3 眠り桜
綺仙洞の店内に入ると、大小の古物が所狭しと並べ立てられている。店主の専門である日本画は、意外にも絵皿や木彫りの置物、茶箪笥、火鉢などに隠れるようにして、掛け軸が二、三かけられているだけである。
古物の隙間を縫って店の奥へ進むと、番台の前に店主が座っている。店主は大抵、本を広げている。番台には行灯があり、常に灯が入っている。
蓮照寺住職である照恕が綺仙洞に入ってきた。
「う~む、まだまだ寒いぜ」
照恕は袈裟をかけたままである。法事に呼ばれた帰途らしい。慣れた足取りで古物の間をすり抜け、たちまち番台まで辿りついた。
「おお、元気か」
と、綺仙洞ではなく、行灯に声をかけ、ポンポンと軽くてっぺんを叩く。行灯は特に反応しない。
「相変わらずだ」
代わりに綺仙洞が返す。
上がれとも言われないうちから、はや照恕は草履を脱ぎ捨て、ずかずかと奥へ行く。綺仙洞は店を閉めてしまい、後から奥へ入る。まだ日は高い。
綺仙洞が追いついたところは、庭に面した座敷で、照恕は手にした風呂敷包みをほどき、中から菓子を取り出すところだった。綺仙洞はお茶を支度した。
雪見障子を上げているので、座ると庭の様子がよく見える。庭に桜が植えられており、池の上に枝を伸ばしているが、まだ花を咲かせてはいない。
「まだ花見には早いな」
「つぼみはもう大分膨らんでいる。あと一、二週間だろう」
「うまそうな和菓子を見つけたから買ってきたんだ。ほら、春らしいだろう」
桜のつぼみを模した淡い桃色の練り菓子が並べられた。卓子の上に光がこぼれたようにも見えた。
「これが咲いたら酒盛りか」
綺仙洞が菓子を齧って、中身を覗く。花粉のような黄色い餡が入っていた。真ん中に、うっすら緑の芯が見える。なかなか凝っている。
そして照恕が唸る。
「うまい」
「形か、味か」
「両方」
お茶と菓子を交互に口へ運ぶ。照恕は満足げである。綺仙洞は菓子を食し終えて、お茶を注ぎ足す。
「で、用件は」
「冷たい奴。ただ親睦を深めるためだけに来てはいけないのか」
「仕事の話をするときは、酒を飲まないだろう。親睦なら、酒に勝るものはない」
照恕は座り直した。
「お前のところの店番、相棒が見つかったぞ」
「どこにいる」
「隣の市にいる隠居の知り合いの家」
綺仙洞はお茶を一口啜って
「遠いな」
「今度の日曜日に連れて行こう、どうだ」
たたみかける照恕に答えず、綺仙洞は席を立つ。照恕がついていくと、番台まで戻って行灯に話し掛け始めた。
「お前の相方が見つかったそうだ。ちょっと遠いが、今度の日曜日に、行ってみるか」
すると行灯が、一回点滅した。風は、ない。
「決まった。行こう」
「行灯に聞いて決めるなよ」
「お前だって、いつも話しかけているじゃないか」
隣の市にいる隠居の知り合いの家は、山奥にあった。行灯を提げた二人が門をくぐると、庭の方から、入るように呼ぶ声がした。
「ほう、桜か」
「咲いたらさぞかし美しいだろうな」
庭には池があり、その上に桜の枝が張り出していた。まだ膨らんだ蕾が開く気配はない。
縁側に老女が座って、手をこまねいていた。老女の側には行灯が待っていた。昼の明るい外光の元でも、火が灯っているのがわかる。
「いらっしゃいまし」
「初めまして、綺仙洞です。これが、友人です」
老女は、照恕の行灯を見て微笑んだ。
「大変だったでしょう。こちらへ置いて、座敷へ通ってください」
言われるままに、照恕は行灯を老女の傍らへ置いた。行灯が、老女を挟んで、門柱のように向かい合った。
「あれっ?」
何時の間にか、持参の行灯の灯が強くなっていた。風もないのに炎が揺れ、二つの行灯が瞬きあった。
「揃いました」
老女が呟いた。立ち上がって、座敷へ入っていく。行灯は、その場に置いたままである。綺仙洞と照恕も倣って座敷へ上がった。卓子の上に、お茶菓子が用意してあった。
老女はお茶を淹れながら、行灯の由来を語った。
祖父から聞いた話です。
祖父は子供の頃、大きな屋敷に住んでおりました。床の間に床柱が二本もあったのです。これは珍しい様式です。なんでも、元の木が雌雄一対だったとかで、大工さんがそのように設計したそうです。
あの行灯は、床柱を一本ずつ使って削り出したものです。ですから二つで一対なのです。
