064 僕と、退廃的なお茶と国
★★★
カナル公国の態度や行く末について、何だかビミョーな空気になってしまった。どっと疲れが出てきたような、そんな感じ。
僕が「一杯だけお茶を欲しい」と言うと、兄上やバーチやオーキッド嬢も同じだったようで、四人でソファーに着席する。
「彼のお茶も飲んでみたいです」
ふと思い付いて、マクローリン公爵家の護衛の男の方を見ながら、僕はそう口にした。すると、マクローリン兄妹とメイドは揃って首を横に振る。すっごいイイ笑顔で。え、何? コワイんだけど。
「ローレル王子には、いえ、慣れている者でさえお勧めはしません。刺激が強すぎます。ああ、いや。私は一杯もらおうか。頼む」
バーチの為に護衛の男がお茶を淹れるので、僕・兄上・グラス・パインも一口ずつ飲ませてもらう事になった。
「私はエンリョいたします。口直しは絶対に必要ですわよ」
扇子をパタパタとあおぎながら、固い笑顔のオーキッド嬢がそうアドバイスをしてくれる。
そこで、パインが皆の分のお茶を用意し始めた。これは兄上が「パインのお茶がいい。軽いのが欲しい」と言ったから。うん。何かさっぱりとしたいから、そのリクエストはわかるかも。ご指名を受けたパインは、とっても嬉しそうに笑ってから手を動かし始めたよ。
パインの隣に立った護衛の男は、どうやら手順をマネしてお茶を淹れるみたい。はて? それなら同じような味になるんじゃないかな?
★
「――ブッフォ!? う゛ぇっ……ゴホッ! ゲッホゲッ……ガフッ!」
部屋の中に僕のむせる声が響く。なっ……ナンダコレ。まっっずぅ!! すっぱニガしぶ……痛い!? お茶を飲んで「痛い」なんて感想がでてきたの、毒入りだった時くらいだよ。あ、ちょっとどーしよ。涙出てきた。
兄上もグラスも“視て”から「問題ない」とうなずいてたし。香りだってパインのものより弱いけど、いたって普通だったのに。どーなってんの!?
兄上とグラスとパインも、一口飲んでビシリと固まっている。三人が三人共、あんな「信じられないモノを目の当たりにした」表情なんて、初めて見たんだけど!?
マクローリン家のメイドが僕のそばで待機をしていたので、背中をさすって口元を拭ってくれる。それから彼女は僕の落ち着いた頃を見計らって、パインの用意したお茶を飲む手助けをしてくれた。
「ケホッ! な、何で!? パインと同じように淹れていたのに。どうしてこれほど味が違うの?」
「……彼には私も“視た”事のないスキルがあるんだけど。それのせいかな」
むせながら口にした僕の疑問に対して、呆然とした兄上の答えが返ってくる。
僕達と同じように護衛の淹れたお茶を飲んだバーチは、悟りを開いたような穏やかな笑顔を浮かべて一つうなずく。それを受けて、主の許しを得た男が一歩前に出て口を開いた。
「私と妹は元々、南の大陸のとある国のスラムで育ちました。小さい時に両親が死んでしまい、それからは私が親代わりです。子供だった私でもかろうじて、妹にはまともな物を食べさせてやる事ができました。私自身は生ゴミの方がまだマシなモノを胃にブチ込んで、何とか生き延びてきた日々。そうこうしている間に、まず【退廃系味覚】というスキルが私についたようです。ある日を境に、何を食べても気にならなくなりました」
とうとうと言葉をつむいでいく男に、皆は静かに耳を傾ける。彼はさらりと語っているけれど、僕には想像もつかない日々だったのに違いない。
兄上とグラスが小声で耳打ちをしたり、首を小さく横に振ったりしている。【退廃系味覚】というスキルは、二人共知らないようだ。何かよくわからないけれど、凄そうな響きだよね。
「マクローリン家に拾われてからは、『人間様の食事』をきちんと摂る事ができるようになりました。日夜感謝を捧げて、任務に打ち込んでおります。でもある時、ふと思ってしまったんです。『ナンダカ、モノタリナイ。アア……。ナツカシノ、アノアジガ、コイシイ』と」
『……』
誰一人、言葉もなく彼の表情を見つめている。ヤバイやつだ、アレ。僕は額に流れる一筋の汗を感じつつ、「あ、やっぱり兄妹なんだー」と現実逃避ぎみに考える。
チラリと視線を向ければ、マクローリン家のメイド(妹)さんが小刻みに震えているな。何だか顔色が悪いヨ。
「自分で、『小さい頃に慣れ親しんだ味』を再現しようと思いまして。色々と試している間に新たな力になりました。【舌への暴虐】というスキルです。効果は『私が手ずから用意した飲食物は、私が今欲している味に仕上がる』というものです。大変便利で重宝してますよ」
「……それは、例えばどんな時に使うんですか?」
僕は怖いもの見たさで、おそるおそる聞いてみる。聞いてしまった!
