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  作者: あおいさかな
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過去の夢 3

「今夜、夢魔をおびき出す」

 廃墟の部屋の中。瑞葉が気付いたときには、目の前に恒哉がいた。

「おびき出す…?」

 恒哉は、真面目な表情で頷いた。

「俺が瑞葉に化けて、囮になる。成功すれば、夢魔は俺に近付いてくるはずだ。そのときを狙って、倒す」

 瑞葉の表情に緊張が走った。

「おまえは、この部屋にいろ。絶対に外に出るなよ。俺が夢魔を倒せば、悪夢は終わるはずだ。それまで、この部屋に隠れてろ」

 瑞葉は、真剣な表情で頷いた。恒哉が、よし、と言って笑った。

「心配すんな。夢魔は必ず仕留める。こんな夢は、二度と見ないからな」

 青い瞳が、力強く輝いた。直後、恒哉の姿が変わった。背が縮み、髪が伸び、気がつくと目の前に、自分そっくりの少女が立っていた。変装なんてレベルではない。ドッペルゲンガーでも現れたのかと思うほどだった。

「じゃあ、行ってくるな」

 完全な瑞葉の声で、恒哉はそう言うと、鉄製の扉から廊下へと出て行った。

「……気をつけてね」

 音を立ててしまる扉に向かって呟くと、瑞葉はガラスの無くなった床に座り込んだ。薄茶色のぬいぐるみが、足元に寄ってくる。きなこ。恒哉がつけた名前を呼んで、瑞葉はぬいぐるみを抱き上げた。

「…そうだ」

 呟いた瑞葉の目の前に、大きな鏡が現れた。そこに、廊下を歩く瑞葉の姿が映る。恒哉だ。これで、恒哉の様子がわかる。恒哉は、右手に銀色の銃を握り、廊下を歩いていた。夢魔の姿はない。

「…まだ、出てきていないんだ」

 瑞葉が呟いた瞬間だった。

 きなこが瑞葉の腕の中から床に飛び降り、夢魔、と叫んだ。しかし、鏡の中には恒哉しか映っていない。鏡から目を逸らした瞬間、目の前にいる化け物が目に入った。

 床の上に這いつくばり、ぼさぼさに絡みついた髪の間から、不気味に光る目で瑞葉を見ている。瑞葉の口から、甲高い叫び声が上がった。夢魔の口が開く。

「オマエハ、貘ノ次ダ…」

 夢魔がゆらりと体を揺らしながら、二本足で立ち上がる。水かきのついていた手は、五本指の人間のものに変わっていた。気がつくと、夢魔が、瑞葉の姿になりすましていた。夢魔は口元を歪めて笑うと、部屋の中から姿を消した。

「恒哉、恒哉」

 きなこが叫ぶ。瑞葉は、鏡の中を覗き込んだ。途端に、背筋が凍りついた。

 瑞葉に化けた恒哉の前に、同じ姿に化けた夢魔がいた。恒哉が驚いた顔をし、握っていた銃を消した。

「瑞葉。出てくるなって言っただろ」

 鏡から、瑞葉そっくりの声が聞こえてくる。

「恒哉、違う。私じゃない!!」

 瑞葉が鏡に向かって叫ぶ。しかし、恒哉には声は届いていないようだ。

「夢魔が来たら危ない。部屋に戻ってろ」

 鏡の中の恒哉は、瑞葉の姿で微笑んでいる夢魔に近寄る。

 瑞葉は、鏡の前を離れ、扉に駆け寄る。恒哉が危ない。焦ってドアノブをまわす。しかし、扉は開かなかった。いつの間にか、鍵穴もない扉に鍵がかかっている。夢魔が邪魔をしているんだ。瑞葉は、鏡に視線を戻した。

「瑞葉、瑞葉」

 きなこが、鏡の側で呼んだ。きなこは、そのまま鏡に飛び込んだ。

「あっ…」

 この鏡は、恒哉のもとに通じているはずだ。

 瑞葉は、意を決して鏡の中に飛び込んだ。

 まるで、ガラスを全身で突き破ったような感覚がした。気がつくと、瑞葉は廃墟の廊下に倒れこんでいた。

「恒哉っ」

 叫んで、身を起こす。瑞葉の目が、大きく見開かれた。

 瑞葉の姿をした夢魔の腕、肘から先の部分が、鋭い刃物に変化していた。その、銀色に光る刃を、真っ赤な血が伝っている。瑞葉に化けていたはずの恒哉は、自分の姿に戻っていた。背中から、夢魔の刃が突き出している。

 夢魔が、恒哉の体から腕を抜いた。支えを失って、恒哉が倒れる。瑞葉が駆け寄った瞬間、恒哉の姿はぼやけ、霧のように消えてしまった。同時に、瑞葉の首にかかった楔から、青い光が消えた。

「恒、哉…?」

 夢魔が、血のついた腕を瑞葉に向けた。

「オマエノ番ダ」

 夢魔が、瑞葉に斬りかかった。

しかし、次の瞬間、夢魔の腕が肩から斬れて、コンクリートの床の上に落ちた。肩から血が吹き出す。夢魔が、不思議そうに自分の腕を見た。その瞬間、夢魔の体が真っ二つに切り裂かれた。

 夢魔の目が、瑞葉の手に握られた日本刀を見た。口元が悔しそうに歪む。その姿はやがて薄れ、煙のように掻き消えた。同時に、廃墟の窓から、日差しが差し込んできた。いつの間にか、窓の外には太陽が昇っていた。