祖父は末子でしたので、皆に可愛がられて育ちました。特に、乳母子のお光という娘、これは次兄と同じ年齢ですが、これが祖父の面倒をよく見てくれました。祖父もお光によくなついておりました。
祖父が五つのとき、長兄が婚礼を挙げました。昔のことですから、式場などというものはなく、屋敷に広間を作って式場代りにしたのです。
襖を外すと、幾つかの部屋がつながって、一つの大きな部屋になります。上座に金屏風を置いて、膳を並べていくのです。これらの道具立ては全部、蔵に仕舞ってありました。昔の大きな家では、これが普通だったのです。
それぞれが忙しく立ち回っていたものですから、誰かいなくなったとしても、すぐには判りません。婚礼は、大勢の招待客に祝されつつ、無事に終わりました。客人が帰ったあとは、使用人たちの宴会です。祖父は花嫁の美しさに興奮して、すっかり疲れてしまい、早々に床へ入っておりました。
祖父が目を覚ましたのは、廊下を駆ける大勢の足音であったそうです。部屋の外へ出て、声のする方へ行ってみました。どうやら宴席のある部屋で何か起きたようでした。
しかし、祖父は結局、その部屋まで辿りつけませんでした。お光に見つかったのです。
「お部屋に戻って、お休みなさい」
断固とした口調でした。そういうお光の顔は蒼ざめていて、祖父にも重大な事が起こったらしいと察しがつきました。それで、お光に背中を押されながら、布団に潜り込みました。もともと疲れていたので、すぐに眠りに落ちました。祖父が寝入るまで、お光は枕元に座っていたのでした。
祖父が真相を耳にしたのは、翌日のことでした。
何と、お光が宴会の屏風の後ろで死んでいたというのです。
では、祖父が見たのは何だったのでしょう。
祖父は、その話を長い間心の中にしまっておきました。お光がいなくなったら、もう祖父には話し相手がいなかったのです。
長兄の嫁は、よく働きました。お光が婚礼の日に死んだということで、村の者なども随分口さがない噂を立てたりしていましたけれども、黙々と家事をこなしていました。
お光の葬式も、姑の下で立派に行いました。長兄も妻を大事にして、二人で一生懸命働いておりました。
そのうち、流行り病や戦争などで、お屋敷は祖父が継ぐことになりました。長兄は妻に先立たれ、やもめを通しておりましたが、流行り病でいよいよ危ないという時に、祖父を枕元に呼びました。
「床柱を、ばらばらにしてはいけないよ」
長兄の遺言でした。
戦後、その屋敷を取り壊す時に、床柱を再利用しようという話が大工さんから出ました。木材がただでさえ不足気味な中、滅多にない立派な材ですから、請われるのも無理ありません。
祖父はもう身体も弱っておりましたが、柱がそれぞれ別の場所に使われると聞いて強く反対しました。父母は、祖父の最後の願いのつもりで、祖父の言を容れたのです。
床柱は、行灯に造り替えられました。
最初は普通の行灯だったのです。
いつのころからか、祖父が亡くなったころからかもしれません。灯りが消えなくなったのです。どうやら油がなくても点いているようでしたが、私は時々油を注してやりました。
二つの行灯は、風もないのに時々交互に瞬いたりなどして、まるで話をしているようでした。父母も気味悪がることなく、この行灯たちを受け入れておりました。父母亡き後、私が彼等の面倒を見ることになりました。
私は、ずっと一人でした。行灯たちは、彼等の言葉で語り合うことができるのに、私には話し合う相手がおりませんでした。
ある時、ふと魔が射しました。
私は行灯の片方を庭の石の上において、障子を閉めてしまいました。残った行灯は、抗議するように夜中まで瞬いておりました。その夜はまた、風がとても強かったのです。私は行灯の抗議に耳を貸さず、さっさと床につきました。
翌朝、庭を見ると、行灯ごと消えておりました。庭へ出て隅々まで探しましたが、破片もなく、引き摺られた跡もなく消えておりました。
それ以来、私はこの行灯と二人で暮らしてまいりました。
「多分これは、今度三人でお話ししようと戻ってきたのだと思います」
綺仙洞が言った。それからふと庭を見て
「ほら、桜もそう言っています」
いつのまにか、桜の花がぽちぽちと開いていた。ほんの僅か。
行灯が、交互に瞬いた。どうしてか、行灯同士で話をしているようには感じられなかった。双方共、老女に話しかけている、とそう見えた。
老女は微笑んだ。
綺仙洞と照恕は、行灯を置いて家を辞した。