警告――
純香と教室に入ると、慎也と如月がクラス委員の松見幸和と交渉していた。
授業中、手をつないでいてもバレないよう一番後ろの列で、如月の席の隣でもある松見と席を替わって貰おうとしていた。
「席替えでもないのに、なぜ僕が岬と席を替わらなければならないのだ」
その気持ちは痛いほどよく分かる。俺も純香の隣の席を意味もなく替わってくれと言われた同じように抗議するだろう。
「いいからいいから。今週だけ頼むぜ松見。クラス委員だろ」
「……」
松見は黒縁の眼鏡をクイっと中指で上げる。
一学期の始め、松見は立候補してクラス委員になった。「内申点を上げるために、ぜひクラス委員をこの僕にやらせてください」とクラス皆の前で堂々と言い、満場一致で得たクラス委員の地位。……他にやりたがる奴がいなかったから即決したのだが、「クラス委員!」とおだてると、大抵のことはやってくれる。花瓶の掃除や黒板消しクリーナーの掃除など……。
「仕方がない、替わってあげよう」
「サンキュー」
「だが……。――今すぐその如月さんと馴れ馴れしくつないだ手を放したまえ――!」
「――!」
……ひょっとして松見は嫉妬しているのか。如月と手をつなぐ慎也のことを……。いきなり前途多難じゃないか……どうする気だ慎也は……。
「はい、それは無理。じゃあ席を借りるぜ」
「……」
聞く耳持たぬ素振りで松見の席へと座った。スライドするように松見を椅子からグイグイとずり落とそうとする。
机の中身とかはそのままでも……ぜんぜん関係ないようだ。席を如月の席へとググっと寄せる。
「これでよし」
「岬君。君は僕の話を聞いていたかね」
また黒縁眼鏡を指で上げる。
「替わってあげようって言ったのは聞いていた」
「……その後の部分は」
「無理だから無理と言った。このつないだ手は何があっても放さない。だよねー、如月ちゃん」
「うん」
「……うんって……」
「お・ね・が・い」
如月がそうお願いすると、松見も断れないようだ。
「仕方がない。だが、今週だけだからな」
「サンキュー」
「ありがとう、松見君!」
鼻の下が伸びる松見……こいつも俺達と変わらないバカ男子の一員だな。
授業中、今日は眠くもならず、ずっと窓の外を見ていた。
同じ三階にある図書館や廊下の窓、四階の窓、屋上……。怪しい人影は見当たらない。動いている影のような物もない。でも、今日、新たに慎也が鬼になったことや、二組の鬼に分裂したことは絶対にバレているはずだ。
だとすると……犯人はいったいどこから監視しているのだ。授業中なら生徒は監視できないだろう。だからといって、先生だって四六時中、同じクラスを監視できるはずもない。ずっと見ている訳ではなく、時々見ているのだろうか。これまでの狙撃は、手を離したところを偶然見つかっただけなのか。
「一真、どうしたの」
「え、ああ。窓の外に怪しい奴がいないか見ているだけさ。大丈夫、寝てないから」
「そう……」
俺達の机とちょうど反対の廊下側に慎也と如月の机がある。窓の外からは狙いにくい位置ではあるが……慎也のやつがちょかちょかしていて気になって仕方ない。
「大丈夫かな、あの二人……」
「うん。たぶん」
そういえば純香は慎也が如月と手をつなぎたいと言い出した時、あまり反対しなかった。俺は……純香のことが好きだから一向に構わないが、純香もそれでよかったのだろうか。慎也が俺と手をつなぐのを嫌がり、鬼にならないことを危惧したのかもしれない。そうすれば今日、鬼を増やすのはこんなに簡単にはいかなかっただろう。
純香は……優しいから……。
「純香、本当に如月じゃなく俺でよかったのか」
「……授業中よ。静かにして」
ちょっと頬が赤くなるのが……ダメだ、何度見ても可愛い……。色白だから、少し赤くなっても直ぐに気付いてしまう。
事件は二時間目終了後の休み時間に起こった。三時間目開始前の休み時間といってもいい。どっちでもいい。
「あっ!」
――!
急に思い出したかのような声を出す純香に驚いてしまう。握っていた手にギュッと力を感じる。
「どうしたんだ」
「内ポケットに入れていたスマホが……動いて、ちょっと驚いたの」
普段から純香は制服の左側内ポケットにスマホを入れて持ち歩いている。メッセージではなく着信が入るのは珍しい。ブーブーブーブーと煩わしい音を立てている。
「最近、左胸が敏感なのよ……」
……?
