未知の魔物
部屋の明かりが戻る。
ひよこの「もういいですよ」という声で、金縛りが解けたかのように、身体の自由を取り戻した。
俺が振り返って見ると、ひよこと一匹の砂漠ネコの姿があった。砂漠ネコは丸くなって眠っている。
ひよこは俺に、デスクの上に投げ出された、バロハニのコートを着るように言った。
これはバロハニを倒した証であり、その内ポケットには、マナさんを元に戻す手鏡が入っているのだそうだ。
俺は、おそるおそるコートを羽織る。一応確認したが、持ち主がどうなったのかがわかるような、痕跡は見当たらなかった。
ひよこは満足気な表情を浮かべると、視線を足元へ向け、丸くなっていた砂漠ネコを、扉に向かって蹴とばした。高く上がる素足。
「え、何で!?」
「仕返しに決まってるじゃないですか。預言者さんもやられたでしょう?」
俺は砂漠ネコに蹴られた覚えはない。まさか……
扉の前で、よろよろとが立ち上がる砂漠ネコ。
「は、ははは、さすが化け物だ。人をネコに変える呪いかよ」
砂漠ネコが、バロハニの声でしゃべった。
ひよこは砂漠ネコになったバロハニを、いつもの自信に満ちた表情で見下ろす。
「いいえ、私がかけたのは、バロハニを王国で一番の剣の使い手にする呪いです」
永遠に、と付け足すひよこ。
砂漠ネコになっても、どこか人を馬鹿にしたような態度だったバロハニの表情が変わった。
「なぜだ。何の義理があってこんな事をする」
「礼なら地下の神にどうぞ」
「……そうかよ」
バロハニが言い終わると同時に、部屋の扉が開き、地下ひよこ団の砂漠ネコが入ってきた。
ひよこがすっと右手を向けると、ばきんと音を立てて、自重で勝手に閉まろうとした扉の自動鍵がもげる。
「大将! 露天甲板の制圧が完了しましたが、バロハニが見当たりません!」
招き猫のポーズで報告する砂漠ネコに、ひよこが答えた。
「バロハニなら預言者さんが倒しました。毒によって跡形もなく溶けましたよ」
「ひえっ……さ、さすが最悪の砂賊「毒蛇」ですね。え、えーと、わたくしは引き続き船内の制圧を行いますので」
「それなら、彼も連れて行って下さい。バロハニ一味に捕まっていた砂漠ネコです。元砂賊らしいですよ」
ひよこは、バロハニを指さした。
バロハニは砂漠ネコの前まで行くと、見事な招き猫のポーズをとった。
「砂賊と砂行船操縦の経験がありますので、お役に立てば幸いに存じます!」
「よし、わかった。ついて来い。それでは大将、あねさん。失礼します」
報告に来た砂漠ネコに続いて、部屋を後にするバロハニネコ。
俺は、本当にそれでいいのかと聞いてみた。
「構わないさ、どうせここらがバロハニの潮時だろうよ。お前こそ、最強の砂賊になったこと後悔するなよ」
「もうやめたい」
「お前マジで極悪だな」
二匹の砂漠ネコが人界へと戻り、ぱたりと扉が閉まる。もう、鍵のかかる音はしない。
「それでは、仕上げにかかりましょうか」
ひよこは、俺が着せてやった制服の上着のポケットから取り出した、四本の境界還元剤をデスクの上に並べた。
これを使って、部屋の中にある神界の道具を、片っ端から処分すれば任務達成となる。
任務の内容は、野放しにされた神界の道具の処分だが、真の目的は異なる。
それは、俺が裏王都で地下の神のフォークを奪われた事に、ひよこが意味を与えたのがきっかけだった。
地下の神のフォークをあえて放置することによって、神界の神々は危険なフォークを処分しようと使いを派遣する。
派遣された神の使いは、神界の道具を相手にする為、自らも神界の道具を持っていくことになる。
だが、地下の神のフォークと、それを奪える組織が、雑多な神界の道具や神の使いに負けるはずもなく。放置が長引くほどに、神界の道具が失われるという状況が生まれる。
