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004 出会い頭に破綻


20151113

 日刊ランキングの順位に奇声を発した作者はここです。

 支援、ありがとうございます。



 今話以降『ハラスメント注意』タグが大活躍。


 ただし、今回の話は少々気を悪くしてしまう可能性が高いです。



※ 20170624 追記


 大幅に加筆修正致しました。元の三倍くらいの文章量になってます。

 また本文中、括弧がひっじょーに多いです。ご了承下さい。





 ★★★



『クリス!! てぃーっす! コンたん』


 ローズの『中の人』がかつてこの表記を目にした時、口から出た言葉は「なんぞコレ?」だった。そしてこの「クリスって誰? これナニ?」な疑問には、ルームシェアをしていた友人の口から回答が得られる事になる。


「『コン』のペンネームですが、何か?」


「私かい!?」


 ローズの『中の人』に裏拳でツッこまれた――「お前のネタは俺のモノ」という、某ガキ大将ニズムを発揮していた――友人は、「あのガキ大将の、漫画家を目指していた妹のペンネームをもじって命名した」と言ってからからと笑った。


(そうだ……。日本人だった頃の私は『コン』と呼ばれていた。『コン』ってあだ名の由来は、名字? あれ、それとも名前だったっけ? 私は友人の事をなんで呼んでいた? ――ッ! ああ、まただ。アタマ、イタイ……)


 今のローズは、本名などの日本人であった頃の素性を思い出そうとすると、頭痛に襲われて思考に霞がかかる状態に陥ってる。頭と腕と腰の三重奏な痛みに「うにゃあ〜〜!」と苦悶くもんして歯を食いしばっていると、その隙間すきまをぬうように友人の声がポロっと響く。


「世間で私達が、なんと認知されているのか知ってる? 『悔恨かいこんビ』なんて言われてるんだぜ」


「いや、それ言い出したの『カイ』じゃん! 好力よしりき カイム先生の公式ブログで、私に一言も断りなく掲載しちゃってるし!」


 ローズは脳内で在りし日と同じようにツッこみを入れて、「ハッ」と息を吐いた。一つを思い出すと、芋づる式に少しずつ記憶が再生されていく。それが苦しくて嬉しくて、痛みをなだめながらかつての日々を手繰り寄せていくのであった。



 ★★★



 友人の『カイ』に『コン』と呼ばれていた日本人女性。家族は父と母で兄弟はいなかった。出身は地方で、大学進学と同時に上京した記憶がある。

 ルックスは、父・母と共にボヤけていて思い出せない。どうやら『コン』のあだ名以外、本名や外見的特徴などは辿たどれないようだ。肝心な部分で虫食いのように霞みがかかる。

 ただ恐らくは、フツーだったんじゃないかと推察できた。特別にモテたとか、見た目が理由でいじめを受けたりとかの記憶はない。

 性格は……。魔法実戦コースの担任教師に「どこか抜けているんだよなぁ」と評されたのと、おおむね同じであろう。


 ローズの『中の人』の人となりを表したエピソードは幾つもあるが、中学生時代のものが特に強く思い浮かんできた。


 まず一つ目。周囲を田んぼに囲まれた立地に建つ、中学校に通っていた十五歳の時。天気予報と異なり進路が変わって台風直撃コースとなった為、午前で授業が終了して下校を言い渡された。

 当時のクラスメイト(『カイ』とは別の友人)の「親の車で送ってくよ」という申し出を、方向が逆だった為に遠慮して断り、雨風が弱まったタイミングで玄関を飛び出し一人で帰宅中。傘が風であおられてバランスを崩し、ゴウゴウと水が流れる用水路に落ちてしまったのである。

 水に沈む寸前に土手の草が手に絡み付いたのと、まるで体が支えられているかのようにものにあたっていた事が幸いし、激流にさらわれる事はなかったが自らの力では到底脱出もできず。『コン』は水面から顔を出し続けようと、ただただ沈まないように必死であった。

 心配して車で探しに来てくれた友人一家がいなければ、あの時は一体どうなっていた事か。

 更に運が良い事に、たまたま通りかかった消防車の隊員に引き揚げてもらっていた最中。上流から流されてきた男性が『コン』に直撃して再度溺れそうになるも、二人とも救助され一命をとりとめた。


