056 僕と兄上と、踊るアコナイト
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第二会場に到着すると、こちらの舞踏会はまだ始まっていないようだった。
大広間が“森”をイメージしていて、窓をタペストリーでふさいだりとあえて薄暗くしていたのとは対照的に、こちらの会場は明るく暖かい日の光に満ちている。ここは言うなれば、黄金色に輝く麦畑だ。
初めての王宮にはしゃいでいる小さい子供達に、初対面の挨拶や自己紹介を行っているグループ。もう少し大きな子達やすでに成人に達していそうな人達は、顔見知りや派閥同士で固まっているようだ。
部屋の奥には一番大きな人の群がりがあり、その中心は当然ながらアコナイト。未来の国王にお近づきになりたいという、貴族の子女達に囲まれている。そのほとんどが女の子で、彼女達のドレスの裾は幾重にも取り巻く花びらのようだ。口々に名を名乗ったり、「先ほどの宣誓はりりしくてステキでしたわ」と黄色い声でアコナイトを誉め称えている。
そのドレスの花の中心、より正確に言うならばアコナイトの隣にいるべきはずのローズ嬢は、一人ぽつんと群れから弾かれて立ち尽くしていた。
あ。一人の令嬢がわざとローズ嬢を押しのけてから、やたらと媚びを含んだ声でアコナイトに話しかけている。声に反応して振り向いた弟が目にしたのは、押されたせいでバランスを崩してしまいよろけてしまったローズ嬢。
……おい、何してんのさアコナイト。今ローズ嬢の事を鼻で笑わなかったか? アコナイトがここで取るべき行動は彼女に駆け寄り、支えて声をかけるとか慰めるように微笑みかけるとか。とにかく! 二人は仲が良く、未来の王家も安泰だと皆に思わせる事だ。それくらい僕だってわかっているのに、どうしてそうなの!?
これは……。はっきり言って良くない傾向だ。あの群れにいる女の子達を中心に、ローズ嬢を軽んじていいという空気になりつつある。
午前中に感じた、貴族達のローズ嬢を侮ったり歓迎していない雰囲気。今アコナイトを取り巻いている令嬢達の中には、彼らを親にもつ者もいるだろう。下手をすると我が子の愚かな振舞いを諌める事もせずに、アコナイトが悦ぶからとエスカレートしていっちゃうんじゃない、これ?
いや、それよりも何よりも! 僕の隣にいる兄上の纏う空気がなんか極寒なんですケド!?
恐る恐る兄上の顔色を窺うと、これまた今まで見せた事のない表情だ。口元は穏やかに弧を描いていて、目は、何というか不気味なほど静か。アコナイトやローズ嬢に害をなした令嬢へ対し、何の感慨も込もっていない瞳を向けている。一見すると穏やかに笑っている、か? だけど何か気のせいかもしれないし、うまく言い表せないけれど。眉間から頭のてっぺんまでは怒りが煮えたぎっているような……。
僕は少しずつ荒くなっていく自分の呼吸を自覚しつつ、チラリと後ろに目を向ける。グラスとパインの顔色は、化粧を施される前の僕よりもヒドイ。完全に顔から血の気が失われていて、今にも倒れそうだ。
え゛っ、ちょっ、この兄上を誰がどうするっていうの? もし、もしもだよ。兄上がアコナイト達に何か制裁のようなものを加えるべく動くのなら、パインやグラスは飛びかかってでも止めるだろう。もちろん僕も。いやでも皇太子にそれやっちゃったら、兄上はよくて生涯幽閉。最悪、この場で切り捨てられるよ!?
