第一話
それは節分の日のことだった。黄昏時の空は青みがかった灰色で西の方が薄く溶いた紅を刷毛でさっと塗ったように鮮やかな色をして山の稜線や並んだ屋根の形を影絵のように浮かび上がらせ沈んでいった日の名残りを感じさせている。街の灯りがひとつ、またひとつと点きはじめ、あちらこちらの家から「鬼は外、福は内」と声が聞こえる中、細い裏通りを一匹の鬼が飛んでくる豆を避けるように両腕で頭を抱え前かがみになって歩いていた。すると一軒の小さな掘っ立て小屋のような家が鬼の目に留まった。屋根の瓦はところどころずれ何枚かは失われたままで窓ガラスは隅の割れたところを段ボールとガムテープで補修してあり玄関わきには郵便受けのつもりだろうか朽ちかけの木箱がしがみついているかのようにかろうじてぶら下がっている。その家は留守なのだろうか、ひっそりと人の気配もなく灯りもともされてはいない。鬼は足早にその家へと向かい玄関の扉をがらりと開けた。
戸口をくぐった鬼はその場で立ち尽くしたまま、じっと部屋のなかを見つめていた。予想に反し、そこでは薄暗い部屋の中でひとりの男があぐら座で酒をあおっていたのだ。『どうしたものか』と鬼が逡巡していると、男が酒の入った湯飲みを手にしたまま声をかけた。
「おい、寒いじゃねえか。戸を閉めてくれ」
言われるままに後ろ手に戸を閉めると、部屋にあがり男の前にどかりと座った。
「お主、わしが見えるのか?」
「とつぜん上がり込んできて、おかしなことをいいやがる。すこし酔っぱらってはいるがしっかりと見えてるぞ。妙な格好をしているが……ああ、節分の仮装か、ご苦労なこった」
そう言うと手にした酒をぐいっとあおり、目前に置いてある茶碗から豆をひとつかみするともぐもぐと食った。
「ところで何の用だ? 盗人だとしたらお気の毒だがごらんのとおり何もないぞ」
「うむ、実はな、わしは鬼だ」
「そんなもん見れば分かる。なかなかよく出来た衣装じゃないか。それに角まで生やして立派なもんだ」
「そうではない。まがい物の鬼ではなく、本物の鬼なのだ。まあ、信じろといっても無理な話だが……」
「ふむ、まあそう言うのならばそれでいいだろう。それで、その鬼さんが俺に何の用だ?」
「お主に用があっての訪問というわけでもないのだがな。ちょいとこの辺りに用事があって来てみたのだが、うっかりしたことに今日が節分であると失念をしておったのだ。あちらこちらから豆が飛んでくるだろう、これはたまらんと思っていたところにこの家を見つけてな。ちょうど留守らしいから豆まきが収まる夜半まで休ませてもらおうと考え入ってみたらお主が居たというわけだ。いやはや失礼をした」
「なるほど、それは災難だったな。というと、やはりお前は本物の鬼か」
「だから先ほどよりそう申しておろうが」
「そういうことならば、こんな所でよかったらゆっくりとしていってくれ。俺も酒の相手が欲しかったところだしな」
「かたじけない。ところでお主は豆まきはせんのか?」
鬼はちらりと茶碗に入った豆を見た。
「ああこいつか。こうして豆を買ってきたものの、いざとなると面倒くさくなっちまってな。こうして酒のつまみとして食っちまった」
「なんともおかしな奴じゃのう」
「ははっ。鬼におかしな奴呼ばわりされるとはな」
男は立ち上がると灯りをつけ、台所から茶碗を持ってくると鬼の前に置き酒をなみなみと注いだ。
「ところで鬼さんよ。お前さんの名前は? 何と呼べばいいのかな?」
「わしの名前か? オニとでも呼んでくれ。他に鬼の知り合いはおらんのだろう?」
「そうか、オニか。俺の名前はハルアキだ。よろしくな」
オニとハルアキは気が合ったのか、酒を酌み交わしながらたわいない話をして楽しい時を過ごした。そうして夜も更け街も寝静まったころになると、オニはすっくと立ち上がった。
「あまりに楽しくて長居をしてしまったわい、そろそろ暇をするとしよう。お邪魔をしたうえに馳走にまでなってしまってすまなかったな」
「おい、帰っちゃうのか? ゆっくりしていけよ。なんなら泊っていってもいいんだぜ」
「そうも言ってられんのだ。こう見えて多忙な身でな」
そういって戸口へ向かおうとしたが、ふと立ち止まり少し考え事をしていたかと思うと腰の後ろに差していた細長いものを取りだしてハルアキに差し出した。
「今宵の礼として受け取ってくれ」
「なんだ、それは短刀か?」
「ああ、そうだ」
「礼だなんて気にせんでくれよ。それに刀なんぞ貰っても、おまわりに見つかったら捕まっちまうよ」
「せめてもの気持ちだ、受け取ってくれ。それに、この刀はわしが閻魔大王さまより直々に賜った逸品だ。お前以外の人間には触るどころか見ることさえかなわんだろうから心配には及ぶまい」
「ほう、俺にしか見えないのか」
「そうだ。銘を『おにぎり』といってな、人は斬れんが妖を斬る。持っていればきっと何かの役に立つだろう」
「『おにぎり』か。なんだか美味そうな名前だな。それじゃ、ありがたく貰っておこう。ありがとな」
ハルアキは鬼から短刀を受け取った。長さ一尺ほどで、鞘と柄が白木のどこにでもありそうな短刀だった。持ってみると思ったよりもずいぶんと軽い。
「じゃあな」
オニはやって来たときのようにがらりと戸を開けると足早に夜の闇の中へと去って行ってしまった。ハルアキは短刀を鞘から抜いて刀身を眺めたりしていたが、回った酒で眠気に襲われ、刀を鞘に納めると布団に包まり寝てしまった。




