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037 僕と兄上とホーリー



 ★★★



 あの【毒耐性】の件から、僕は勉強するようになった。キライだとか言っていられない。死んでしまう! そう、“死ぬこと”がどういうものか、なんとなくわかった気がして。それ以上に兄上がオソロシイ。


 第一王子である兄上は、毎日毎日教師から勉強を教わっている。僕には僕の先生がいたのだが、これまでロクに話を聞いていなかったし、アコナイトの教師になるとかで会わなくなって、兄上と一緒の先生に教わり始めた。ただ、二つ年上の兄上と、今まで不まじめだった僕が、同じ話を聞いてもわかるわけがない。兄上は先生にお願いして、僕のためにもう一度始めから教えてもらうことになった。

 授業の進めかたはこうだ。まず先生がお話をして、兄上が「ここまではいい?」と僕に聞いてくる。だいじょうぶな時はそのまま先に進むし、ダメな時は兄上が僕の教師となって教えてくれて、僕はやっとおぼえることができるんだ。


「本日はここまで。……また、予定の所まで進める事が出来なかったですな」

 と、先生がため息を吐き出しながら部屋を去って行くのがお約束だった。


 先生にそう言われて、僕がなにも思わなかったわけじゃない。ついチラリと兄上の顔を見てしまう。今までもう少し勉強してたら、兄上の足を引っぱらなかったんじゃないかな。


「問題ないよ、ローレル。基礎は大事だからね。今しっかり勉強しておけば、この先もついていけるよ」


 落ちこみかけた僕の頭をなでながら、兄上は優しく言葉をかけてくれる。今でも先生の話がわからなくなると、部屋を飛び出して遊びに行きたくなるけど、兄上が僕のためにわかるように教えてくれるのだから、僕も逃げずにがんばろうと思った。



 ★★★



 僕の七歳の誕生日の少し前、とっても珍しい事が起こった。

 授業の終わった後の僕と兄上の勉強部屋に、父上が大勢のお供を引き連れて現れたのだ。これは今まで一度もなかった事で、その日の授業内容を忘れないように本とにらめっこをしていた僕も、顔を上げてポカンと固まってしまった。


「息子はどうだ?」

 空色の瞳を細めて、短く教師に質問をする父上。


「はっ。授業には大変熱心に取り組んでおいでですし、また深くご理解されておいでです。ただ、その代わりと申しましては、修得に些か時間がかかり過ぎる傾向がございます」


 先生は父上に、ありのままを答えるが全てじゃない。僕のせいで勉強が遅れているって、ちゃんと言わないと。

 兄上はとっても頭がいいし、もっと難しい内容だってきちんとわかっているのに。


 僕は声をかけるかどうかを迷って、父上や教師の顔を見比べる。すると、父上の後ろに立っていたハデなおじさんがこっちに歩いて来て、開いたままの本や書き付けを見て「フンッ」と鼻で嗤った。


「おお、これはこれは。遅れていると言ってもここまでとは。アコナイト殿下はこの辺の内容はとうに学び終えられていると聞きますぞ。どの王子が一番優秀か。これはもう比べるまでもないですな」

 ハデなおじさんはそうしゃべった後、兄上と父上に、見ていて気持ちの悪くなる笑みを向ける。僕の事は見向きもしない。


 父上は、まるで「どういうつもりなんだ?」と聞いているような目で、兄上を見つめる。兄上はほんのわずかに肩をすくめた後、視線だけで僕の方を見た。つられたように視線だけを僕に向けた父上は、一つ息を吐いた。


「そうか。リンデンには期待していたのだがな……」


 父上はそれだけをやや低めの声でしゃべると、来た時と同じように、大勢のお供を連れて部屋を出て行った。後に続くように教師も出て行く。

 残されたのはボーゼンとした僕と、全く気にした様子もなく後片付けをする兄上。


「兄上……」

 父上があんな事を言うなんて、僕はショックだった。ちゃんと理由を話して、問題なのは僕だと、父上にわかってもらわないと。


「ローレルにお願いがあるんだけど」

「なんでしょう? 兄上」

「あのね。陛下達がこの部屋に来るのは、たぶん今日だけの事じゃないよ。各先生の授業ごとに来るんじゃないかな。そしてその全てで、さっきのやり取りが行われるんだ。だからローレルも、よけいの事は言わないで協力してね」

