馬木と鹿山
その日、鹿山翔太は、ドーナツ屋の片隅で憂鬱な気分に見舞われていた。店に入る前までは旺盛だった食欲はすっかり失せて、目の前にした好物のチョコレートドーナツも一口齧ったきりだ。セットで注文したコーヒーばかりをちびちびと飲んではいるが、その味もいまいちよく分からない有様で、店内に流れる穏やかな音楽ですら、今の彼には耳障りな噪音に感じられた。
春休み真っ只中の、平日の朝。オープンして間もない店の中はまだ閑散としていて、節電の為か空調も切られている。にもかかわらず、空気がやわらかく感じられるのは、花も綻ぶうららかな陽気のせいだろう。窓ガラス越しに差し込む陽射しは、適度な温もりでもって、鹿山を心地良く包んでくれている。薄手のプルオーバーシャツにパーカーという軽装でも充分なほどだ。
(こういう時の朝寝って、気持ち良いんだよな)
眼鏡のブリッジを押し上げ、外を眺めた。鹿山は高校生だ。本当なら、学校が休みで特に用事もないこんな日は堂々と惰眠を貪って、安楽のひとときを過ごせているはずなのに。
「でさぁ、陽菜タンってマジでもう可愛くて良い子なんだよー。こないだ試合の帰りに皆でメシ食いに行った時なんか、『馬木くん、いつも練習すっごく頑張ってるから、ご褒美にこれあげる』なんつって、自分の分の唐揚げ一個くれてさ。しかも『皆には内緒だからね』ってこれ、絶対オレに気があるよな?だって、練習いつも頑張ってる、なんてアレだろ?そんなんいつもオレのこと見てくれてるって事だろ?」
目の前でうんざりとしている鹿山のことなどおかまいなし。オレンジジュース片手にペラペラと喋り続けるその男の名は、馬木陽平という。鹿山とは小学1年生の時にクラスメイトになって以来の幼馴染みで、中学も塾も、いま通っている高校までずっと一緒の、いわゆる腐れ縁的な存在だ。ちなみに、県下ではそこそこ名の知れた柔道の選手でもある。90kg級に属するその鍛え上げられた体は、いかにも屈強そうで、身長体重ともに平均数値の鹿山に比べると、明らかに大きくて威圧感が半端ではない。おまけに、四角い顎に分厚い眉という濃い風貌をしているものだから、オレンジやグリーンといったビタミンカラーを基調とするポップな店内では、かなり浮いた存在となっていた。
「いやでも待てよ?たしか主将も陽菜タン可愛いって言ってたよな?くっそーやべぇよ……オレ、あの人にはすっげぇ世話ンなってんのに……裏切るなんてできねぇっ」
馬木は呻いて、グローブのような手で頭を抱えている。そんな、妄想から無駄な心配事を生み出す器用な友人に、鹿山はレンズの奥から冷ややかな視線を注いだ。
(まあ、大体こんなことだろうとは思ってたけどな)
朝っぱらから急に電話をかけてきたかと思えば、これだ。ドーナツを奢ってやるから出て来い、だなんて珍しいことを言うものだから、何かあるのかと訝しんではいたのだ。それでも、誘われた嬉しさの方が勝って顔を合わせれば、嫌な予感は的中、例によっての一方的な恋愛相談である。
「なぁどう思う、鹿山よ?」
「どう思うも何も、それは無駄な心配ってやつだ、馬木。その陽菜って子はきっと、お前とどうこうなりたいなんて思ってないと思うぞ?」
のこのこ出てきた自分の間抜けさが腹立たしい。人の安眠を奪い妄想を垂れ流す目の前の幼馴染みが憎たらしい。
鹿山は、苛立ちにまかせてきっぱりと言い放った。
「そもそも、その子はお前ら柔道部のマネージャーだって言うじゃないか。だったら、お前がどんな風に練習しているかなんて、部活中には嫌でも目に入るだろ。意識してずっと見ているワケじゃないと思うがね」
「えーっ、そうかぁ?あ、でも唐揚げ」
「それだって、だよ。単に食い切れなかったってだけかもしれない。なんせ店はあの大森屋なんだし」
昨日の練習試合のあと、馬木ら柔道部が立ち寄ったと言うその定食屋は、名前の読み方通り大盛りメニューを売りにしている店だ。鹿山も一度入ったことがあるが、どの料理も評判に違わず相当な量だった。それに、あそこには並盛りのメニューは無かったはずだ。
「よっぽど沢山食べる子じゃないと、あの量を完食するのは無理だろうからな。彼女も多すぎて困ってたんじゃないのか?でも『食べられないから食べてくれ』なんて言うのは恥ずかしいし酷いと思って、つい『ご褒美』なんて言ってお前によこした、と」
