手をつないだまま寝られるのか?
――ブイ―ン……。
ドライヤーの音が……恐怖だ。リビングからの声や物音がまったく聞こえなくなる。純香の部屋には隠れられるようなクローゼットや押入れがない。ベッドに潜って布団を被ったとしても……不自然極まりない。
「普段通りにしている方が怪しまれないのよ」
「たしかにその理論は正しい」
正しいのだが……早く髪が乾いて欲しい。片手じゃ難しいのだろうけれど。
髪を乾かすと、純香は普通に机で勉強を始めた。
ルーティーンだそうだ。この手つなぎ鬼ごっこ状態で勉強をするのが……ちょっと理解できない。いや、それどころが、一緒に手をつないで帰るとか、親に「彼氏」と嘘をついて紹介するとか、お互いを見ないようにお風呂に入ろうとか……命懸けの恐怖からくる行動なのだろうか。
「純香……」
「勉強中に話しかけないで」
「……はい」
いや、やっぱりなにか違う……よな?
やることもなくスマホを触っていると、学校の時よりも集中して勉強していた純香は、ようやく
伸びをした。
一時間は机に向かっていただろう。
「歯を磨きに行きましょ」
「洗面台にか……」
うんと頷く。これもルーティンなのだろうか。一日ぐらい磨かなくても死にはしないと思うのだが……。洗面台に行くのにはリスクがある。
「大丈夫よ。お父さんはご飯を食べてお酒を飲んだ後、そのまましばらく横になって寝ているから」
「わかった。手短に済ませよう」
洗面台下の戸棚から新品の歯ブラシを取り出すと、片手でパッケージを器用にはがした。噛んではがした。
「持って」
手渡されたその歯ブラシと自分の歯ブラシに、歯磨き粉を二センチほど乗っける。
――多過ぎないか! 女子って、それくらい盛るのか!
さらにそれを口の中へくわえると、手を引いて部屋へと帰る。洗面台の前で歯磨きしない派なのか――。口の中をミント味がのたうち暴れ回る!
五分くらい歯磨きをしていただろうか。俺の口の中はもう、泡だらけだ。涼しい横顔の純香は……鼻歌を歌っている……。
「おう……えんはいえふ」
「ん? おうひはの?」
もう限界ですって言ったんだよ。それなのに、え、どうしたのって、――ぜんぜん分かんないぞ。
立ち上がって言った。
「もう、えんはいえふっへ、いっはんは!」
「ああ」
一緒に立ち上がり、洗面台へと向かってくれた。
泡とヨダレをたんまり吐き出すと、何度も口をすすいだ。純香はまだ磨いている……。いつもこんなに丁寧に磨いているのだろうか……。それとも……。
「ただいま」
――!
お母さんが、大正琴教室から帰ってきたのか――。
「おはえい」
お帰りには聞こえないぞ――!
純香のお母さんは洗面台のある脱衣所の扉を開けることなくリビングへと直行してくれ……ホッとした。
いや、俺もいると知っていてスルーしてくれたのだろうか。純香が口をすすぐと、洗面台から素早く部屋へと戻った。
「じゃあ、寝よっか」
「あ、ああ」
純香はベッドで俺は床。クッションを枕にして座布団を着る……。これで十分だ。多くは望まない。
幸せの手つなぎ鬼ごっこは継続したままで、寝ている間に手を離さないようにと髪をくくるクシャクシャのリボン……シュシュを付けた。緩すぎて……たぶん寝ている間に離してしまうだろう。
純香は……中学の間は髪を伸ばしていたらしい。
部屋の照明を消した。豆電球も点けない真っ暗な状態で沈黙が続く。
……。
……。
ドキドキしっぱなしだった心臓が、ようやく睡眠モードに落ち着いた頃だった……。
「ごめんね、わたし怖がりで……」
天井を向いたまま、純香がそう呟いた。
「ん? いや、俺の方こそ……変なことに巻き込んでしまって、悪かったと思っている。ごめん」
「……わたし、昔からお化けとか幽霊とかが苦手なの。笑っちゃうでしょ」
「そんなタイプには見えなかったけどなあ」
今日、花瓶が割れた時の手の握り方も凄かった。ギュッと。
「ねえ……幸せのリアル手つなぎ鬼ごっこ……。
……本当にわたしでよかったの……」
また心臓がドキドキし始めた――。
……わたしでよかったの、って……いったいどういう意味なんだ。俺がタッチして手をつなぎたかったのは……紛れもなく純香だけだった。そして今、ここでこうして手をつなげているのは……幸せなのだろう。
恐いお父さんに見つからなければの話だが……。
「あ、ああ。俺は……純香とこうして……手をつなぎたかった」
言ってしまった。とうとう、言ってしまった。告ってしまった。
「……」
あれ。
スー、スーと可愛い寝息が聞こえだす……。
体を起こすと、純香の目は閉じていた。話をしながら眠ってしまった……。
俺の話を……どこまで聞いていたのだろうか。明日、覚えているのだろうか。あー、なんか恥ずかしいが……まあ、いいか。
いつでも、何度でも言える気がする。手をつないでいる限り……。
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