036 俺と、兄上のスキル
★★★
「それはそれは……」
ローレルからリンデンとのエピソードを聞いたホーリーは、苦笑を漏らした。 ホーリーの両手の中で空になった杯がくるくると回される。銀食器に施された切り込みに魔道具の光がキラキラと反射して、その光に見蕩れたように視線を向けていたローレルは、ワインを呑み干して杯を使用人に渡す。
杯を受け取ったグラスはローレルとホーリーにそれぞれワインを注いだ。いつの間にか、ボトルは二本目になっていた。
「リンデンから直接聞いた事は無いけど、やっぱり……?」
「ああ。兄上は【鑑定】のユニークスキルを持っている」
「だろうとは思っていたけど、ユニークの方だったのかい? ドラゴンの血を引く者に発現すると、まことしやかに言われているけれど」
「ドラゴンの血に関してはわからん。ただ、建国王の頃に何らかの盟約――魔法が使われたのは確かのようだ。王の許可なくば解放されない禁書庫の中でも、王族しか立ち入れない一室がある。そこにちょいと変わった魔道具があってな」
「その言い方だと、ローレルは見たのかい?」
「まだ子供の頃、許可をもぎ取った兄上に付き合って入った。それの見た目は“本”だな。王族の血を引いた者、一度でも王族籍に入った者は、名前と性別と生年月日が自動で記載される。また死亡した場合は略歴や、ユニーク及び後天的に取得したスキル全てが表示される。それだけと言えばそれだけなのだが」
「へぇ〜。でも他じゃ聞かない魔道具だね」
「兄上が、歴代の王達の頁を捲りながら考え込んでいたから訊ねたのだ。【鑑定】の項目を指しながら『これはいいんだけど、他がわからないんだよな』と、あの時は言っていたが」
「他? それは単なるスキル? それとも……」
「兄上は少なくとも、三つ以上のユニークスキルを持っている。俺も詳細は掴みきれていないが、それは確かだ」
ホーリーはローレルの言葉に、目を見開いて固まってしまう。少ししてワインを呑み干すと、黙って杯を差し出す。グラスは応えてワインを注ぎ、杯はテーブルの上に置いた。
給仕として控えていたツリーは、
「こちらの、ハーブがアクセントになっているサラダがお勧めでございます」
と、取り分けてホーリーに手渡す。
ホーリーは独特の苦味と風味を持つハーブを噛み締めて、ようやく戻ってきた。
「三つ以上って……、リンデンはまるで伝説の英雄や勇者様のようだね。その事がもっと早くに広まっていたら、後継者指名も、違う形になっていただろうに」
「それはそれで“社会勉強”の頻度や本気度が跳ね上がっていただろうから、勘弁願いたいな。禁書庫の魔道具を読む限り、建国王の頃は複数のユニークスキルは然程珍しくもなかったようだが」
「ああ。世代を重ねる毎に魔力総量の低下は言われているねぇ。ローズは可能性が指摘されていたけれど、リンデンも先祖帰りなのかな?」
「やもしれん。この事がほとんど知られていないのは、兄上のスキル全てを見通せる者がいないからだ。最低でも、兄上と同じようにユニークスキルで【鑑定】するか、後はドラゴン達くらいだろう。ちなみに、もう一つのユニークスキルの事を、兄上は【閲覧資格】と仮称していた」
「閲覧とは何の? 禁書庫の事かい?」
「ホーリーは神話の本を読んだ事はあるか? その中に、世界中全ての知識や叡智を収めた、実体を持たない“大いなる図書館”があると書かれていた。その大図書館の【閲覧資格】らしい」
「……」
ホーリーはまた固まってしまった。
今度はペトルが肉料理を小皿に取り分けて、ホーリーに手渡した。
「こちらの料理は辛さがアクセントになっていて、お勧めでございます」
ホーリーは取り分けられた肉料理を全て平らげてから、ワインを一息で呑み干した。
「それはそれは……。物凄く」
「『正直微妙』だと兄上は言っていたな」
再び目を見開いて固まり、ローレルを凝視するホーリー。ローレルは肩をすくめて苦笑いを向けてから、ワインのおかわりを頼む。
