五文字の優位性
身を切るような風の吹きぬける、雪止まずの谷。
もっとヒョウカイザーを見たいと駄々をこねるおじいさんが、近衛魔法銃士隊に引きずられるように退場してからの事。
俺たちは大番兵を相手に、いつもの四人だけで戦うことになった。
だが、今回は不利な条件が多すぎた。
雪道の魔法を使える者がいなくなったせいで、大番兵までの足場を確保できず、接近戦に持ち込めなくなった上に、退路も今まで歩いてきた場所に限定されている。
しかも飛び道具である魔法は、大番兵の魔法結界が無効化してしまう。
最初に突撃したマナさんが、雪道の魔法の効果圏外に出た途端、肩まで雪に埋まったため戦闘不能。
続いてフアルミリアムが、雪に埋もれた遺跡構造物を魔法で砕いて、その破片を魔法で投げつける、間接物理攻撃を行う。
これを受ける大番兵は、余裕の棒立ちだ。
なにせ、体にひびが入ってもそこは氷なので、溶かして固めて修復できるし、たとえ壊れても、予備パーツは雪原からいくらでも作り出せるのだ。
大番兵は、無くなった氷の指を雪原から補充すると、再び指をミサイルのように飛ばしてきた。
愚カナ侵略者ニ捧グ正義ト国防ノ円筒形飛翔体ニヨル五重奏である。
俺とひよこは、なんとか雪の中から救出したマナさんの、剣先が触れただけで氷柱をかき氷に変える超常的な剣技で、ミサイルから逃れることができた。
しかし、フアルミリアムが攻撃に使いすぎたせいで、俺たちの周囲には、大番兵の攻撃を遮る物がもう残っていない。
ひよこがこれを指摘する。
「どうするつもりですか。もう投げる物も、隠れる場所もありませんよ」
「ふふふ、ついにこのマントの力を見せる時が来たようね」
不敵な笑みを浮かべるフアルミリアムは、左手をまっすぐ大番兵へと伸ばした。黒いマントがひるがえり、そこから黒い煙のようなものが立ちのぼる。煙はまるで意志を持っているかのように、大番兵へと向かっていった。
「このマントは、装備すれば、どんな毒も受け付け無くなる上に、吸い込めばいかなる生物でも身動きが取れなくなる、毒の煙を出して攻撃することができるのよ」
誇らしげなフアルミリアムに、やれやれと言った感じでひよこは肩をすくめた。
「天上の神は、装備の選択を間違えましたね。ゴーレムは息しませんよ」
ひよこの一言に、フアルミリアムは固まった。
息をしないのなら、吸い込ませるタイプの毒が効くことはない。
フアルミリアムは、ああああっ! と空に向かって叫んでから、一呼吸おいて言った。
「一旦引くわよ! 戦略的撤退! あと、このマントは防寒着だから! 武器じゃないし間違ってないから!」
素早い判断。素早い指示。素早い回れ右に、素早いダッシュ。先頭を駆けるフアルミリアムの、赤茶色をした短めの髪と、武器じゃない防寒着が走行風になびく。
大番兵は攻撃の手を止めて、撤退を開始した俺たちを、追いかけてきた。一歩歩くごとに、雪面が揺れ、大きな足音が山々にこだます。ゆっくりとした動きだが、体が大きいので移動速度は速い。
このままだと、崩れた氷壁に到達するまでに、追いつかれるかもしれない。そんな考えが頭をよぎった時、俺たちの背後で、追いかけてきた大番兵が盛大に転倒した。俺の頭上を、胴体から分離した大番兵の頭部が、ボールのようにバウンドしながら、追い越してその先にあった岩に当たって砕けた。
うつ伏せになった大番兵の胴体が、機械的な音声を発する。
「路面ノ凍結ヲ感知! 警戒歩行モードニ変更スルッ!」
今更?!
