悪夢 Ⅱ
「うーん」
……なんだか、体が……重い。今、何時だ……真っ暗で何も分からない。
「うーん」
うなされて声が出る。そして、熱い。寝汗が首をダラダラと伝い流れていく。でも、体が……金縛りにあった時のように――動かない。
金縛りか……。
高校一年の十キロマラソン大会の夜に初めてかかった。全身が動かず声も出せなかったあの日の夜の苦しみ……いや、
――これデジャブだ。昨日もこうだった……。
昨日と同じだったら、デジャブじゃない……『既視感』ではなく、ただの繰り返し、もしくは再発……。とにかく重い。重すぎる――!
「うーん」
ゆっくり目を開けると、案の定だ。ベッドで眠る純香が俺の上に落ちてきていた。
「うーん」
……それは俺のセリフだ。
左手はつないだままになっていたのだが、右手が痺れて……今日は動かない。顔の前には純香のショートボブが……くすぐったい。純香の額が俺の頬に押し当てられている。
どうりで熱いわけだ。俺の上に落ちてきた純香と体が密着して……寝汗で二人共ベトベトだ。
「スー、スー」
……?
純香のさらに上から、健やかな寝息が聞こえてくる。ひょっとしなくても、如月が純香の上に乗っかかっているのが分かる。
「スー、スー。ムニャムニャ」
ムニャムニャじゃねーよ! 純香は両手が塞がっていて、身動き取れない状態で俺に乗っかかっている。俺は右手が完全に痺れて動かない。
しかし、急に起こして悲鳴でもあげられれば、俺だけは確実に極刑――お父さんに。
地獄だ……まさに生き地獄だ……。
「ムニャムニャ。……なによそのザマは、このわたしを喜ばせてこその執事ではなくて、オーッホッホッホ……ムニャムニャ」
――寝言? 寝言をおっしゃっているのですか、ご主人様!
「うーん。申し訳ございません……ご主人様……うーん」
うなされている純香から汗が伝ってくると、ゾクリとする――。ようやく痺れていた右手の感覚が戻ってきた。そして、当然のように純香の左胸にあてがわれていて……がっくりする。俺って……。
いや、ずっと触っていたいかもしれないが、今は事態の収取を急ごう。このままでは本当に朝風呂に入らなくてはいけなくなる――。
痺れた右手を純香の体からなんとか抜き出すと、上に乗っかって一人だけ心地良い夢を見ている如月をベッドへと押し返そうとした。
「ヌヌヌ、わたしに逆らおうとするつもり?」
いや、ガチでそう言っているように聞こえるぞ――。寝言でいいんだろうなあ。
「ムニャムニャ、じゃあ、こうしてやるわあ」
「うーん、うーん」
……ちょっと、なにしたの! 純香が一層うなされだしたんですけれど! 如月はもう片方の手でギューっと純香に強く抱き着いていた。
「どう?」
どうって……。こっちは重たくてたまらない。
右手でもう一度如月を押し返そうとしたのだが……。
ムニュ……。
あ、これって、やばい感触だ。
「ムニャムニャ、――はっ!」
……はっ! って……やばいよな。如月は急に体を起こし、大きく息を吸い込む――。純香が邪魔で俺の手は如月の口まで届くはずもない――。
「イヤア―! ご主人様の意地悪う!」
なんて大きな声を出しやがる! さらにはまだ寝ぼけていやがる――!
「ば、バカ!」
「うーん、どうしたのよ舞子」
「わたしの胸を、ええっと、誰かが鷲掴みにしていたのよ。ええっと、榊君が!」
「うーん。ちょっと、重たいからどいてくれる。しかもわたし、両手使えないし……。あと、なんで一真がベッドにいるのよ……」
純香もまだ寝ぼけているようだ。
「違うよ、純香達がベッドから落ちてるだけだ」
「え、ああ! ごめん」
ベッドへ如月と純香がまるで芋虫のように移動した。
「ベッドから二人が落ちて乗っかかってくるから、重くて仕方なく押し返そうとしたらそこに胸があっただけなんだ。信じてくれよ」
「だけなんだって何よ! あんないやらしい手つきで触っておいて――!」
いやらしい手つきだと――?
ひょっとして、如月は夢の中で違うことでもされていたのだろうか。酷い妄想だぞ――。
「あ、なんかわたしも左胸に手形の汗が付いてる」
……それも……事故です。
――ドッドッドッドッドッド!
リビングから何者かが走ってくる足音――!
荒々しく部屋の扉が開け放たれた――。
「大丈夫か、純香あ――!」
「「――!」」
扉横にある電気のスイッチを点けられる寸前に、俺の顔にはタオルケットが投げかけられた――。
「お、お父さん! 部屋に入る時はノックくらいしてよって、いつも言っているでしょ」
「ごめんなさいお父さん、変な夢見ちゃって、つい大声出しただけなんですう」
「……」
――寝たふりだ。今、俺は一真子なのだ。
俺の顔以外はタオルケットで隠しきれていない……。まじまじ見られれば、スネ毛で男ってばれてしまう――。
「本当に、大丈夫なのか。誰か入って来たわけじゃないんだな」
「窓も閉めているし、そんなことある訳ないでしょ。早く扉を閉めて」
「おやすみなさーい」
「すまなかったな。おやすみ」
電気を消すと、ゆっくり扉を閉めてリビングへと戻っていった。
ここへ来て何度目だろうか。こんなに心臓がドキドキするのは……。
「寝ている間に胸を触るなんて最低! どういうつもりよ」
小さい声で説教が始まった。タオルケットをどけて反論する。
「だから、事故なんだ。触ろうと思った訳じゃない。それに、二人して乗っかかってきたら、俺だって潰れてしまう」
一人なら……耐えられるけれど……。
「わたしが落ちてきて重かったのなら、起こしてくれればよかったのに」
純香が申し訳なさそうに言う。
「いや、純香が落ちてきた時は……気付かなかったんだが……」
昨日も落ちてきていたことは言わない。
「――! じゃあ、わたしが重たいみたいじゃないの!」
「重たくなくても、一人と二人でぜんぜん違うだろ」
倍に……とは言わない。純香に比べれば如月は小柄なのだ。
「シー! ちょっと声が大きくなってるわ」
「失礼しちゃうわ、プンプン」
プンプンって……。
また天井を向いて三人で横になった。
まだ外は暗い。もう少しくらい眠れそうだ……。
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