「……なんだよ?なンだってんだよ、さっきっから!」
希望の芽を淡々と摘み続ける鹿山に、馬木が目くじらを立てた。「人の話にケチばっかつけやがって。もしかしてお前、オレのモテが羨ましいのか?」
「そんなわけあるか。オレはただ、これまでのお前の痛ましい過去を思い出して心配してるだけだよ。考えてもみろ。お前が昔そう言って、確実に両想いになれると踏んで告白してきた結果、どうなった?」
「!」
冷静を装った鹿山が諭すように言ってやれば、過去の悲惨な出来事を思い出したのだろう、馬木は勢いを失い、ぐっと息を飲んだ。
「そ、それは……タイミングが悪かっただけっつーか、」
「いいや、違うな。どれもお前の勘違いだったんだ。冷静に見極めることができていなかったんだよ。カオリンの時もマリちゃんの時もミユミユの時も枝山さんの時も」
それらはいずれも馬木の独り相撲で終わった恋だった。いや、実際には恋などと呼べるものでもなかった。なにせ相手には、端っからその気なんてなかったのだから。
それなのに馬木ときたら、相手からの他意のない好意を、いちいち都合良く恋愛感情だと勘違いした。挙句に「好き好き大好き!今すぐ付き合おう!」などと、脇目も振らず強引に迫り、結果は当然ながら玉砕、こっぴどいフラれ方をしては失恋の痛手を追うのを繰り返しているのだ。特に枝山さん(近所のパン屋で働く年上の女性)の時などは一番酷く、相手に旦那がいる事を知らずに迫った結果、「これ以上つきまとうなら出るとこ出るぞ」などと凄まれ、危うく警察沙汰にまでなりかけたのである。
「それなのにお前って奴は、また性懲りもなく……大体、食べ物を貰ったくらいで気があると考えるなんて、あり得ないだろう。犬か」
「う、うるさい!オレはお前とは違って純粋で一途なんだ!あと犬でもねぇ!」
「そうだな、犬ではないよな。犬には高い学習能力がある」
「くっ……ネチネチと嫌味なヤツめ……ってかお前、よくもまあそんだけ覚えてるな、他人事なのに」
「ふん、まあな。あんまりにも見事なフラれっぷりだったからな。忘れたくっても忘れられるわけがないってところだよ」
初めて出会った時から10年とちょっと。今まで、ずっとそばで見てきたから、全部よく覚えている。
馬木はいつだって、不格好なほど真っ直ぐに誰かを好きになる。理由や経緯、結末にはかなり難有りだが、本人はいつだって真剣だ。鹿山だって、今でこそ彼の性癖を知って冷静な対応ができるようになったけれど、昔は「好きな人ができてさぁ」と話を聞かされるたびに一緒になってドキドキハラハラしたものだ。そして、当たって砕けて落ち込む彼を、いつも隣で叱咤激励してきた。
だが、いつからか。そうすることが鹿島にとっては苦痛になった。
馬木の恋愛話に付き合うことが。傷心の彼を見てホッとする自分を直視することが。
「なあ、鹿山」
「なんだよ」
言いたいことを言ってやったら、ちょっと胸がスッとした。にわかに食欲が戻ってきたので、モソモソとドーナツを咀嚼していると、馬木の真剣な声が降ってきた。
「ホントに、望みないと思うか?」
「は?そんなこと」
オレに聞くな、と言いたかった。でも、正面に座る馬木の顔を見ると、言えなくなった。
幼い子が置いてきぼりをくった時みたいな、頼りなくて寂しげな表情。
馬木のそんな表情に、鹿山は弱い。どんなにメンドクサイことを言われてもされても、助けてやりたくなってしまう。
「……まだ分からないだろう、今回は。ちゃんと時間をかけて努力すれば可能性はあるかもな」
「努力って、どんな?」
「どんなって、それは、お前――――――例えば、自分の長所をもっと知って貰えるようにしたり意識的に一緒に過ごす時間を増やしたり、だな。あと、些細なことでもいいから、ちょこちょこと相談にのるっていうのも、効果的らしいぞ?具体的なアドバイスするんじゃなくて、ただしっかり話を聞いてあげるだけでもいいんだそうだ」
「へぇ・・・!」
言いながら、鹿山は虚しい気分になった。たったいま馬木に送ったアドバイスは、どれもこれもテレビや雑誌で見聞きした一般論だった。
初恋をそのままずるずると引き摺り続けているうえに、その対象が同性(しかもノンケ)の幼馴染みである鹿山にとってみれば、相手に恋愛感情を抱いてもらえる努力の仕方など見当もつかない。できれば自分が教えて貰いたいくらいだ。
