ぱんつはあの日のままの過去
薄曇りの空。せせらぎの音。詳細不明な野草のクッション。澄んだ小川の流れに酷使した足をひたしながら、魔法でスポーツドリンクの味を付けた水を飲むのは格別だ。成分は川の水100%から何も変わっていないが、きっと格別だ。
俺は持っていた木製のコップを置いて、周りを見渡す。
マナさんは川と街道を立体交差させる小さな石橋の上で見張りを行っており、その立ち姿に疲れは見えない。
目的地までの中間地点であるここでの休憩を提案したひよこは、水上バイクを思わせる勢いで川を泳ぎ回っている。さすが水着を普段着にしているだけのことはある、見事なバタフライだ。寒くないのだろうか?
そしてなぜかクロエは、川に入ってひよこの後ろを楽しそうに追いかけている。到着時には俺と同じく倒れこんでいたというのに、もう回復しているというのが納得いかない。
あ、こけた。
「お、おぼれるーっ! 助けてくださいー」
「しっかりしろ、水は浅いぞ!」
的確な助言だったが、混乱したクロエには届かない。
俺と駆け付けたマナさんは、ひざまで水につかって、器用なおぼれ方をしたクロエを救出した。
「災難だったな」
「うう、すみませんー」
マナさんは、全身びしょ濡れになったクロエの髪をタオルで拭き終わると、服を着替えてきた方がいいと勧めた。
そういえばあの箱に変な道具以外も入っているのだろうか? 一応聞いてみる。
「着替えもあの中に入れてるのか?」
「はい、服はケースに入れてから、道具箱に入れてるんで大丈夫なんです」
クロエは、道具箱についている取っ手を片手でつかんで運んでくると、四つの鍵を外してふたを開けて見せた。
道具箱のすみにスーツケースらしきものが収納されており、俺たちが見守る中クロエはそのフタを開ける。
ケースの中には、ぱんつが一枚入っているだけだった。
一瞬、俺には見えない服が入っているのかと思ったが、ひよことマナさんも見えていない反応だ。よかった。いや、全然よくない。
マナさんが頭を抱えながらクロエに尋ねる。
「まさかクロエも、列車に乗るときだけ服を着て、普段着は水着だったりするのか?」
「ふぇっ!? こ、これは水着じゃないです……ていうか、なんなんですかそれ!?」
クロエの反応から、ひよこの同類でないことがわかり、安心したマナさんは顔を上げて言った。
「なんだ、普通に着替えを入れてくるのを忘れただけか」
「忘れたわけじゃないんです。うち、しっかりしてるんで。出発前に何を持ってこうかなーって、選ぶんを一旦保留にしたんです」
「ふむ、それで?」
「今見たら、保留のままでした」
忘れたのと何が違うのだろうか?
そんなことを考えていた俺の前に、腕組みのポーズをしたひよこがすっと出てきた。
「ケースの中には、あるはずの現在が入っておらず、あの日のままの過去が入っていた。そういう事なのかもしれませんね」
ひよこは、事件解決後の探偵のような表情を浮かべながら、あの日とやらに思いをはせているようだった。
ついでに現状も解決してもらおう。
「……どうでしょう?」
そう言ったクロエは高校制服姿だった。
これは、ひよこが地下の神と交渉して取り寄せた、俺がこの世界に来た時に着ていたものだ。サイズが合っていない為、とりあえず上だけ、ワイシャツにブレザーを被せて着ている。
他の選択肢はなかったのだろうかという疑問は、クロエが袖を通した結果、これがやりたかったのかという納得に変わった。
ひよことマナさんにも評判が良かったため、機嫌を良くしたクロエがこっちにきた。
「ないんさん、ないんさん。おそろいですよー」
俺と並ぶと頭二つ分くらい小さいので、ぴったりくっつかれると、肝心の服がほとんど見えなくなるのだが。
とりあえず余らせている袖が気になったので、袖口をまくって手が出るようにしておいた。
そんな様子を眺めていたマナさんは、満足気に何度かうなづいた後、言った。
「さて、準備も整った事だ、そろそろ出発するとしよう」
すっかり忘れていたが、次の駅までのマラソンがまだ半分残っていた。
休憩時間が伸びた分だけペースを上げる必要が出てきますね、というひよこの発言はどうか空耳であってほしい。