兄上の次の一挙一動で運命が大きく変わる。その緊張で僕達は固まったまま、下手に身動きができない。
ただこの時、事態は思わぬところから動いた。顔を上げて僕達の到着に気が付いたローズ嬢が息を呑み、ナニかに怯えたように一歩後ろに下がったのだ。
その刹那。兄上の氷の空気は完全に解けてなくなり、春の日だまりのような暖かな笑顔に切り替わる。
『――ッ!』
僕とグラスとパインは、ほぼ同時に息を吐き出す。よ、良かった。サイアクの可能性は回避されたようだ。さすがの存在だよ、ローズ嬢。助かったよ、ローズ嬢。兄上を止めてくれてありがとう、ローズ嬢。
彼女を怖がらせたりするのが本意ではない兄上は、気持ちや表情を改めて第二会場の中へと歩みを進める。
僕とグラスとパインは、互いにほんの少しだけ目を見合せ――気のせいでなければ三人が三人とも「先が思いやられる」と無言で語り合い――兄上の後に続いた。
兄上と僕。第一王子と第二王子の登場に、会場の中が一層賑やかになる。
アコナイトもようやく、僕達に気が付いたようだ。部屋の注目が一瞬でも自分から逸れた事が気に入らない表情になり、それから「女の子達はみんな僕に夢中なんだ、すごいだろう!」みたいな顔で僕達を見てきた。……誰か、アコナイトの性根を叩き壊して、教育的指導をイチからやり直してくれないかな? 割りと本気でそう思う。
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ヘーゼル叔父上が以前に言っていた、
「三人の王子達の立場を、明確にしてしまった方がいいだろうな」
の言葉の意味を思い知る。
これまではよくて挨拶だけ、最もひどい場合には『いない者』として扱われてきた兄上と僕。
ただ、今この第二会場の中に満たされている空気はこれまでと異なる。「お二人に話しかけたくても、今まで距離を取っていたからどうしたらいいのか?」例えるとしたらこんな、うずうずした感じ。皆が皆、互いの目線で最初の挨拶を譲り合っている。
そんな中、まるでこの場の代表者のようにホーリーが近くにやって来て、兄上へ話しかけた。
「先ほどの魔法は素晴らしかったですね」
そう言ってニコリと笑みを浮かべたホーリーに、微笑みで応える兄上。二人の和やかなやり取りがきっかけになって、僕と兄上の周りにはどっと人が集まってきた。
兄上に対して魔法に関する質問を盛んにしているのは、魔術師団や回復術師団の所属を目指す、魔法が得意な貴族家の子供達だろう。
僕のそばを取り巻いて声をかけてくれるのは、騎士団や近衛騎士団での活躍を目標とする武門系の貴族の子弟達だ。男の子ばっかりだけど、アコナイトの周囲みたいに浮わついた雰囲気がほとんどないから、国の将来を真剣に思っているようで好ましい。
兄上の傍らにはパインが控えているが、彼は今グラスと共に僕のフォローをしてくれている。
今日の日の為に貴族名簿を必死に覚えた僕だけど、魔力酔いの影響もあって頭がうまく働かないのだ。とっさに顔と名前が一致しないので、会話に詰まりそうになって困ってしまう。相手からすでに名前を告げられているのに、間違えるわけにはいかない。「その程度か」と、失望されてしまうじゃないか。
パインが風属性の魔法でグラスの呟きを僕にだけ届けてくれているから、今のところ何とか対応できている。兄上は元々優秀だし、いざとなれば【鑑定】を使えるからと、僕を優先的に助けてくれるのはありがたい。
こんなにたくさん次から次へと好意的な言葉で話しかけられて、やり取りをするのは生まれて初めてだ。今日を境に、第二王子として未来の近衛騎士団団長として、これが当たり前になっていくのだろう。……できればもっと、体調に余裕をもって臨みたかったです、兄上。いや今日この状態で乗り越えられたら、この先の力になるのかな。
ところで、さっきからチラチラと見られている気がする。僕の周りにいる、僕よりもかなり体格のよい年長者でつくられた人垣と、まだ八歳という弟の身長差のせいで、アコナイトからの視線に対して目が合うという事はないのだけれど。
僕と兄上が人に囲まれているのを見て、「チヤホヤされているからって、いい気になるなよ」とでも顔に出しているのだろう。そんな空気がバンバン伝わってくる。あのねぇ、アコナイト。他にもっとやるべき事があるよね?