それでも、なんとか馬木の役に立てればと思って拙い知識を総動員させると、単純な馬木もまた真剣に鹿山のアドバイスに耳を傾けた。
だが、いつもならさっさと立ち直ってポジティブになるはずの馬木は、どういった訳か浮上しなかった。
「なんていうか……オレ、今まで好きになったら速攻アタック仕掛けてたからさ。そういう時間かけてじっくりとか計画的に少しずつってのが、どうもピンとこねーっていうか、ちゃんと上手くできんのか不安で」
「不安、ねぇ」
馬木の意外な客観性に、鹿山は目を丸くした。確かに彼は、スタートを切ったら最後、真正面から相手の懐に飛び込み力技だけでなんとかしようとする節がある。戦略を練りジワジワと間合いを詰めるなんてことは、かなりの高等技術に思えるのだろう。
だったらいっそ、諦めたらどうだ。
口に出しかけたその言葉を、鹿山は甘いドーナツと一緒に飲み込んだ。
(こんなくらいで諦めるような奴じゃ、ないもんな)
不安だからといって、挑む前に引き下がるような根性なしじゃない。
「まあとにかく、やるだけやってみな。それでも心配なら、そうだな……とりあえず、神頼みでもしてみるか?」
それはもちろん、単なるジョークのつもりだった。
けれど。
「神頼みか……いいな、それ」
「え、」
言うが早いか、馬木がジャージのポケットからスマートフォンを取り出した。厳つい肩を窮屈そうにすぼめて、さっそく何やら操作を始めている。
鹿山はぽかんとして、
「なに、してるんだ?」
「だから、神頼みだよ。縁結びにご利益のある神社がこの辺にないか調べてみようと思ってさ」
「って、お前。まだろくに努力もしてないうちから神様に頼ってどうするんだ?」
それでも実力勝負の世界に身を置く人間か、と呆れ果てる鹿山に、馬木はフンと鼻を鳴らした。
「陽菜タンと結ばれるためだ。できることはなんでもするぜ!」
さっきまであんなに不安そうにしていたくせに、馬木は息巻いて縁結びで名高い神社を検索続けている。
しかし、どうやら思うような場所を見つけられなかったようで、しばらくすると、キリッと引き締まった眉間に無念の皺を浮かべた。
「くっそー、この辺にはそういうトコ無ぇな」
「だから、とりあえずは先に彼女との距離を縮める努力をだな」
「あ!だったら、これ。これはどうだろう、鹿山っ」
馬木は最早、鹿山の話など聞いていない。
言葉を遮られてぐったりと項垂れた鹿山は、興奮気味の幼馴染みに促されるまま、彼が突き出してきたスマートフォンの画面を見やった。
すると、そこには。
『大好きなあの人を振り向かせたいあなたへ!片思いを叶えるおまじない100選』
「……正気か、馬木?」
真顔で聞けば、相手も真顔で頷いた。当たり前だろ、と言った声の真面目なトーンに、鹿山はもう何も言うこともできず、ただただ目の前の男を見つめていた。
(これは……少し、詰め込み過ぎたか)
鹿山は本気でそう思った。今まで本能のまま猪突猛進してばかりいた馬木に、いろいろと理屈と知識を押し付けすぎたのかもしれない。それは彼を心配するあまりの、鹿山なりの気遣いのつもりだったのだが、それがそもそもの間違いだったのかもしれない。
(でも、だからってどうして急におまじないなんだよ)
不慣れな状況のせいなのか、なんなのか。迷走を始めてスピリチュアルの世界に踏み込んだ幼馴染みは、いま、小さな無機物にむかってアレコレと思案中だ。
「うーん、どれも良さそうで迷うな……な、鹿山。お前ならどれ選ぶ?」
「さあ、これでいいんじゃないか?」
さすがにもう付き合い切れない。鹿山は、馬木の見せるおまじない一覧に目もくれず適当に返事した。
すると、今まで鼻歌でも歌いそうなくらい上機嫌だった馬木の表情が一変した。
「なんだよ、そのメンドクサそうな言い方は?」
「しょうがないだろう。オレには正直、もうついていけないよ」
「何言ってんだ、これだって神頼みみたいなモンだろ。大体、お前がやれって言ったんだぞ?」
「やれ、なんて言ってない。するかって聞いてみただけだ」
「同じようなモンじゃねーか。ったく、途中で放り出すなんて無責任なヤツだなぁ」
「―――――っ」
あまりにも理不尽な言い様に、鹿山の我慢が限界を超えた。
それが相談にのってくれている相手に対する言い方か、甘えるのも大概にしろ!