「夢魔は、おまえが倒したんだな?」

 久遠の言葉に、ずっと俯いていた瑞葉は、はい、と答えた。

 占い館、貘。黒い二人掛けのソファを一人で陣取って、久遠は座っている。その横に、お盆を手にしたまま、楓が立っている。まるで、取調べを受けているかのように、瑞葉は怯えた表情をしていた。

テーブルの上で、ハーブの香りを漂わせる紅茶が、ゆっくりと冷めていく。

 久遠が、ゆっくりと息を吐いた。

「瑞葉。夢魔を倒してしまった以上、おまえはもう普通の人間ではいられなくなる。薬剤の話は恒哉から聞いているはずだが、まだ実験段階だ。使用はできない」

 夢魔を倒した後、眠ることがなくなっただろ。久遠が呟くように言った。瑞葉は、静かに頷く。

「夢魔を倒した人間は、眠ることがなくなる。他人の夢に入れる代わりに、自分の夢を見なくなる。それでも、これ以上夢魔に関わらなければ、他に実害はない」

「そんなことは、どうでもいいんです」

 瑞葉が顔を上げた。目には涙がたまっている。

「恒哉は、どうなったんですか?」

 久遠はため息をつくと、ソファから立ち上がった。ついて来い。そう言うと、久遠は店の外に出た。瑞葉が急いで席を立つ。

 久遠に連れられてたどり着いた場所は、総合病院だった。広い歩幅で闊歩する久遠を必死で追いかけて、廊下を進む。

 入った先は、一つの病室だった。窓際に置かれたベッドが目に入った。

「恒哉…?」

 ベッドの上で、恒哉が静かに眠っていた。瑞葉がベッドに駆け寄る。

「……人間の周りには、三つの世界がある」

 壁に寄りかかり、腕を組んでいた久遠が、口を開いた。

「一つは現実世界。もう一つは、夢という精神世界。そして最後の一つが、夢と現実の狭間の世界だ。夢魔は、この狭間の世界からやってくる」

「狭間…?」

 瑞葉が久遠に顔を向ける。

「夢魔を倒すというのは、つまるところ、狭間の世界に夢魔を追い返すということだ。精神体である夢魔は、死ぬのではなく、狭間の世界に追いやられる。じゃぁ、夢の中で人間の精神体が殺された場合、どうなるか」

 久遠は、恒哉に目を向けた。

「人間の精神も、行き先は同じだ。夢の中で殺されれば、精神は狭間の世界に向かう。それは、他人の夢に入っている貘も、同じことだ」

 夢魔は、人の精神を狭間に追いやることで、その体を乗っ取るものだ。そして、一度狭間に取り込まれた精神が戻ってくる可能性は、低い。久遠は静かに言った。

「じゃあ…」

「恒哉は、狭間の世界に取り込まれた。精神が戻ってこない以上、目を覚ますことはない」

 久遠は表情を変えることもなく言った。

「泣くな。おまえのせいじゃない」

 気がつくと、視界がぼやけていた。瑞葉は慌てて目元を拭った。

「久遠さん」

「何だ?」

 瑞葉が恒哉から久遠に視線を移す。

「私、貘として働きます」

「……やめておけ」

 久遠は、瑞葉から視線を逸らした。

「嫌です。絶対に、貘になります」

「復讐が目的で貘になったって、後悔するだけだ」

 しかし、瑞葉は引き下がらなかった。

「復讐なんかじゃ、ありません」

 久遠が、瑞葉の目を見た。

「恒哉を、助け出すためです」

「助ける方法はない」

 しかし、瑞葉に諦めた様子はなかった。

「貘になって、方法を見つけます。絶対助けますから。それに」

 後悔もしません。

瑞葉は、久遠をしっかりと見て、言い切った。久遠が瑞葉の目を見て問いかける。

「何を知ったとしても、後悔はしないか?」

「え?」

 瑞葉が聞き返すと、久遠は質問を変えた。

「貘になれば、二度と人間には戻れなくなる。恒哉を助けることができたとしても、貘として生きていかなければならなくなる。それでも、後悔しないか?」

「しません」

 瑞葉はすぐに答える。久遠が、ため息をついた。

 下手をしたら、おまえも夢魔になってしまうぞ。久遠が口を動かした。

「何か、言いましたか?」

 言葉を聞き取ることができず、瑞葉が再び聞き返す。しかし、久遠は首を横に振った。

「おまえだって、恒哉のように狭間に取り込まれる危険があるんだぞ」

「それでもいいです。どんなに危険でも、私は、恒哉を助けたいんです」

 これ以上、何を言っても無駄だ。瑞葉の表情がそう言っていた。

 久遠が大きなため息をつく。

「その決意は買ってやる。ただし、無理はするな」

「ありがとうございます」

 久遠は、再びため息をつき、部屋を出て行こうとする。

「あっ…」

 突然、瑞葉が呟いて、ポケットから小さな木箱を取り出した。恒哉の楔だ。久遠が振り返った。

「久遠さん。これ、お返しします」

 久遠は木箱を受け取り、中から銀色の楔を取り出した。真新しい銀色の楔にはめ込まれた青い宝石が、太陽の光を反射した。

「返さなくていい」

 久遠は、楔を瑞葉に放った。

「恒哉を助けるつもりなら、おまえが持っていろ」

「……はい」

 瑞葉は頷くと、長いチェーンを首にかけた。




「あれから四年か…」

 久遠は小さく呟くと、タロットカードを恒哉の枕元に置いた。

 窓から、静かに風が入ってくる。

 眠ったままの恒哉の顔は、四年のうちに、ずいぶん痩せこけた。延命措置にも、限界はある。

 あれから四年。四年のうちに、瑞葉は貘として一人前と呼べるほどに成長した。しかし、恒哉を助け出す方法は、見つからないままだった。

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