という願いもむなしく始まった、ハードモードの後半戦。
川を渡り、しばらく進むと正面に森が見えてきた。街道と線路は森を迂回するように大きく右にカーブしている。
そんな曲がり道に差し掛かったところで、正面の森の中から何者かが現れた。
「やあやあ、旅のお方。お急ぎですかな?」
それは、こぎれいな格好をした背の低い男で、良く見れば頭に二本の短い角が生えた小鬼だった。
マナさんが、剣に手をかけて小鬼をにらみつける。
「魔物が何のようだ?」
「おおっと、別に悪さをしようってわけじゃないさ。私ぁこの街道を通る旅人様方に近道を案内して、ちょこーっとお礼を頂いているしがない小鬼でさぁ」
そう言って小鬼は、手のひらを上に向けて親指と人差し指でマルを作る。
明らかに怪しい提案だったが、お金で時間が買えるのならそれに越したことは無い。
マナさんは反対したが、俺とクロエの強い希望によって、小鬼に数枚の硬貨を渡し、近道を案内してもらうことにした――
――結果がこれである。
俺たちは今、見知らぬ森の中、少し開けた広場のようなところで、棍棒を武器に持った無数の小鬼に包囲されていた。
どういう事だと問い詰めるマナさんに、ここまで案内してきた小鬼は答える。
「いやあ、ここから先の案内料を支払ってもらおうかと思いましてねぇ。ああ、その高そうな剣は置いて行ってもらいますよ?」
「やはり、そういう手合いだったか!」
マナさんは担いでいたクロエの荷物を降ろし、魔法合金製のロングソードを抜いて、小鬼へ向けた。
小鬼はすばやく後ろに飛び退くと、アンタの相手はこっちさと言って、合図をする。
正面の森が動いた。
飛び立つ鳥。ざわめく木々。獣の様な唸り声を上げて、黒い影が広場にかかる。
現れたのは、俺の頭の高さに膝がくるほどの巨体を持った、大鬼と呼ばれる魔物だった。
手には無数のトゲが付いた金属製の棒を持っており、まごうことなき鬼に金棒状態だ。そしてなにより顔が怖かった。
「ひぃぃ、すみません、すみません。荷物は全部あげますんで、どうか命だけわわわ!」
大鬼の出現にクロエは、ダンゴムシのように丸くなって、命乞いをしている。
マナさんは、クロエをかばうように前に出ると、剣を大鬼に向け言った。
「外道どもめ! 王国聖騎士として成敗してくれる!」
「聖騎士だと?!」
大鬼と小鬼が隣り合った状態で顔を見合わせ、どういうことだ、聞いてないぞ、などと小声で相談する。
そんな中、顔を上げたクロエがマナさんを見て、わーっと声を上げた。
「ひょっとして、ショウ王国三大魔物を討伐してる聖騎士さんですか!? す、すごい、これはもう降参してる場合じゃないですよ! ないんさん、ないんさん! 知ってました!?」
「知ってるよ」
「あねさん、やっちゃってください!」
マナさんを応援をするクロエは、どちらかというと小悪党っぽい。
しかし、先程までたじろいでいた鬼たちは、薄ら笑いを浮かべている。
何がおかしいと尋ねるマナさんに、小鬼は言った。
「まったく勇ましいですなぁ、女騎士さん。でも嘘はだめだ。アンタは知らないかもしれないが、聖騎士っていやぁ、今までの討伐で国から大金を貰ってんのさ。そんな聖騎士が、鉄道が通っているあの街道を、わざわざ歩いて移動すると思うかい?」
いい推理だが、二つ間違っている。
一つは、貰った大金は、スキルの影響で説明できないが、いろいろあって全て弁償代に充てられたので、残っていないということ。
もう一つは、お金の有無に関係なく、マナさんがマナさんなので、徒歩移動は避けられなかったということだ。
ぺたりと力なくその場に座り込むクロエ。目が死んでいる。
マナさんはちらりとこっちを見てきた。すぐにひよこが近くへ飛んでいく。
「敵の数が多い、小さいのはそちらで何とかできるか?」
「任せてください。私と預言者さんは地下の神の加護を受けているので、いかなる魔物であろうと脅威になり得ません」
どうやら戦うつもりらしい。
ひよこは、マナさんに「まあ見ていてください」と告げて、戻ってきた。
戦闘が始まる。