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「メイドの手記」の外側に  作者: 稲見晶
手記に重なる言の葉(本編の世界観に基づく短編)
1/12

吸血鬼は光を綴る

「永いメイドの手記」第200話記念リクエスト企画で、鉄紺さまより頂いたリクエストによる作品です。

リクエスト内容は「ロザリーの手による「永い吸血鬼の手記」をイラが読んでしまったら」です。

 このところ、イラは昔の出来事を記している。あの屋敷のことを忘れたくないと言う。

 色々と辛いことを思い出してしまうのではという心配がないわけではないが、私が見る限りではそれなりに楽しんで書いているようだ。

 彼女と思い出話をする機会も増えた。ただ、幼少期の記憶はやはりあやふやなようで、私の話を不思議そうに聞いている。

 それならば彼女の幼い頃の記録は私が残しておくのも悪くないだろう。


 そう決意したは良いが、いざ紙を前にするとなかなかに難しい。まず書き出しから迷ってしまった。彼女をライラックの下で見つけた春の夜からにするか、それともあの屋敷に彼女がやって来た冬の日からにするか。

 イラに相談してみたところ、「それよりももっと前のことはお書きにならないのですか? 私が産まれるよりも前の……」という答えが返ってきた。彼女のいなかった日々の記憶など思い出しても面白いはずがない。

 結局、順序には拘らず私の書きたい事から書いてしまうことにした。誰に見せるというものでもないしそれで良いだろう。


 イラは家事を終えた後の時間に書き物をしているようだ。それに倣ってという訳ではないが、私も仕事を終えてからイラが目を覚ますまでの間にペンを執っている。

 最初の数日は二階の仕事部屋の机に向かっていた。ただ、文を進めるうちに彼女の顔が見たくなって寝室へ下りる夜が続き、今では始めから、眠る彼女の傍らに居ることにしている。

 自分の文字と向き合うよりはイラを見ている方が楽しく、実際の姿を前にすると記述がいきおい最近の事に偏りがちになるという問題――それを問題と呼ぶのであれば、だが――はあるものの、彼女の描写は生き生きしたものになった。重要なのはその点だ。


 記録をしたため始めてから、イラが記している事柄が俄然気になってきた。幾度か尋ねてみたことはあるものの恥ずかしがって頑なに教えてくれない。私のものと交換ではどうかと提案してみても頷いてはくれなかった。

 彼女が書いた紙をしまっている場所は知っている。おそらく隠しているつもりなのだろう。そのような所が他愛なく可愛らしい。なんにせよ、彼女に嫌われる危険を冒すくらいならば、このまま見ずにおく方がずっと良い。


 イラとの思い出を手繰ってみれば書き留めておきたいことは次々と浮かび上がってきた。

 幼い日の無垢な瞳。日ごと花開くように成長する少女の姿。音楽に夢中になる表情と唇から紡がれる澄んだ歌声。私の肌に触れる温もり。

 ペンを止めて、ベッドに横たわるイラの頬に触れると、彼女は私の冷たさに微かに身じろぐ。指先に温かな吐息を感じているうちに夜が明けてしまうこともしばしばだ。


 近頃はイラは朝までぐっすりと眠っていることが多い。

 だが、もしも不意にイラが目を覚ましたとして、彼女の寝顔を見ながら彼女のことを書き連ねていたことが知られれば、やはり私とてきまりが悪い。

 寝室で思い出を記すようになってからは、膝の上に書物を開き、その上に紙を重ねて書いている。これならば暗がりでイラに見られたとしても書物を読んでいるだけだと答えられる。私が書物に書き込みを加える癖は彼女もよく知っている。

 

 この方法は確かに上手くいった。暖炉の薪が爆ぜる音や私の指の冷たい感触でイラは時折夜更けに目を覚ます。そうしてまだ夢を見ているような柔らかな声で私を呼ぶ。

「まだ眠っておいで。私はここにいるから」

「はい……」

 イラは素直に目を閉じる。私はしばらくの間少々わざとらしく頁を捲り、彼女が寝付いたと確信でき次第、再びペンを走らせる。

 時にはそのまま手を止めて蜂蜜色の髪を指に遊ばせる。その滑らかさは文字などでは決して表現できるはずもないし書く心算もない。ペンを握るよりも彼女の髪に触れている方が私にとってはずっと有意義だ。


