婚約解消した途端、婚約者が理想の女性に変身した件について
軽い読み物です。お楽しみ頂ければ幸いです。
まるで人形のような婚約者が嫌だった。
オレは王国の三番目の王子としてこの世に生まれた。
人の上に立つ器と文武両道を望む父、礼儀正しく王族らしい品行方正を望む母。そんな両親に温かくも厳しく育てられた。
二人の兄たちは優秀であったが、弟である私には優しい人たちだ。
周りの人々には恵まれていたと思う。
―――婚約者以外は。
私には幼い頃から婚約者がいた。政略的なそれは王族の一員として受け入れて当然の事だ。
だが、私はどうしてもその婚約者が好きになれなかった。
長年近づこうと、好意を持とうと努力はしていたのだが、何をしても反応がなく、虚しくなるばかり。その内に苦手意識が増し、最終的には生理的な嫌悪感までが湧いてしまうようになってしまった。
婚約者は気位が高く、とても美しい令嬢だったが、表情の動かない能面のような顔は美しい分だけ気味が悪かった。
私を諭す淡々とした喋り方には、その言動が正しいと分かっていても苛立ってしまうし、綺麗に化粧されたきつめの眼差しも、髪をきっちりと結い上げた隙の無い姿も気に入らなかった。隣にいるだけで息が詰まる思いだったのだ。
我慢に我慢を重ねたある日、私は一人の令嬢と出逢った。
彼女は最近男爵家に引き取られた令嬢で、男爵が平民の女性に産ませた庶子だったが、平民として育ってきたからか貴族社会でも貴族学校の中でも浮いている存在だった。
けれど、その垢抜けない明るく自由な性格は、私には目新しく映った。
彼女の傍にいると心が安らいだ。
彼女を妻に望んでいる訳ではないけれど、彼女の傍にいると、婚約者に元へ戻りたくない気持ちが湧いてくる。
そんな私の気持ちを察したのか、彼女は私を気遣いながら笑顔でこう言った。
「嫌な事を無理して我慢するのは良くないと思いますよ」
嫌な事は嫌だと言ってもいいのだと。
無理して我慢しなくてもいいのだと、そう言ってくれた。
多分、私はその一言が欲しかったのだ。踏み出すための切っ掛けを望んでいたのだろう。
私は正直に王である父と、王妃である母に言った。
どうしても、婚約者を受け入れられないと。
努力してきたが、どうしても嫌悪感が湧いてしまうのだと。
自分の都合で政略を反故にしようとしているのだから、王位継承権の返上も、場合によっては王家からの除名も仕方がないとすら思っている。
二人は溜息をついて、好きにするようにと言った。
次いで彼女の家に行って、彼女と両親である公爵夫妻にも頭を下げる。
正直にどうしても婚約者を受け入れられないと打ち明けた。
公爵夫妻は表情を凍り付かせたが、肝心の本人は無表情のままだ。
「私を受け入れられないのは、私の能力が貴方様の妻に見合わないからですか? 私の努力が足りなかったからですか?」
淡々とそう聞いて来た婚約者に、私は首を振る。
「違う。そうではない。そのどちらでもない。貴方は私には勿体ないほど素晴らしい令嬢だった」
彼女は完璧だった。身分も、教養も、姿形も申し分ない。
「では、他に妻に望む方がおられるのですか?」
そう聞いて来た彼女に、私は首を振った。
心変わりなどでもない。そもそも、私は彼女に心を寄せることが出来なかったのだから。
男爵令嬢の事が頭を過ったが、かの令嬢を恋い慕っている訳ではなく、男爵令嬢の言葉はただの切っ掛けに過ぎない。
「私がどうしても無理なのだ。勝手を言っている事は分かっているし、申し訳ないとも思っている」
「本当に勝手ですね。私の娘を侮辱するにも程がある」
「お父様」
公爵が眦を上げて低くそう言うが、彼女はやんわりとそれを止めた。
