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叶い始める願い

 山に囲まれた校舎は、空同様に茜色を呈し始める。

 夏の熱気も日中より幾分かマシだ。


 どこか寂しさも感じるが、家に帰れば夕食が待っている。

 その前にシャワーを浴びたり、宿題をしたりする者もいるかもしれない。

 なんてことない日常で、なんてことない時間が流れる。


 それを特別だと思う人間はどれほどいるだろうか?

 大抵の者はそれを当たり前だと思うのだろう。

 だからこそ、特別を願う。

 簡単には手に入らないものを願う。

 どこにでもある日常は、願わずとも手に入るのだから。


 だから、そう思っている人間はそれを失う恐怖を知らない。

 いや、知っているのかもしれないが、そこに目を向ける機会は少ないのである。


 ゆえに、他者からそれを奪う行為がどれ程卑劣な事かを、理解していない場合もある。

 良く言えば、目の前の事で、自分自身の事で精一杯なのであり。

 悪く言えば、他者の気持ちに対して無頓着なのである。


 それがまだ中学生の子供となれば、なおさらである。


 幼さゆえに、人を傷つけ、奪い、悲しませる。

 それは傲慢さ故か、恐怖し脅されての事か、または行き過ぎた恋心故か。


 理由はどうあれ、許される行為ではない。

 子供だからという使い勝手の良い言葉が効力を発揮する範囲にも限度がある。


 例えばそれが人命を奪うような行為であればどうだろう?

 もちろん到底許されない。


 それはきっと法で裁かれることになるだろう。

 しかし、そこで生まれた恨みは簡単には解消されない。

 失われた人命の代わりになるものなど無いのだから。



 闇の織姫は、そういった者達に殺された。

 そして自分の命を奪った者達を呪い、復讐を誓った存在だった。

 人の心の闇に殺された闇の織姫は、その闇でもって復讐を成そうと考えたのだ。


 自らの愚かさを嘆きながら、後悔させてやろうと。



 ※ ※ ※



 自転車小屋には、かい君とつよし君、それからのどかちゃんがいた。

 ここに来たのは自転車に乗って家に帰るためなのだが、何やら様子がおかしい。


「どうしてかい君もついてくるの?」

「お前新しい自転車買ったんだってな。俺様に貸せよ」


 当たり前のように自転車を借りようとするかい君。

 つよし君にとっては迷惑なことだった。

 貸し借り。

 それは返すことが前提となっていて、更に他人のものであるがために丁重に扱うのが基本だ。

 しかし、かい君の要求は大抵そこから外れたものとなる。


 借りたものを返さない。

 それどころか、ボロボロになるまで使い、または破壊される。

 返すと言われたときにはもう、その本来の機能を失っていることだろう。

 こういうことは、かい君とつよし君の間で何度も繰り返されてきたことだ。


 しかし、つよし君は拒めない。

 かい君が怖いからだ。


「今回だけだよ」


 建前上そう言って、かい君に自転車を貸す。

 するとかい君は嬉しそうにその自転車にまたがる。


 中学二年生にしては体格の良いかい君の体重に、自転車が少し軋む。

 その様子に、つよし君の怒りは心の中で限界に達しようとしていた。

 手を強く握りしめ震えるつよし君を尻目に、かい君は言った。


「さあ、帰ろうぜ、のどかちゃん。のどかちゃんも自転車だろ?」


 のどかちゃんの家はかい君の家とは少し離れているが、途中までは同じ帰路だ。

 要するにかい君は遠回しにのどかちゃんを誘っていた。


 しかし、のどかちゃんの返答は、かい君の予想を裏切るものだった。


「私今日は歩いて帰るわ」

「なんでだよ」

「別に。ただ何となく歩きたくなっただけよ」


 思いがけない言葉に、かい君は顔をしかめる。


「そ、そうかよ。分かんねぇけど、のどかちゃんがそう言うなら仕方ねぇな。じゃあな、俺は先に帰るぜ!」


 動揺を隠す様にかい君は自転車で走っていった。


「良かったの? あんなこと言って」


 のどかちゃんの大胆な発言に、不安そうなつよし君。


「いいのよ。つよし君だって、かい君にいいようにされて困ってたでしょ? まあ、自転車はとられちゃったけど」

「まあね。でも、歩きで良かったの? 結構距離あるけど?」

「よく考えたら、歩きの方がはやて君と長く一緒にいられるかなって」


 自転車小屋から歩きつつのどかちゃんは答えた。


「のどかちゃんは、やっぱりはやて君のことが好きなんだね」

「何? もしかして私のこと狙ってた?」

「ええっ! そんなことはないよ。のどかちゃんとは家が近いってだけで……」

「う~ん、そういう言い方されると、それはそれで残念な気もする」

「そんなぁ」

「ほら、はやて君が見えた」


 他愛のない会話を中断し、のどかちゃんが指をさす。

 はやて君は、校舎から続く長い坂の中間くらいを歩いていた。


「のんびり歩いてるみたいね。急いで歩けばすぐ追いつきそう」


 嬉しそうにはしゃぐのどかちゃん。

 しかし、その勢いを止めるように、つよし君は言った。


「かい君もその後ろを自転車で追いかけてるみたいだけど、なんかおかしくない?」


 ついさっきまでそばにいたかい君は、つよし君から奪った自転車で坂道を下っていた。

 しかし、自転車の挙動が何かおかしい。

 乗っている本人も何やら慌てているようだが、つよし君達の所からは何が起こっているのかはっきりとは分からない。

 乗りなれていない自転車に乗って、操作に手間取っているという可能性もある。


 しかし、問題はもう一つあった。


「ねえ、あのままじゃ、はやて君の方に突っ込んじゃうんじゃない?」

「本当だ……」


 坂の上から立ち止まってその様子をうかがう二人に不安がよぎる。



 そう、始まっているのだった。

 壊れたネジを無理やり回す様に。

 じわりじわりと巻かれたネジは、ある時一気に動き出す。


 闇の織姫に願ったことが、叶い始める。


 これはその始まりだ。

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