三大魔物のいない朝
古い屋敷を改造して作られた、五階建ての大きな駅舎。
そこを抜けると、朝早くから人や乗り換えの馬車でひしめく、四本の線路が引かれた駅という名の広場が、外のまぶしい光と共に視界に入ってきた。
俺たちは、帰りにしてようやくこの町の駅を拝むことができたのだ。
もっとも、軌道獣車に乗って帰るのはクロエだけで、俺とひよことマナさんはその見送りだ。
しばらく待つと、真ん中の線路に、大きなアルマジロの様な怪物が三両の客車を牽引する、軌道獣車がのしのしと入ってきた。
暖かな風に黄色い砂が舞い、線路脇の雑草の色合いをマイルドに変えていく。
待っていた人たちが移動を開始し、俺たちもそれに続く。
クロエが肩から下げている棺桶の様な道具箱は、来た時よりも軽くなっている。一番重かった携帯破城砲が、元領主のおじいさんに購入されたからだ。
たった一度の砲撃で大破した携帯破城砲は、何を間違えたのか、この町の美術館に展示された。ユリの花のように変形した砲身が不気味で惹かれる、と変な人気が出ている。
最後尾の客車の前で、クロエがこちらに向き直った。
「色々とお世話になりました、フアルちゃんにもよろしく伝えといてくださいー」
「ああ、伝えておこう」
マナさんの答えに笑顔を見せるクロエ。
ちなみにフアルミリアムは、早朝から天上の神に呼び出されて、神殿へ出かけているので、この場にはいない。きっと今頃、大活躍の報告でもしているのだろう。
そう、大活躍だった。
携帯破城砲の一撃で上体を丸ごと吹き飛ばされたにも関わらず、周囲の雪を集めて自己修復を始める大番兵。フアルミリアムはそれを阻止すべく、崩れた氷壁の向こうから、借りてきた大型魔法銃に自ら魔法を込めた。
優秀な砲兵の計算で大番兵の足元に着弾した流水の大魔法は、周囲の雪を溶かして、大番兵を囲むような円状の川を形成し、ざあざあと勢いよく流れだした。
大番兵は、自らを包む魔法結界が魔法と反発する為、魔法の川に近寄る事が出来ず、川の内側にある雪しか集める事ができなくなってしまった。
無敵と思われた大番兵の敗北が決定したのだ。
ちなみに、この結末に至るまでに、実に七種類七発の大魔法が撃ち出された。
当たりを引くまで撃てばいいという発想が、なんともフアルミリアムらしい。
そして、何発もの大魔法を浴びせられた雪止まずの谷は、すっかり地形が変わってしまい、街道として復旧するのには時間がかかりそうだ。
この件で、天上の神に呼び出された可能性もある。
「ないんさん、これ……」
クロエは俺の前に立つと、羽織の懐から見覚えのある短剣を取り出した。
「うちが昨日の晩に作った、投げ短剣技術と引き換えに安全を搭載した短剣です。もらって下さい」
師匠の設計全否定だが、その判断は正しいと思う。
「クロエはいい職人になるよ」
「え、えへへ。ありがとうございますー」
「ん?」
良く見たら、柄の後端からひもが出ている。投げ短剣機能の発動に使っていたものだ。
俺が短剣をひっくり返して見ていると、クロエがそっと教えてくれた。
「そのひもを引くと、良い事がおきるんです。後で引いてみてください」
どうか爆発しませんように。
とりとめのない話を続けていると、軌道獣車の発車時刻が訪れた。
こういう時に限って、気の利いた会話にならないのは、異世界でも共通なのだろう。
「今更だけど、忘れ物とかしてないよな?」
「大丈夫です、うちしっかりしてるんで。見当たらなくても、もう一度探しますから」
大丈夫そうだ。
広場の中央にある小さな塔に吊り下げられた鐘が、からんからんと鳴り響く。
軌道獣車の乗務員が、車両の出入り口に取り付けられた折り畳み階段を片づけに来た。
クロエは道具箱を肩に担ぐと、急いで折り畳み階段を上る。入口の扉や通路の壁に道具箱が当たって、ふらつきながらもなんとか乗車できたようだ。