僕の心の声が伝わったわけではないだろうが――兄上じゃあるまいし。心を読む人間はそんなにたくさんいらないよ。アコナイトが心を読めたら、ああは育っていないだろう――第二会場にいる楽団の演奏が変わった。
もう間もなく舞踏会が始まる合図として年長者が率先して動き出すと、皆でダンスの為のスペースを空ける。
前もって行われた打ち合わせ通り、アコナイトがローズ嬢の手を取って中央へと歩き始めた。が、弟は途中でこちらの方に顔を向けたと思ったら、僕と兄上に対して「フフンッ!」と嗤う。……え? 僕や兄上の会話を止める為に舞踏会を始めさせるって、どうなの? 何か違くない? さっきから頬が引くつくのを抑えるのに、神経を使いっぱなしなんだけど僕。
栄えある開幕のファーストダンスである。会場にいるほぼ全ての人が、アコナイトとローズ嬢に好奇の色を浮かべた視線を注ぐ。当然の事ながら僕も兄上も周りの人達との会話を中断して、二人の立っているダンスフロアに体ごと向き直る。
ホラ、これで満足かい? 僕がそう思っているとまるでタイミングを計ったかのように、アコナイトは会場内を見渡してから笑壺に入ってうなずいた。……うはぁ。あの何とも言えないイヤラシイ顔つき。ドン引きなんだけど。
僕は弟に対して呆れた気持ちを強め、ため息にならないよう意識して長く息を吐き出した。
ホーリーの話だと、今日の為にローズ嬢もダンスの猛特訓を行ったようだ。皇太子殿下の、王族の足を踏んでしまったりしたら大変だもんね。しかも相手はアコナイトだし。何を言われるかわかったもんじゃない。
弟ならミスをしただけで「婚約破棄だ!」とか、下手をすると言い出しそうでコワイな。いやそんな、まさか。やらないよね? ……うん。容易に想像できるけど本当になったらマズイから、これ以上考えるのは止そう。
楽団による演奏が始まり、二人は軽快なステップで踊りだす。出だしは息ぴったりのようで順調に……思えた。
すぐにアコナイトが好き勝手に動きだし、ローズ嬢を強引に引っぱりまわしているように見える。うーん……。ローズ嬢が強く緊張しているようで体が強ばり、二人の呼吸がどうにもこうにも合っていないのが良くないのか。
フォレスト王国の慣例にのっとり、二人で三曲続けて踊ったけれど、何だかどっと疲れが。見ているこっちが振り回された気になってしまった。足を踏んだり転んだりとか、互いに致命的なミスはなかったんだけどね。
なんか二人の仲に、初っぱなから暗雲が立ちこめているようないないような。そんな感じ。
三曲が終わった後は、成人組が中心に婚約者同士で踊るペアが次々とフロアへ向かう。
僕も兄上も婚約者はいないので、ダンスに関しては「特定の派閥に偏り過ぎないように気をつけろ。適度にまんべんなく踊るように」くらいしか言われていない。ただ僕も兄上も、最初に集まってくれた人達との挨拶がまだ終わっていなかったので、とりあえずは顔繋ぎに集中しようと会話に戻った。
ずっと同じ場所に立ちっぱなしだけど、少しずつ体調が良くなってきているのが自分でもわかる。もうちょっとしたら、僕も踊ってみようかしら。断られたりなんて、しないよね?
僕よりも年上の伯爵家の次男と同じ剣の師に教わっている事がわかり、話をふくらませようとし始めた矢先。にわかに騒がしくなったので、会話を中断して周囲を見渡した。すると僕や兄上の周りの人垣がさっと割れて、ローズ嬢の手を引っぱったアコナイトが現れる。
弟は彼女の右手を掴み「グイッ」と兄上の前に突き出すと、とてつもなくエラそうに口を開いた。
「フン! こいつのダンスの相手をゆずってやってもいいのだぞ、兄上」




