手つなぎお手洗い
純香と手をつなぎながら、よく五時間目をやり過ごせたと感心してしまう。
名付けて、「俺が教科書を忘れたから隣の純香が席をくっ付けて見せてくれる」大作戦だ。大作戦というよりは、小作戦……小細工のような作戦だった。それでも周りに怪しまれることなくつないだ手は一度も離さずに済んだ。
授業が終わると、純香が急に立ち上がり――、
「ちょっとこっちに来なさいよ!」
「なんだよ――って、引っ張るなよ、おいって!」
手を引っ張られたまま教室から廊下の一番突き当りへと連れられ、さらには非常階段の踊り場へと移動する。
「教科書忘れたくらいでなに怒っているんだよお……」
こう言いながら移動すれば、手をつないでいることを不審に思われない。付き合っていると誤解されたりもしない。五時間目に二人で考えた……小細工だ。
でも、引っ張る力がちょっと強いんじゃないだろうか。やっぱり実はちょっと怒っているのかもしれない……。
ちょっとどころじゃないのかもしれない。
「さっきの花瓶が割れたのは、榊君が手を放したからよ!」
非常階段の踊り場で、逆壁ドンだ。羨ましいシチュエーションに見えるかもしれないが、事態が事態なだけに喜んでいられない。壁ドンの反対の手がつながれているのが……もし誰かに見られたらどう誤解されるのだろうか。
純香の迫り来る迫力に押される。身長は俺の方が五センチくらいは高いのだが、顔が近く、走ってきて荒い息が……顎に吹きあたる。
「そんな訳ないだろ。純香は何を知っているのか知らないが、あれはただのゲームのはずだ」
たかがネットゲームに、実際の私生活に影響を及ぼせる筈がない。不特定多数にばら撒かれた悪徳商法まがいのウイルスのような物だろ。思わず純香と呼び捨てにしてしまったが、純香は気にもしない。
「そうよ。やる側にとっては『たかがゲーム』なのよ。でも、誰が誰に対してゲームをやっているかなんて分からないでしょ」
ゴクリと唾を飲む。額から流れる汗が頬を伝って顎から落ちる。
「仮想空間のゲームなのか、実際のゲームなのか、どちらかすらわたし達には分からないでしょ。でもリアル手つなぎ鬼ごっこなんでしょ。じゃあ、リアルって何を意味するのよ。この場合、現実世界を意味していると考える方が正しいでしょ」
「それはただのキャッチコピーで、リアルと書いて大袈裟に宣伝したかっただけだろ」
何度も大きく横に顔を振る。ショートボブの先端が、ペシペシと当たっていることに純香は気にも掛けていない。
「今は私達がゲームのキャラクターなのよ。だから、ルールを守らなかったら、それ相応の罰を与えるつもりなんだわ――。どこかで監視しているのよ。ひょっとすると、生徒の中にもゲームを楽しんでいる人がいるかもしれない」
「だったら、どうしたらいいんだよ。どうやってゲームを終わらせるんだよ」
「……それは……」
ゲームのルール通り、一週間も手をつないだまま生活なんてできる訳がないのだが……。
――もうダメだ!
「あのー、ゴメン。重要な話をしている最中で悪いんだが、ちょっとトイレに行きたいんだ」
「……わたしもよ」
わたしもって――!