「お父様、私は婚約の解消を受け入れようと思います」
「イザベラ!」
「いいのです。殿下が私を苦手としている事も、苦手意識をなくそうと努力して下さっていた事も知っておりました。そして、そんな努力の最中であっても、殿下はいつでも私に優しく、丁寧に接して下さいましたね。長年努力をして下さった結果、どうしようもなかったからこそ、本日ここへ来られたのでしょう」
淡々と真っ直ぐにそういう彼女に思わず目を見開く。
婚約者が自分をきちんと見てくれていた事に驚いたからだ。
彼女は何も知らないのだと、ずっとそう思い込んでいた事に気が付く。
「殿下に寄り添えるようにと私も努力してきたつもりではありましたが、実を結ばず、申し訳ない事をしました。誠実に全てを話し、頭を下げて下さった…そんな殿下に私はお応えしたいと思います」
彼女がそう言った事に更に衝撃を受けた。
自分の一方通行ではなく、彼女もまた寄り添う為に努力していたという事実。
その事実を知り、私の中に迷いが生じた。
もう無理だと思ったからこそ、婚約を解消しようと思ったが、お互いに努力していけばこの先は分からないのではないかと。
一人ではなく、二人で寄り添う努力をしたのならば、この先の将来で実を結ぶのではないかと。
一人ではもう頑張れないと思っていたけれど、二人ならば頑張れるのではないかと。
そんな考えが浮かんで混乱している内に、彼女は深々と頭を下げた。
「婚約解消を受け入れます。ルドルフ殿下、今までありがとうございました。これからは良き学友としてよろしくお願いします」
そう言って、彼女が顔を上げた瞬間、私の頭は真っ白になってしまう。
彼女が笑っていた。
いつも無表情で冷たい眼差しを向けてきた彼女が。
何事にも動じず、人形のようだった彼女が。
とても明るく朗らかに、はにかんだ笑みを浮かべているのだ。
唖然としてしまったのは仕方がないだろう。
あんなにも気味が悪かったのに。
あんなにも嫌悪感で一杯だったのに。
嫌で仕方がなかったのに。もうどうやっても我慢など出来なかった筈なのに。
たった一度の笑みで覆ってしまうなんてありえない。―――笑った顔がこんなに可愛いだなんてありえない!!
そんな顔で笑えたのか。
淡々と表情の変わらない人形のようで気味が悪かった彼女は、笑うだけで生き生きと生命力溢れる魅力的な女性へと変化したのだ。
呆然としたまま、帰りの馬車で私は項垂れた。
彼女の笑顔が忘れられない。
「………早まった、かもしれない…」
泣きそうな顔をしながら、私は頭を抱えたのだった。
★★★★★
「ルドルフ殿下、イザベラ嬢と婚約解消したというのは本当ですか?」
「………誰から聞いたんだ」
翌日。学園内では、私の婚約解消が既に噂になっていた。
早すぎるだろ。誰だよ、言いふらしたの。
ガックリしながら聞き返せば、私の従者として従ってくれている公爵子息は呆れたように言う。
「いえ、イザベラ嬢が話していましたが」
「え!?」
まさかの本人!! 嘘だろう!?
普通、婚約を解消されるというのは不名誉なものだ。ましてや女性なら尚の事。
なのに、まさか噂の発生源が本人だなんて。
信じられない思いで学園内に足を進めれば、好奇心に溢れた生徒たちの視線が突き刺さる。
女子生徒はソワソワと何故か期待したような視線を向けてくるし、男子生徒はソワソワと落ち着かない雰囲気だ。
何だか居た堪れない気持ちのまま廊下を歩いていると、楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
本当に楽しそうで思わずそちらを振り返れば、元婚約者であるイザベラが女子生徒たちと共に声をあげてコロコロと笑っている。―――笑っている!?
