クロエが間に合わないんさん
少女の話を要約すると、持っていたはずの乗車券を失くしてしまい、列車を追い出されたらしい。
軌道獣車の乗車券は非常に高価で、再購入は現実的な選択ではない。ちなみに俺たち三人分の乗車券は、地下の神が用意してくれていたから、実質無料だった。
ひよこと目があったので、小声で聞いてみる。
「この乗車券、よく三枚も手に入ったな。神の力ってやつなのか?」
「ああ、それ地下の神が作ってくれたんです。割と自信作らしいですよ」
神様、それ偽造です。
大地を創りました的なノリでやったらダメなやつです。
「それにしても困ったな」
「あぅぅ、うちがもっとしっかりしてたら、こんな事にはならんかったのにー」
マナさんは面倒見こそいいが、力技で解決できない事態には弱い。
少女の髪色と同じダークグレーの獣耳がぺたんと垂れる。
このままではかわいそうなので、過去の経験からアドバイスしてみることにした。
「もう一度探して見たら? 案外それで見つかるかもしれない」
「荷物の中全部探したのにですか?」
巨大な荷物だ。この中から小さな乗車券を見落とさずに探せるとは思えない。というより……
「この中に乗車券を入れていたのか?」
「え? こんなところにいれときませんよー。くしゃくしゃになるもんー」
探し物が見つからない驚異のメカニズム。
「えーと、それじゃあ、乗車券はどこに?」
「それは、上着の内ポケットのなかに……あ、ほら、ありましたー」
どうだと言わんばかりの顔でこちらを見てくる少女が、自分の持っている物に気付くまでに数秒かかった。
「助かりましたー。これで次の列車に乗れます。あ、と、申し遅れましたー。うちの名前はクロエ。カニシア工房の職人見習いです」
クロエに続いてマナさんとひよこが自己紹介する。
3人の話を聞いていて分かったのは、予想通りクロエはこの国の人ではなく、隣国であるソト王国の出身者という事だ。
余談だが、この国の名前はショウ王国と言い、海に面した南側以外の三方でソト王国と接している。小国だからショウ王国だと勝手に思い込んでいたが、国の中央にあるショウ平原が名前の由来らしい。地理のテストに出そうだ。
などと考えていると、クロエと目があった。
「お兄さんの名前も聞いてもいいですかー?」
「ああ、俺の名前は無いんだ」
地下の神によってこの世界に呼び出された時に、俺の個人情報はきれいさっぱりなくなっている。それと入れ替わりに、この国の言語知識が放り込まれているらしい。
失くなった情報は戻ってくるのだろうか?
「ないんさんですね。この恩はわすれませんー」
「……まあいいか」
説明するのが面倒だったので、そのまま流すことにした。
「ちょっと待っててくださいね」
クロエは例の棺桶の様な巨大な箱型の荷物の前に座り込むと、箱の側面に付けてある四つの鍵を外して、上面のふたを開ける。
箱の中には武器や工具、その他見たこともない道具がぎっしりと詰まっていた。
しばらくこの道具箱の中を両手でかきまぜていたクロエは、目当てのものを見つけたのだろう、そこから何かを取り出すと俺の前に持って来た。
「これはお礼です。実を言うと、売れ残りなんですがどうぞー」
手渡されたのは、クロエの師匠であるカニシア工房の職人が作ったという、包丁くらいの長さの短剣だった。
鞘から抜いた短剣は、シンプルかつシンメトリカルな刃が付いており、柄の後端中央から謎のひもが伸びている。
「どうですか? 投げ短剣技術搭載短剣です。そのひもを引くと、柄の中に仕込まれた高性能火薬の力で、刃をまっすぐに飛ばしますんで、誰でも簡単に投げ短剣ができるんです」
「おお、なんかカッコいいな!」
しかも発想が先進的だ。