「兄上はそれでいいの?」


 兄上がどういうつもりかわからなかった僕は、恐る恐る聞いてみた。

 それについての兄上の返事は、あのちょっとコワイ微笑みだった。


 それから兄上の言う通り、父上達は全ての科目の終わりに現れた。ハデなおじさんは会うたびにハデになっていき、「アコナイト殿下の方が何と優秀な事でしょう」と、父上に猫なで声で話し掛けていた。

 最後の授業の時、父上は兄上と僕の前に立って首を左右に振ってこう言った。


「残念だ」


 父上の言葉をどう捉えたのか、ハデなおじさんは父上の背後で

「後継者はアコナイト殿下に決まったようなものですな。いやはや、陛下のご英断には……」

 と、ずっとしゃべり続けていた。

 父上は特に耳を傾ける様子もなく、兄上と僕の頭の上に手を置いて、口をパクパクと動かした。


『よくやった』


 ハデなおじさんからは見えない位置で、ニヤリと笑う父上、口角を上げて答える兄上、置いてけぼりな僕。


 父上達が去っていった後、僕は兄上の方を見る。兄上は本をパラパラとめくってから、僕に見せてきた。


「この辺りまで勉強してからの方が、ローレルも理解しやすいだろうから、もう少し待って。ちゃんと説明するから」

「わかりました」


 ……今までのやり取りで、父上も先生達もハデなおじさんも兄上も、僕の事を考えない――いないも同然に話を進めていた。

 置いてきぼりでついて行けない僕。果たして追い付けるんだろうか。



 ★★★



 毎日授業を受ける日々。そんな時、僕はもちろん、兄上もある物についてつまずいた。


「兄上、お金ってどのようなモノなのですか? 僕、本物を見た事も触った事もないです」

「……私もない。そうだね、これはちょっと特別に授業をしてもらった方がいいかな」


 兄上が「お願いしてみるよ」と口にしてから三日後。特別授業という事で、昼食後にいつもとは違う部屋にやって来た。

 それは窓から美しい庭を楽しむ事が出来て、母上がお茶会を開くのに使われているサロンだ。部屋の中の日当たりのいい場所に置かれたテーブルセットに、すでに三人の人物が着席しているのが見えた。


「二人共、こちらへいらっしゃい」

「母上!」


 金に近い茶色の髪を結い上げて、飾りの少ないクリーム色のドレスを着た母上が、僕と兄上に微笑みかけてくれる。母上も特別授業に参加出来るのが楽しみだったらしくて、僕と同じフォレストグリーンの瞳がキラキラと輝いて見えた。

 僕は、声を掛けてくれた母上の元へ走って行って抱き付いた。


「まぁ。ローレル様は相変わらずお元気でいらっしゃる事」

 母上の隣の席に座り、扇をパタパタとあおぎながら笑顔で話掛けてきたのはカーティス婦人。母上とは仲が良くて、よく一緒にお茶を飲んでいる。


「こんにちは、カーティス婦人。本日はありがとうございます」

 ゆっくり歩いてきた兄上が挨拶をしたので、僕も母上から離れて礼をする。


「こんにちは、カーティス婦人。今日はカーティス婦人が先生なんですか?」

「私も、と言ったところですわね。主に教えるのは息子のホーリーになります。ホーリー」

「はい。お久しぶりです、リンデン王子、ローレル王子。本日はよろしくお願いします。私が教師という話ですが、あまり難しい事は教えられません。一緒に学んでいきましょう」


 カーティス婦人に声を掛けられて、隣に座っていた少年が立ち上がって挨拶をしてきた。小さい頃に一度か二度会った事のあるホーリー。僕と兄上に紹介される子供は多くないので、僕も彼の事は覚えていた。


 母上に促されて、兄上とホーリーと並んで椅子に座る。まずは全員でお茶とお菓子を口にした。その後、カーティス婦人の合図を受けた男性の使用人が、僕達の前にトレーを置いた。上にかけられた布が取り払われると、一つ一つ模様の違う、色々な形の石や金属が並べてあった。同じ色の金属でも、大きさの違う物が何種類かある。どれもピカピカしていてとてもキレイだ。


「さ、ホーリー。説明して差し上げて」

「はい。ええと、今見て頂いているのがフォレスト王国で一般的に使われているお金です。この中で一番価値が低いのが石貨で、それから順に青銅・銅・銀・金・白金となります。また、フォレスト王国では基本的には扱われていませんが、他の国ではミスリル銀や魔力結晶を貨幣として使用している事があって、取り引きする場合もあります」


