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悪役令嬢、辞退します

「悪役令嬢、辞退します」

「は?」

「いや、だからね。悪役令嬢を辞退するって言ってるんですよ」

「……」

 今まではストレス発散に部下を叱りまくる嫌味な上司のように責め立てていた自称ヒロインさんは口をぽかんと大きくあけていた。

 そんな自称ヒロインさんに追加とばかりに言葉をかける。


「やる気もないのに、そんなたいそうな者、押し付けられても……ねぇ? 参加表明なんてした覚えは全くないんですが、どうも勘違いなさる方が多くて困ってるんですよねぇ」

「それでも! あんたは王子の婚約者なんでしょう!?」

 だから悪役令嬢なのだ、と。

 私からしたら勝手な、理屈の通っていない言葉。

 『悪役令嬢』なんてなった覚えもない。だけどそんなことでうろたえたりはしない。だってこんなことを言い出したのはなにも目の前にいる少女が初めてというわけではない。過去に何人か目の前の女性と似たような容姿の人が来たことがある。怒鳴る人もいれば、こんこんと説き続ける人もいた。その人たちは皆、すぐにどこかに行ってしまったけれど。


「あー、それね。誰も居なかったんですよ。誰も居なくて仕方なく私になったんです。初めはあなたみたいに勇んでやってくるんですけど、どのうち口裏でも合わせたみたいに『あなたが王子の隣に立つにふさわしいお方です』なんて言っちゃって」

「それは自慢?」

「いえいえ。皆さん、欲しいなら持っていってほしいんですよ」

「持っていくって……」

「私はただ押し付けられているだけです。みんなやりたくないからって私に押し付けて、自分は他のいい物件探しに行くんですよ?」

 ひどい話ですよね。と告げると自称ヒロインさんは焦ったようにしてどこから得たのかもわからない情報を頭の隅から取り出す。

「あなたは幼いころから王子の寵愛を受けて……」

「ああ、それね。えっと、男の子って虫とか好きじゃないですか?」

 何を言い出すんだ、とあきれ顔になる自称ヒロインさん。

 その表情筋、少しでも分けてほしいと思いながら話を進める。


「それで王子の幼いころはそれを理解してくれる子どもが私くらいしかいなかったんです」

「は?」

「今でも虫好きが高じて、王子は生物学を専攻なさっているでしょ?」

「え、ええ」

「あの人、それを認めてくれる人なら婚約者なんて誰でもいいと思ってると思いますよ。実際私が婚約者でも王子は文句ひとつ言いませんから」

 やれ身だしなみには気を使えだの、夜更かしはするなだの、グチグチと小言はこぼすけど。それも顔を合わせるたびに。


「虫……」

「ええ、虫です。今は毒蜘蛛……でしたかね」

「毒蜘蛛……」

「ん? ああ、大丈夫ですよ。毒蜘蛛とは言っても大体の種類は人間の死に至るほどの毒は有していません。悪くても手足が壊死するくらいなものですよ」

「ムリムリムリ」

「さっきまでの勢いはどうしたんですか! これじゃ、私がいじめるどころか王子の近くに行くことすらできませんよ?」

「ムリムリムリ」

「ほら、もっと頑張って! 初めてのものが毒蜘蛛だと嫌なら、私の研究している毒草の世話から徐々に毒に慣れて行きましょう?」

「毒草って……」

「毒蜘蛛と違ってこっちは少し手がかぶれるくらいで済みますから、ね?」

「え?」

「そんな大したものじゃありませんよ。あ、私の手、見ます?」

 こくんとうなずく自称ヒロインさん。

 私はその動作を確認してから手袋の摩擦で手の皮がこれ以上痛まないように慎重に手を引き抜いた。


「ひっ……」

「あ、間違えた、これは前に毒蛇に……って聞いてませんね。せっかく押し付ける相手ができたと思ったのに。残念」

 私が全て言い終わる前に自称ヒロインさんは壁にぶつかりながらも私の研究室から一刻も早く出るためにわき目も振らず去っていった。きっとそれと入れ替わりに入ってきた王子のことなど目に入っていないのだろう。

