100年林檎-中-
家を出てしばらく走ると、林檎畑を見上げるようにして、メイルがぼーっと立っていた。
「なんだ、結構近くにいるじゃない」
ソフィーは駆け寄ると、メイルにそう話しかけた。
「当たり前だろ。お前に手紙を渡さないと俺は未来へ帰れない」
林檎畑を見つめたまま、メイルはそう軽口を叩いた。
「そ、そうだったわよね……」
「それで?」とメイルの空色の瞳がソフィーを見る。
「何か用事か?そんな汗たらして、みっともないぞお前」
「う、うっさいわね!アンタ本当クソガキ!デリカシーとかないわけ?」
焦った仕草でハンカチで汗を拭うソフィー。
そして汗を拭うと、深呼吸をし、頭を下げた。
「さっきは、ごめんなさい……急に怒鳴ったりして……」
こんな年下のメイルに頭を下げる事に屈辱を感じないと言えば、それは嘘になる。
だがそれ以上に、八つ当たりのようにメイルに当たってしまった自分が情けなさが不甲斐なかった。
「私の家、貧乏で……なのに商品の林檎も全然とれないし……それに焦って、ついあなたに当たってしまったわ……」
「本当に、ごめんなさい」
もう一度深々とソフィーは頭を下げる。
秋色の長い後ろ髪が、地面と垂直になるように垂れ下がる。
「…………」
メイルと出会った時と同じ冷たい風が吹く。
メイルが口を開くまでの数秒はとても息苦しい物で、ソフィーには何年ぶんにも思えるほどだった。
そして――
「なぁ、ソフィー・ヒギンス。一ついいか?」
許すでも怒るでもなく、メイルはそう一言尋ねた。
「え……何?」
とソフィーは顔をあげる。
「お前の親父は、どうしてこんな所で果樹園を開いたんだ?土は固いし雨は降らない。農業を営むってなら、どう考えたって不向きじゃないか?」
「そうね、確かに――」
と言って少しソフィーは微笑む。
「何故笑う?」
「私も同じ事、父さんに質問したことあるからね」
そう言って、ソフィーは10年前、村を出ないレオナルドに理由を尋ねた自分のことを思い出した。
「ここはね、私が産まれた村なの」
「それに私のお父さんがお母さんと出会った村」とソフィーは付け加える。
「それが理由なのか?」
メイルのその質問に、ソフィーは頷いた。
「10年前の大雨で草木が育たなくなって、みんな首都のスロナースに移住したわ。けど父さんだけはここに残った」
言いながらソフィーは林檎畑へと入ると、青い色をした林檎をひとつもぎ取り、メイルへと見せた。
「この林檎の名前、ラボラ林檎っていうの」
「この村と一緒ってことか?」
「そう。この村の名前。私がいつか街に出て友達が出来た時、胸を張って自分の産まれた土地の事を話せるようにって父さんが名付けたの」
「“いつかこの林檎を世界中にみんなに食べてもらって、この村の名前を世界中の人に知ってもらう”それが父さんの夢――ううん、父さんと私の夢」
「私も、世界中の人にこんな素敵な村がある事知って欲しいんだ」とソフィーは夕日に沈む太陽を眺めながら答えた。
「ふーん……」
焦燥感に浸るソフィーをどやす様に、そっけない反応をするメイル。
その態度にソフィーは口元を窄めた。
「何その反応、全然興味ありませんってわけ?」
怪訝な表情のソフィーに、メイルは鼻を鳴らし答える。
「いや、良い夢だ。そう思った」
その予想とは違う素直な答えに、ソフィーは呆気に取られ目を丸くする。
「意外、そんな素直に答えるなんて」
「俺は孤児で生まれた土地ってモノが無いからな。お前の親父の様に、誰かに遺したい場所が無いんだ」
「だから――素直に羨ましい」暮れていく夕空を見上げ、メイルはそう呟いた。
秋へと変わる静かな風は、メイルの言葉をいとも容易く吹き飛ばし、どこか彼方へと運んでいく。
そしてそれは、メイルの羞恥心とも同じだった。
「ごめん。ソフィー・ヒギンス。俺も言葉が足りなかった」
そう言うと、メイルは深々と頭を下げた。
「酸っぱいけど、美味かったよ。お前ん家の林檎」
そう言ってメイルは白い歯を見せて笑った。
「ハハッ、そうでしょ!この土地特有の自慢の味なんだからね!」
そのメイルの表情に釣られ、ソフィーも大口を開けて楽しそうに笑った。
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「ねぇ、メイル。私からも質問いい?」
二人で林檎の苗に水を与える途中、ソフィーがそう話を切り出した。