そう怒鳴ってやりたくなった。だが、ぐっと腹に力を入れてそれを堪えた。かわりに胸の内で数をかぞえて深呼吸を繰り返し、不貞腐れる馬木に向かってにっこりと笑いかけた。
「そうだな、確かに今のはオレが悪かったよ。少し大人げなかったかもしれない」
鹿山がそうして、必要以上に穏やかに振る舞う時は、完全に怒っている時である。
長い付き合いのお前なら分かるだろう、と。気付いて謝ったなら、さっきの無神経な発言は許してやろう、と。
無言で送った鹿山のサインを、けれど馬木はあっさりと見逃した。「ん、もういいよ」などと、上の空で端末をいじっている。
これが決定打になって、鹿山は更に笑みを深くした。
「そこで、だ。お詫びと言ってはなんだが、実はオレ、この間とても効果のあるおまじないをテレビで観てな。それを教えてやるよ」
「!ま、まじでっ?」
ころっと態度を変えた鹿山のことを疑いもせず、馬木が目を輝かせて食い付いてきた。
「ぜひ教えてくれっ」
「よし。いいか?このまじないは、必ず真夜中に実行するんだ」
鹿山は、それらしい雰囲気を演出すべく、テーブルに身を乗り出して声を潜めた。ごくり、と喉を鳴らした馬木も、それにつられて同じように前のめりになった。顔の近さにわずかな動揺を感じつつ、鹿山は先を続ける。
「準備する物は黒色のろうそくを1本。それを部屋の真ん中に立てて火を灯し、着ている物を全て脱いで真っ裸になる」
「な、なるほど、真っ裸だな。それで?」
「で、灯したロウソクの前に正座して呪文を唱えるんだ。『スバル、スバル、スバル…』と10回、ゆっくりと、途切れないように。そしてそれを1か月、毎晩欠かさずに続ける」
そうすれば、きっとお前の気持ちは陽菜タンに通じるよ。
そう言って、力強く頷いてやれば、馬木は興奮の為か、頬を赤らめて感嘆の唸り声を漏らした。
「おおお、なんだか効きそう!よし、さっそく今夜からやってみる!」
「そうだな、そうするといいよ。ちなみに黒いロウソクは、ホームセンターに売っていたよ」
「ホームセンターだな、よし。後で買いに行くか」
「あっ、でも。この間見かけた時は、もう数が少なくなってたからな……売り切れてなければいいけど」
「!それはイカン!」
まじないの必須アイテムであるロウソクが在庫切れの危機と聞いて、馬木がガタリッと椅子を鳴らして立ち上がった。近くの席に座っていたカップルが、迫力にビクッとして振り返るが、馬木本人はそのことになど気付いてもいない。
「ちょっと行って買ってくるっ」
「おお、行ってこい行ってこい。健闘を祈ってるよ」
恩に着るぞ、と言って走り出て行く大きな背中に、鹿山はひらひらと手を振った。
単純な幼馴染みの姿が消えてから、鹿山はようやく静かになった席で、食事の続きを始めた。
(まあ、少し可哀そうな気もするが、自業自得だからな)
半分になったドーナツを見て、少しだけ良心が咎めた。
しかし、あの無神経な一言を思えば、これくらいの仕返し、大した事じゃないだろうとも思った。
夜な夜な部屋で黒いロウソクを前に、素っ裸で唱えていればいい。
10回繰り返すうちに浮かび上がる、有名なあの滅びの呪文を。
「けど、さすがにすぐ気付くだろうな、いくらアイツでも」
まさか、気付かずに本当に1か月も続けるとは思えない。いや、その可能性は無きにしも非ずだが―――――。
「それはそれで面白い、かな」
その時は、ロウソクの灯りに照らされたヤツの肉体美でも妄想して楽しませてもらおう。そのくらい、許されるだろう。長い時間ずっとずっと、自分の想いを抑えて寄り添ってきたのだから。
楽しみだなぁ、とひとりごち、鹿山は残りのドーナツを口に放り込んだ。




