006 リンデン王子にスイッチが
★★★
「ローズ嬢? 痛むのですか?」
未来に思いを馳せているうちに、知らず知らず涙ぐんでいたローズの顔を、リンデンが覗き込んでいた。
「いえ、痛むのではありません。お友達がセレステブルー湖周辺の魔物討伐に参加すると」
「ローレルは何か聞いているか?」
ローズの言葉を聞いて、ローレルの方を向くリンデン。
「王宮に報告が上がってきているのは知っている。春の魔物大発生の余波を受けて、エサ場を求めて魔物の住処や発見場所に変化が起こったらしい。一部の魔物の生態が、新天地の環境に合致し過ぎて、数が増えているようだと。各地の領兵達で対処出来るうちに叩くと聞いている」
「セレステブルー湖は、お友達のリリー様のご実家の領地です。クラスの他のお友達も、皆様が討伐に参加されるそうです。私も地上の楽園に行きたいのです」
ローズの話を聞いて、皆が苦笑混じりに顔を見合わせる。
「セレステブルー湖ですか。私も行った事はないですが、大層美しい景色だと評判ですね」
「私もそう聞いております。皆様と協力して魔物を討伐した後は湖畔で避暑。絶景を心行くまで堪能した後は、オーキッド様のご実家をお訪ねし、異国のグルメに舌鼓を打ちながら、お見合いパーティー三昧なんです」
ローズの言葉に、途中まで微笑みを浮かべながら耳を傾けていた面々。だがしかし、最後の言葉を受けて場が固まってしまう。
「ローズ。ローズの言うオーキッド嬢とは、ウィロウの婚約者で、未来の義理の妹のオーキッド嬢の事かい?」
「お兄様ったら、同じクラスのオーキッド様は、ウィロウの婚約者のオーキッド様、唯お一人です」
「お見合いパーティーとは一体何の事だ?」
「決まっておりますわ、お兄様。ウィロウは自らの愚かな振舞いが祟って、オーキッド様に見限られておりますの。それもとうの昔に。私、オーキッド様にお詫びこそすれ、引き留めるなんて恥知らずな行いはとても出来ません」
息子と娘の遣り取りを聞いて、母のカメリアは持っていた扇子をゆっくりと開く。
「どういった方々が集まるのか、ローズは聞いていて?」
「オーキッド様のお母様が、我が国の貴族のご子息方や、隣国の貴族家の方々に招待状をお出しするそうです。場合によっては、隣国の王族の方が参加される可能性もあるらしいですわ」
「そのパーティーでお見合いをされるのはオーキッド嬢だけなのかしら?」
「いいえ。オーキッド様は、リリー様、アイリス様、デイジーさんも誘っておいででした」
ローズが名を挙げていった女性達――ついでに問題の多い婚約者ども――を思い浮かべ、頭を抱えてしまう一同。
「私だって」
「ローズ?」
「私も声を掛けて頂きました」
ローズの言葉に目を見開き、思わずといったように腰を浮かせるホーリー。
「ローズ、それはさすがに……」
気持ちは察する事が出来る。婚約者であるアコナイトの行動に、問題があり過ぎるのだ。
だが、ローズが皇太子の正式な婚約者である現状、お見合いパーティーに参加など、看過出来ない事態なのは間違いない。
「わかっています。そのようなパーティーに近付く事さえ許されない立場ですもの。ただ、セレステブルー湖へ行って、自由に、望むままに過ごせるのは、この夏が最後の機会なのだろうと思っただけです」
「ローズ嬢……。兄として、アコナイトの振舞いに関してはお詫びしましょう」
「リンデン王子」
「私もだ、ローズ嬢。アコナイトの行動について詫びる」
「ローレル王子まで……」
リンデンはローズの手を取り、真剣な眼差しを向ける。
「ローズ嬢は、アコナイトとの結婚を、望んではいないのですか?」
ローズは、自分でも息を呑んだのが分かった。
(それを……言われると……)
痛いところを突かれて、すがるような、揺らいだ瞳を一瞬だけリンデンに向けて、顔を伏せた。
「……お答えする訳には参りません」
「声に答えが出まくってるぞ、ローズ嬢。さっきの言葉を借りるのなら、ローズ嬢にお詫びこそすれ、引き留めるなど恥知らずな行いは到底出来そうもない」
ローレルはそう口にしつつ、ローズの母と兄に目を向ける。
二人共、能面のように感情を押し殺した表情で、ローズを見詰めている。ローズの為に取るべき行動を考えているのだろう。
「申し訳ございません。王子様方がいらっしゃる場において、軽率で不敬な言葉でした。どうか、熱の為に妙な事を口走っただけだとお忘れになっ」
「ローズ嬢」
ローズの言葉を遮るような、リンデンのやや強い呼び掛け。
思わず、ビクリと体を固くしてしまうローズ。
「治療を始めます。触れますよ、ローズ嬢」
「は、はい。宜しくお願いします」
★★★
リンデンはローズの腰にそっと手を置く。それから少しずつ、摩るように撫でるように、手を動かしていく。
