そして雨は降り続ける
何日も雨が続くある日、とある精神科医の元に一人の男が運び込まれてきた。手錠により無理に抑えつけられ猿轡をされているが、もし手を自由にすればいますぐにでも暴れだし叫びだしそうな凶暴な表情をしている。取り押さえるのに苦労したのか連れてきた警官は疲れた顔をしていた。
敵意に満ちたその表情の中で最も印象的なのはその目だった。ギラギラと狂信の色に光らせ、殺意を湛えた視線で周囲を睨みつけている。
「またアレですか?」
医者からの質問に警官はそうですと答えた。
やはりそうですか、医者は額を抑えると、そこの椅子に座らせてくださいと頼んだ。
その椅子は拘束用の器具が付けられた特別のものだった。警官は手錠を外して男を力尽くで椅子に座らせて拘束すると、医者と男を残して部屋から出ていった。
しっかりと拘束されていることを確認すると医者は男の口から猿轡を外す。すると男は医者に向かって喚き始めた。
「俺は英雄になる男だぞ! 神の声を聞いたんだ! 何百何千何万! どれほどの数がいようとも尽く神敵を撃ち滅ぼす英雄だ! 俺の行動は神の意志だ! いますぐこの拘束を解け!」
椅子をガタガタと鳴らしながら喚き散らすその言葉を聞いた医者は深々とため息を吐き、うんざりとした声で答える。
「神とやらがなにを仰ったのか知りませんがね、いまはもう人を殺して英雄だなんて古臭い時代じゃないんですよ。英雄だと言うなら人を救ってください」
ここ最近、同じようなことを主張して他人を殺してしまおうとする人が増えている。そのほとんどはせいぜい人を傷付けるだけで終わるのだが、不幸なことに殺される人もいないわけでない。
その原因は過密が行き過ぎた故のストレスだろうとは言われている。
出生率が上がり、平均寿命が伸びた結果として世界の人口は軽く二百億を超えた現状を考えるとそれが妥当だろう。
だがひょっとしたら本当に神がいて、人口を減らすことを命じているのかもしれない。
看護師に命じて隔離病棟に連れて行かれる男の後姿を見ていると医者の心にふとそんな考えが芽生えた。
彼らは皆一様に古臭い「神」という概念を持ち出し、示し合わせたように自分はそれに選ばれた英雄だという妄想に取り憑かれる。
医者はカルテを取り出すと、いまこの病院に強制的に入院させられている同様の妄想を持つ患者の情報を確認した。互いに情報を交換していたような痕跡は見当たらない。
彼らは一体どこで、もはや古い古い歴史書の中にしかいない神の存在と、それに選ばれる英雄などという発想を知るのだろうか。
もし、もしそうだとしたら。本当に神がいて、命じているとしたら。
このままこの「英雄」たちを片端から捕まえて拘束し続けていたら、業を煮やした神は果たしてどんな手を取るのだろう。
苦笑した医者は窓から外を眺める。超高層ビルが所狭しと並んだ、世界中のどこから見ても代わり映えのしない景色の上に重苦しい雲がのしかかっている。
いつの間にか雨足は強くなり、遠くのビルは霞んで見えていた。
雨はまだやみそうにない。