「ただ……どういうわけか、ひもを引いても、刃が飛ばずに柄の後ろから火が噴き出しちゃうんですよねー。まあ、普通の短剣として使ってください」
売れ残るわけだ。
俺は、興味津々な目で見ていたマナさんに短剣をあずけて、線路脇の風車小屋にある時刻表を確認しに行く事にした。
小屋の壁にかけられた木製の時刻表は、ひよこが見方を教えてくれたものの、専用記号ばかりでさっぱり読めなかった。
俺がヘビの記号とウミヘビの記号の違いについてひよこに質問していると、ぱたぱたという音が聞こえてくる。
見上げると、風車小屋二階の窓に、赤い鳥が入っていくところだった。
「デンレイ鳥ですね」
「伝令?」
「そうです、そうです。伝令をする鳥なのでデンレイ鳥です」
基本は伝書鳩と同じで、この世界でわりと普及している通信手段らしい。
速度が遅く悪天候に弱いが、魔法での遠距離通信と違って高価な専門家を雇う必要が無いのが利点なのだとか。
ちなみにショウ王国では、魔法通話組合よりもデンレイ鳥組合の方が政治的な力を持っているので、国が運営するこの鉄道の施設では当然、デンレイ鳥が採用されている。
俺たちがクロエに次の列車の時間を教えに戻ると、その後を追うように風車小屋から駅員がやってきた。
そして、衝撃の事実が伝えられた。
「そ、そんな、次の列車がこない?」
どうやら、ひとつ前の駅で軌道獣車を引く怪物が逃げ出し、その際に線路を壊してしまった為、少なくとも今日は列車を走らせることができなくなってしまったらしい。先程のデンレイ鳥は、これを伝えに来たようだ。
連絡だけ済ませさっさと小屋に帰っていく駅員を見送ると、元から列車に用が無かった俺たちは、クロエに視線を向ける。
今にも泣きそうだった。
「よかったら、俺たちと次の駅まで歩かないか?」
俺の言葉にクロエは顔を上げるが、すぐに目が下を向いてしまう。
「ないんさん……それやと、間に合わないんです。間に合わないんさんです」
「しょうもない事言う余裕はあるんだな」
クロエには急ぎの用事があった。
隣の駅がある町で本日開催される品評会に、工房の新作を持って行かなければならないのだ。
事前に目的地までの地図を確認していたひよこが言うには、徒歩では受付終了の時刻に間に合いそうにないらしい。
困ったな。
「歩いて間に合わないなら、走ればいいじゃないか」
思わぬ発言に振り向くと、マナさんが両手を腰に当てて立っていた。
今聞いた言葉は、どうか気のせいであってほしい。
「歩いて間に合わないなら、走ればいいじゃないか」(二回目)
気のせいではなかった。何を驚いているんだと涼しい顔をしていらっしゃる。
ひよこは、クロエの手のひらに乗せた懐中時計を再び覗き込んでから、行けそうですねと首を縦にふった。
どのくらい走っただろうか。
すでに景色を見る余裕が無くなり、今は先を行くマナさんの背中だけが視界に入っている。
クロエは駅を離れてすぐにバテてしまい、その原因となった恐ろしく重そうな道具箱はマナさんが担ぐことになった。
これで少しペースが落ちるかと思いきや、全くそんなことは無く、マナさんの怪物ぶりがいかんなく発揮された。きっと、列車を引いて走れる。
一方、クロエは先程から再び遅れてきたので、今は俺が手を引いて走っている。
「あのっ」
クロエが声をかけてきた。かなり息が上がっているが、上目遣いのその目は死んでいない。
「な、ないんさんっ、なんで、うち、はしって、の、ですかぁ」
思考は死んでいた。
「あとで一緒に考えてやるから、今は走れ」
クロエを励ましつつ前を見ると、マナさんの横を飛んでいたひよこが振り返って言った。
「もう少しで小さな川が見えてくるはずです。そこがちょうど中間地点なので一度休憩をとりましょう」
助かった。
緩やかな登り道が終わると、ひよこの言った通り、小さな川が流れているのが見えてきた。