舞踏会でダンスを踊った事のある間柄である。腰に手を当てられる位は、これまでも度々あった。
(でも、こうゆっくり触れられるのは恥ずかしい)
(……! 今、お尻の方に、ってちょっと待って〜)
兄のホーリーとローレルは、ローズに背を向けるよう、ソファーに腰掛けているのもある。リンデン自身が影になっているのもある。歴とした治療箇所なのもある。
誰も口を挟む事なく、ローズの体に手を伸ばし続けるリンデン。
「魔力の巡りはいいようですね。いいですか、ローズ嬢。いよいよ治療の為の魔力を流し込みますが、人によって、症状によって、感じ方が異なります」
「例えばどのような?」
「んー。切り傷ですと、肉が盛り上がって傷口が塞がる際、むずむずとした痒みを訴える場合があります」
「ああ、はい。わかります」
「骨の場合は、痛みが強いようです」
「痛みですか」
「ええ。でも治療の成果です。少しの間堪えて下さい。いきますよ」
手に緑の魔力を纏わせ、ローズの腰に流し込むリンデン。
「……ン! ……ンー、クゥ!」
何かを無理矢理に動かされているような、これまで経験した事の無い痛みに、ローズの口からうめき声が漏れる。
「ゆっくり息を吐いて。力を抜いて下さい!!」
「……ハァ……ハァ……ハァ……ハァ、ンぁ!!」
「力は抜いて。(魔力が)入っていかないから」
「んぅーー……! ……ハァ、リ、ンデンおうじ! ン! 痛っい!」
「ゆっくり、息を吐いて。目を閉じて。ローズ嬢なら、ココがどうなっているのか、感じ取れるはずですよ」
「……ハァ、あっ! うんぅ!! ……あ、スゴいです。イタッ……い、けど、(骨が)つながってるカンジがします」
回復術師の施術中は、決して妨げてはならない。国の常識である。
その為、リンデンとローズの遣り取りを固唾を呑んで見守るしかない。
ローズの熱を帯びた息遣いと、押し殺したような僅かな悲鳴が響き渡る。
神聖なわけでも、疚しいわけでもないのに、何となく妙な雰囲気に包まれている。
「……まるで初夜だな」
「言うな!」
ローレルのぼそりとした呟きに、すかさず小声でツッコミを入れるホーリー。
当事者の二人、いや、ローズ以外の全員が感じている事である。
リンデン、ローレル、ホーリーの三人は幼少の頃からの付き合いだ。リンデンの心が誰にあるのか、三人の公然の秘密でもあった。
治療も、もちろん手は抜くはずもない。むしろ、プラスアルファのナニカが入っているようにしか思えない。
ローズに対し、緑の魔力を流していたリンデンが、大きく息を吐き出すのと同時に、倒れるように座り込む。
「リンデン王子!」
「……大丈夫です。(魔力)枯渇寸前で。……フゥー。思った以上に、相性が噛み合う」
「相性……? あ!」
(元々ローズは火属性特化、おまけに転生チート。リンデン王子は水と木の二属性。火が強過ぎると、燃やし尽くして呑み込んじゃうのか〜)
気を利かせたメイプルが、リンデンに、ハンカチと水を注いだカップを手渡す。
受け取った水を飲み、ハンカチで額の汗を拭ったリンデンは、前髪を掻き上げながらローズにいい笑顔を向ける。
「ローズ嬢に(魔力が)全て吸い付くされるかと思いましたよ」
「今日はここまでになさいますか?」
「いや。今の状態で中断し、間を開けるわけには(骨の為に)いかない。せっかくローズ嬢のカラダがほぐれてきているのです。大丈夫。私の方が(魔力を)少しずつ溜めていけばいいのです。例え夜通し掛かったとしても、ローズ嬢に(魔力を)注ぎ込み続けますよ」
「私の為に、ご無理はなさらないで下さいね。リンデン王子」
「私がしたいから行っているのです。必ず、ローズ嬢のカラダを良くしてみせます。ですので、私を信じて、ヤラせて下さい」
そう口にしつつ、鞄から貴重な魔力回復薬を取り出し、一気に呷るリンデン。
リンデンとローズの遣り取りから耳を離す事の出来ないローレルは、眉間を揉みほぐしながら、ボソリと呟いた。
「なんか、兄上の言っている言葉がヤバい。……ん?」
治療の妨げになってはならないと抑えていた魔力。休憩に入った事で気が緩み、ローレルの【気配察知】にある人物の存在が引っ掛かる。
「では、続きを始めますね」
「もう? 今暫く休まれては」
「いえ、先程(魔力)回復薬を飲みました。これは持続的に(魔力を)漲らせてくれるタイプなので丁度いいのです。今度は長く、じっくりとローズ嬢のカラダを変えていけると思います。痛みはあると思いますが、無事に(骨を)繋げる為です。必ず良くなります。少しの間、我慢をして下さいね」
「わかりました。リンデン王子のお言葉を信じて、全てお任せ致します」
「では……」
再び、ローズに手を伸ばすリンデン。
その次の瞬間――