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2 散桜  前編

 「いやぁ、散り始めの桜もいいねえ」

 「酒ばかり飲んでいないで、言葉通り桜を愛でたらどうだ」


 俺と綺仙洞(きせんどう)は、寺の裏山で花見をしていた。

 今年は開花が早く、途中で寒い日が挟まったとはいえ、散るのも例年より早かった。

 おまけにこの春は法事に加えて葬式やら何やらで妙に忙しく、気付けば花見をせずに春が過ぎていこうとしていた。慌てて綺仙洞を呼んで、手っ取り早く寺の裏で花見の宴を開いたのである。


 桜は熟し切り、僅かな風に触れても、はらはらと花びらを散らした。散りかかっても、ゆらゆらと重たげに枝を揺らす桜は、なお美しかった。


 「桜の下には死体が埋まっている。だから桜は美しいのだ」

 「檀家が怒るぞ」


 寺の裏山には、檀家の墓地があった。桜は、その外に植えられているのである。


 「俺じゃない。梶井基次郎が言ってるんだ」


 俺は、綺仙洞から一升瓶を引っ手繰って、喉に流し込んだ。


 「あっ、無粋な。ちゃんとコップに注げよ」

 「馬鹿。どのみち、紙コップなんか無粋なんだよ。ラッパ呑みした方が、まだ風情がある」


 言い負かされた様子で、綺仙洞はコップ酒をあおった。その髪に、花びらが舞い落ちる。払いのけようとした手が、つと動きを止めた。


 「おや、還俗した桜の精が迎えにきたぞ」


 指差す方を見やると、坊主頭が一つ、山道を登ってくる。


 「英二ぃ。用があるなら、スマホへかけろって言ったろう」


 俺は不肖の弟子を怒鳴りつけた。

 「照司(しょうじ)叔父さまが、すぐ連れてこいって。お客さんも一緒です」


 英二が握っているのは、俺のスマホだ。綺仙洞も俺の視線の行き先に気付いて苦笑する。


 「檀家総代が呼んでいるのでは仕方ない。俺はもう少し飲むから、行ってくればいい」



 照司叔父は、死んだ親父の弟で、檀家総代である。俺の後見人を以って任じている。今の時期は、花の出荷で忙しい筈だが、わざわざ出向くとは、どういう風の吹き回しだろう。


 「何だ、昼間から酔っ払って」


 叔父の小言は俺の耳を素通りした。叔父の姿も目に入らなかった。

 照司叔父の隣に、ちょこなんと若い女が座っていた。大きな瞳を精一杯開いて、俺を見つめている。栗色の波打つ髪が、耳の下できれいに切り揃えられていた。

 俺は酔いもすっかり眺めて、きちんと座り直した。


 「御、御趣味は?」

 「ぶわーはっはっ! ……馬鹿もん!」


 叔父の怒鳴り声で、漸く俺は目が覚めた。絶妙のタイミングで、英二が俺の前に茶碗を置きに入ってきた。

 叔父と客の茶を淹れ替え去って行く。

 早速、茶を啜った。渋い。卓の向こう側を覗くと、叔父たちの茶は透き通った緑色をしていたから、渋いのは俺の茶だけだろう。


 「初めまして。住職の照恕(しょうじょ)です」


 他にどうしようもないので、改まって俺は挨拶した。女は、笑いもせずに黙礼した。叔父が代わりに喋った。


 「ほれ、檀家の矢萩さんとこのお嬢さんだ。先月、隣町へ嫁いで、何処の家だったかな」


 「桜井です」


 俺の野望は砕け散った。更に頭が冴え渡る。いい事かもしれない。


 「で?」


 俺は茶を啜って話を促した。女は叔父を見て、自分で話し始めた。



 桜井の家は旧い酒屋で、今でも倉が幾つか残っています。倉には、先祖が集めた陶器や、酒代のかたとして残された物が仕舞ってあります。


 毎年、この時期になると倉の物を虫干しするのですが、今年、倉を開けてみると、人形が一体なくなっていたのです。


 その人形は、どこかのお武家様が酒代として納めてくださった雛人形の一つで、笙を持った女官です。

 江戸時代末期のものだそうですが、保存状態がよく、今見ても洗練された顔立ちだったものですから、義姉が嫁いだ年まで家に飾られていたそうです。


 その後は虫干しの日以外は倉に収めたままでしたが、去年までは倉から何かがなくなるということは一度もなく、雛壇の人形の一体だけなくなるのも奇妙なことです。


 主人は、誰かのいたずらだろうと申しておりますが、口さがない人たちが、私が桜井の家に嫁したせいだ、と陰口を叩くのが耳に入りまして、いても立ってもいられなくなりました。