「預言者さん、大変です!」
ひよこの声に振り返ると、フアルミリアムもうつ伏せに倒れていた。砕けた大番兵の頭部の破片が足に当たったらしい。
大番兵の方は頭部を修復させると、膝立ちになって両手をこちらに向けてきた。十本の氷柱が獲物を狙う。
ひよこは、マナさんに背負われたフアルミリアムに、毒の煙を出すように言った。
「何言ってんの? あんた、大番兵に毒は効かないって言ってたじゃない」
「フアルこそ、武器じゃないって自分で言ったのに、何で攻撃するつもりなんですか。煙で敵の視界を奪うんですよ」
「それならそう言いなさいよ。っていうか私もそうしようと思ってたし!」
フアルミリアムはマントから黒い毒の煙を上げるが、大番兵の方が少し早かった。技名を叫ぶ大番兵。
「愚カナ侵略者ニ捧グ正義ト国防ノ円筒形飛翔体ニヨル五重奏ッ!」
「二代皇帝ヒョウカイザー。ちょっと待ってください!」
ひよこが待ったをかける。
それに気付いた大番兵が答えた。
「イカニモ! 我コソガッ!! 二代皇帝ヒョウカイザー!」
左のこぶしを右わきに、右のこぶしを天に掲げる決めポーズ。足元からドーンと音を立てて、間欠泉のように噴き上がる雪煙。
そんなことをしている間に、毒煙幕が大番兵を包み込む。
まんまと乗せられたことに気づいた大番兵は、急ぎ両手の指を撃ってきたが、雪煙を巻き上げるばかりで一本も命中しない。
フアルミリアムが振り返って言った。
「やるわね。ひよこ」
「私は何もしてませんよ」
そう言ってにやりと笑う二人は、意外といいコンビなのかもしれない。
フアルミリアムを背負ったマナさんの後ろに続いて、崩れた氷壁を目指し雪原を走る。
俺は、白く染まる視界の中、何者かがすれ違った事に気づいた。
足を止めた俺に、ひよこが尋ねてきた。
「預言者さん、どうしたんですか?」
「今、誰かすれ違わなかったか?」
俺とひよこは、しばらく考えてから、二人で走ってきた道を引き返した。
寒風のクリアリングで、晴れた視界の中。見えてきたのは、毒の煙を振りほどいた大番兵と、携帯破城砲を抱えたクロエの小さな後ろ姿だった。
クロエはこちらに気づくと、ぱたぱたと走ってきた。
「二人とも見て下さい。やっと撃てるようになったんですよー。あ、ないんさん。これ、ありがとうございましたー」
俺がクロエから受け取ったのは、氷壁内に侵入する前に貸した、銀メッキのスプーンだ。
「役に立ったか?」
「はい。口にくわえていると落ち着きましたー」
「砲身内に詰まった雪をかき出す用に、貸したつもりだったんだけどな」
「ぁー……うわわっ!?」
突然、足元が揺れた。倒れてきたクロエを受け止めて、震源を確認する。
大番兵が両手を雪に付けて、指を補充したのだ。
もう、逃げても間に合わないかもしれない。俺とひよこは、無言で頷き合った。
「クロエ」
「は、はい」
「出番だ」
ぱあっと笑顔を見せたクロエは、携帯破城砲を大番兵に向けて構える。引き金に指をかける表情は、狩人のそれになっていた。
俺はひよこの指示でクロエから離れつつ、背中の鞄から魔法銃を取り出して大番兵を牽制する。
「こっちだ、ヒョウカイザー!」
「敵ノ魔法投射機ヲ確認。優先目標ニ設定スル!」
よし、食いついた。大番兵は俺の銃より明らかに強力なクロエの武器を見落としている。
あとは、クロエが撃てば終わりだ。
…………クロエ?
クロエは砲を大番兵に向けて固まったまま、顔だけこちらに向けてきた。
帽子の上からでも、両耳が下を向いているのがわかる表情だった。
「預言者さん!」
ひよこの声に振り返ると同時に、十本の氷柱が飛び込んできた。
衝撃。
重力が行方不明。天地がめまぐるしく変化し、白から黒に変わる視界。
何がどうなったのかわからない。音がしないのは……雪に埋まった?
「うわっ!」
雪から掘り起こされた俺は、自分が頭から逆さまに埋まっていた事と、クロエが救出してくれた事がわかった。
周囲に立ちこめる雪煙で、しばらくは大番兵に見つからずにすみそうだ。
「ないんさん、大丈夫ですか?」
「ああ、助かった」
クロエはホッとした表情を見せた。
ひよこは、小さな手でぺちぺちと俺の頭を触りながら言った。
「あの状況で生き延びられるなんて、預言者さんは不死身ですね」
「ひよこがいつも言ってる、地下の神の加護かなんかじゃないか?」
ひよこは答えるかわりに、にこりと笑った。
ないのか。
クロエが言うには、携帯破城砲は万全な状態だったのにもかかわらず、砲弾が発射されなかったらしい。原因は不明だ。全くもって手の打ちようがない。
「いえ、打つ手はありますよ」
「ひよこ?」
「スキルがあるじゃないですか」
ああ、そうか。未知の魔物相手に、スキルを使わなかった事を忘れていた。
これで未知の原因をなくせば、携帯破城砲は真に万全な状態になる。
大番兵がこちらを発見したのだろう、地響きを立てて指を補充している。
俺はすぐさまクロエに携帯破城砲を構えさせた。
「ほ、本当にもう一度試せばうまくいくんですか?」
「大丈夫だ」
「ないんさんは、どうしてこの一度もまともに動いたことのない、携帯破城砲を信じられるんですか?」
いきなり不安になってきた。
それでも、俺はクロエの隣に並び、右手を伸ばして砲身にそえる。もったいぶって登場した必殺武器は、ボス戦の要になるものだ。
同時に、こちらに両手を向ける大番兵。
「俺が信じるのはクロエの修理だ。クロエは俺のスキルを信じていい」
「あー、あの証拠隠滅する……」
確かに森ではそんな使い方をしたけど、もう少し事件性の低い言い方は無い物だろうか。
ひよこが目を輝かせながら、首を縦にふっている。
ともあれ、クロエはやる気を出してくれたのだろう、うちの修理は完璧ですと言ってきた。
俺がそれじゃあ頼むと伝えると、クロエは引き金をゆっくりと引きはじめる。
大番兵は既に技名を叫び始めていたが、どうという事はない。なぜなら……
「技名が長すぎる!」
最後まで引き切った引き金が、かちりと音を立てた。