「おい。今日は何があったんだ」

 楽しいことでもあったのか機嫌がよさそうな王子の手には城のパティシエールの作った色とりどりのマカロンがある。

 両方の手をくっつけて王子の前に差し出せば、王子はマカロンの入った袋を私の手に乗せた。リボンをほどいて口を開け、ピンク色のマカロンを一つ口の中に放り込んで味を楽しめば、都合のいい獲物を逃したことなど忘れて上機嫌になる。上機嫌になったついでにさっきの出来事を王子に話すべく口を開く。

「王子、王子」

「……いつも名前で呼べと言ってるだろう」

「通じるからいいじゃないですか。それでですね、今まであなたのお嫁さんになりたいって方が来ていたんですよ」

「ほう? で、お前は何と?」

「王子は今、毒蜘蛛を研究しているから……って言ったら無理というものですから、私の研究している毒草から毒に慣れてもらおうと思ったんです」

「…………それで?」

 少し機嫌が悪そうに机に肘をつく王子は続きを促す。それに従い話を続けた。

「それでですね。どうやら毒草にも多少の抵抗があったようなので私の手を見せたんです。ほら、毒草って手がかぶれるからそれを見せようとして……」

「お前の手は女にしては荒れているから、それを見て嫌になったのか?」

「いえ、違います」

「? 手を見せたんだろう?」

「はい。でも間違って、毒蛇にかまれた方の手を見せてしまいまして……」

 完璧主義者の王子に失敗談など語れば小言が始まることなど目に見えている。だから少しおちゃらけて言ってみたが、王子は途端に顔をしかめる。

「治りが早いとはいえ先週かまれたばっかりですからまだ治ってなくて、ですね……。ご令嬢には少し刺激が強かったかなと反省している次第ではあります」

「先週、噛まれた?」

「はい。って……あれ言いませんでしたっけ?」

「……聞いてないな」

 王子の声はだんだん低くなっていく。それと比例してなんだか私の周りの気温まで下がっていくような気がする。

「実家に一時帰省する友人から預かっていた毒蛇にかまれちゃったんですよ。いや、ほんと毒性がそんなに強くなくて助かりました。」

「なぜ黙っていた!」

「言ったと思ってたんですよ!」

「お前じゃなかったら死んでたかもしれないんだぞ!」

「だからそんなに毒性の強い蛇ではありません。それに噛まれたのは私だからいいじゃないですか!」

 私が毒を体内に入れてしまうことなどよくあること。

 初めて王子と会った時だって、毒性を持つ動物の爪を間違って素手で触って倒れかけていたのだから。私が多少の毒ではやられないことは王子もよくわかっているはずだ。こんなにも声を荒げることなどないというのに……。