 そもそも、先に用水路に落ちたのは「田んぼを見に行く」と家を出た農家の男性の方らしい。心配した妻と息子が後を追って目にしたのは、土手のコンクリートに必死にしがみつく一家の大黒柱。息子が用水路でもがく父に手を伸ばし支えている間に、妻が携帯で通報。付近を警戒中だった消防車が現場に急行しようとしていた手前で、溺れていた女子中学生を発見して救助活動を開始。

 当時は情報が錯綜さくそうしていたのであろう。ほぼ同時に複数の人間が、ずれた場所で同一の用水路に落ちると想像できる人間はそうはいまい。目についた中学生を通報のあった要救助者と勘違いしても、仕方のない事だった。

 そのタイミングで、力尽きて手を離してしまった男性が上流から濁流によって運ばれてきたのである。『コン』がもしあの時・あの場所でに溺れずに、水の中の障害物という役割を果たしていなかったら? 農家の男性は命を落としていただろうと。誰もが口を揃えて言う。

 九死に一生の奇跡としてニュースとなり、更には情報番組の中で再現ドラマとなって取り上げられたりもした。


 また、エピソードとしては弱いがもう一つ。

 中学時代はソフトボール部に所属していて、最後の年の地区大会の決勝でサヨナラヒットを放ち、母校を何年かぶりの県大会に導いた『コン』。そして迎えた県大会の初戦、の前のウォーミングアップ中。突き指&捻挫のWパンチで試合に出られず、ベンチを暖めたままで現役生活を終えた……。

 卒業式の時。部活のメンバーやクラスメイトからは『強く生きろよ! ミラクルWww』という寄せ書きをこれでもかと頂いたのである。


(……ッ! 今思い出しても、目から汗が。っていうか、せっかくの夏休み! 街に繰り出して、聖地巡礼とか。ゲームのイベントを見物しようと思ってたのに〜)


(あー、いや。それよりも! ローズの体に怪我を負わせてしまった……。ごめんねー、私の不注意で。階段で頭をぶつけなかったのは、幸いだったらしいけど)


(隠し称号で【厨二病罹患中】の他に、【ミラクルWww】があっても、私は驚かない。両親にも『カイ』にも、何だかんだと呆れられたしなー)


 ローズは溜め息を吐き出しながら、今度は友人の『カイ』やゲームの事を連鎖で思い浮かべていった。



 ★★★



 某社から出版されていた、『桃ずっぱい! 〜私はみんなのピーチ姫〜』を取り扱った同人アンソロジーコミック。


桃酢姫もずひめの “逆”ハーレム・パラダイス(はーと)』


 が、ルームシェアをしていた同人作家『好力よしりき カイム』先生の商業作品デビューであった。最初は①②③……とナンバリングされていたが、途中から『ローズ推し! の巻』のようにキャラクター別に特集されたりもしている。

 発売当初から「キャラに個性を持たせ、他ゲームとの差別化を狙い過ぎて暴走した好例」、「イケボな声優さんを三枚目にしてしまった罪ゲー」として評判で、ゲーム自体もそこそこの売上を誇ったようだ。

 パロディーネタの宝庫として、同人アンソロジーコミックの発行も長く続く事になる。また読者の声に押されたのか、作家別に単行本を出す企画が浮上。個人の単行本は、『〇〇味!』とタイトルが付けられる事になった。

 先陣を切ったのはもちろん売れっ子看板作家さんであり、『ピーチ味!』からスタート。『カイム』先生の人生初単行本は、


桃酢姫もずひめの “逆”ハーレム・パラダイス(はーと) メントール味!』


 として発売され、『桃酢もずパラスメント』と本人は公式ブログで称している。


(そういえば。友人にネタを提供して、『もしもアコナイトが、ピーチに一目惚れをした場合』ってマンガに描いてもらったんだよな〜。『アコナイト推し! の巻』に掲載されたっけ)


 各キャラ推しが、シリーズとして刊行され始めた後。公式が同人コミックを原作・原案に『同人コミック×ドラマCD』のコラボ企画でのグッズ制作&アンケート募集を発表。集計で上位だった為に『もしもアコナイトが、ピーチに一目惚れをした場合』が、なんと原案の一つに選ばれたのだ!