発車準備が完了したのだろう、客車を引く怪物の鳴き声を合図に、軌道獣車はゆっくりと動き出す。
クロエは客席の窓から上体を乗り出して、こちらに向かってずっと手を振り続けていた。
「あっ、クロエちゃん標識に後頭部ぶつけましたよ」
「折れたな。標識が」
別段慌てる様子もなく、手を振りかえすひよことマナさん。
俺が思わず目をそらした先には、駅舎からこちらに走ってくるフアルミリアムがいた。
「ねぇ、ひょっとしてクロエ行っちゃった?」
「ちょうど入れ違いだったな」
「これ、あんたたちのじゃないわよね」
フアルミリアムは、両手で持っていた、紙の束をひもでとじたノートのようなものを渡してきた。
俺たちが昨晩泊まった宿に置き忘れてあったらしいが、見覚えはない。
ひよことマナさんにも見せたが、二人とも首を横に振った。
「クロエのか……」
全然大丈夫じゃなかった。
ノートには携帯破城砲の詳細な設計図と、品評会の結果、その後の改良点が丁寧に書かれていた。描かれた図面は正確で、字も達筆だ。
「意外な才能だな」
感心するマナさん。
「でしょ、あの子絵上手いのよ!」
そう言ってフアルミリアムは、スカートのポケットから一枚の折りたたまれた紙を取り出した。
広げた紙には、誰が見てもフアルミリアムだとわかる似顔絵が描かれていた。
あれだけケンカしていたのに、いつの間に仲良くなったのだろう。
ちなみにノートの続きには、品評会に出された全ての攻城兵器の情報が、詳細に記録されていた。
ひよこは、なるほどなるほどと頷きながら、言った。
「やっと謎が解けました」
「謎なんかあったか?」
「何言ってるんですか、預言者さん。クロエちゃんが品評会で工房代表者だった事こそが、最大の謎じゃないですか」
「まあ、言われてみればそうだけど」
確か、前回の品評会では、同じ工房の別の人が発表したと言っていた。
それなら今回も、別の人を立てれば、危なっかしい人材を起用せずに済んだはずだ。
いや、前回は爆発事故を起こしたとも聞いている。まさか、クロエの方がまだ安全という事なのか?
まてよ、ひょっとして萌えがあるからか? 萌え……か。
「そうか」
「預言者さんも気づきましたか、さすがですね」
「ん? ああ」
「そう、ライバルたちの技術調査がクロエの任務だったのです!」
萌えとか言わなくてよかった。
ひよこは満足げな表情を浮かべて、続けた。
「最初は手の込んだ爆破計画が、背後にあるのではないかと考えていました。でも、あてが外れてホッとしましたよ」
ひよこのミステリ路線に、ダイヤの乱れはない。
それにしても、一番大事なものを忘れていくとは、さすがとしか言いようがない。
この短剣は、クロエが持っておくべきだったな。
俺がポケットから取り出した短剣を眺めていると、フアルミリアムがそれは何かと聞いて来た。
「クロエにもらった、ひもを引くと良い事がおきる短剣。できれば周りに何もないところで試したいんだけど」
「何で? ここで試しなさいよ」
俺は迷ったが、ひよことマナさんが苦笑しつつも、まあ大丈夫だろうと言ったので引いてみる。
すると、短剣の柄の底が外れて、中に巻物のように丸めて入れられていた紙が出てきた。
広げてみると、何やらメッセージが書かれている。クロエの字だ。
「えーと……」
良い事はおきましたか?
もしも機能に不備がありましたら、交換いたしますので、カニシア工房までおこしください。
裏に地図を書いておきます。
クロエ。
「……だそうで」
「ちょうど良かったじゃない、行き先がわかったなら、追いかけるわよ!」
そう言うと、フアルミリアムは乗車券を買いに、駅舎に走って行った。
帰りは馬車移動ということで安心しきっていたマナさんが、青ざめている。
確か、駅舎で見た時刻表だと、王都方面は一時間おきに列車が出ていたはずだ。それまでに覚悟が決まるだろうか?
俺は空を見上げる。旅立ちにはちょうどいい天気だった。