 私が恨めし気に王子のほうをちらりと見ると今度は深いため息をついた。

「はぁ……。お前はもっと次期王妃の自覚を、だな……」

「王子、それは聞き飽きました」

「聞き飽きたも何もお前がしっかりしていれば俺はこんなことは言わない。お前は将来、俺の隣に立つ女なんだからな」

「……王子、もういいじゃないですか」

 早く私を解放してくれても。

「は?」

「もうあと一週間です」

「……一体何の数字だ?」

「あと一週間で王子は他の相手と婚約なさるんですから、もう放っておいていただいてもいいんじゃないかと」

「……何を言っている?」

「婚約についてですよ? 私と王子は王子の16歳の誕生日に破棄されるんですからあと一週間ですね、と」

「どういうことだ! 俺はそんなこと知らないぞ!」

「もともと私との婚約は王子の運命の相手が訪れるまでのつなぎでしかありません」

「……」

 知らないだなんてそんなはずはない。

 私はそれを知らされて了承をした。


 全ては王子の、未来の王国のため。

 『運命の相手』――王子の未来のお嫁さん。

 自称ヒロインさんたちは王家お抱えの占い師たちが告げた通りの容姿。

 ピンク色のウェーブのかかった髪の毛。王子よりも頭二つ分小さな背丈。アーモンドのようなクリクリとした目が特徴的な女性。

 絵師たちによって描かれた姿絵はさきほどまで私の目の前にいた女性に、今まで私の元へやってきた女性によく似ている。

 闇夜を思わせる真っ黒な髪で、王子とさほど背丈も変わらない、髪と同じ色をした瞳を持つ私とは大違い。

 彼女たちこそ王妃に、王子のお嫁さんにふさわしい。王子が国王になったとき私は隣には立てない。

 けれども、ただ容姿がお告げ通りだからと言って結婚させるというわけにもいかず、王子に見初められなくてはいけない。

 王子の認めた相手こそが運命の相手だから。

 だから王子のお相手の候補に何を言われようとも邪魔をする気はなかった。

 選ぶのは王子で、選ばれるのは私以外の誰か。邪魔する必要がなかった。意味がなかった。


「その運命の相手がどうやら高校で出会えるらしくて、それまで王子が誰とも婚約していないとなると他の貴族たちが厄介ですから。そこで白羽の矢が立ったのが出世欲のない私の父と、人間に興味の薄く周りの子どもから外れていた私でした。王様は幼い私に将来のびのびと勉学を学ぶ環境を約束してくださいました。その代りに王子の仮そめの婚約者になるように、と。私は一も二もなく返事をし、この婚約は成立しました」

「聞いて、ない」

「聞いてないんですか? 来週にはパーティーだってあるんですよ?」

「俺はてっきり結婚パーティーだと」

「……王子、来週はまだ私15なので結婚はできません。まぁ、この学園で王子の誕生日までに16になっていないのは私だけなので、王子は好きな相手に結婚を申し込むといいですよ。その日に結婚、というのは女性側にも用意というものがありますから難しいとは思いますが……」

 学園に所属する女子生徒の中で16、結婚できる年齢に達していないのは奇跡的にも私だけ。もともと私みたいに滑り込みでその年度に入る子なんてなかなかいない。いても日付をずらしてその次の年にするらしく、私の親が「王子と同じ年にしよう」なんてミーハーなことを言い出さなければ私だって王子よりも一個下の学年に所属するはずだった。こんなことにもならなかった。

「……」

「そろそろ私はお役御免となりますが、王子は今後も生物の研究を続けてもいいそうなので環境は何も変わらないと思いますので問題はないかと」

「問題、大ありだ!」

「え?」

「誰のために興味のなかった虫の話を覚えたと思っている! 俺はそのために城中の図鑑を読み漁ったんだぞ!」

「あ、もしかして王子……」

「ああ、わかってくれたか……」

「好きな女性がいるんですね!」

 協力しろ――と。

 自称ヒロインさんたちに言われたら面倒くさいと思ったそれも王子に言われれば話が違う。協力しようと思ってしまう。

 それは王国のためなのか、王子のためなのか、私のためなのか、は別にして。私が食い気味に王子の顔寸でで止まると王子は歯切れの悪い返事をした。

「ん? ああ」

「なんだ、そういうことはもっと早く言ってくださいよ」

「ああ、俺もはっきりとは言ってなかったよな……。こういうことは早めにいうべきだった」

 王子は反省したようで、すまないと繰り返し言ってからブツブツと何かをつぶやいていた。私には王子の謝罪の言葉が衝撃的で全く入っては来なかったけれど、衝撃をうまく吸収してから一度王子から離れて落ち着いた。

「で、その相手は誰なんです? 生物専攻の子ですか? それとも植物専攻の子?」

「? 植物専攻だが?」

「そうですか! 私、こう見えても友人は多い方なんですよ! まぁ、この二つの専攻の子に限りますが……」

 私は男女問わず興味のある人以外の顔は一切覚えていない。しかし同じものに興味を持つ、私と違う視点を持つ人たちの顔は正確に覚えている。その覚えている顔、というのが主にこの二つの専攻科に所属する人たちで、当然友人もそこに集まっている、というわけだ。自慢、というわけではないが他の専攻科に所属する生徒の顔は5人と覚えてはいない。


「そうか」

「はい。なぜか他の専攻の子にはさっきみたいに逃げられてしまうことが多いのですが」

「で、なぜお前はいきなり友人の多さを自慢しだしたんだ?」

「え、ああ。王子の好きな相手が私と仲良くしている子だと相手が私に気を使ってしまうかもしれないので、その弁解?というか私たちの関係性についての説明を今からしておこうと思いまして」