「相手を生け捕りにしたい時ですね。食事に誘って手料理を振舞い、私はいつも通りに美味しく食べます。毒は入っていないと油断した者達は大抵、悲鳴を上げる間もなく泡を吹いて倒れるんですよ」
「白目を剥いて、痙攣もします。捕らえた後での食事を兄の手料理にした場合、堕ちない者はいません。兄が目の前で調理をし始めた瞬間に、泣いて許しを乞うようになりますよ」
ニッコリと得意げに締めくくる護衛の男。更に続いたメイドの補足説明に、グラスとパインは顔を見合せて「いいな」と口にだしている。ちっともいくない、コワイよ!
「残念ながら、手放せませんよ。時差ボケの眠気覚ましに、彼のお茶は欠かせないので」
バーチはほんの少しの申し訳なさと、使用人の彼らへの信頼をこめた笑顔でグラス達に声をかけた。
ああ、うん。確かに「シャキーン!!」ってしたね、さっき。あのお茶を涼しい顔で口にできるバーチってすごい。あの味のモノを口に入れたいって望んでいる彼は、もっとスゴイネ。
★★★
さて、気を取り直して最後の一枚である。縦に長めだから、背の高いグラスと護衛の男が布を取り払った。
「ほー……」
お披露目された絵に描かれていたのは、僕が見た事がない生き物に騎乗した男女。馬……ではない。馬に、本の挿し絵で見た狼と豹と山羊を足して鹿で割ったような。魔物かな、コレ?
乗っている男女は、顔立ちは全くと言っていいくらい似ていない。共通点があるとすれば、二人共に白い髪の毛と黄色っぽい瞳をしている。親子、というよりは兄妹かな? またえらく年が離れているように見えるんだけどね。
……ていうかさ。そろそろツッコンでいいと思うんだ、僕。
「どうして三枚の肖像画の三枚共に、描かれている見合い相手が赤子も同然の幼子なのか、という疑問ですね」
バーチは僕からのジトっとした視線を受けると、僕の言いたい事を完璧に汲み取った言葉をつむいだ。
「ええ、そうです」
「単純な事です。現在十一歳のローレル王子と年回りの近い方々は、既に婚約者が定まっている場合が多い。本日用意できた肖像画は三枚のみですが、同盟国・友好国の中で名乗りを上げている国は他にもございます。ただ、今現在の候補者の中で一番年上なのがこちら――フェザー王国のスワン王女で三才。およそ八つの年の差ですね。他には生後半年とか、次の夏頃に誕生予定だとか、そういった縁談もございます」
……どうしろと? 本当にそれはどうしたらいいの? 赤ちゃん相手に「結婚したい」とか、僕はムリだよ!? 兄上じゃあるまいしさぁ……
「ローレル?」
やっぱり僕の心を読んだ兄上が、僕の頭をぺしぺしと叩きながら非難がましい声を上げる。いや兄上ならローズ嬢のお見合い肖像画が目の前にあったら、たとえ赤ちゃんだって
「もちろん、即決で受諾するよ。赤いバラの花束を持って、当人に求婚をしに行くさ。何なら引き取って育ててもいい。オシメだって私が替えるよ」
『……』
兄上の【心読み】スキルを知らない人達からしてみれば、突然トチ狂った一人言を口にしたように思えるだろう。いや。兄上の片想いに関しては、この部屋の中にいる全員が知っているといっていい。相手の令嬢が誰なのかも含めて。だから、兄上の言葉のイミは皆がわかる。