 アコナイト役の声優さんの怪演かいえんとも言うべき熱演は、「凄まじい」の一言。

 ピーチ役のアイドル声優さんがキャストコメントで、


「何度、顔面に拳を見舞おうと思ったか。【状態異常:詩人化】フルスロットルのアコナイト様が、すこぶる――う・ぜ・ぇ☆」


 と、ステキに語っていた。


(ここって、ゲームによく似た世界だと思っていたけど。ひょっとして、二次創作まで含むの? いやでも「B」で「L」な気配はないんだよな。あれかな? 公式・公認のネタまでは守備範囲とか?)


(あれ〜? でもその仮説だと、ちとヤバい? 『同人×ドラマCD』結構はっちゃけたネタが満載だったんだけど……)


 『カイ』とは別の同級生で、大学進学後にサークルメンバーとして海のそばの会場で一緒にイベントに参加した『世全せいぜん☆魔法少女』先生。彼女のコミックも原案として採用されていた。


 ちなみに『世全☆魔法少女』先生はそのペンネームの通り、「この世の全てを擬人化の上で魔法少女に!」をコンセプトに作品を描いている。中学生の頃、大人気少女マンガの実写版で主役の魔法少女を演じた過去を持つ、元・芸能人だ。

 高校進学を機に芸能界を引退、文芸部で同人活動を開始する。

 本人の美貌びぼうと話題性、芸能界時代の繋がり、美麗な絵と目をくコスチュームで、数々の魔法少女・作品にキャラクターやコスチュームのデザイン担当として在学中から参加。そんな『魔法少女』先生のおかげで、初めてのイベントからして『壁』であった。


 ローズの『中の人』が、何故こんな大物と同じサークルなのかというと。

 母親に「生傷が絶えないから運動部は止めてちょうだい」と言われた『コン』が、『カイ』に引っ張られて文芸部に入部。彼女から『魔法少女』先生を従姉妹として紹介されたからである。


 背景アシとして『コン』も手伝った、『世全☆魔法少女』先生が描いた作品。『二人は魔法少女 びっち・ぴいちW』はピーチが二人いるという、初っぱなから意味不明イミフな設定であった。「【奇跡】は二人で起こすもの。最終回に全裸で発光しながらがお約束」とは先生の持論である。

 幻の隠しキャラ筆頭候補の謎モブ【???】が、アイドルとして二人のピーチをプロデュース。厳しいレッスンの果てに究極の魔法を修得。二人で歌いながら【奇跡】を発動して世界を救う。あらすじとしてはそんな感じであった。

 ……余談だが。『二人は魔法少女 びっち・ぴいちW』はR指定がつかないのが不思議なくらい、エロエロな「アイドル・レッスン」モノ。『ドラマCD』版は、ピーチとローズがアイドルユニットを結成。【???】から歌唱指導・演技指導を受けたていからの歌合戦である。

 ぶりっこな感じやちょっぴりキワどいセリフをムリヤリ言わされている感のローズでご飯三杯いけると、評判の良い作品だった。


(アコナイトの進行が早いのが気になる。それこそ一目惚れでもしたんじゃなかろうか?)


(アイドル? ないな。ピーチが二人? 何でやねん! 注意を払うべきはあれか、究極の光属性魔法【奇跡】かな)


(まぁ、マジで同人ネタまで含むとかじゃないなら、そんな気にしなくてもいいんだろうけどね)



 ★★★



 かつて、ローリー男爵家にメイドとして勤めていた平民の女性から生まれたピーチ。男爵の庶子であった為に正妻ににらまれて、母親と二人、下町で慎ましく生活していたようだ。そしてどうやら成人になった前後に令嬢として父方に引き取られ、家庭教師を付けるなど淑女に相応しい教育を詰め込みで受けたらしい。国立シード学園には第三学年生として、夏期休暇明けに中途入学してきた。

 ここまで学園内でれ聞く噂話や、オーキッドを筆頭とした友人達の調べをローズが耳にするに、学園入学の時期や人間関係などはゲームと大体同じ流れ・設定である。


(ピーチの入学からおおよそ半年程は、前世の記憶がない生粋の貴族令嬢ローズだったわけだけど。『ヒロインんん』の記憶は薄い。ま、これはいい……)


