100年林檎-上-
『時空移動装置』――俗に言うタイムマシンと呼ばれるけったいな装置の開発が、遠くのでっかい街で完成したらしいと風の噂で聞いた。
けれどその装置を使えるのは極々一部の富裕層の奴等だけ。
都会に汚染されていない新鮮な空気――そこしか取り柄のない田舎で暮らしてる自分にとっては、そんな物など人生には関係無い。
そう思っていた――
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「ソフィー・ヒギンス。お前に手紙だ」
首都の《スロナース》から何千キロも離れたラボラ村。
外からの客人なんてソフィーは今まで生きてきた16年間で片手で数えられる程度しかいない。
その珍しさにソフィーは林檎畑を耕す手を止め、自分に話しかけてきたその少年を見つめた。
「手紙って……アンタどちら様?」
「見てわかるだろ。郵便士だ」
背が小さく、髪はボサボサ。小柄であるその少年はまだ声も高い。
小柄な体格には全く合っていないブカブカの所々破れた薄汚れた制服の胸元には、スロナースの国家郵便士である“砂時計”を模したエンブレムが刺繍してある。
だが少年のその全体的に薄汚れた風貌から、とてもじゃないが普通の郵便士にはソフィーには見えなかった。
その怪しく貧しい風貌に『孤児』という二文字がソフィーの頭には浮かんだ。
「手紙って……誰からよ。私、自慢じゃ無いけど友達一人もいないんだけど」
警戒した様子で尋ねるソフィーに、少年は一言言い放った。
「未来のお前の娘からだ」
2月のまだ冷たい風が流れ、林檎の葉を揺らす。
「…………はぁ?」
長い静寂の後、ソフィーは呆れた表情で首を傾けた。
「は、はぁ……?私の娘?」
少年の突拍子の無いその発言に、ソフィーの頭は理解が追いつかなかった。
「私、まだ16だし。子供なんていませんけど。飛躍しすぎてて、冗談にすらなってないわよ?」
「時空間移動装置で未来から来たんだ」
「時間移動装置――」
その言葉にソフィーは聞き覚えがあった。
首都のスロナースでそう言った名前の機械が発明された、と父が先日はしゃいで教えてくれた。
何でも過去や未来に自由に行き来できる画期的な発明らしい。
だがあまりに強力過ぎるその発明は、限られた事にしか使われる事は無いらしい。そう、例えば『手紙を他の時代に届けること』などだ。
「ハハッ、じゃあ何?アンタはそのマシンに乗って未来の娘が書いた私に宛てた手紙を持ってきたっていうの?」
「そういうことだ」と少年は淡白に頷く。
「1980年の10月――この時代ならもう完成しているはずだろ?何も理解に困る事はないと思うが」
「それとも――」と困惑するソフィーに、少年は言い放った。
「お前が単純に社会を知らない馬鹿ってだけか?」
「あ、アンタねぇッッ!」
少年はソフィーよりも10cmほど背が低い。
顔も幼いし、自分より歳下なのは明確だった。
それにも関わらず何も気にせず悪態をついてくるその少年に、ソフィーは苛立ちを覚え、少年の胸ぐらを掴もうとした時だった。
「どちら様だい?」
二人の騒がしさに気付き、林檎畑の方からソフィーの父――レオナルド・ヒギンスが顔を見せた。
「郵便士だって、未来の私の娘から手紙を預かってきたんだとさ」
ソフィーが答える。
「ほぉ、それはそれは…………」
どう見ても怪しい風貌の少年に、レオナルドは微塵も怪しむ様子も見せず近づくと、土まみれの手袋を取り、右手を少年に差し出した。
「遠路遥々ご苦労様です。私はレオナルド・ヒギンス。この少々お転婆な娘の父でございます」
「父親……依頼者の祖父ってわけか。よろしく」
淡白にそう言うと、少年はレオナルドの手を握り、握手を交わした。
「郵便士さん、時間の旅はおつかれでしょう。もしよければお茶でもどうですか?」
「いや、俺は手紙を届けに来ただけだ。そこまでしてもらう義理は無い」
「まぁまぁそう言わず、実は私が種から育てた林檎が今朝取れましてね、自慢の林檎なんです。是非召し上がって下さい」
「…………まぁ、そこまで言うならもらおうか」
少年はやや納得がいってない様子だが、そう言って父に連れられ家へと案内された。
「ちょ、ちょっと父さん!」
ソフィーは父に駆け寄ると、少年に聞こえない声で耳打ちする。