 なぜか友人には私と王子が仲がいいと、愛し合っているのだと思い込んでいる。愛してはいても愛されてはいないのに。訂正しても信じようとはしない。それに彼女たちは自分の専攻以外のこととなると一気に押しが弱くなるのが欠点の友人たち。

 そんな彼女たちはきっと遠慮してしまうだろう。利き手を左右に振って扇子のように風を起こして、私を盾代わりにして後ろに下がっていくことが大いに予想できる。


「……」

「で、お相手は誰なんですか? 教えてください」

「はぁ……。とりあえず、父上に来週のパーティーを中止してもらうか……」

「え? 何でですか? この学園に通う生徒は皆、来週のパーティーに参加しますよ? その中からなら誰を選んでもいいと国王様はおっしゃっています。そこであなたは好きな女性を求めるだけでいいのです」

「……その場にお前はいるんだろうな?」

「いえ、私は混乱を避けるため数年間他国に移住します」

「は?」

「毒草や薬草の研究が盛んな国の学園への推薦書を国王様に書いていただけるそうなので」

 この婚約を結ぶ前に私と父、そして国王様の三人で交わされた約束。それが、私の研究の全面的なサポート。そして国王様が私の結婚相手を探してくれるといった内容だった。先日お会いした時に後者は遠慮して、前者はありがたく受け取った。

 国王様は友好関係を結んでいる隣国の、薬学の最先端を行く学園への転入推薦書を書いてくださると約束してくださった。数日後、使者によって私の家に届く予定だ。


「そんな話、聞いてないぞ!」

 王子の声は狭い研究室の中でよく響いた。

 目の前でその声を聞かされて耳が痛くなりながらも、あと一週間でこの怒鳴り声さえも他の誰かの者になるのだと思うと少し胸が痛くなった。


 毒が回ってきたのかもしれない。長い年月をかけて少しずつ体内に入れられた毒が。

 目の前の王子に手を伸ばそうと毒に侵された頭が命令を出しそうになる。

 手に入れられると告げている。


「あはは、またご冗談を」

 それでも私は毒に逆らう。

 それが国のためで、王子のためだから。

 この毒にやられてはいけない。


「冗談なんかじゃ……。まぁいい。俺も移住する」

「は?」

「お前と同じ国に移住すると言っているんだ。他国で見識を広める、とでも言っておけばいいだろう」

「なぜです」

「何がだ?」

「なぜ、あなたまで」

 移住するというのだ。

 王子から、あなたの選んだ女性の前から姿を消したくて、目を背けたくて外に出ることを選んだ。次会うときは『おめでとうございます』くらい言えるように。

 なのに、なのに王子まで来たら、意味、ないじゃないか。


「お前がいないパーティーで誰を選べというんだ」

「あなたが愛した女性です」

「そこにはいないのに……か?」

「……」

「俺はお前を愛している。お前が俺を愛していなくても、長い結婚生活でどうにかなると思っていたんだ。その慢心がこんなことになるなんて思ってもいなかった。だが、もう怠ることはやめる。俺はお前に愛される努力をしよう。ずっと俺の隣にいたいと思ってもらえるように」

「……運命の相手は私ではありません」

「運命なんかで妻が決まってなるものか。誰でもいいというならば隣に置くのは愛した女がいい」

「……馬鹿ですね」

 今は会えずともきっといつかは彼の前に運命の相手が訪れる。占い師の告げた通りの私とは似ても似つかない容姿の持ち主が。

 それでも、今だけでも私を選んでくれるというのならば、それまでは隣にいてもいいのだろうか……。


「ああ、馬鹿だよ」

 王子は笑いながら言った。

 馬鹿であることを認めて。



 だから私も今だけは馬鹿でいよう。

 毒に侵されたふりをして。狂わされたふりをして。


 王子の運命の相手が現れたら、その時は譲るから。

 『悪役令嬢』になんかになったりはしない。

 潔くその場を去るから、だからそれまではどうか王子の隣に……。


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