 ゲームでもメインヒーロー・第三王子の本格攻略は、最終学年の春からだった。それまでに未来の側近候補達の好感度と信頼度、自身の知力や魔力といった能力を一定まで高める必要がある。RPGにおけるレベル上げ要素みたいなものだ。必然的に、ローズと関わる理由も暇もなきに等しい。


(でもおかしい。第三王子のルート入り確定は、春の魔物討伐で負傷したアコナイト殿下をヒロインが回復出来たら、なのに……)


 そもそも、ローズが【転生者】となったきっかけであるあの怪我は――本来であれば、アコナイトの身に降りかかるべきイベントだったのだ。


 王領である『ダンソウの谷』や『コンジキの平原』は、フォレスト王国内でも魔物の現界げんかいの多発地帯である。しかも十年に一度は必ずスタンピードを引き起こし、その中でも五回に一回程は王都に迫る勢いで甚大な被害がもたらされていたのだ。

 冬の終わり頃に、王宮へ一報が届けられた当初。今回はその当たり年なのだろうと目されていた。

 しかし蓋を開けてみれば、当たり年などという言葉で片付けられる域では済まず。夏になり何とか収束した今だからこそ判じられるが、過去千年に一度あるかないかの魔物現界の規模だったのである。


 ゲームでは次期・国王として武勇に優れたところを示そうと、討伐の前線に立つアコナイト。所属する騎士コースの演習でも、魔物討伐におもむいた事はある。だがそれは無理をさせないよう引率の騎士が複数ついて簡易結界の魔道具でマメに休憩をいれる、安全マージンを十分に確保してでの事だった。

 学生としてではなく現場でお伺いをたてられる立場として戦地に立ち、ペースを掴めず高揚こうように飲まれ最初から全力で戦った為に、アコナイトは早々にバテてしまう。

 ゲームのイベントで彼は遅れをとって肩口に強烈な痛打をくらい、剣を振るえなくなってしまうのであった。

 命に別状があるわけではないが、討伐部隊に合流した直後に戦闘不能に陥ったとなれば、全体指揮や王家への信頼に悪影響を及ぼしかねない。そこへ光属性の回復魔法での治療を買って出るのが、ヒロインのピーチなのである。


 ペースを乱してしまったのは、貴族令嬢・ローズとて同じ事だ。

 いつどこからか現界してきてもおかしくない魔物達。血や汗の匂いなどが混じりあって鼻につく、土埃つちぼこり舞う雑多な空気。

 ―― 初めての本物の戦場 ――

 ローズは雰囲気に当てられて、気力も体も上手な休め方がわからない。

 おまけに皇太子殿下であるアコナイトが不在なのである。婚約者への皆からの悪評や不信を払拭ふっしょくしようと、また、カーティス公爵家からの代表として確実な戦果を上げようと必要以上に力んでしまったローズ。


 ふらふらとした足取りで陣地へ戻ろうとした最中さなか、現界と同時に棍棒を降り下ろす魔物の登場である。通常であれば、現界から魔物が動けるようになるには多少の時間が必要なはずなのだが。

 ゲームイベントであった為に、第一王子や第二王子、魔術師団・団長、騎士団・団長や護衛の騎士達といった戦闘能力の高いメンツが揃っていたのにも関わらず、ローズは成すすべなく負傷して倒れたのであった。


(身長差があるから。アコナイトでは肩口でも、ローズの場合は頭部。魔力枯渇でふらついて僅かでも先にローズが倒れていなかったら……? 多分、原型を留めていなかったかも)


(おまけに。すぐ近くにいたリンデン王子が、最上級の回復魔法を長年研究していたから助かったんだよね。【死者蘇生】は不完全だったらしいけど。魔法が失敗したからこそ、【転生者】として『コン』である私が出てきたんじゃなかろうか?)


(ああ、やはり我が魂に刻まれているのか【ミラクルWww】よ。ローズでも発動とは、お主もやりおるわ)


 ゲームでのピーチも、春先の段階ではアコナイトの完全回復は、数値的には本来不可能のはずである。現実のローズと同じ様に魔力枯渇を繰り返し、魔力総量を増やして初めて成し得るのだ。

 ゲームで成功したのはひとえに、ピーチが【奇跡】を起こす因子――光属性の魔力――を宿しているからであり、レベル上げという揺り起こしとフラグ建てをきちんと行うからであろう。



 ★★★



 今現在はどういう訳か、ゲームの流れからは完全に逸脱してしまっている。シナリオよりも相当早くに、メインヒーロー・アコナイトも完堕ちしたようだ。


 ローズが春期休暇を領地で過ごそうと、王都の屋敷で準備をしていた時。


「詩作に目覚めたアコナイト殿下をお助けする為に屋敷には戻らず、休暇は学園の寮で過ごします」


 そんな内容の事を弟のウィロウが告げにきたと執事から聞かされて、兄のホーリーと顔を見合わせながら困惑していた記憶が以前のローズにある。


(「詩作に目覚めた」って。【詩人化】モードの突入はえーよ!)