ローレルとホーリー、双方の杯を満たしたグラスは、三本目のボトルに手を伸ばした。
「さっきの話を例に出すと、単に“毒”について知りたいと思っても、スキルは返答を寄越さなかったらしい。幼い頃の兄上は、使い方がさっぱりわからなかったそうだ。ただ、王城内の“毒”に関する本を数冊読み終えた頃から、【鑑定】と連動して、応用の知識は与えてくれるようになったと。具体的には六歳男児の毒の致死量とかだな」
「そうか。それは確かに、やろうと思っても簡単に割り出せる物じゃないし、その……、生かさず殺さずの状態を維持するのもそうだ」
「万事がそんな感じらしい。まず兄上自身が本を読んだりして、基礎知識を得るのが大前提だそうだ」
「使いこなすのは難しそうだねぇ。リンデンは昔から、読書家の勉強家だと思っていたけど、そういう背景もあったんだね」
「ま、その代わりに一度読んだ本に関しては、補助として教えてくれる事もあるらしい。一番頻度が高いのは、貴族名簿だと言っていたが」
「貴族名簿?」
ホーリーは怪訝な表情を浮かべて、ローレルに説明を求める。
問われたローレルは、苦味と寂しさとを複雑に混ぜたように笑って、ホーリーに答える。
「小さい頃から度々あったが、それなりに接する機会のある使用人・護衛・教師の顔を、兄上がじっと見詰める事があった。相手は『如何なさいましたか?』と問い掛けるが、その時兄上が泣き出しそうな表情で微笑んで、首を横に振った人物達は、尽く姿を消していった」
ローレルはそこまで口にしてから、グラスの方を見る。視線を受けてから、グラスは恭しく頭を下げた。
「王家の“影”達の中でも【鑑定】のスキルを持つ者が副頭領の位置に就き、“草”の名で動く。公爵家の後を継ぐホーリーとは接する機会もあるだろうから、覚えておいてくれ」
「ひょっとして、夏にウチの屋敷で、彼の男爵令嬢モドキを取り抑えてくれた人かい?」
「左様でございます」
「“影”全体は陛下の意の下に動く。一部を、兄上が許可を得て指揮しているんだ。グラスは兄上の窓口だ」
「リンデン様が首を横に振った者達を、私の方で改めて【鑑定】致しますと、所属の欄の仕える貴族の名が以前とは変わっていたり、称号の欄に【裏切る者】などと記載が増えていたりします。泳がせつつ背景を探り、時として“社会勉強”に協力して頂いた後、然るべき対処をしております。ただ……。ただ私の方でも、全ての人物を常に【鑑定】している訳ではございません。そもそもの切っ掛けを示して下さるリンデン様のご慧眼には、感服するばかりでごさいます」
「その切っ掛けで活躍するのが、おそらく三つ目のユニークスキルだ。兄上は『全然使いこなせない!』と吼えていた事もあったが。スキルの名称はおそらく【心読み】だ」
「心を読めるの? リンデンが? それヤバ……危険じゃない?」
「『使いこなせない』と言っただろう。基本的に“負の感情”のようなものが感じられるくらいだったそうだ。兄上が乳飲み子の頃は、それに反応して大泣きする事で“影”が動き、幾つもの危機の回避に繋がっていたようだ」
「ちょっと待って、聞き捨てならない。『だった』って事は、今は?」
「……。ローズ嬢と出会ってからの兄上は、俺が引くくらい特訓を重ねていた。俺のように、いつも身近にいて信頼の置ける人物に関しては、たまに読めるようだ。それらしい受け答えも出来るし」
「ローズに関しては?」
「……。常に全力で発動しているんじゃないかな? それでも全ては無理だと、心底嘆いていたが。ただ、ドラゴン達との【念話】に触れただろう。【心読み】はそれの下位スキルだったらしくて、『たった一人に対象を絞ってなら、スキルをラクに扱えるコツを掴んだ』と。喜んだあの時の兄上の笑顔もまた、恐ろしかったな……」
「どうしてこうなったんだろうねぇ。私がリンデン達に初めて会った頃は、彼もああじゃなかったのに」
ホーリーの言葉を切っ掛けにして、二人でワインを呑みながら、出会った頃の話で盛り上がっていった。