「何考えてるのよ。こんな汚い子いれるとか何されるか分かったもんじゃないわ!」
「ソフィー、人の事をそんな風に言うもんじゃない。この人はお前の為にわざわざ遠い未来から手紙を届けてくれたんだ。お茶の一つも出さなきゃ失礼だろう?」
「そんな話信じるわけ⁉︎時間移動装置なんてそんな機械が現実に作れるわけないじゃない!」
叫ぶソフィーだが、レオナルドは慣れた様子で首を横に振った。
「そんな事はないさ。“人の想像たる物は、必ず人が作り上げる事が出来る”僕の好きな言葉だ。現に未来から来た彼がここにいるのがその証明だ」
「またそんな適当な事言って……」とソフィーはレオナルドを睨む。
「どうせ本当は、あの子がお腹空かせてそうだから食べさせてあげようとか、そんな理由でしょ?」
「ハハッ、バレてたか」
見事言い当てられ、レオナルドは愉快そうに笑う。
「分かってるの父さん?林檎の栽培だって上手くいってないんだし、人にあげてる余裕なんてウチには無いのよ?」
「そうだね。けど――」とレオナルドは話す。
「いくら貧乏だとしても、人への思いやりは忘れたくは無いんだ」
そう優しく微笑むレオナルドに、父を諭すのは無理だと判断したソフィーは力無くため息をつく。
「はいはい、分かったわよ」
「ありがとう」と微笑むレオナルド。
「じゃあソフィー、そこの台車に林檎があるから3つ持ってきてくれ」
レオナルドはそう言うと「お待たせしました」と言って少年と共に家へと入っていった。
「はぁ…………本当お人好しなんだから」
台車へと歩きながら、苛立った様子でソフィーはため息をついた。
父のレオナルドは“超”がつくほどのお人好しだ。
この前は金に困っていそうな旅芸人を名乗る怪しい男を家に招き入れ、1ヶ月分の生活費を盗まれた。
その前は寝る場所が無いという女性を招き入れ、これもまた見事に金を盗まれていた。
「今度こそ盗まれないように、私がしっかり見張ってやるんだから」
言いながらソフィーは台車に5つだけ積んである林檎から、3つ取り出した。
「うーん……今日のも商品としてスロナースに持っていくのは難しそうね……それに少ないし……」
ソフィーは手にした林檎を訝しげな瞳で睨む。
それは林檎と呼ぶには余りにも青々としており、形はバナナのように細く縦長で不健康そうだ。
10年前――豪雨によってこのラボラ村の大地からは作物を育てるのに必要な栄養素が流れてしまった。
それからは今までに無い程の干ばつが続き、完全にこの村の大地は死に絶えてしまった。
そして多くが農家として過ごしていたこの村からは人はいなくなり、ソフィー達と数件の家があるのみだ。
それでもなんとかレオナルドが林檎を育ててはいるが、手にした林檎のその歪さはソフィーを不安たらしめるには充分だった。
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「郵便士さん、お名前は何と言うのです?」
木造りの円卓に3人分のコーヒーを置くと、レオナルドが少年にそう尋ねた。
「アン――」
と少年は口にしてすぐ、
「いや、名前は無い」
ときっぱりと言い放った。
「どう見てもなんか隠したような間だったけど……」
ソフィーが疑うように目を細め少年を睨む。
「いや、今のは思考が一瞬止まってしまっただけだ。本当に無い」
「そんな嘘通じるわけないでしょ!最初アンって言いかけてたじゃない!あれは何なのよ!」
そのソフィーの質問に、代わりにレオナルドが口を開く。
「あれは1、2、3。数字を数えようとしていただけさ」
「なっ――!そんなわけ――」
叫ぶソフィーをレオナルドが静止させると、
「そうですよね郵便士さん?」
と言って少年に優しく微笑んだ。
「まぁ、そうだな」
と少年はゆっくり頷いた。
「何でこんな奴の肩を持つのよ……」
レオナルドのあまりのお人好し加減にソフィーは奥歯を噛んだ。
「まぁまぁ、世界は広いんだ。名前が無い人がいても何もおかしい事は無いよ」
レオナルドはそう言ってソフィーをなだめた後、少年へと向き直った。
「けれど郵便士さん。名無しのままでは呼びづらいし、手紙から名前をとって“メイル”さんと呼んでもよろしいですか?」
「メイル――」と少年はその名前を呟くと、顎に手を当て黙り込んだ。そしてややあった後、
