プロローグ
西暦1582年6月21日。天正10年6月2日———早朝。
京都、本能寺。
燃え盛る炎の中、織田信長は無念に表情を歪ませていた。人生が完全に詰んだ。
外には明智光秀の率いる軍勢が囲んでいる。既に逃げ場など無い。出来る事など、寺に火を放ち自害する事しか無いだろう。完全に詰んでいる。
「無念だ・・・。よもや、光秀が裏切るとは・・・・・・」
いや、裏切る事は事前に予測出来ていた。ある意味、これも予定調和だろう。
しかし、天下統一を目前にしたこの時期に裏切られるとは・・・。無念である。
信長は自害の為に刀に手を掛ける。と、その時———
「そんなに無念ですか・・・第六天魔王よ」
突如、信長の背後に純白のゆったりとした衣を纏った人物が現れた。
男なのか女なのか解らない、中性的な容姿をしている。或いは性別など無いのかも知れない。その姿は神秘的でとても美しかった。
まるで、人類総てが薄汚れた醜い豚にすら見える。それ程の完成された美だ。
しかし、信長はつまらない物を見るかの様にその人物を見た。
「ふんっ、誰かと思えば貴様か。古き神」
「その古き神というのをやめなさい。私にはアルトラという名があります」
神、アルトラはやんわりと諫める様に言った。
創世神アルトラ———
総ての神話と宗教を纏める神。神王アルトラ。
世界の起源と終末を司る神。総ての神々の王。世界の真の造物主。
・・・そして、真の全知全能。
「して、何の用か?今は見た通り時間が無いのだが」
「貴方は相変わらずですね・・・。要件を言いましょう。異世界でやり直す気はありませんか?」
「・・・・・・何?」
信長は怪訝な顔をする。対するアルトラは穏やかに微笑んだ。
「貴方を此処では無い、異世界へ送りましょう。其処で新たにやり直す気はありませんか?」
「ふむ・・・・・・」
確かに、その提案は魅力的だ。一考する価値はあるだろう。
つまり、この神は信長に人生を新たにやり直す権利をくれると言うのだ。
しかし、同時にこの世界に対する未練もある。果たせなかった野望への無念もある。
さて、どうするか・・・・・・。
「貴方の無念も理解出来ます。ですが、世界は貴方が居なくともきっと廻り続けるでしょう」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
信長は目を閉じ、考え込んだ。
信長は世界に憂いていたのだ。世界の行く末を案じていたのだ。
信長は超越者だった。生まれた時から広すぎる視野を持っていた。
故に、気付いてもいた。人類の業の深さに。人類の行く末に、自滅しか待っていない事に。
人類が持ちうる視野を超え、神と同じ視点に立てる信長だからこそ、人類が辿る未来が視えたのだ。
それ故、信長は人類を正しく導こうとした。自らが王となり、世界に覇を唱えた。
しかし、信長は失敗した。夢は目前で潰えた。
「・・・・・・どうでしょう、人生をやり直しますか?」
差し伸べられる掌。僅かに考えた信長だが、やがて溜息を吐くとその手を取った。
「良かろう。その甘言、乗ってやるわ!!」
その後、本能寺の焼け跡から信長の遺体が見付かる事は無かった。