世界樹の庭
空は青く、どこまでも澄み渡っていた。
果てはなく、どこまでも遠く、吸い込まれそうなほどに透き通っていた。
光り輝く太陽が、大地を照らす。
夜になれば、満天の星々が優しく、瞬き始める。
――なあ、知ってるか? 空は、とてもとても美しいんだ。
そんな空を、わたしは知らない。
わたし達は、知らない。
この時代、そんな幻想を知る者は誰もいない。
古びた、壊れかかった全時代の記録媒体から、はるか過去の映像として見るだけだ。
失ったものに、想いを馳せる。
そんな余裕がある者さえ、今は少ない。
空は、灰色に閉ざされた牢獄の天井。
旧世紀末に起こった核戦争。
国は亡び、舞い上がった粉塵が空を覆い尽くし、大地は終わらない冬に閉ざされた。
生き残った人類は、わずかな文明の残りかすを奪い合い、そこにすがり、惨めに無様に、生き長らえていた。
そんな時代に――
ああ、そんな時代だからこそ。
彼は、空を見上げていたのかもしれない。
◇
銃撃。
喧騒。
怒号。
ジャックが撃たれ、倒れ伏す。助け起こしている余裕はない。無我夢中で、弾の切れた錆びたライフルを補充する。
間に合わない。
鈍器と化した鉄筒で、殴りかかる。
あっさりと、かわされた。
「……あう」
腕を背中でひねり上げられ、地面に押し付けられる。
盗賊まがいの襲撃者どもを相手に、わたし達はなすすべもなかった。
皆が皆、年端もいかない子供達。邪悪な大人どもを前に、どうすればいいのか。
わたしは、まだまだ女としては幼かった。
鬼畜の男どもにすれば、そんなわたしでも、立派な雌だ。
乱暴に服が破かれ、素肌がさらされる。
幼いながらに、理解した。
舌を噛もうとして、別の男に邪魔をされる。
自害すら、赦されない。わたしは、この後に続く自分の運命を呪った。
この時代、そんなものは、どこにでも転がっていた。
親は子を売り、子は親を裏切る。愛情なんて、その場しのぎの免罪符で、友情なんて、一日で枯れ果てる。
そんな世界で――わたし達は、確かに仲間だった。
身寄りのない、幼い子供達。
ただひとり二十に近かった彼をリーダーに、わたし達は寄り添い、支え合い、生きていた。
そう、その時までは。
彼が食料とエネルギーチップを探しに留守にしていた矢先、その襲撃者どもはやってきた。
十四歳の少年、彼に続くサブリーダーのジャックが果敢に奮戦したけれども、無意味な抵抗だった。
「……逃げろっ」
その言葉を吐きながら、血みどろになって転がった。
残った三人は、みんなが幼い少女だった。
わたしが最年長で、護ろうとしたけれども――たったの十二歳。
倫理も情も捨てた、鬼畜外道を前には、まったくの無力。
絶望に、心が砕けそうになった。
その刹那に、
「――おまえたち! 何をやってやがるんだあっ!」
悲鳴を切り裂く、怒号。
その時、それほど待ち焦がれた声があっただろうか。
その時、これほど待ちわびた声があっただろうか。
いつもは温和な顔を、激情に燃え上がらせて――機械仕掛けの大剣を掲げた、彼が立っていた。
◇
そんな彼も、今はいない。
その一年後、いなくなった。
わたし達を護るために祟った無理が、徐々に身体を蝕んでいった。
粗末なベッドの上で、わたし達が見守る中、眠るように――逝った。
だから、わたしは旅に出ることにした。
簡素な墓標に、彼を弔った。
せめて形見と、彼の残した小型拳銃を腰に差す。
大きすぎる大剣は、ジャックが背負った。
泣きじゃくるシアとリンの頭を、撫でてやる。その髪には、彼のつけていたプロテクターのパーツで作った髪飾り。
これからは、わたしがサブリーダーだ。
十五歳で、若いリーダーとなったジャックを、わたしが支えていかなければならない。
――空を、取り戻す。
ただの、噂話だ。
この荒廃した世界で、誰かが語った眉唾の風聞だ。
あの日、彼が持ち帰ったエネルギーチップに混ざっていた、前時代の記憶媒体。
そこに残っていた情報だった。
この大地のどこかに、眠っている。
荒廃し尽くしたこの星、その環境を癒すことができるシステムがある。 前時代の誰かが、密かに残した人類の希望だ。
小高い丘で、風が吹く。
凍てついた、冬の風。
容赦なく、頬を薙いでいく。
わたしは、わたし達は――空を見上げた。
どこまでも灰色の、鬱屈とする閉ざさされた天井だ。
彼は、この空を見ながら、どんな想いで死んでいったのだろうか。
……くそったれ。
毒づいて、睨み付ける。
これは、弔い合戦だ。
叛逆で、反抗だ。
空を、取り戻す。
わたし達が踏み出す――その戦いへの、第一歩だった。
星河さんにお誘いいただいたお題「空」で書きました。即興なので、細かい矛盾などはご勘弁を。本当は手慣れた妖怪ものや現代で行こうと思ったのですが、なぜかこうなりました。
……あと、気が付けば、主人公が女の子でした。