トラで来た
ショウ王国、王都北東にある歓楽街の突き当たり。
周囲にひしめく四、五階建ての高層建築は、おそろいの青竹色の屋根をかぶって、狭く曲がりくねった路地を行く人の肌を、日光から守っている。
眼前には、かつてここが王都の外側にあった名残である、三メートルほどの高さの旧城壁。
俺の隣を飛んでいたひよこは、壁の前まで進んでから、両手を広げてこちらを振り返った。水着の上に着ているレースの羽織が、ふわりと広がる。
「では、預言者さん。お願いします」
俺は制服のポケットから、地下の神によって、電源ボタンを押すとネコの鳴き声が鳴り、ホームボタンを押すとイヤホンジャックから火が出る、謎の改造を施された携帯だったものを取り出した。
携帯に灯した火を壁に向け、ひよこに教わった呪文を唱える。
「魔法はある。
この灯に魔法はある。
魔法は真の姿を照らし出す光となる。
魔法はこの灯にあり、偽りの幻影を払い去る」
おだやかな昼時の空気と、建物の向こう側から聞こえる町のざわめき。
到着時から変わらず佇んでいる旧城壁を上を、トラ柄のネコが通り過ぎて行った。
これ失敗だったらかなり恥ずかしいんじゃないか? そう思った時、正面の旧城壁が水面のように揺れた。
どうやら、そこが入口らしい。
ひよこは、ついて来てくださいと言って、壁の中に溶けるように消えた。
俺はおそるおそる壁の中へと手を伸ばす。
すり抜けた。
意を決して壁の中に向かって足を進めると、景色が溶けるように白い霧のようなものへと姿を変え、一瞬の重力を失ったかのような感覚に続いて、視界が暗転した。
気付くと俺は、見覚えのない城に向かってまっすぐに伸びている、見覚えのない大通りの真ん中に立っていた。
空は真っ黒で空気は冷たく、うっすらとかかる霧が湿度を上げている。
通りの左右には、オフィス街の様に立ち並ぶ、石造りの高層建築。
通りを縦に分けるように列を成す街灯は、青白い光を放ち、まるで夜の様な雰囲気を漂わせる世界を、幻想的に照らし出している。
「ようこそ裏王都へ」
楽しげな表情を浮かべたひよこが、街灯の裏から驚かせるように現れた。
――――昨晩の事。
俺とひよこは、地下の神の神殿に呼び出されていた。
ソト王国土産の竜の頭とカニの胴体をもつ木彫りのキメラが、空中を漂っている。
目に見えない地下の神が、そこにいるのだ。
『……かわ、かわいくない。ですね』
俺としては一番かわいいものを選んだつもりだったのだが、地下の神のお眼鏡にはかなわなかったようだ。
とりあえず今回の要件を聞いてみる。
『えーと、あの……お願いします』
いつもの。
「内容は?」
『裏王都です。ある、あります。その……認めると、伝えて。伝えてください』
裏王都?
『案内はひよこがします。くれぐれも気を付けて、ください』
「任せてください」
そう言ったひよこの姿が消える。地下の神によって外に転送されたようだ。
浮かんでいた木彫りのキメラが、直下にあった切り株の上に着陸する。
地下の神の気配がすっと近づいた。
『……ひよこに、気を付けてください』
地下の神は、それではお願いしますと言い残して、気配を消した。
王都の南にある町。
俺がこの世界に来た時の、着地点である井戸。その隣に、地下の神によって用意された、年季入り過ぎの二階建て木造家屋。そこが地下の神の使いたちの拠点である。
一足先に神殿から戻ったひよこは、リビングのテーブル上で、今回の任務の対策会議を始めていた。
ひよこは、帰ってきた俺に気づいて、足元に敷いた地図から顔を上げる。
「おかえりなさい、預言者さん」
「だだいま」
ひよこの隣にいるピンポン玉サイズの白い毛玉が、その場でくるりと水平に一回転した。
これはノノリノという名前の妖精で、地下の神に頼まれて、この家屋を管理している。ひよことは古い知り合いみたいだが、詳しい事は知らない。現在地下の神の使いは、俺とひよこ、それにノノリノを加えた、合計三名だ。
「ノノリノもご苦労様」
俺が声をかけると、ノノリノはもう一回転した。
会議の結果、俺たちは明日から裏王都に移動し、情報収集をする事になった。
どうやら裏王都で、地下の神を崇める謎の集団ができたという噂があるそうだ。
地下の神はその怪しい集団を、公式教団として取り込もうとしているのだろうか。
全くわからない事だらけの状況だが、いつもそんな感じなので気にせず、さっさと寝よう――――
などと考えていたのを、今更ながら思い出した。
とりあえず、今ある疑問を解決しよう。
「ひよこ。裏王都って何なんだ?」
「王都に隣接する境界上に作られた都市です。古い大都市には大抵こういった裏都市が存在しているんですよ」
「境界って、ひよこの光る羽のやつか? でも、この町は街灯以外光ってないけど?」
「んー、そうですね。詳しい説明は、どこかで昼食をとりながらにしましょう」
ひよこの案内で、裏王都を進む。何度か来た事があるのだろうか、移動に迷いがない。
裏王都は、街並みこそ王都とそれほど違わないが、道行く人が明らかに違う。いや、ほとんど人ですらない気がする。
「預言者さん。このお店にしましょう」
ひよこの指さす方を見ると、大通りに面した細い建物の一階に、妖精のレストランと書かれた下げ看板があった。
入口は木製の片開き扉で、扉の中央に小さな扉が付いているのが、何となく犬猫用のペットドアを思い浮かべてしまう。
扉の横の壁には張り紙があり、妖精もしくはそのお連れ様に限らせていただきますとの、入店制限が書かれていた。
店内に入ると、ひよこと同じくらいのサイズの妖精ウェイトレスに、入口近くのカウンター席へと案内された。わざとらしくレトロな雰囲気を演出した喫茶店を思わせる内装だ。
カウンターテーブルの上では、まるで模型の様な小さな丸テーブルと椅子のセットが、いくつも並べられており、それを使って、妖精の客たちが食事をとっていた。
ひよこは、カウンターテーブル上の丸テーブルを一卓、俺の前に運んでくると、それを挟むように向かい側に座った。
「こうして預言者さんと二人だけでお店で食事するのって、初めてですよね」
「ああ、そういえばそうか」
大抵マナさんを含めた三人だった。
「えへへ~」
良くわからないが、ひよこがご機嫌そうなのでなによりだ。
などと思った瞬間、良くない事が起こるものだから世の中油断ならない。
ばあんと大きな音をたてて開いた入口の扉。
店内の視線が一斉に向けられた。
そこにいたのは大きなトラにまたがり、背の高い帽子をかぶったスーツ姿の小人だった。
「全員動くな! 裏王都自警団だ」
意外にも口を開いたのは、トラの方だった。一歩踏み込んだ左前足に付けられた、黒地に金色で裏王都自警団と書かれた腕章がきらりと光る。
よく見ると、上に乗っている小人も同じ腕章を付けている。その表情は、帽子のつばに隠れて覗えない。
ドライブインレストランと間違えて来た、客の可能性は低そうだ。