そして、頃合いを見て、俺たちが地下の神のフォークを奪還。それ以外の神界の道具を処分する。
結果、地下の神は自らの力を示しつつ、他の神の力を削ぐ。これが真の目的だった。
考えてみればバロハニは、地下の神に最も貢献した人物なのかもしれない。
俺は境界還元剤を手に取った。
「私が部屋の入口側を担当しますので、預言者さんは奥をお願いします」
説明を終えてこちらを見つめるひよこの目は、何か得体の知れない大きな力を帯びているように感じる。
思わず目をそらした先に、扉に向かって伸びる、ひよこの影が見えた。
見てしまったのだ。
影は、ひよこの形とは関係なしに、右足から伸びるものと、左足から伸びるものが、胴体部分で交わることなく、左右に展開していた。
右の影は、チェス盤のような交互に欠けた模様で形成され、複雑な図形を描いたかと思えば、ぐにゃりと崩れ、再び組み直す。
左の影は、サイケデリックな虹色で、無数の獣の形が外に向かって飛び出しては、内側から伸びる手に捕まって喰われている。
これでは、まるで……
「預言者さん?」
「何でもない。すぐに片づけよう」
俺はひよこに背を向けて、作業を開始した。
地下の神から聞かされた、不吉な言葉が脳裏をよぎる。
未知の魔物がでたらお願いします。その時は、ひよこではありません。
一度だけ振り返って見ると、影はひよこの形になっていた。
神界の道具が並べられた棚も、残すところあと一つとなった。
境界還元剤の入ったスプレーボトルの頭を押す度に、吹き付けた薬液が、神界の道具を青白い光へと変えていく。
ひよこの歌声が聞こえる。かるかんが作戦開始時に歌っていた雪の歌だ。同じ歌なのに少し明るい感じがする。
俺の担当分が片付いたところで、歌が終わった。ひよこは既に片付け終わっていたようだ。
あと残っているのは、デスクの上に置かれた、仕掛けた部屋の中にある、あらゆる神の祝福を消す砂時計だけだ。
砂時計が置いてあるデスクは、部屋の奥側にあるので、俺が処分しないとだめなのか。
ひよこは扉の少し前に立って、こちらをじっと見ている。
一応聞いておかなくては。
「これって処分すると、消えた呪いが戻ってきたりするやつか?」
「はい」
「そっか、じゃあ、ひよこが良いと思うタイミングで片づけることにしよう」
「違います!」
ひよこが叫んだ瞬間、いい音を立ててデスクが破裂した。
俺は、はじけ飛んだ木片を防ぎつつ、空中に投げ出された砂時計をなんとかキャッチする。
一体何事かと無残な姿になったデスクに目をやると、ぱたぱたとひよこが駆け寄ってきた。
「あああ、すみません加減を間違えました。大丈夫ですか? けがはありませんか?」
「え、っと、大丈夫だ」
「そうですか……いえ、そうではありません。どうしてあんな事を言うのですか」
心配そうな顔から一変して、怒りの目を向けるひよこ。
すぐに砂時計を処分しなかったことが、気に入らなかったのだろうか?
俺は、ひよこが変身状態を解除してからでないと、戻ってきた呪いが発動する可能性を心配した事。せっかく呪いが解けたのだから、今のうちに普段できない事をするとか、そういう時間を用意したつもりだった事を伝えた。
ひよこはうつむいて言った。
「預言者さんは祝福が無くても、優しくしてくれるんですね。でも、違います。私は……」
顔を上げたひよこの影が、部屋の床を駆けるように広がる。もう、ひよこの形をしていない。
「ひよこではありません」
最悪の回答だ。
続きを聞きたくない。
「今の私は、地下の神の使いである妖精という役割を失った、説明できない存在。預言者さんもよく知っているでしょう?」
「待て、ひよこ」
「未知の魔物です」