それって、今、言わないといけないことなのだろうか。っていうか、どういうことだ。
「――舞子からだわ!」
画面を確認すると、驚いて通話に出た。
「もしもし、どうしたの!」
『狙われたの、ちょっと手を放した隙に……キャー!』
ガシャン! 小さくだが何がか割れる音が聞こえる!
「――駄目だ! 手を放しちゃ!」
犯人は常識が通用する相手じゃない! 何をしてくるか分からない!
「今どこにいるの! 舞子! 舞子!」
ツーツーツーツー……。
「たぶんトイレだわ!」
「ああ、たぶんトイレだ!」
なぜなら、俺も行きたかったから……トイレに。そして、たぶん純香も……。
旧校舎の職員トイレへと駆けつけた――。もう辺りは静まり返っていた。ガラスが割れる音も騒ぐ音も聞こえない。静か過ぎて……逆に身の毛がよだつ。
純化と一緒に職員女子トイレへと入ると、窓ガラスと手洗い場の鏡がひび割れていた。
トイレの扉は……一つだけ閉まっている――。
「……舞子なの? 大丈夫なの?」
「その声は、――明美!」
「――純香よ!」
ちょっと純香の声が苛立っているのは内緒だ。明美って誰だ……クラスにいないぞ。
「大丈夫か」
「ああ、大丈夫だ」
――同じトイレから、慎也の声もするだと!
「――お前達、一緒にトイレに入っていたのか――!」
それは犯罪だ。いや、反則だ! 学校だぞここは――!
「違う! いくら俺でも、いくら如月でも、――そんなことはしない!」
いくら如月でもって……褒め言葉のつもりなのだろうか。
「舞子、大胆……」
純香も黙ってて――!
ゆっくり扉が開くと、制服を着たままの二人が姿を現しホッとした。色々な意味で。
「二人でトイレに入るなんて、いくらなんでも恥ずかしいから、周りに誰もいないのを確認して手を放したんだ」
「あれほど手を放すなと言ったのに……」
命に関わるかもしれないからと、何度も説明をしたのだ。
「でも、放した直後には何も起こらなかったわ」
「ああ。それで俺が先に用を足して出てきたら、急に女子トイレからガラスの割れる音と悲鳴が聞こえたんだ。如月ちゃんの『キャー』って悲鳴が」
職員女子トイレの窓ガラスは粉々に割れている。手洗い場の鏡も割れている。
「それでトイレをノックしたら、如月のしょんべんも終わってたから扉を開けてもらい、慌てて中で手をつないだんだ。そしたら、窓の外からザザッと何者かが逃げ出す音が聞こえたんだ」
「しょんべんって言わないでよ……」
「……」
逃げ出す音だと?
「実は、ガラスはお前が割ったんじゃないのか」
細い目をして慎也を見ると、女子二人も驚きの表情を見せるのが……面白い。
「割ってないっつーの! 俺が割ってなんの特になるっていうんだよお!」
「ホントだわ。だって、誰も見てないもん」
「いやいや、如月ちゃんまで酷くない? 俺は助けるのに必死だったんだぞ」
「『逃げ出す音に聞こえた』っていうのも怪しいわ。音だけでどうして逃げ出したのが分かったの」
純香が真剣な表情でそう聞くと、冗談も冗談じゃなくなりそうで怖いぞ。
「信じてくれよおー」
「冗談だ。誰も慎也が嘘をついているなんて思わないさ」
「そうよ。ガラスが割れる中、急いで入って来てくれたもの。『大丈夫か、如月ちゃーん!』って大声上げながら」
クスクス笑っている如月。自分が狙われるかもしれないって発想は慎也に無かったのだろうなあ。
「そりゃそうさ。必ず守るって言ったんだから、たとえ火の中水の中。ガラスが割れる女子トイレへだって突入するさ」
「何にせよ……無事でなによりだ」
こんなに粉々に割れたガラス……。今すぐにでも先生に報告して事情を説明するしかない。
もはや幸せのリアル手つなぎ鬼ごっこはゲームなんかじゃない。生死をかけたリアルな事件にまで発展している――。
落ちている鉛の玉を一つだけ拾った。
事件はもう、俺達だけの手に負えないところまできてしまったんだ――。
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