002 夏期休暇の予定を聞いたら……イベントスイッチのようだ
★★★
クラスメイトから受けるこれ以上の誉めは『ライフがゼロ』の元だと、ローズは話題を変える為に自ら話をふる事にした。
「いよいよ学園生活最後の夏期休暇ですわね。皆様のご予定はお決まりになりましたか?」
「私は領地に。母がたくさんのお客様をお招きして、パーティーを開いてくださると」
ローズの問いに最初に言葉をつむいだのは、マクローリン公爵家の令嬢であるオーキッド。
緩いウェーブを描く薄紫色の髪には、瞳の色に合わせて焦げ茶色の地属性魔石をカッティングしてあしらったカチューシャを付けている。常に慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、落ち着いた雰囲気を醸し出しているクラスの纏め役だ。
ちなみにゲームでのオーキッドは、ローズに次いで二番手の悪役令嬢である。『愉快な逆ハー達』の構成員で宰相子息、ウィロウの婚約者。
そのウィロウといえばローズの双子の弟であり、本来ならこの場にクラスメイトと共にいなければならない立場なのだが。
最近は授業もロクに出ていない。今回の試験すらもブッチして、今もおそらく他のメンバーと共に生徒会室で“キャッキャッウフフ”な逆ハー活動に精を出している事だろう。
オーキッドの言葉を意訳するとしたら、
『両親のツテで隣国の有力貴族や――もしかしたら王族の一員も参加して下さるかしら? 婚活お見合いパーティーの予定です』
だろうか。
オーキッドの生まれたマクローリン公爵家は、フォレスト王国の外交に不可欠な貴族家だ。領地は隣国との国境線に沿った形に存在して、公私にわたって付き合いも深い。決して大袈裟でも何でもなく、隣国の王子をパーティーに招く事は可能なのであろう。
ローズはオーキッドに微笑みかける。「……アレな愚弟でスマン」と。
手にしていた扇子で口元を覆ったオーキッドは、「ローズ様のせいじゃございませんわ。姉妹になる日を待ち侘びておりましたけれどね」と目を細める事で答えた。
双方ともに疲れた感じを滲ませながら、目と目で会話をするローズとオーキッド。『ヒロインんん印の電波病』感染拡大に伴い、磨かれていったスキルである。
「私も領地へ。こちらは少々厄介な問題の片付けになります」
と、何やら不穏な言葉を発するのはリリー。親類・縁者は騎士や兵士を目指す者の多い武門系のフォーブス伯爵家の出とあって、武器を用いての攻撃も得意とする令嬢だ。
クラスの女子で一番の長身。ポニーテールにしているのはストレートの金髪。アイスグリーンの瞳がやや鋭い目付きの印象を与えてしまうのを本人は気にしているが、誰に対しても丁寧な言葉で対応する事も相俟って“男装の麗人”的な人気がある。
『愉快な逆ハー達』構成員で騎士団・団長子息、ヴァインの婚約者だ。
「領内にあるセレステブルー湖の近辺で、魔物の出没件数が増えたそうなのです。おそらく春の魔物の大発生で、エサを求めて移動したのではないかと」
「……私が討ち漏らしたものが逃げたのかも」
「ローズ様! ローズ様がそこまで気になさる事ではございませんわ! 全てを討ち果たせなかったのは兄達とて同じ。私は彼らの妹として、領主の娘として、湖の討伐作戦に参加します」
「私も。私もリリー様にご一緒させて頂いて、討伐に赴く予定です」
ここでリリーに同調したのは、やはりローズの友人であるアイリス。
カラスの羽の様な黒い髪を、特徴的な縦ロールにしている。ほんの少しだけ光に弱い赤色の瞳で、周囲をじっと見つめる様子はまるで精巧な人形のよう。ミステリアスな印象を抱かれる事の多い、ハンコック伯爵家の令嬢だ。
やはり『愉快な逆ハー達』の構成員で魔術師団・団長子息、トランクの婚約者である。
リリーとアイリスの二人は意味ありげに視線を交わす。
あとほんのちょっと力を籠めたら砕いてしまうのではないか? それくらいの力加減でティーカップの持ち手を摘まんだリリーは、「本当はアイツを駆り出したかったんだけど。あんな色ボケ、肉壁にもなりゃしないってんだ」の本音をお茶と共に飲み込む。