 矢萩の父とこちらの蓮見様が懇意でいらっしゃると伺い、ご住職に御紹介を願ったのです。



 「そういうことなら」


 俺は言った。拍手を打つと、英二がやってきた。


 「うってつけの男がおります。英二、綺仙洞を呼んできてくれ」

 「はい、照恕さま」


 綺仙洞は、すぐにやってきた。片手に空の一升瓶を提げている。例の如く、一向に酔っている気配が見られなかった。


 矢萩のお嬢さんと初対面の挨拶を交わすと、綺仙洞は行方不明の人形の一件を聞いた。


 「一度、お宅へ伺いたいものですね。表向きを取り繕った方が良いでしょうか」

 「はい、できれば」


 お嬢さんは俯いた。桜井の嫁というよりも、まだ、矢萩のお嬢さんといった方がしっくりくる。


 「では、我々は、ご主人の友人ということにした方がよさそうですね。ご主人は協力してくださるでしょうか」

 「はい、そのように致します」


 では、明日の午後に伺います、と約して、俺たちは照司叔父と矢萩のお嬢さんを帰した。


 「寝不足みたいだな」


 綺仙洞が呟く。遅まきながら、俺も漸く気付いた。


 「確かに寝不足でもあるが、あれは霊障だぞ」

 「今頃、気付くな。しかし、旧家の倉を拝ませてもらえるなんて、わくわくするなあ。掛け軸か何か、譲ってくれないかな」

 「掛け軸なんて、無理無理。人形だって、祓ったあとで、くれるかどうか怪しいぜ」

 「姑が権力握ってるからか?」

 「小姑の雛でもあるし、な」


 綺仙洞は、やれやれと言って、茶碗を飲み干した。


 「何とかそれらしくやってくれよ」



 桜井の家は、見るからに旧家であった。

 酒屋という話であったが、昨今よく見かける電光の看板代わりに、家紋を染め抜いた暖簾があった。

 家紋は丸に抱き茗荷で、店の正式名称は勿論『桜井酒店』なのだが、近所では『茗荷屋』で通っていた。


 桜井の主人と面識がないので、俺は如何にも田舎のおっさん、といった出で立ちで、菓子折りを持って出掛けた。待ち合わせ場所へ来てみると、綺仙洞が成功した事業家みたいな顔をして、スーツを着て澄まし込んでいる。


 「抜け駆けしやがったな」

 「怪しげな組み合わせになっちまったな」


 綺仙洞の言うとおりであった。まあ、どちらかは向こうの気に入るだろう。

 暖簾をくぐると、桜井の嫁さんがいた。矢萩のお嬢さんの面影はすっかり消えていて、おまけに周囲に黒い霧をまとわりつかせていた。すぐ後ろから男が顔をのぞかせる。


 「ああ、綺仙洞さん。それと、蓮照寺の御住職ですね。ようこそ、いらっしゃいました」


 どうやら、綺仙洞の方が気に入られたらしい。芝居は不得手のようだった。

 見たところ、周囲に人の気配がないにもかかわらず、与えられた役割を続けるのは、何時現れるかわからない姑のせいだろう。


 「まあ、まずお茶でも」


 二人で座敷へ通された。俺は誰かの視線を感じた。と、ふすまが開いて姑が顔を出した。


 「初めてお目にかかりますねえ」


 暗に自己紹介を強要する。俺も綺仙洞もすましていた。

 桜井の主人が少しためらった後、大学時代の友人だと言った。姑は不服そうに、渋々去っていった。


 「じゃ、蔵へ行きましょうか」


 姑の足音が遠ざかるのを待ちかねたように、桜井の主人が立ち上がった。俺たちも倣う。背中に視線を感じた。姑は粘着質のようでもあった。


 「何処から御覧になりますか」

 「何処からって、雛人形の蔵だけ……」

 「一通り全部見せてください」


 俺の言葉を綺仙洞が遮った。桜井の主人は、気がついたように説明を加えた。


 「蔵は三つあって、建築年代順に、寛政蔵、嘉永蔵、大正蔵と呼び習わしております。雛人形は、大正蔵に置いております」

 「では、古い方から順番に見せてください」


 落ち着いた声で、綺仙洞が言う。その目は宝の山を発見したみたいに、キラキラ光っていた。

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