 手に取って触ってもいいと言われたので、僕は石貨から順番に持ちながら、ホーリーに質問をする。


「価値が低いとは、どういう事なのですか?」

「それはですね、例えば石貨ではパン一つ手に入れる事はできません。しかしこちらの白金貨だと、この部屋に入りきらない程のパンと交換できますよ」

「わぁ……」

「それにしても、まさか白金貨まで持ってきて下さるとは」

「あら、リンデン様。王族や貴族でしたら取り引きする事もあるでしょう。今日は勉強をする場ですもの、実物に触れる事も大事ですわ。本当はもう一つ上の物もお持ちしたかったのですけれど」

「もう一つ上? まだ他にもあるのですか?」

「ええ、ございますよ、ローレル王子。白鱗貨《はくりんか》と言いまして、私も見た事はありません」

「リン?」

「ドラゴンの鱗《ウロコ》を特別に加工した物だよ、ローレル。儀式で用いると、魔物の発生を抑える結界が張れるんだ。新しい土地の開拓――人が住む村や町を作るのには必要だけど、材料であるドラゴンの鱗はおいそれと手に入る物ではない。数も少ないし、貴重だから白金貨以上の価値で扱われているね。通常は国が管理をして、褒美として与える事もあるよ」

「夫に掛け合ってはみたのですけれど、国庫から出すのにも陛下の許可が必要なので、難しいと言われましたわ」

「仕方ありませんよ。私とローレルはこの先、儀式に立ち合う機会があるかもしれません。実物はその時確認すればよいでしょう」


 それから僕と兄上とホーリーとで、どのお金で何がどれだけ買えるのか――パンやお肉や果物、護衛の騎士の剣や、母上達のドレスや目に入った物――を考えたり予想したりした。

 また、王都の民の家族が一日にいくらくらいで生活しているのか、賃金・税金の事。物の値段は常に一定ではなく、豊作や戦争などでも変わる事なんかを話し合って、とっても勉強になった。


 僕達の話し合う様子を見て、母上とカーティス婦人は穏やかに微笑んでいた。


「そうしていると、三人は兄弟みたいね」

「ええ、そうですわね。年頃も近い事ですし、尚更」

「僕はもうすぐ七歳になります。ホーリーは?」

「私は八歳になったばかりです」

「私が九歳だから、本当に年が近いね」


 だいぶ話し込んじゃったから、この日はこれでお開きとなった。

 特別授業がきっかけで、僕と兄上の普段の授業に、ホーリーも参加するようになった。毎日のように、カーティス公爵と一緒の馬車で、お城に来るようになったのだ。


 授業の形はまた変わった。兄上とホーリーは授業内容について話し合うようになり、よく先生もそれに加わっていた。僕は聞いているだけの事が多かったけど、わかりやすくて楽しんでいて、勉強する事が苦じゃなくなっていた。いつの間にか先生が予定していた範囲に追い付いたり、遥かに難しい内容を話し合うようにもなっていた。


 ホーリーとは勉強以外にも、剣や乗馬、ダンスや礼儀作法、昼食や休憩のお茶も一緒に過ごすようになり、兄上と僕の三人で、確かな友人関係を築くようになった。



 ★★★



「近いうちに、妹が挨拶に参ります」


 授業を終えた後のお茶を楽しんでいると、ホーリーがそう切り出してきた。

 一緒に勉強をするようになって数年。兄上が十一歳、ホーリーが十歳、僕が九歳になっていた。


「妹?」


 いたっけ? ホーリーの弟なら聞いた事があるんだけど。

 僕の表情を見てとった兄上が、僕に教えるように話をしてくれる。


「アコナイトの学友のウィロウ。彼の双子の姉だよね。カーティス公爵家秘蔵の令嬢を、ようやく表に出す事になったわけだ」

「秘蔵するつもりはなかったのだけれど、少々事情がありまして。妹は生まれつき魔力量が多く、また、精神的に不安定な状態になると魔力暴走を起こしやすいのです」


 ホーリーの話を詳しく聞くと、最初の魔力暴走は彼女が一才の頃。カーティス公爵家の領地で過ごしていた時に、乳母が一日三十分くらいの日光浴をさせていたそうだ。ホーリーの妹を揺りかごに入れて、庭の敷布の上に寝かせたところで他の使用人に呼ばれた乳母は、幼い彼女を一人残してその場を去った。