 ある晩にもそうして彼女のことを書き綴っていたのだが、紙の余白が尽きてしまった。まだ夜明けまでには時間がある。仕事部屋から紙を取って来ることにした。

 その時に録していたのは屋敷に植えたライラックの下での彼女との思い出で、書いても書いても胸の内の感情は尽きなかった。

 新しい紙を手に寝室へ戻る。

 椅子の上に閉じていた書物を手に取った時、イラの小さな声が聞こえた。気を付けていたつもりだったが、物音で起こしてしまったか。

「ロザリーさま……?」

 眠たげな響き。記憶の中の彼女の声よりもずっと可憐に聞こえる。

「ああ……、少し、本を取りに行っていたんだ。起こしてしまってすまないね」

「あら、何という本でございますか?」

 私は表紙を確認してその題名を教えた。


「まだ夜は長いようだ。ゆっくりお休み」

 椅子に座って彼女を見守る。その瞼が穏やかに閉じた。

 適当な頁を開き、紙を置く。文章はひとりでに流れ出てくるようだった。

 気付けば早くも夜明けが近い。書きかけの紙を仕事部屋の引出しにしまい、書物を元の場所へ収めた。

 この記憶は翌晩には忘れていた筈だったが、その後不意打ちのように私の前に姿を現すこととなる。


 それから数日が経ち、夕方に目を覚ました私は、イラの態度がおかしいことに気付いた。顔が赤い。私と目を合わせてくれない。

「イラ?」

 呼んでみてもすぐに視線を逸らされてしまう。その様子も可愛らしいがやはり気にかかる。昨晩は特段に変わったこともなかったはずだ。

「どうしたんだい」

 イラはおずおずと一冊の書物を取り出して私に見せた。何の変哲もない書物だ。彼女の真意を量りかねて訝しむ。

「あの、これが……、挟まっていて……」

 表紙が開かれる。目に入ってきたのは紛うことなく私の筆跡だった。考える前に、払い除けるようにそれを捥ぎ取っていた。

 突然に記憶が蘇る。そうか、あの時に書き終えた紙を抜き去るのを忘れていたのか。


「その、申し訳ありません……。すぐに読むのは止めたのですが、あの……」

 イラは閉じた書を胸に固く抱いて俯く。

 彼女は何も悪くないというのに。懸命に謝る姿がいじらしい。

「いや、私が置き忘れていたのが悪いんだ。そのような顔をしないでおくれ」

 イラは顔を伏せたままだ。その動揺を見て、私は逆に冷静さを取り戻した。

 彼女に読まれて困ることなど書いている筈もない。むしろ内容を聞かせたらどのような反応を見せてくれるだろうか。ふと悪戯心が湧いてきた。


 腕を伸ばしてその肩を抱き寄せる。一瞬だけ気まずそうに彼女の体が強張った。

「書き残しておきたいのは君のことばかりでね。……実を言うと、もうこの何十倍も書いているよ」

 ああ、紙を相手に思いを述べるよりも直接彼女に告げる方がずっと良い。イラは私の腕の中でどう反応すべきなのか分からずに戸惑っているようだ。

 ライラックの木の下の思い出を読み上げる。甘い言葉が連ねられたその記述が進むうちに、イラの顔が火照っていくのが感じられた。


 一枚の紙の裏表を読み切ってしまう頃には、イラは片手で私の服を握りしめ、もう一方の手に持つ書物で顔を隠していた。

「イラ?」

「……もう、いやです……」

 今にも消え入りそうな声音が返ってくる。


「ほら、こちらを向いて」

 イラは固く首を振った。

「こんな……、このような顔、お見せできません……」

 その返事も想定済みだ。静かに一歩下がって彼女の表情を確かめる。思った通りに、真っ赤になって目を潤ませている。ただ、その姿は想像していたよりも遥かに愛おしい。

 たまらずに熱い頬に唇を寄せ、再び抱き締める。まるで灯を抱いているようだ。

 そう、きっと彼女は灯火だ。暗闇の中で私の道を照らし、私を温めてくれる、永遠の灯火。


 これまでに書いた様々な記述とその文章が指し示す情景が次々と蘇る。

 小さな手でライラックの花を握り締めていた君が、覚束ない足取りで王城を歩いていた君が、ドレスを着て少し澄ました顔で微笑んでいた君が、昏い夜に強い眼差しで私を見つめていた君が、私と共に遥かな時を生きてくれている君が、今私の腕に抱かれている。


 君のこれまでの歩みの全てが、何よりも大切で美しい今の君を形作っている。そしてその歩みは一つも欠けることなく、香る花のように私の中に息づいている。

 イラ、私達が交わした永い誓いを互いの指に宿らせよう。その薬指の細さを確かめるように指を絡めた。控え目に私の手を握り返してくる感触が温かく心地良い。


 イラ自身が覚えていないであろう彼女の話を語り聞かせると、「……そのような昔のことまで覚えていらっしゃるのですか?」という問いが恥ずかしそうに発せられた。答えは考えるまでもない。

「当然さ。私は君に関することは全て覚えているからね」


(終)

鉄紺さま、リクエストを下さりありがとうございました!

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