 どうも春期休暇に入る前に『ヒロインんんと愉快な逆ハー達』の一員として、身も心も染まってしまったようだ。構成員(レギュラー攻略対象五名)一同、仲良く春の魔物討伐をバックレるくらいに。


(まあ、ゲームではアコナイト殿下に執着していたローズだけど、記憶をさらうとそうでもないし。むしろ第三王子よりも……)


 ローズは目を閉じて、前世の記憶を思い出す前の暮らしや出来事に思いをせた。



 ★★★



 ローズが初めて城に上がったのは六歳の時。

 それまで屋敷に通ってくれていた魔法の教師がローズの才能を称え、より高度に学べるよう王宮の敷地内に併設された魔術師団・本部での修行を推薦したからだ。ローズが火属性特化な為、魔法防御に優れた設備も必要だったという事情もある。


 兄に連れられた最初の登城の際。これから同じ師について学ぶからと、第一王子リンデンと第二王子ローレルに面会を果たした。

 緊張に震えながらも、覚えた作法で精一杯の自己紹介をするローズ。

 そこへ、場の空気を和ませる為にか。率先してひざまずくとローズの小さな手を取り、口付けを落として優しく語りかける一人の王子様。まるでエルフのように美しいと評判のかんばせに麗しい微笑みを浮かべ、幼い令嬢を安心させようと見つめるのはリンデンだった。

 ローズが主人公の乙女ゲームなら、確実にスチルになっている。そんな一場面だろう。


 ローズは自身の胸元に左手をそっとあてる。伝わってくる「トクトク……」という心音は、心なしかいつもより早く感じられた。


(……うん。今思い返してもある胸の高鳴り。ローズの、無自覚の初恋ってところかしら)


 最初の挨拶の日から数日置きに魔術師団へ赴く事になったローズは、当時の魔術師団・団長の元での修行中に、リンデン達とはよく顔を合わせるようになっていく。


 状況が変わったのは八歳の時。陛下から皇太子に指名されたアコナイトとの、正式な婚約が決定したのだ。

 妃教育の為に魔術師団での修行の時間がずれてしまい、リンデンと顔を合わせる事はほとんど無くなってしまう。

 ローズは一抹いちまつの寂しさを覚えたが、貴族令嬢としてこの上なく名誉な事だと、次代の国王を支えていこうと幼いながらに決意していた。


 正妃腹の皇太子と、宰相を務める公爵家の令嬢。しかも同い年とくれば、世間的に見ても何等不足の無い組み合わせである。

 問題があるとしたら王妃の実家、グリム侯爵家当主、その人の性格だろう。

 次期・国王の外祖父として政治的勝ち組として振舞い始め、影では――公爵家も王家も自らに従うかのような――様々な発言をしていたようだ。


 ローズがアコナイトと初めて顔を合わせた時。グリム侯爵の影響を多大に受けて育った婚約者は、開口一番に信じられないような言葉を吐き捨てた。


「しょうがないからもらってやる。せいぜい俺を喜ばせる為だけに奉仕し、生きろ」


 言うだけ言ってしまうともはや興味も失せたとばかりに、アコナイトはすぐさま背を向ける。しかも婚約者であるローズを差し置いて、弟のウィロウをはじめとした友人達の手を取ると、遊びへと繰り出して行った。凍り付いたように固まったままのローズには、一切の見向きもせずにである。

 最初は気のせいか、何かの間違いや行き違いだと思おうとした。何がお気に召さなかったのだろうと、ローズはドレスの胸元をキュッと握る。自分を責めるような考えばかりが浮かび、目の前が涙でにじんでいくのを、なんとかこらえようと唇を噛む。


