4 冷やし桜 中編
翌朝、いつもより早目に朝のお勤めを終え振り向くと、英二の他に綺仙洞が座っていたので、驚いた。
まだ電車も走っていない時間である。
「行くぞ」
「朝餉まだなんだよ」
「車中で食べろ」
英二がまた用意周到で、お握りなんぞ作ってあったので、昨日まとめておいた荷物と一緒にすぐ出発することになった。
荷物を後部座席へ置き、早速とお握りを取り出して食べる。ほかほかして美味しかった。これもまた英二が準備した熱々のお茶も美味しい。
ただし、車が揺れるので、気をつけないと袈裟にこぼしてしまう。綺仙洞は見掛けによらず、運転が乱暴なのである。
食べ終わると、揺れる車内で眠気が差してきた。
「眠ってもいいか」
「着いたら起こす。今のうちによく眠っておけ」
目が冴えてしまった。不吉なことを言う。綺仙洞の言うことも尤もなので、無理やり目を閉じて眠ろうと努めた。そのうちに、とろとろと眠りに落ちることができた。
「おい、起きろ。照恕、着いたぞ」
眠ったと思ったら、すぐ起こされた。辺りはすっかり明るくなっていて、実際はそれなりに眠ったらしいが。もっと優しく起こせ、と言おうとしたら、楚々とした美少女が駆けてきたので、やめた。
「仙洞さん。遠いのに、こんなに早くいらしていただいて、ありがとうございます」
楚々とした美少女は、腰まである真っ直ぐな黒髪を揺らし、息を切らしながらお礼を言った。
「せんどう?」
「私の雅号だ」
短く言い捨てて、綺仙洞は車を降りた。俺も荷物を持って車を降りた。美少女は、俺を見て、戸惑いながらも頭を下げた。
「こちらは、蓮照寺の御住職です。こういった問題に詳しいので、連れてきました」
「ああ、お忙しいでしょうに、ありがとうございます。水沢久子と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
久子は、もう一度丁寧に頭を下げた。予想通り、例の二十歳の女子大生であった。年齢的にも物腰も少女と呼ぶのは失礼だが、ぱっと見の印象は美少女としか言いようがなかった。
最初に座敷へ通された。仏壇に真新しい位牌があった。久子がお茶を淹れるため席を外している間に、綺仙洞と一緒に線香をあげた。仏壇の上に何枚か白黒写真が飾ってある。端の写真が、一枚だけカラー版で新しい。禿げあがって眉毛だけ太い爺さんが写っていた。そのまま仏壇に向かい合って写真を眺めていると、久子が茶を運んできた。
「ご焼香いただき、ありがとうございます。左端の写真が、祖父でございます」
元の席に戻って、斜向かいに座る。
「つかぬことを伺いますが、ご両親は……?」
「私が小学校へ上がる前に亡くなりました」
「そうですか」
俯いて茶を啜る久子の様子は初々しい。お茶も美味い。と、綺仙洞が口を開いた。
「では、さっそくですが、例の蝋燭を見せてください」
「はい」
もっとゆっくりしていたかったが、久子が立ちあがったので、仕方なく綺仙洞の後からついていった。
一旦玄関から出て、庭へ回ると、きちんと手入れされた庭の奥に離れがあった。脇に小さな入口が設えてある。久子はポケットから鍵を取り出し、離れの中へ俺達を案内した。
離れの中は、外から見たよりも広かった。
入口に風呂とトイレと台所があり、縁側付きの和室が一つ。床の間と押し入れと造り付けの棚がついている。部屋の真ん中には小さなちゃぶ台がおいてあるきりで、綺麗に片付いていた。
久子は棚からかなり大きな文箱を取り出して、重そうにちゃぶ台の上へ置いた。黒漆一色の塗り物で、布紐で十文字にしばってある。布紐を解いて、蓋を持ち上げると、中には蝋燭がぎっしり詰まっていた。
「これが、百物語用の蝋燭ですか」
俺はしげしげと眺めた。久子の許可を得て、手にとってみる。
黄色がかった蝋燭の本体の真ん中あたりに、小さく数字と絵が描いてある。べつに上手い絵とも思われない。面白いのは、数字が大きくなるにつれて、蝋燭が徐々に大きくなっていることであった。
全て同じ大きさでは、百番目に消される蝋燭がすぐになくなってしまうからであろう。特に何も感じなかったので、次から次へと取り出し、全部畳の上に並べてみた。別におかしなこともない。
綺仙洞はどうしているかと様子を窺うと、床の間の水墨画を眺めて珍しくしみじみとしている。よく見ると、水墨画には「水脈」と号してあった。
「百物語をするときには、蝋燭をどのようにして立てていたのですか」
「蝋燭立てがございました。こちらです」
久子は棚から同じような文箱を取り出して、重そうに畳の上へ置き、紐を解いて開いて見せた。猪口のような陶器がぎっしり詰まっていた。手にとって眺める。白地に朱で人魂らしい物が描かれていた。どうやら全部同じ柄のようなので、並べるのは止めることにする。
蓋を手にとり、何気なくひっくり返す。真ん中に四点汚れがあった。蝋燭が入っていた蓋をひっくり返すと、同じように四点汚れが見つかった。
「ここには何か貼ってあったのですか」
久子は蓋の裏を覗いて、眉根を寄せた。
「いえ。私も今まで蓋の裏を気にした事はありませんでしたので」
綺仙洞が俺から蓋を取り上げて、汚れを観察する。
「魔除け札でしょう」
俺が言おうとしていたことを先取りされた。久子が感心した様子で綺仙洞を見る。
「では、魔除けの札が外れたのに気付かず、この道具を使ったために、呪いがかかったということでしょうか」
「大方そのような事情と思われます」
綺仙洞が久子の視界を占領している。綺仙洞が何を言おうと、久子の命を救えるのは俺の方だ。俺は二人を横目に、箱から蝋燭立てを出し、ちゃぶ台の上に並べていった。
小さなちゃぶ台の上は、丸い輪で埋め尽くされた。百個も並ぶはずがなく、残りは縁側に並べていく。
蝋燭立てを全部並べ終えたら、今度は蝋燭を縁側の手前から順番に蝋燭立てに入れていく。
綺仙洞たちは黙って俺のすることを見ていた。縁側の奥まで蝋燭を並べ終えたら、今度は大きい数字の蝋燭をちゃぶ台の中央に立て、円を描くよう順番に蝋燭を並べていく。最後の一本で綺麗に蝋燭立てが埋まった。
なかなか壮観である。それぞれに妖怪の絵が描いてある所為か、ちゃぶ台の上に針山地獄が出現したようにも見えた。
「あの、火も御入用でしょうか」
久子が控えめに尋ねる。
「暗くなりましたら、用意してください」
俺はにやりと笑った。久子が目眩を起こしたようにぐらりと揺れた。綺仙洞が慌てて抱き起こし、俺を睨みつけた。
「照恕、ふざけるな」
「真面目な話だ。お前にも参加してもらうぞ」