「どうぞ」
と水を与える手を止めメイルが口を開いた。
「私って将来何しるの?」
完全に信じたわけではない。
けれど先程のメイルの表情を見て、ソフィーはメイルが未来から来たという事を受け入れることにした。
「言えない」
と素気なくメイルは答える。
「じゃあ誰と結婚するとか――」
「言えない」
「今年の宝くじの1等の当選番号は?」
「言えない……そんなの教えたら未来大幅に変わっちゃうだろ……」
「はぁ……何よメイル。アンタ未来から来たとか言う割には何も知らないのね」
「知らないんじゃない。言えないんだ」
馬鹿にされたことにムッとし、頬を膨らませメイルが抗議した。
「言えないって、どうしてよ」
「時空法第一条三号――『過去に干渉する場合はどんな理由であれ未来の内容を公言し、未来を変えてはいけない』って定められてる。だから俺から未来のことについてお前に言えることは一つも無い」
時空法という聞き慣れない言葉に、ソフィーは眉を顰めながら聞く。
「さっき俺が自分の名前を言わなかったのも、そういうことだ。悪いな、嘘をついて」
「メイルの名前を知る事が、私の未来に影響があるってこと?」
そこでソフィーは、ひとつの考えに辿り着き、朱色に頬を染めた。
「も、もしかして私の結婚相手って――」
「違う!絶対違う!それだけは言い切れる!だから変な誤解はやめろ!」
ソフィーの考えを察し、ぶんぶんと手を振ってメイルが必死に否定した。
「なんだぁ……安心した」
ソフィーは心から安堵する。
「俺とお前が未来で関わる事は多分無い。けど名前を告げる事で未来が変わる可能性が無いとは言い切れない。だから言えないんだ」
「ふーん、そう言う事ね。まぁいいわ」
と言ったところで、ソフィーに一つの疑問が浮かんだ。
「じゃあ私の未来の娘からの手紙はいいの?それだって未来が変わる可能性があると思うんだけど」
「それは大丈夫だ。この手紙は時空測定器に掛けてある」
「時空測定器?」
またも聞き慣れない言葉にソフィーは難しく眉を寄せる。
「今と未来との変動率を測定する為の装置だ。この手紙をお前が読んだことで俺のいた現在――つまりお前の未来に対する変動率は0.01444523967だ」
「それって大きいの?」
「例えるなら、本来の時間軸では砂糖が置いてあった戸棚に、塩が置いてあるぐらいだ」
「それだけ?」
「あぁ、それだけだ」
ソフィーの言葉に、メイルはコクリと頷く。
「だからこの手紙は読んでも未来にさして大きな変化はない事が証明されている。だから時空法の規定によりお前に渡して良いことになっているんだ」
「ふーん、じゃあそんなの送っても意味がないんじゃないの?それを読んだって私の未来は何も変わらないんでしょ?」
「そんなのは俺に聞かれても困る。俺はただの郵便士――運び屋だ。依頼主がお前に送る理由なんて知らないよ」
「そう――」
顎に手を当て考えるソフィー。
時空法というのを完全に理解したわけでは無いが、未来の事についてメイルが話さないことだけは分かった。
けれど折角未来から来た人間がいるというのに、何も聞けないというのも損な気持ちがして、ソフィーは再びメイルへと尋ねる。
「でも私、メイルが未来からの事教えてくれないなら手紙読むか無いんだけど」
「は?何でだよ」
「だって未来から来た事なーんにも証明出来なきゃ、それが未来からの手紙だって信じて読めないでしょ?私、興味ない事はしない主義なの」
「なんだよそれ、面倒くさいな……」
「ね、だからいいでしょ?1個だけ、1個だけでいいから教えてよ!未来のこと!」
ソフィーのキラキラと輝く眼差しを受け、メイルの心が折れる。
「分かった。じゃあ未来の事について、1回だけ質問を許してやる」
「1回だけ……?1“個”じゃなくて?」
「あぁ」と頷くメイル。
「もしその質問が時空法に触れる場合、俺はお前の質問に答えない。だが触れない場合、答えてやる。それが条件だ」
「何よそれ……難しくない?」
「嫌ならいいぞ。これで未来についての話を終わるだけだ」
「ま、待って!分かった!やるわ!」
話を止められそうになり、慌ててソフィーは静止する。
そして考える。メイルの言う時空法に触れずに、未来について知れる事。
さっきのメイルの話からすると、具体的な未来の事について聞き出すのは不可能だろう。
だがどうしても自分の未来がどういう形なのか知ってみたい――