そんな友人の姿を目にしたアイリスは、「クスクス……。私は玩具へのストレスをぶつけられれば何だって構いませんわ」と愉悦の笑みを浮かべる。手元ではさも楽しそうに、カップの縁を「つつー……」と指先でなぞっていた。それが婚約者であるトランクの、どこをイメージしての行いなのか。唇なのか頤なのか、はたまた首筋なのかもしれない事は、知らない方が幸せというものであろう。
「フフフフフ……」と微笑み合う二人に、何となく事情を察してそっと目を逸らすクラスメイト達。
ローズは二人の笑い声を耳にしつつ、ゲームでのイベントスチルを思い浮かべた。
「セレステブルー湖……。青空を映した水面は天使の衣。満天の星空を映した湖面は精霊の瞬き。フォレスト王国屈指の絶景。地上の楽園とも言われていますよね。私も一度でいいから行ってみたいですわ」
目をキラキラとさせて「ほぅ……」と息をつくローズに、リリーとアイリスが次々と言葉をかける。
「是非! ローズ様なら大歓迎ですよ」
「ローズ様なら、魔物を悉く炎で包んでしまわれる事でしょう。後はゆっくり湖畔で静養となれば、ローズ様にとっても素敵な休暇になりますわね」
「いいなぁ……」
この時、遠慮がちに声を出したのはデイジー。
編み込んだ蜂蜜色の髪を一つに纏め、そばかすの浮かぶ頬にミントグリーンの大きな瞳は、愛嬌のある顔立ちをしている。
彼女は、『愉快な逆ハー達』の構成員で大商人子息(平民)、リーフの婚約者。
魔法実戦コースでは数少ない平民の少女だが、前世の記憶を思い出す以前のローズとも友人関係にあり、クラスメイトとも十分に馴染んでいた。
デイジーの呟きを拾い上げたリリーが、彼女の方に身を乗り出して問いかける。
「デイジーさんの夏期休暇のご予定は?」
「王都の、知り合いの家にずっといる事になるかと。父の行商の旅に同行するのは、日程的に厳しいですし」
デイジーの父は、リーフの父が商会長を勤める『スプラウト商会』の共同経営者の一人だ。主に仕入れを担当していて、旅から旅の生活を夫婦揃って今でも続けている。
シード学園入学前はデイジーも両親と共に旅をしていて、魔法は必要にかられて体得、行使出来るようになっていったのだ。
ただただ婚約者リーフの傍にいたい。今までよりももっと頻繁に会いたいからと、それだけの一念で主に貴族が通う学園に苦心しながらも入学。かつては「リーフの為に、将来役に立つ事を学びたいんです」と、頬をほんのり赤く染めて口にしていたものだ。
デイジーの予定に、リリーとアイリスは顔を見合わせる。
「デイジーさん。宜しかったら私達と一緒にいらっしゃいませんか。いえ、招待させて下さい」
「デイジーさんの野営、索敵スキル。風属性魔法を纏わせた矢を正確に射抜く実力。これはとっても心強いです!」
アイリスによるデイジーの評価を、「うんうん」と頷きながら耳にするクラスメイト達。遠征の実習で皆世話になり、危機を救われた事も数多い。
「私もそちらに参加しようかしら……」
「オーキッド様?」
「セレステブルー湖周囲の森は、私の父の領とも接しています。決して他人事ではございませんわ」
三人の遣り取りを聞いていたオーキッドは、考え込んだ風に口元に手をあてて討伐参加を検討し始める。
アイリスとリリーはオーキッドの得意とする属性魔法を思い浮かべて、参加を促す言葉をかけた。
「オーキッド様の土属性魔法の壁は堅牢そのもの。そこいらの魔物達では、到底太刀打ち出来ないでしょう」
「オーキッド様にデイジーさんが参加して頂けるのならば百人力です。魔物共が本格的に居座り、その数を増やされては一大事。今のうちに叩いてしまえるのなら、国の為、民の為にもなりましょう」
「……そうですわね。家族に相談して、合流出来るように調整したいと思います。その場合は本邸から、父の兵達を伴っての事となるでしょう」
「決まりましたらご連絡を下さいませ。受け入れ準備は整えておきますゆえ」
「ええ。詳しくはまた」
オーキッドとリリーの話が一段落着いたからか、アイリスが明るい調子で話しかける。
「早くに討伐が完了したら、皆でオーキッド様の領をお訪ねするのもいいですね」
「私は小さい頃、両親と滞在しました。お隣のフェザー王国からの輸入品や、珍しくておいしい料理がたくさんあったのを覚えています」
アイリスの提案やデイジーの誉め言葉に気を良くしたオーキッドは、喜色を浮かべて口を開いた。