「私も妹弟《きょうだい》達と庭で過ごそうと思って、玄関へ向かったのです。乳母とすれ違って、妹が一人で取り残されたのはほんの数分でしょう。外に出たところ叫ぶような泣き声が聞こえてきて、庭へ走っていったら、妹がコブシバチの大群に襲われていたのです」

「コブシバチ?」

「カーティス公爵領に生息する蜂の一種で、一匹一匹がローレル王子の握りこぶしくらいの大きさがあります」

「げ!?」

「私もそれを見てパニックになりましたよ。でもそれ以上に恐ろしかったのは、目の前で妹の体ごと火柱に包まれた事です」


 ホーリーの話を聞いて、僕も兄上も絶句してしまった。ホーリーは当時を思い出したのか青い顔をしていたが、お茶を飲んで落ち着こうとしているようだった。


「火は蜂の大群を全て焼き付くして消えました。妹の泣き声が聞こえてきたから、慌てて近くに行って、髪の毛の先の方が焦げていたのを素手で叩いて消しとめました。揺りかごと妹の着ていたベビードレスは、全て燃え尽きていてましたね。後で調べてわかったのですが、スキルのおかげで妹自身は火傷一つ負っていませんでした。けどその場ではそんな事を知らなかったから、大泣きする妹を消し炭の中から救い出して、抱きかかえながら私も号泣してましたよ」

「無事なんだよね、今も。良かったよ」

「火柱の原因は?」

「妹自身の魔法です」

「コブシバチは魔物だろう。一才で群れを討伐とは末恐ろしいね。そして、それとは別に“キナ臭い”感じだね」

「王妃様のお産みになった王子と同い年の公爵令嬢ですから。ウチも周辺もいろいろあるという事です」

「いろいろって?」

「“社会勉強”だよ、ローレル」

「一才なのに!?」

「挨拶は私達だけ? それとも?」

「今のところはお二方、強いて言うならリンデン王子へのお目通りです。一才のあの日以降、妹は度々魔力暴走を引き起こし、着ている物や寝具を焦がす事があるのですよ。ですので身内以外と接するのは控えさせています。魔力のコントロールを身に付けるが急務として、物心が付く頃には魔法の家庭教師から指導をしてもらっていたのですが、この度、魔術師団での修行を薦められまして」

「カーティス公爵家の令嬢で、かつ、それ程の魔力があるのなら、確かに私と同じ師につく可能性は高いね」

「ええ。ですのでリンデン王子には妹を気に掛けて頂きたいのです。今でこそ毎日のように王城に通っていますが、小さい頃の妹は、私が育てたようなものですから」

「ホーリーが? 赤ちゃんを育てたの?」

「スキルがあるからだよね?」

「ええ。私は【火属性魔法無効】を生まれつき持っていたようですから。両親のサポートを受けて、妹の世話を私が。その為に弟の世話は、乳母や使用人達が中心になって行っていました。弟には寂しい思いをさせてしまったし、そのせいかちょっとワガママに育ってしまったんですよね」

「アコナイトとは気が合っているようだけど」

「ああ、あれはね……」


 ホーリーは首を横に振って立ち上がった。


「とにかく妹です。城に上がるのも初めてになりますから、お手柔らかに」

「ホーリーの妹なら、可愛がるよ」

「それは……、どうでしょう? 【魔力操作】や【魔力制御】のスキルを覚えてスキルレベルを上げたら、アコナイト殿下にもお目通り願うでしょうから、なんとも。いえ、今は同じく魔法を学ぶ同士、交流をして頂けたらいいと思います。では、本日はこれで失礼します」


 僕は、去って行くホーリーを見送りながら、もうすぐ会うことになる彼の妹の事を考えた。


「どんな子なんでしょうね?」

 兄上と同い年やちょっと年上の貴族令嬢だと、化粧をして香水をつけて、兄上にベッタリしてくる人達もいるけれど。


「ホーリーが育てたというのなら、ワガママだという事はなさそうだけど。楽しみだね」


 僕はちょっと驚いて兄上を見た。今まで――いや、そんなに人数も機会も多くはないけれど――令嬢を紹介される事になって、兄上が「楽しみ」なんて口にした事はなかった。

 この先に何かが起こるような言い知れぬ予感に、僕は身震いをしたのだった。


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