「分かった。そう呼ぶといい」
とメイルは言った。
メイルの眉が柔らかく弧を描く様子からして、満更でも無い名前らしいのは分かる。
「そうですか。気に入ってもらえたようでよかった」
「メイルさん、よければコーヒーと一緒にこの林檎を食べて下さい。このラボラ村で10年ぶりに私とソフィーが作った傑作なんです」
「ふーん」とメイルはさして興味の無さそうな返答をする。
「この林檎は随分と青いんだな。成熟する前に収穫したのか?」
と言った後、林檎を一口ほうばる。林檎が潰れる音を響かせた後、
「酸っぱいな」
と嫌そうな表情で言った。
「はぁ⁉︎どういう事⁉︎不味いって言いたいわけ⁉︎」
ソフィーがメイルのその表情に怒りを感じ、席を立ち上がり叫んだ。
「別に、そういう訳じゃないが」
今にも殴りかかりそうなソフィーに、隣にいたレオナルドが口を開く。
「うちの林檎はね、土壌の影響を受けて甘味の成分が少なくて、少し味に酸味があるんだ。けれどそれがこの林檎の長所であると、僕は思っているよ」
「ふーん。そうか。まぁこれが味なら別にいいが、この青い見た目はどうにかして変えた方がいいぞ」
上から目線のそのメイルの言葉に、ソフィーは我慢出来ず再び口を開く。
「アンタさ、食べさしてもらって置いてさっきからその態度は何なの?私達の家は見ての通りのボロ家でお金があるわけじゃないの。なのに父さんがアンタに食糧を恵んでやってるっていうのに失礼すぎるんじゃない?」
「別に食糧を恵んでくれなんて頼んでない。それに酸っぱい物を酸っぱいって言って何が悪いんだよ」
「あぁそう!頼んで無いのなら出て行って!そんな不満そうな顔してウチの林檎を食べる人に、これ以上ここにいて欲しくないわ!」
怒鳴るソフィー。
メイルは「はぁ……」とため息をついた後、
「分かった。出て行くよ」
そう言って咳を立つと「ごちそうさま」と言い残し、あっさりと家を出ていった。
「ふん、本当嫌な奴。結局例の一つも言いやしなかったわね」
「ソフィー……」
レオナルドが悲壮的な声で呼びかける。
「何よ。父さんだって思うでしょ?あの子の礼儀が全然なってないって」
「けれど酸っぱいのはウチの林檎の売りだろう?それがしっかり味として伝わってたんだ。文句を言うことじゃない」
「それは――」
レオナルドに正論をつかれ、ソフィーは次に続く言葉が言えなかった。
「でも……」
だがソフィーは八つ当たりをしてしまった自分の間違いを認める事が出来ず、言葉を溢す。
正直な所、メイルの感想が間違っていない事はソフィー自身にも分かっていた。けれど最近の不作や金銭の少なさからくる不安を発散するように、関係の無いメイルに当たってしまった。
「母さんだったら、どうしたと思う?」
「……‼︎」
母の事を口にされ、ソフィーは口籠った。
母は、ソフィーがまだ4つの時に、病気で無くなった。
その頃はラボラ村の大地も健康で、作物がよく取れ、自慢の林檎を母は村中に売って歩いていた。
優しく、よく笑う人だったとソフィーは記憶している。
けれど突然の流行病で体調を崩し、そのまま亡くなった。
「きっと母さんだったら、怒ると思う……悪い事をしたなら、謝りなさいって」
「分かったら早く彼を見つけて謝りなさい。まだ間に合うはずだ」
「……分かったわ」
「ふふっ、流石ソフィーはいい子だ」
そう言ってレオナルドはソフィーの頭を優しく撫でた。
「もう、父さん。私ももう15よ。恥ずかしいからやめて!」
恥ずかしさから頬を朱色に染め、ソフィーは抵抗する素振りを見せる。
「私からすれば、15歳も5歳も変わらない。可愛い可愛いプリンセスソフィーだ」
「はいはい。分かったわ」
照れた様子でそう言うと、ソフィーはレオナルドの手をそっと頭から下ろした。
「じゃ、行ってくるから」
「あぁ、ちゃんと仲直りするんだよ」
レオナルドの言葉に頷き、ソフィーは外履きを履きドアへと手を掛けた。
その時――
「ソフィー」
とレオナルドが引き止めた。
「行ってらっしゃい」
とレオナルドはいつもと変わらない優しい微笑みを浮かべ、ソフィーに手を振った。
何故かそのレオナルドの微笑みに若干の違和感をソフィーは感じた。
けれど、
「うん、行ってきます」
見送るレオナルドに手を振り返し、ソフィーは家を後にした。