お手手つないで、一緒にトイレって……絶対に無理だろう! 男同士ならまだしも――。
「旧校舎の職員トイレなら、殆ど誰も来ない筈だわ、急ぎましょ」
「……あ、ああ」
誰も来ないからって……いったいどうするつもりだ。内股で走った――漏れないように。
「レディーファーストでしょ」
「レディーファーストだが……」
本気なのか? 手をつないだままトイレの扉を少しだけ開けて向こうを向く。耳も塞げと言われたが、俺は千手観音や阿修羅じゃない。手が千本も六本も生えていないのだ。
ジャー。ジャー。
何度も水を流す音が聞こえる。俺もその場で内股で足踏みをして我慢する。
カラ……。カラ……。カラ……。カラ……。
「ちょっと早くしてくれないか」
「うるさいなあ。片手じゃ難しいのよ」
カラ……。カラ……。カラ……。カラ……。
ああ……鳥肌が立つう~。
ジャー。
「終わったわ」
凄くイライラしているのが表情で分かる。
「よし、じゃあ次は男子トイレだ」
「ちょっと待ってよ、手を洗うから」
「あーと―にーしーてーくーれ~! 手くらい洗わなくたって死にはしないだろ!」
次は職員男子トイレへと駆け込んだ。今は部活動用の部屋や自習室くらいにしか使われていない旧校舎には、滅多に先生はこない。だが、さすがに女子と一緒に男子トイレへ入るのは抵抗があった。
「あっち向いててくれよ」
「言われなくてもそうするわよ」
もう発射寸前だ、おしっこが。
「あー生き返る!」
我慢して我慢して……我慢したあとの放尿って、なんと気持ちがいいのだろうか。
「……最っ低」
手を洗った後、純香にハンカチを貸してもらった。
六時間目も同じ作戦でなんとかやり過ごせた。無関心とでもいうのだろうか、教室の一番後ろで席をくっ付けていたり、ずっと手を握っていたりしても、クラスの皆や先生からはバレないんだと驚かされる。
俺が自意識過剰なだけなのかもしれない。
放課後になると、純香は友達にスマホでメッセージを送った。「体調が悪くて今日の部活は休みます」と。
「こんな手つなぎ鬼ごっこ状態で、バレーなんかできる筈がないわ」
そりゃそうだろう。
それが俺のせいだと言われれば、たしかに俺のせいなのかもしれない。だが、手を離さないでって強く願っているのが純香の方なのだから、俺だけのせいでもない。
まあ……俺も離したくないのだが。ここいらが潮時かとも思う。手を放さなければ家に帰れない。
「とりあえず、うちで作戦を立てましょう」
……帰りたくても帰れないのか?
「作戦だと」
「そうよ。いつまでも教室でじっと手をつないでいても……仕方ないでしょ」
「……」
たしかに仕方ないが……うちって、純香の家ってことでいいのだろうか。
俺は自転車通学だが、片手で自転車を押すのは難しそうだから歩くことにした……二人で手をつないで。
できるだけ人が少ない時に教室から廊下、廊下から階段、階段から下駄箱、下駄箱から校門……なんなんだこのお遊びは。ちょっとしたスリルを感じて楽しいじゃないか。
「わたしは部活をさぼってるんだから、誰かに見られたら大変なのよ」
たしかにそりゃそうだ。部活をさぼって男子と手をつないで下校しているなんてバレたら……白い目で見られること間違いなしだ。
「――今よ」
「ちょっと、ダッシュが早いって」
瞬発力がハンパない――。
純香の家は、高校から最寄りの駅近くのマンションだった。最近建てられたばかりで、学校の塗料と同じような新しい匂いがする。木や畳の匂いがするうちの家とは大違いだ。
ガチャリ。
玄関ドアの音も落ち着いた低い音がする。高級感が漂ってくる。
「ただいま」
「あら、お帰り純香、早かったのね……って、えーっと?」
純香に手を握られたまま立ち尽くす俺を、疑問視するお母さん。純香に似て背が高くすらっとしている。
「ええっと……、初めまして、純香さんと同じクラスの榊一真です……」
こんな挨拶でいいのだろうか。模範解答があれば誰か教えて欲しいぞ――。今日は勉強を教えてもらいに……いや、なんと誤魔化せばいいんだ。遊びに来たわけでもないのだから……。
「彼氏よ。今日はうちに泊まるから」
――え!
「――泊まる!」
「――ですって!」
「そうよ」
つないでいた手にギュッと力が込められた。
――俺は今日、純香の家に泊まるのか――。
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