最大のピンチ
目隠しをされて敏感になっていた耳がその音を聞きつけた――! マンションの防音性に優れた壁でも聞こえてくる低く大きな排気音。重低音――!
「やばい、お父さんだ!」
「え、嘘でしょ。まだ帰ってくるのには早いわ」
舞子のシャワーの音で純香には聞こえなかったのかもしれないが、あの音は間違いない。
「え、ちょっとなに、なにがどうしたのよ」
「ちょっと静かにしてみて」
――ブオーン!
「「――お父さんだあー!」」
「ええー! ええええ!」
「これってデジャブか――」
「デジャブじゃないわ。実際に昨日と同じことが今日も現実に起こっているだけだから、『既視感』とは別物よ」
――ええーい、そうじゃなくて~!
「上がりましょ。急いで」
「あ、ああ」
「わたし、まだ胸とお尻しか洗ってないわ」
――今までかかってそことそこだけ――! いや、部位を言わないでくれ。せめて「体しか」とか「頭だけ」とか言ってくれ!
「そんなこといったら、わたしなんか、まだ胸もお尻も頭も顔も……」
「洗うなら洗って! とにかく急いで!」
グイっと純香の強い力で浴槽から引っ張り立たされた。
「じゃあ、さっと洗って、パッと上がりましょ」
――え、本気で今から胸もお尻も頭も顔も……全部洗うつもりなのか――!
ゴジュゴジュ、シャカシャカヌルヌルと……タオルで体や頭を洗う音が聞こえる。必死に二人が洗っている。
ジャー。
「こっち向いて」
「え、ああ」
「一真じゃない! あっち向け!」
「ごめん!」
……酷いぞ。目隠しして目を閉じているんだから大丈夫なのに。
残された時間は昨日と同じと考えて……約二分二〇(ふたまる)秒――。絶対に間に合わない!
昨日もそうであったように――!
「はい!」
急いで浴室から出ると、脱衣所でタオルを渡された。
両手をつないだまま目を閉じてタオルを差し出されても――受け取れないし、拭けない! 両サイドで体を拭く二人の体がぶつかってきて、身動きも取れない!
「ああああ……だめだ、時間がない。残り三〇秒くらいだ。いや、二九秒、二八秒」
俺はまだ腰にタオルを巻いてほぼ全裸。さらには目隠しをしている。こんな状態をお父さんに見つかれば……ヒック、ヒック、涙がこぼれる。目隠しに吸い取られるけれど……。
「お父さん……怒ると滅茶苦茶恐いのよ」
それって昨日も聞いた。聞きたくなかった情報――。
シュル、トン、シュル、トン、と服を着る音が聞こえてくるのだが、
「体をしっかり拭いてないから、パンツがくっついて……クルクル~ってなっちゃうわ。片手じゃ上手く穿けない……」
……それも、要らない情報……。
「あ、そうか、舞子、わたしのパンツ貸してあげるわ」
「サンキュー」
……それも、要らない情報……。パンツの貸し借りって……ありなんだ。ガクッ。
「こうなったら、最後の手段だわ」
純香は脱衣室の電気を消した。
「消しておいたら、万が一、父さんが開けても見られないでしょ」
「純香、賢い!」
――それほどでもないっ!
「逆に身動きも取れないし、電気が消えているから迂闊に入ってくるかもしれない。それに、俺は目隠しして目を閉じているからなにも変わらない。なのに、状況がまったく把握できない――」
「シー! 焦らないで、静かに」
おしまいだ……なにもかも……。
「ただいま」
――!
物凄く低い声。
「お帰りお父さん。今日は早かったのね。今お風呂から上がったところよ」
「そうか、そうか。覗いちゃおっかなあー」
あーもう駄目だ! 怯えた如月が腕にすがってきて、胸がギューっと押し当てられているのは、内緒だ。……冥土の土産になるのかもしれない。シクシク……。
「変態! 裁判所に電話するわよ」
裁判所に電話してどうにかなる問題なのだろうか。その辺はぜんぜん詳しくないから分からないぞ!
「ハッハッハ冗談冗談、梯子段~」
トットットと脱衣所の扉は開けずに奥のリビングへと歩いて行ってくれた。
――た、助かった――。
ひょっとすると、純香の家では普段のやりとりなのだろうか……。
電気を付けてまた着替えを始めたから慌てて目を閉じたそのとき――、
「そういえば、純香」
――!
一度閉まったリビングの扉がまた開く音が聞こえて、低い声が廊下に響くと、ビクッと俺の両手が握られる――。
「玄関に大きな靴が置いてあるが、バレー部の友達が来ているのか」
――ぬかった! 俺の靴が玄関に置いたままになっていたのか――。いや、昨日はどうだったのだろう。お母さんが隠してくれていたのか。
今日は如月も来ていたから……忘れていたのかもしれない――。
「え、ええ、そうよ。今日は……一真子が来ているのよ。あと、舞子も」
「プーククククク……一真子って……」
如月は、よくこの現状で笑えると……褒めてやりたい。――褒めないけれどっ! 聞こえたらどうするつもりだ!
「そうか、お父さんの靴よりも大きいが、背が高いんだなあ」
「そうよ、えーっと、一七五センチはあるわ」
「プーククク……ククク……」
我慢して――! ここはこらえて――!
「そうかそうか、男の靴かと思ってビックリしたぞ。疑って悪かったな」
「そうよ、男の靴とか言わないであげて」
――本当に男だから――。
「プーククク……」
涙流して笑うのを我慢しないで――! こっちは命懸けなんだから――!
「ハッハッハ、悪かった」
またリビングへと戻っていった。
油断は禁物だ――。昨日の平和が今日の平和とは限らないことを知った――。
「今がチャンスよ」
必要最低限の服を着ると、お風呂から短い廊下を早足で通り、純香の部屋へと転がりこんだ。
「あー、助かった」
「アハハ、あードキドキしたね、一真子ちゃん!」
「……」
二人が楽しそうなのが……ちょっとだけ腹が立つ。
ドキドキしたどころじゃないぞ――。あんな嘘臭い言い訳で本当にお父さんは騙されているのだろうか……。寿命が一回転したぞ。
好きな女子と手をつなげて一緒にお風呂に入れるとしても、リスクの大きさが半端じゃない――!
今日までの辛抱だ。明日になれば俺の友達……慎也となら、もう少しプレッシャーの少ない手つなぎ生活ができるだろう……。楽しみは少ないかもしれないが、命懸けの危険は回避できる。
幸せのリアル手つなぎ鬼ごっこで……不幸せになってはいけないはずだ。
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この物語はフィクションです。3人手つなぎお風呂は試さないでください!