……うわ。オーキッド嬢は壮絶な笑顔を兄上に向けているよ。目なんかはゴミムシを見るソレだけどね。
「……報告は上げさせて頂きますので。そのつもりでどうぞ、ご主人サマ」
額に手をあてて俯きがちにしゃべるパインの、疲れた声が部屋に響いた。
★★★
さてさて。全くもって取り直される事のなかった空気に。いやむしろ、ますますビミョー度を増した雰囲気に僕達は晒されています。どうしよう? 本格的にぐったりしてきちゃったよ、僕は。
バーチが「ゴホン」と咳払いをして、全体の注目を集めてから口を開く。
「えー。こちらはフォレスト王国から見て北東の方角にある、アドベント神聖国からの肖像画です。この騎乗した男性に抱きかかえられているのが、ご息女の一人であられるバーニス様となります」
と、ここまでを口にしたバーチは「ふっ」と息を吐いてから、遠い笑顔でやや高い位置を見上げた。
「先方がローレル王子の『魂の伴侶』などと認容して下さった、『有り難くも貴い聖女様』だそうです。『無知蒙昧なるフォレスト王国の為に、態態骨を折って神託を得てやったのだから、地に額を擦りつけて感恩に噎ぶのが世の道理というものぞ』と、恩着せがましいという表現すら生ぬるい、上からの物言いと共に押し付けられました。――ちなみに、私は後学の為に短期滞在しただけなのに。どこからともなく嗅ぎ付けられて、出国直前になって有無を言わさずに召喚されて、ですよ。あのタイミングでの呼び出しも、嫌がらせをする為にわざとだったとしか思えない」
「……えっと。ケンカを売られていると受け取っていいのかな、僕」
バーチの言葉が左から右へ流れていったのだけど、ツッコミどころが多過ぎて追い付かない。『たましいのはんりょ』とか『にんよう』とか『せいじょ』とかって、なにさ?
僕はかろうじて、指のささくれに引っ掛かった印象を口にする。バカにされているよね、どう考えてもさ。
「ローレル個人というよりは、この場合フォレスト王国全てに対してかな。『宣戦布告』の新しいカタチだね。お見合い肖像画を一方的に叩き付けてなんて。斬新だな」
僕をなだめつつも兄上自身の苛立ちが混ざった手は、なでぐりって感じで僕の頭の上を往復する。首がぐらぐらします、兄上。
「父の方から、陛下へご報告をすると申しておりましたが。頼んでもいない神託の祈祷代、甚だ高額な請求書も絵に添付されていました。『結納金・婚礼の支度金・上納金は別途請求する』と一筆添えられた上でです。――あ、上納金とはですね。なっていないのにも関わらず『神聖国の信仰する宗教の一地方支部として、フォレスト王国を認定してやったから生じる義務』だとか何とか。いやぁ、私は中央大陸の言語は、ほぼ修めたと思っていたのですが。意思の疎通が出来なくて参りましたよ。ハハハ……」
「わあ……。それはそれは、よく燃えそうな請求書ですね」
バーチの追加情報に対して、兄上が朗らかに返事をする。空気が薄ら寒いです、兄上。
というか、アドベント神聖国とは一体どういう国なのだろうか? 授業では
「大陸を守護する『白の精霊』を神聖視した宗教国家で、“国王”ではなく“教主”が最高権力者のメンドクサイ国」
としか聞いてないけど。
あ、いや。メンドクサさはもう、十二分に身に沁みてわかっちゃったかも。