そして30秒程考えた後、ソフィーはゆっくりと口を開いた。
「私の娘って、どんなだった?」
「…………」
その質問にメイルが難しく口をつぐむ。
名前や年齢――詳細な未来について聞かれたのなら答えてはいけないという規則は時空法にあるが、どんな人物か答える分には問題は無かった。
かといってその性格を答える事で未来に影響を与える可能性もある。基本は話さないのがルールだ。
だがソフィーに対して多少ではあるが謝罪の念もある。
ガシガシと自分の白髪を掻き、ため息混じりにメイルは口を開いた。
「まぁ……優しくて良い奴だったよ。とてもお前が母親とは思えない」
「一言余計よ……」
とソフィーはメイルを恨みの籠った眼差しで見つめた。
「でも凄い。なんか私に本当に娘がいるんだって想像しただけで、なんかワクワクしてきたわ。何だろう、不思議な感じ」
曖昧な事とはいえ、未来の事について聞けたソフィーは嬉しそうに地面を跳ねる。
「能天気な奴だな……全く」
やれやれと言った様子でメイルはため息をつく。
その時にふと、腕時計の時刻が目に入った。
「18時41分か――」
「え……?何か言ったメイル?」
騒いでいた為メイルの言葉が聞こえなかったソフィーが聞き返す。
「帰るぞ。もう日も落ちてきた。お前の親父が心配するだろ」
家の方に向け、メイルが歩き始める。
「それもそうね。帰りましょうか」
それに釣られ、ソフィーも後を追った。
「ねぇねぇメイル、アンタそういえば歳はいくつなの?」
「13だ。何か文句あるのか?」
「へぇ⁉︎13歳⁉︎私より2つも歳下じゃない⁉︎」
自分より歳下を見た事が無いソフィーは、明らかに喜んだ様子で得意げに喋り始める。
「アンタさー、もーちょっと歳上に対する口調気をつけないと痛い目見るわよ?私が敬語って言うのを教えてあげるからちゃんと聞き――」
「ソフィー・ヒギンス」
ソフィーの言葉を遮り、低い声でメイルが名前を呼んだ。
「な、何よ」
改まってフルネームを呼ばれた事で、ぎこちない様子でソフィーは答える。
「俺はお前とはここで別れる。本当ならこうなる前にお前に渡したかったが、過ぎた事を悔やんでもしょうがない。きっとこれも何かの運命なんだろう」
「何……何の話?」
的を射ないメイルの発言に、ソフィーは理解が追い付かず首を傾げる。
だがそんなソフィーを気にする事もなくメイルは言うと、ソフィーに背を向けた。
「じゃあな、ソフィー・ヒギンス。3日後、また来る」
そう言って手を振り、メイルは去って行く。
「あ、ちょっと!待ちなさいよ!」
メイルを止めようとするソフィー。
だが間の悪い風が吹き、ソフィーは思わず顔を腕で覆う。
そして次に顔を上げた時、既にメイルの姿は消えていた。
「何だったのよ、アイツ……」
いきなり来ていきなり去って行くとは、本当に謎な少年だったとソフィーはつくづく思った。
「けど3日後にまた来るのよね。その時は普通にアイツに“美味しい”って言わせてやるんだから!待ってないよメイル!』
「ふふ〜ん♪」とこの後のメイルのギャフンと言わされた顔を想像し、上機嫌に鼻歌を歌いながら家へとソフィーは向かう。
「ただいま〜!」
勢いよくドアを開け、ソフィーは家へと入った。
だがいつもなら返ってくる父の『ただいま』という声が返ってこない。
「父さん?いないの……?」
さっきまでメイルと林檎畑にいた時、父の姿は見えなかった。
それにテーブルの上にはさっきまでと同じように3人分の食器が残ったままだ。
『強盗でも入った……?』
誰もいない静かなリビングに、ソフィーは体をこわばらせ、ゆっくりと奥の父の扉へと向かう。
その時だった――
「……ッ⁉︎」
横の食器棚の方から物音が聞こえ、ソフィーはすぐにそちらを見る。
「父さん……?父さんなの……?」
恐る恐るソフィーはその物音がした方へと近づいて行く。
もしかしたら強盗かも知れない――その恐怖心がソフィーの心臓の鼓動を加速させる。
そして食器棚と近づくと、見慣れたレオナルドの白髪頭が見えた。落とした食材でも拾おうとしてるのか、レオナルドの頭は床にくっついていた。
「なんだ父さん、いるなら返事ぐらい――」
そう安堵した様子で語りかけるソフィー。
だがレオナルドの全貌を見てすぐに、言葉を失った。
「――――‼︎」
ソフィーの瞳に写ったのは、血を吐いて倒れている父の姿だった。