表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
  作者: あおいさかな
9/21

貘 2

「妙な夢の内容について、詳しく聞かせろ」

「あ、はい…」

 雷は、ここ最近の夢の内容を久遠に聞かせた。赤い月。赤い湖。霧に覆われた林。そして、サルのような化け物と、死に神、赤い腕。ベージュの犬のぬいぐるみ。刀を持った女の子…。

 久遠は雷が話し終わると席を立ち、カウンターに向かった。戻ってきた久遠はテーブルの上に、何枚かの書類を並べた。その内の一枚が、雷の前に突きつけられる。

「名前」

 久遠がポケットからボールペンを取り出しながら、短く言った。紙面を見ると、氏名や住所の記入欄があった。

 記入しろ、ということだろう。

 雷は久遠からボールペンを受け取り、書類に必要事項を書き込んで久遠に渡した。久遠が、書類を見て首をかしげた。

「神谷…カミナリ?」

「ライです。神谷雷。俺が生まれた日、雷がすごかったらしくてこんな名前なんです。おかげで小さい頃から、ずっと雷神ってあだなで」

 久遠が目を細めて菓子皿からチョコレートをつまみあげた。

「あ。どうでもいいですね。すみません」

 久遠は、別に、と呟いた。

「その夢、見始めたのはいつ頃だ?」

「え…っと」

 久遠の質問に、雷はしばらく考え込んだ。

「確か……。十日くらい前、です」

 久遠は何度か頷きながら、そうか、と呟く。そして、テーブルに置いた紙の中の一枚に、何かを書き込んだ。

 カウンター脇のドアが開く。かすかな足音とともに、楓が戻ってきた。

「久遠さん。今、動けるのは、瑞葉ちゃんだけです」

「竜二の方は、まだ片付かないのか?」

 久遠の言葉に、楓が不安そうに視線を落とした。

「今、電話してみたんですけど、竜二くん、だいぶてこずっているみたいで…」

 久遠は、書類に目を落としたまま、かすかにため息をついた。

「まあ、いい。瑞葉に行ってもらう。貘としては一人前だからな」

 雷が、再び首をかしげた。

「あの、貘って、何ですか?」

 久遠は楓に、瑞葉を呼んでこい、と呟いた。楓は短く返事をすると、再びドアの奥へと向かった。久遠がようやく書類から顔を上げる。

「まず、おまえの置かれている現状から、説明してやる」

「現状……?」

 久遠はココアを飲み、チョコレートを口に放り込んだ。この人、かなりの甘党だな。雷も、目の前に置かれた、真っ白な陶器のコーヒーカップに手を伸ばした。

「いいか。おまえは、夢魔にとりつかれている」

「夢魔…?」

 コーヒーカップを持つ、雷の手が止まった。

 久遠は据わった目つきで、まっすぐに雷を見ている。

「夢魔って、何ですか?」

 雷はカップを受け皿の上に戻した。かちゃり、と軽い音が響いた。

 聞いたことないか。久遠は雷の目をじっと見たまま、聞いた。雷は無言のまま、小さく頷く。

 久遠が、面倒くさそうな表情をした。

「夢魔ってのは、一種の悪魔だ。人の夢に潜り込み、ただの夢を悪夢に変える」

「悪魔?」

 雷は、思わず聞き返した。胡散臭い。もしかしたら、除霊と称して怪しげな儀式をしたり、高い壺を売りつけられるんだろうか。

 しかし、久遠は真面目な表情のまま、続ける。

「悪魔さ。信じるかどうかは、あんたに任せるがな」

 黙りこんだ雷に向かって、久遠は続ける。

「夢魔は、精神体で行動する悪魔だ。人の夢にとりつき、宿主の肉体を乗っ取ることを目的とする。夢魔にとりつかれた人間は、眠るたびに同じ悪夢に苦しめられる。ちょうど、今のおまえみたいにな」

「体を乗っ取るって、一体どうやって…」

 雷が呟く。久遠は一瞬、面倒くさそうな表情をした。

「いいか。夢ってのは、精神だけの世界だ。つまり、夢の中にいるのも、おまえの精神体ってことになる。夢魔はその精神体を攻撃してくる」

「攻撃…」

「精神体が弱れば、体の主導権は夢魔に奪われてしまう。今のおまえは、かなり危険な状況に置かれているってことだ」

 久遠の言葉に、雷は背筋が寒くなるのを感じた。

 死に神が持っていた、大鎌が頭の片隅に浮かんだ。もし、夢の中であの鎌に引き裂かれていたら。そう思うと、ぞっとした。

「夢魔は肉体を持たない、極めて低レベルな悪魔だ。現実世界に干渉する力すら、持っていない。だからこそ、精神世界である人の夢に潜り込み、体を乗っ取ろうとする」

「……ってことは、このままほっといたら俺、夢魔の餌食になるってことですよね?」

「まあ、そういうことになるな」

 久遠はさらりと言ってのける。雷はがっくりと肩を落とし、俯いた。

「心配するな。そんなときのために、貘がいるんだからな」

 雷が、顔を上げる。

「貘ってのは、他人の夢に入り込むことのできる人間だ。ま、言ってみれば、夢魔退治の専門家ってところだな。おまえが夢の中で会った瑞葉も、貘だ」

 その貘を派遣するのが、うちの店の商売だ。

 久遠が呟いたとき、ドアが静かに開いた。楓が戻ってきたのだ。その後ろからもう一人、見覚えのある女の子が部屋の中に入ってきた。

 黒い髪の、どこか大人びた印象の女の子だ。目は黒く、刀も持っていないが、間違いなく、つい数時間前に夢の中で会った人物だった。

「高瀬瑞葉です。よろしく」

 瑞葉がにっこり笑い、雷に向かって手を差し出した。

「あ…。神谷雷です」

「さっきは、危なかったね。大丈夫だった?」

 瑞葉が心配そうに聞いてくる。

「あの、夢の中ではお世話になりました」

「どういたしまして」

 雷が頭を下げると、瑞葉はにっこりと笑った。

「さっきは瑞葉が撃退したようだが、夢魔は、おまえの体を乗っ取るまで諦めたりはしない」

 久遠が真面目な声で呟く。雷も表情から笑みを消した。

「夢魔はおまえを狙ってくるからな。瑞葉がおまえの夢に入り込んで、夢魔を仕留めるまで、せいぜい殺されないように気をつけることだ」

「が…。がんばります」

 久遠は目を細めて笑った。

「そんなに心配しなくても、瑞葉は優秀だ。夢の中では瑞葉の側にいろ。夢魔を仕留めやすくなるからな」

 久遠の言葉の意味を、一瞬考える。

「それって、囮って言いますよね?」

 そうとも言う。久遠は相変わらず、さらりと言ってのける。

「雷さん、どうぞ」

 楓が、何かを雷に差し出した。掌にのる程度の大きさの、木箱だった。

「なんですか、これ?」

 木箱を受け取りながら、雷が不思議そうに聞いた。

「貘を夢の中に呼び込むための道具だ。貘にとっての、目印みたいなものだと思っておけ」

 楓の代わりに、久遠が答えた。

「眠るときは、必ず身に付けろ」

「はぁ…」

 雷は、木箱をそっと開けてみた。

 中に入っていたのは、長いチェーンのついた、掌に収まるくらいの小さな楔だった。銀色の楔には、赤い宝石がひとつ埋め込まれていた。

「…あれ」

 この楔、どこかで見た気がする。

「どうした?」

 久遠が声をかけてくる。

「いや、なんでもないです」

 雷は適当に答え、深く考えることもないまま頭に浮かんだ疑問を振り払った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