「照れていらっしゃるのですよ」


「今はとにかく遊びに夢中な年頃でして……」


 そこへ、現場に居合わせた者達が何とか取り成そうと、次々にフォローの言葉を口にし始めた。

 彼らの配慮に感謝をしたローズは、次に顔を合わせた時にはきちんと挨拶をと思う。自分を奮い立たせ、歩み寄る努力をしなければと心に誓うのであった。


 だがアコナイトは遊びから戻った後も、


「護衛も侍女もけて楽しかったな」


「いつもなら反対されただろうが、好きに物が食べられて良かった。あの菓子は気に入ったぞ。城にも仕入れさせよう」


 などと言って、友人同士の話に花を咲かせるばかり。ローズの誓いなど知るよしもなく、完全に無視を決め込んで好き勝手に振舞い続ける。


 政略結婚に愛情は必須ではない。必須ではないが、同い年の婚約者の余りの態度に、決して埋まる事の無い深い溝が出来たのだった。


 また、主の態度は将来の側近候補にも伝播でんぱしていく。


 脳筋のヴァインは深く考える事もせずに、アコナイトの暴言をただおうむ返しにローズに叩き付ける。

 自分より魔術師団での評価が高いローズが気に食わないトランクは、魔法の訓練中に自らが失敗したかの様に装いつつも、常に細々とした嫌がらせを行う。

 弟のウィロウも。公爵家の後継ぎにはなれそうもないし、女というだけで出世をする双子の姉を妬み、影ではローズに辛く当たった。


 まだ幼いローズは、数々の仕打ちに混乱して折れてしまいそうになる。婚約を無かった事にしてもらいたかったが「グリム侯爵に逆らう人物は不審な死を遂げる」と、まことしやかな噂を耳にし、家族を守る為に涙を呑んで受け入れるのだった。


(ゲームでのアコナイトへの執着は、実はこの辺りから来てたんだろうなぁ)


(愛想を尽かされたら家が危ない。どこかの段階で……辛過ぎて恋心に変換して、自分を誤魔化したりなんかしちゃったりしてさ)


(現実のローズは、ただ義務として捉えようとしていた。王妃としての公務と、男の子を一人産めさえすればいいと)



 ★★★



 ローズとアコナイトの間に変化が起こったのは、ゲームの舞台となる国立シード学園入学の前。

 月の物が始まり、それによって性教育が行われたのである。漠然と「男児さえ産めばいい」と思っていたローズは、アコナイトに触れなければならない事に血の気の引くくらい、ひたすらの恐怖を覚えた。

 また、性教育を受けたのはアコナイトも同様なのだろう。これまでとは違う、ギラついた光を宿した舐め回すような視線。パートナーとして仕方無く相手をするダンスでの、過剰な程の接触。

 ゲームでの悪役令嬢としての役割でもあるのか、ヒロインとの対比の為か。ローズは発育もスタイルも良く――18禁版では性的なざまぁがある程――妖艶ようえんさを全面に押し出すかの様に成長していった。


 ある王宮での催しの為にアコナイトから贈られたのは、年齢に見合わない殊更に胸元を強調したドレス。

 婚約者であり、皇太子殿下からのプレゼントを身に付けない訳にはいかず。羞恥しゅうちに震えながらローズが迎えの馬車に乗り込むと、アコナイトは下卑た笑みで胸の谷間にしか目を向けない。

 ローズは必死に吐き気を堪え、固く強張った笑みで何とかアコナイトとの一曲を踊りきる。すると――


「気分が悪いようだから部屋で休むといい、用意させてある。案内しよう」


 そう口にしたアコナイトに手を引かれ、大広間を後にする事になる二人。

 廊下に出た際にアコナイトと同じ意味の視線を寄越し、同じ方向に歩き出したグリム侯爵を捉えたローズは、咄嗟とっさにアコナイトの手を振りほどくと、飾られていた壺を倒して壊していた。

 その身を取り巻いている状況から逃げ出したくて、無我夢中だったのであろう。ローズは声を上げて泣きわめく代わりに、破片を強く握り込んでいた。手袋をしているとはいえ、傷付き、ローズの掌からにじみ出る赤い染み。

