太宰治 入門の手前で きっかけ論のようなもの
私が今から太宰治のきっかけ話をするわけとは、その小説が私の実人生で最も興味深く、面白く読み、影響を受けた作家だったからであり、文学を素人として、趣味としてたずさわっていることを考えれば、実人生で否応無しに一番好きで、尊敬までしている作家を皆様に読んでもらい、その小説から文学的知性を学んでもらい、なんなら、自分を超えてほしいと望んでいることは、私にとっては真実のことである。
私が太宰治と言う小説家を初めて知ったのは、小学生のときの国語の人物紹介の教科書からである。今もあるかはわからないが、当時は普通の国語の教科書と、別冊で文学者を紹介する脇役的「サブ教科書本」なるものがあった。そのサブ本を開いたときに掲載されていた文学者の顔写真は、漱石、芥川、そして太宰の三人だったと思う。そのときはその三人で、後、だれが載っていたかは記憶にはない。不明である。
話は続くが、とにかく、そこに載っていた太宰だけは記憶に鮮明に残っている。太宰のプロフィールが書かれてあり、たぶん新潮文庫の彼の小説の見開きの紹介文とほぼ同じ文章だったと思う。そこには「自殺をした」と言うようなことが書かれてあり、作品の紹介の所には『人間失格』が入ってあったと記憶している。私はその時、ハッとなった。興味を抱いた瞬間である。どう言うことかと申すと、たぶん「自殺をした」と言う事実、そして最後に書いた長編小説が『人間失格』であることから、「この作家はもしかして自殺願望が生前にあって、その思いをその苦しみを自身の小説に書いた人だったのでは?」とひらめいて思ったのだ。そのことが私が太宰治を読もうと思った直接的なきっかけであった。
では、そもそもなぜ私が自殺を遂げた人に関心を持ったのか。それをもう少し説明しよう。それは当時から学校で人間関係で「死」を感ずるくらい苦しみ悩んでいた。まぁ、ちがう言い方ではいじめのようなものか。それから、私は人生を生きていけるかどうかの究極的な「不安」を根源的な部分で感じていた。私はそう言うその当時の思いから、自殺を遂げた人、そしてそれはどういう思いでそれをするに至ったのか、ということが、当然その頃の私には興味の対象になっていたのだった。しかし、芥川龍之介、川端康成、三島由紀夫など他にも自殺をした文学者はいるのだが、苦悩を直接に作品に書いている人は少なく、書いていてもあまり共感できない有り様であった。それから、これはこの作品のthemeであるので、再び申し上げておくが、彼が最後に「自死」をしたこと、それと『人間失格』と言う作品を執筆したという事実が、彼を読もうと思った、読み始めたきっかけであったのだ。
そして、私は実際に読んだのだ。読んでみたら、彼の書くものに「死」を誘われる不安は、私にはまったくなく、やはり、私を心から癒してくれて、魂を解き放ってくれたのでした。彼の小説は「ぼくたちは太宰さんの分まで生き抜いていこう」と思わせてくれる何かがあったのでした。私はまず、新潮文庫の『走れメロス』と題された短編集を読みました。中にある『東京八景』という作品にいたく感動しました。それは私のオススメです。それから、『晩年』と書かれた処女作品集にザッと目を通し、『人間失格』を読みました。私は「生きてゆかねばならぬ」と意気込みました。そして、『正義と微笑』なんかも読んでみました。すると、小便がちびりそうなくらい気分が高揚しました。
まぁ、最後はかなり雑な説明になったが、そういう経緯で太宰治を読むことに決まったのだった。私の今回のこの作品を読んで「なんだこの駄文は?」と思うか、「はぁ」とため息は出るものの、文学作品としては認めて頂けるか、それはまだわからない。しかし、個人的には私はこの作品が書けてよかったと思っている。そのことを読者が知って、もしご理解して下さいましたならば、私は文学者として、この世に生まれてよかったと本気で思うであろうと思っております。
深くお詫び申し上げたい分際です。
夜雨 直樹。