驚きの余り目を見開けば、やっぱり笑っていた。可愛い。いや、可愛いじゃなくて!
「何で…」
「何でも我慢する必要がなくなったらしいですよ」
思わずといった呟きに従者が淡々と返してくる。
どういう意味だと聞き返す前に、イザベラの近くにいた令嬢がイザベラに尋ねた。
「私、イザベラ様がこんなにも親しみやすい方だなんて知りませんでしたわ」
「私もですわ。イザベラ様はいつも気高く美しくて、私たちには近寄りがたい『高嶺の花』でしたのよ」
「まぁ、そうでしたの? 私が不器用だったためにそのような事になっておりましたのね」
どういう意味かと令嬢たちと共に私も耳を澄ませていると、彼女は真面目な顔で言う。
「実は私の顔は―――0か100でしか動かないのです」
その言葉に疑問符を浮かべたのは私だけではないようで、重ねてどういう事かと令嬢の一人が尋ねれば、イザベラはコロコロと可愛らしく笑いながら答えた。
「王子妃教育で王妃様に言われたのよ。ほら、貴族令嬢は余り声をあげて笑ってはいけないでしょう? でも、私が笑うとどうしてか声が出てしまうから、ここは思い切って笑わない方向で行きましょうって。だから家族の前以外では話すこともままならなくなってしまったのよね。気を抜くと笑ってしまうから」
母上―――!! まさかの元凶は貴女か!!
「それに他の事は何とか頑張れていたのだけど、どうしても腹芸というのかしら? そういった外交に私、絶望的に向いていなくて…思ったことが全て顔に出てしまうのよね」
「ああ…ですから、表情を表に出さないようにされていたのですね」
「そうなの。でもね、本当は私、毎日楽しくて! もうちょっとした事でも面白くて仕方がないの。昔から一度笑い始めたら止まらない笑い癖があるのよ。ああ、生きているって素晴らしいわよね。どうしてこんなに毎日楽しいのかしらっていつも思っていたわ! うふふ!」
人形のようだと思っていた元婚約者の内側が、こんなに明るい前向きな楽天家だと誰が想像しただろうか。
何故その一部でも出さなかったんだ。見抜けなかった私がいけなかったのかもしれないが、鉄壁のポーカーフェイス過ぎた彼女にも物申したい。
楽しそうに笑う彼女につられるように、周りも楽しそうに笑う。
彼女から明るさと幸福が広がる様な光景だった。
「これまでずっと殿下の婚約者という大役を頂いていたわ。それを光栄に思いこそすれ、煩わしいとは思わなかったけれど…本当は少しだけ寂しかった。未来の王子妃として特定の方と親しくするのは良くないし、不器用な私はほどほどにバランスを取ることも出来ないから、友人を作る事は諦めていたの。でも、本当はね、皆さんとお喋りしたりお茶をしたりしたかったの」
夢見るようにそう言った彼女は俯いて、少し恥ずかしそうに言う。
「皆さん、私とお友達になって下さる…?」
そう言って、はにかんだ凶悪なまでの愛らしさを孕んだ笑みに、その場にいたものは軒並みノックアウトされた。私も含めてだ。
無表情で凛と立っていた時には美しさばかりが際立ったのに、表情を浮かべるだけで愛らしさ全開とか何事か! けしからん! もっとやれ!!
転がりたくなるような衝動を必死に抑えながら震えていると、イザベラを囲んでいた令嬢たちが顔を真っ赤にさせながら叫んだ。
「勿論ですわ! 私、イザベラ様とお友達になりたいです!」
「私もです! 私もお友達にして下さいませ!」
「まぁ、嬉しいですわ。ありがとうございます」
イザベラが嬉しそうに言えば、近くにいた令嬢が慌てたように言う。
「私も…! あの、身分は低いですし、元平民ですけど…」
「身分は軽んじてはいけないものですけれど、それだけを見てしまえば大切なものを取りこぼしてしまいますわ。例えば、貴女のような可愛らしいお友達をね!」
「イザベラ様…! 一生ついていきますぅぅぅぅ!!」
感激のあまり泣きながらヒシッと抱き着いた令嬢を、優しく抱き返すイザベラ。
羨まけしからん。そこ代わってくれ。というか、あの男爵令嬢、私の背中を押したものなのだが。一体これはどういう状況だ!?