「皆様がいらっしゃるのなら歓迎致しますわ! ……そう、一緒にパーティーに参加しましょう! 国中の貴族の御子息方にも参加状をお出しすると、母が申しておりましたもの」
オーキッド、リリー、アイリス、デイジー達四人の心はこの時一つだったと言えるだろう。
ローズは、それぞれの脳内で円陣を組んで
『婚活ー! ファイ、オー!!』
と鼓舞しあっている幻を見た気がした。
四人は微笑みを交わした後、揃ってローズの方に向き直る。そして同性でさえも見惚れてしまうような笑顔で、口々に誘いの言葉をかけてきた。
「ローズ様は如何ですか?」
「是非ご一緒致しましょう」
暫し考えた風なローズだったが、やや困った様な表情を匂わせて口を開く。
「とても……とてもとてもご一緒したいのですけれど。休暇の半分は領地で過ごし、残りは王宮での滞在を言い付けられるかも知れなくて」
クラスメイト達の心は、この時再び一つになった。
『アレの為とか、御愁傷様です』
★★★
慰労会はそれから程なくして、和やかな雰囲気のままお開きとなった。
翌日には、夏期休暇前に恒例となっている舞踏会が行われる予定であり、準備をしようと三々五々寮へと向かうクラスメイト達。
ローズもその流れに乗って、友人達と共に階段へと向かうべく歩みを進ていく。
「やっぱり……」
「どうかなさいましたか、ローズ様?」
この時のローズは、
(地上の楽園〜。王宮ってかアノ王子より断然こっちでしょ。魔物だって放置出来ないし)
(絶景を眺めながらの避暑。友人宅を訪ねつつ異国のグルメを堪能。更に新たな出会いとか。逆ハー構成員の婚約者にスケジュールを合わせる要素が何一つ見当たらない)
自分の考えに夢中になりすぎて、足元に全く気を配れていなかった。
「私もセレステブルー湖に……ひゃあ!」
「ローズ様!?」
「キャーー!!」
友人達の方を振り返り話をしようとした拍子に、足を踏み外して階段を転がり落ちていくローズ。
友人達やクラスメイト、また一階で休憩していたのであろう教師達が悲鳴を聞いてすぐさま駆け付けてくる。
「何事だ!」
「ローズ様が足を滑らせて……」
ローズ達の後方を歩いていた生徒の一人が、教師の問いかけに対して見たままに再現してみせた。
「本人の不注意か。どっか抜けているんだよなぁ。魔物討伐だって五体満足で著しい戦果を上げて、今日の実技試験だって怪我なく終えたっていうのに。何で今……」
と言いつつ息を吐き出し、ガリガリと頭を掻くのはクラス担任の男性教師。
その傍らでローズに手をかざして症状を確認するのは、たまたま居合わせた回復術師コースの教師だ。
「お。いたのか。丁度よい、確認してくれ」
担任に指名されてた男子生徒は僅かに顎をひくと、父親譲りだという黒に近い灰色の髪を掻き上げてからローズの魔力の流れを“視る”べく瞳を凝らす。
「……右腕と、腰のあたりを負傷しているようです」
「私もそう見立てます。腕と腰はおそらく骨にヒビが入っているでしょうね。ただ、頭部へのダメージは然程ではないので、命に別状はないかと……」
二人の診断を聞いた担任教師は、この場に居合わせた生徒達の顔を順に見渡すと口を開いた。
「そうか。デイジー」
「はい」
「風で脚力を強化して医務室へひとっ走り。骨折の治療に対応できる、回復術師の先生に待機してもらってくれ」
「はい、行ってきます」
「オーキッドとリリーは寮へ行ってローズの侍女に伝言。実家の方へ連絡がいくように手配してもらってくれ」
「「わかりました」」
「アイリスは確か、痛みを和らげるみたいな魔法があったな」
「はい。闇属性の、痛みを含め一時的に感覚を遮断する魔法を修得しています」
「ではローズに付き添って治療の補助だ」
「はい」
「担架取ってきました」
担任が的確に指示を出し、それぞれが動き出したタイミングで担架を持った別の教師が現れる。
「他の生徒は寮に戻れ。あんまり沢山いても迷惑になるから」
「「「はい」」」
こうして気を失ったローズは、教師達によって担架に乗せられて運ばれていく。
それを心配そうに見送った後で、一人二人と学生食堂を立ち去る生徒達。
彼らは、いやローズ自身も。今回の出来事が予想外の事態に繋がる事を、この時点ではまだ知る由もなかった。