 すぐさまローズの母や使用人逹が駆け付けると、関係者を含めてその場から遠ざけられたのだった。


 ふとローズが我に返ったのは、王宮内の休憩用の部屋に入室したタイミングである。改めて部屋を見回すと、母のカメリアと二人の女性回復術師が一緒であった。

 ホホバという名の女性は、ローズの手の怪我の治療の為にこの場に居合わせた。あとを残さずに皮膚も美しく治すと、貴族の女性達を中心に一目置かれる術師である。

 もう一人の回復術師は代々王族の出産に携わる一族の出身で、当代の責任者であるジャスミン。未来の国母の為、それとなく月の物が定期的にくるかなどを確認したり、今回の件のケアの為に同席したのだ。


 以前に性教育に関して教えてくれたジャスミンの姿を認めたローズは、うつむかせていた顔を上げて彼女にすがり付く。


「……い、一度だけ。一度だけで確実に男の子を授かる魔法か、魔道具はありませんか? いちどだけなら……死ぬ気でがまんします」


 つかえながらも胸のうちを言葉にし、はらはらと涙を流し始めた娘をカメリアが支える。それから三人の女性に問われるまま、アコナイトとの出会いから今日までの出来事を、ローズは洗いざらいぶちまけるのだった。


(……アレだよね。思春期特有の潔癖? いやとにかくパニくった)


(ローズよ。一度で絶対に男児出産なんて方法があれば、歴史が変わるよ。まかり間違えたら人類滅びかねないから)


(「死ぬ気で」って。生理的に受け付けてないよね。私はどうなんだろう? まだ本物に会ってもいないからな〜。【状態異常:詩人化】フルスロットルなアコナイト様なら、多分……ム・リ)


 ローズの話を聞いてカメリアは、何も言わずにただ優しく娘を抱き締める。自分の為に調香ちょうこうされた香水を一滴落としたハンカチで愛娘の涙をぬぐい、頭や背中をゆっくりと撫で続けた。


「不敬な発言に対する罪は全て私にあります。罰するのならどうか、私一人にして下さいませ」


 そう涙ながらに締め括ったローズ。悲しみや混乱の中にありつつも瞳の奥底に宿る強い光は、むしろ、追放や処刑くらいを望んでいる様だった。

 二人の女性回復術師はそんなローズをなだめようと、静かに言葉をつむいでいく。婚姻前の性交渉は王宮としても望んでいないので、アコナイトに対する再教育を約束してくれた。

 そして、しばらくは適切な距離を置いた方がよいだろうと。体調不良を理由に、行事等の欠席も勧めてくれたのである。


 両親の後押しと兄の支えもあり、アコナイトとの関わりを一時的に断って心の平穏を取り戻すローズ。

 そうこうしている内に入学となり、学園では逆に見向きもされなくなる。寮に連れてきた侍女に溺れ欲を満たしている風だったが、ローズはその事にものすごく安堵あんどした。

 どうしても参加しなければならない催しに現地集合をして、挨拶や一曲だけのダンス。アコナイトとローズの二人は、在学中は本当に必要最低限の関わりとなったのである。


 前世の記憶を思い出してからは、『ヒロインんん』の進め具合を推測しつつ、むしろ婚約破棄ウェルカム。魔法の実力だけでも食べていけるし、実力的に国外追放や処刑等は得策ではないだろうから、今は大して心配もしていない。


(ダテに厨二魂を発揮して、『薔薇炎』の二つ名を得たワケじゃないっつーの!)


(――ねぇ、大丈夫だよ。ローズ。そりゃ私は怪我とかさせちゃうような、うっかりさんだけどさ。たとえ婚約破棄されたとしても、家だって守るし、たくましく生き抜いてみせるから)


 ローズは添え木で固定された右腕をかざして見上げた後、胸元に下ろしてじっと反応を待った。


 春の魔物討伐の際。頭部への致命的な一撃を受けて、心肺停止状態に陥ったローズ。【転生者】として『中の人』が代わりに体を動かし始めた当初、ローズと『コン』の二人は脳内で会話が出来ていたのだ。

 ただ、『コン』が新たに得た体に馴染む度に。魔法を使いこなせるようになるごとに、元々のローズが感じられなくなっていく。『中の人』を表す『コン』の呼び名を思い出した今では、ますますローズが遠い。


(どうしよう。このまま居なくなっちゃうなんて嫌だよ。何とか言って、ローズ)


 そうローズが考えた矢先、部屋の扉が叩かれる。




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