「イザベラ様…今までも美しい方だとは思っていたが、何て可憐なんだ」
「今は婚約者がいらっしゃらないんだよな。父に頼んでみようかな…」
そんな呟きが聞こえ、思わずそちらを睨んだ。
彼女は私の婚約者…じゃなかった! つい昨日解消したんだった! 何で解消したんだ、私の馬鹿!!
普段から冷静で女性に言い寄られても眉一つ動かさない従者まで顔を赤くしてるし! 何だ、愛らしいって! 知ってるわ! 昨日から!!
誰だ、婚約解消なんてした馬鹿は! 私だ! 昨日の私、地獄に落ちろ!
「ああ、もうっ! 何でこうなったんだ!!」
いや、私のせいだけども! 馬鹿だって? 知ってる!!!
後悔先に立たずですが、この後、王子様は必至で頑張ります。
しかし、彼女の天然に滅茶苦茶苦戦します。王国に幸あれ。
読んでくださってありがとうございました。
以下、おまけです。
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【イザベラと王妃さまのとある日の話】
「今日は王族らしい頬笑み方を学びましょう。ニッコリと笑ってみてください。優しく上品に口の端を少し上げるのがポイントです」
「はい。こうでしょうか?」(ニヤリ)
「怖い! それはダメです! ダメなやつです! もっとこう、朗らかにニコニコと」
「こうでしょうか?」(ニヤニヤ)
「違います! 完全に王族というか女性としてアウトな感じになってます! 何か企んでいる顔です、それは!」
「まぁ、企んでいるだなんて! 王妃様は冗談がお上手ですわ! おほほほほ!」
「そう! その可愛らしい顔です! そのまま声を…」
「おほほほほ!」
「声を出さずに…」
「おほほほほおほほほほおほほほほほほほ!!」
「怖い怖い! いつまで笑っているの!? 何故笑いが止まらなくなったの!? やっぱり笑顔の練習は中止です! 無表情! これでいきましょう!」
「おほほほほ! ほほ、ゲホゲホ!」
「いつまで笑ってるの!? 私、そんなに面白いこと言ってないわよね!? 噎せるほど笑うとかどんな笑い癖なの!?」
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【イザベラと王子さまのとある日の話】
「(今日こそはイザベラと仲良くなるぞ!)きょ、今日はいい天気だな!」
「はい」
「小鳥も囀ずっているし」
「はい」
「花も咲いているな」
「はい」
「…えっと、お茶のお代わりはどうだ?」
「はい」
「…お菓子もあるのだが…」
「はい」
「えっと…」
「はい」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………………布団がふっとんだ」
「………」
「………」
「………」
「………すまない、今のは忘れてくれ…」
「―――殿下」
「え、な、何だ!?(初めてイザベラから話しかけられた! 遂に進展が…!?)」
「殿下って、面白い方ですね」(ニヤリ)
「…っ!!」(ボキリ!←心の折れた音)
(殿下面白すぎますわ! ふ、布団がふっとん…っ、おほほほほほ! 我慢出来ません! ぷほほほほほ!)
(もう駄目だ! 焦りすぎて完全に滑った! 視線だけで凍りつきそうだ! 完全に馬鹿さをさらけ出してドン引きされてしまった…!!)
(殿下となら楽しい毎日を送れそうですわ! 先程の笑顔は淑女らしく上手に出来ていたかしら? もっと努力しなくては!)
(………そうだ、無人島に行こう)←現実逃避。
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王国に幸あれ。