第四話
敷地の広さは地図で見て知ってはいたが、大きなお屋敷が建ち並ぶこの閑静な高級住宅街の中でもひと際豪勢な鳥羽の屋敷を目の前にしてハルアキは足がすくむ感覚を覚えていた。区画のひとつを丸々占領しその所有権を誇示するかのように向こうの方の四つ角からあちらの方の四つ角までを見るからに頑丈そうな高い塀が仕切っていて、その中央の辺りにこれまた豪華な門がでんとこしらえられていた。メモ帳と門柱の表札とを見比べながらぶつぶつと呪文でも唱えているかのように住所や名前を呟いていたが、やがて意を決してインターフォンのボタンを押すと、すぐに応答があった。昨日電話で聞いた気の抜けたような女の声。聞き覚えのある声に少し不安が晴れたハルアキはインターフォンに向かって名乗った。
「お約束をいただいておりますアベですが。昨日お電話を……」
「お待ちしておりました。どうぞお入りください」
ガチャリと大きな音がして門の鉄製の扉が少し開く。ハルアキはズボンの腰の後ろに差したおにぎりを左の手のひらで確認するようにぽんぽんと軽く叩くと、門をくぐって長く続く飛び石をきょろきょろと辺りを見回しながら進んで行った。庭木は綺麗に剪定され、それぞれがぴかぴかと輝いている粒が揃った玉砂りの上には落ち葉ひとつなく、どこをとっても完璧な印象を与える庭であった、がどこか違和感がある。表現が難しいが塀の内側のこの空間だけが時間の流れから取り残されているような不思議な気持ちを沸き上がらせるのだ。ハルアキの家の敷地ほどもありそうな玄関先のたたきに足を乗せると、これまた大きな玄関の扉がゆっくりと音もなく開きスーツ姿の大柄な男が現れた。銀縁メガネに頭はぴしっと整えられ、役人か同様の職に就いている印象を与える。すぐにこの男が昨日の電話で話した相手、フジワラだと直感が告げた。
「お待ちしておりました、アベ様ですね」
男は訪問者を上から下まで見定めるかのように眺めまわすと腕時計をちらりと確認した。約束の時間ちょうどのはずだが、ハルアキは僅かに動揺する。
「どうぞこちらへ」
ハルアキの返事も待たずにくるりと背を向けると廊下をすたすたと進んで行った。その後をおずおずとついて行く。
通された部屋はこれもまた広く、西洋風の見るからに高級な家具が備えられ、壁には両手を広げてもまだ余るほど大きな油絵や色とりどりの陶器が飾られていた。高価な調度品には縁遠いハルアキにもそれらがどれほどの価値をもっているかはなんとなく分かった。ソファーには和服姿の女性が座っていて、多分ここの女主人だろうが、ずいぶんと若くそして美しいが、やつれて暗い表情をしている。顔を伏せたままじっとして動かず、こちらには全く反応を示さずにいた。ソファーの傍にはメイドがかしこまって立っていて、これがあの気の抜けた声の主だろう。歳は三十路くらいだろうか、美しいとも醜いとも印象を与えない存在感が希薄な女だ。
「どうぞこちらにお座りください」
フジワラに勧められるままに女主人の対面のソファーに腰を下すと簡単に自己紹介を始めた。
「初めまして、アベと申します。早速ですが張り紙の件、あれは一体……」