答えてくれない。
ある朝。
敬介が町を歩いていると、蕎麦屋の前で立ち話をしている宗介の姿が見えた。
会話の内容は聞き取れないが、初老の夫婦に笑顔まで見せているから、相当に仲が良いのだろう。
夫婦と別れた宗介を敬介は物陰から見送り、夫婦へと視線を移した。
どうやら開店準備中だったらしく、二人は言い合いをしながら店の中へと入っていく。
敬介は物陰に隠れたまま、少しだけ口角を上げた。
敬介の日課は、朝の散歩だ。
その道順は気分によって様々なのだが、今朝の事を報告する為に、朝食後、敬介は神妙な面持ちで宗介の部屋を訪れた。
廊下から、文机で読書をしている宗介を覗き込む。
「宗介」
「……何ですか、兄さん」
宗介は、警戒心を顕に敬介を見上げた。
「今朝、町で男が首筋を斬られて殺されたらしいよ」
「……そうですか。何故、わざわざそんな話を」
「どうやら、犠牲者は蕎麦屋の店主らしいんだ」
その言葉を聞いて表情が固まった宗介は、徐々に悲痛な面持ちになり、勢いよく部屋を飛び出した。
廊下の突き当たりでぶつかりかけた父は、「何事か」と敬介に問いかける。
「今朝殺された男、どうやら宗介の知り合いのようですよ」
「お前が今朝見たという遺体か?にしても、武家の者が取り乱すなど……」
「許してやってください。『知り合いが殺されたかもしれない』と聞けば、誰だって居ても立ってもいられません」
父はため息をつくと、「今回だけだ」と言って歩いていった。
父が廊下の角を曲がるまで見送ると、敬介もその場を離れる。
廊下を歩きながら、今朝の事を思い出していた。
店の路地裏で体調が悪いふりをして座り込んだ敬介は、箒を持ちながら心配しに来た店主の首筋を懐刀で斬った。
敬介は、聡明で清廉潔白な宗介の表情を絶望と苦痛で歪める事に快楽を覚えていた。
宗介も、敬介の思惑までは気付いていないだろう。
敬介は妖しい笑みを浮かべ、「さて、次は女房かな」と呟いた。