首のもげた猫とヤリ部屋。
俺氏、猫アレルギーであったことが発覚。故にもう、猫には関わらないと決めた。
あの頃俺は若かった。当時大学生、怠い授業とバイトをしつつ、楽しみといえばバイクとセックス。
そんな俺はバイトの帰り、いつものつまらない坂道を登っていた。この坂道を越えれば俺の家につく。
「ミャー....」
俺は気がついた。鳴き声、否、泣き声がした。俺は屈んで街路樹の下を見た。そこにいたのは一匹の子猫。首から下が朱肉を落としたかのように赤く染まっていた。
俺は子猫を水のように両手で掬った。ろくに金もない貧乏学生なのに、何も考えずに子猫を抱えて近所の動物病院へ向った。
「川崎、連れて来ちゃって大丈夫なの?野良猫っぽくないけど....」
治療を終えた俺が向ったのは、当時俺が所属していた大学のオートバイ部の部室だった。そこに漫画を読みながらひっくり返っていたのは、部員の田町、鶴見、大森のむっさい童貞三匹。
「飼い猫なら余計許さない。俺の家は猫が飼えないけど、ここならいつも誰かいるだろ?どうせお前ら暇だし。」
田町は俺の腕の中に丸まる子猫を覗き込んだ。
「しかし、ひでーやつもいるんだな。」
子猫は震えていた。人間が怖いんだな。俺は窶れた背中を摩った。
「川崎」
「何だよ?」
俺は鶴見に呼ばれて返事をした。
「随分その猫に優しいな。俺にも優しくしてよ。」
「はぁ?」
俺はニンマリ笑う鶴見を睨みつけた。
「てめえ何ぞ殴るどころか触りたくもねーわ糞童貞が!なー鉄パイプ?」
「鉄パイプ?」
俺以外の三匹は首を傾げた。
「この子、鉄パイプみたいな色だから。」
「ロシアンブルーっていう猫だよ。」
大森は愛猫家で、この中では一番猫に詳しい。
こうして鉄パイプはオートバイ部の部室で暮らすことになった。部室は二つあり、メインはコタツのついた大部屋で、後もう一つは小さくて薄暗い部屋だった。たまにあんな声やこんな声が聞こえる、言わばヤリ部屋。って、使ってたの、俺だけだけども。
「鉄パイプー!おいでー!」
始めはビクビクして、餌すらまともに食べられなかった鉄パイプ。カリカリした餌はあまり好きではないようだ。
「てめえ、シーバしか食わねーとか舐めてんのか?高いんじゃボケ!」
俺が睨みをきかせても、鉄パイプはちょこちょこ歩きながら俺の後をついてくる。
そして、鉄パイプはオートバイ部のアイドルになった。
「鉄パイプ!こちょこちょ!」
華のない男ばかりの部室でいじくり倒され、鉄パイプは完璧なドM猫と化した。くすぐられても突つかれてもいじくり倒されても、鉄パイプは俺のバイクのシートに丸まる。
「にゃー!」
鉄パイプは間抜けな顔を晒して、俺の膝の上でブラッシングをされていた。
「川崎」
「何?」
ハアハアしながら田町が俺を横目で見た。
「俺にも、膝枕してほしいなり...」
「死ね」
俺は田町の顔をブラシで引っ掻いた。
「あぁっ、もっとぉぉ!」
俺は無視をして鉄パイプのブラッシングを再開した。
そんなある日。
「遅れました...あれ?」
俺はバイトが終わって、オートバイ部の部室に急いだ。そこにいたのは大森、鶴見、田町、と...
「君、女の子だったの!?」
見知らぬ中年男性は俺を見つめた。
男は蒲田といった。
「はぁ、川崎です。」
キラキラ光る腕時計にブランド物のポロシャツ。部室の前に停まる高級外車。お前お嬢様なんだな。俺はバイクのシートの上で丸まる鉄パイプを見た。
「ミーナを返して欲しい。」
それが蒲田の要求だった。
ミーナなんて顔してねーだろ!俺は思わず笑いそうになったが、堪えた。鉄パイプは俺の膝の上で丸まる。そして震える。
憶えているんだ。蒲田とのこと。
俺は鉄パイプの背中に、小さな手を当てた。
蒲田の奥さんは癇癪持ちの所謂メンヘラらしい。ある日メンヘラが暴走して、その刃が鉄パイプに向かった。すなわち、暴力という形で鉄パイプを襲った。そのまま鉄パイプは、蒲田家から姿を消した。
「こんなことをしておいて、今更返せとか何を言っているんですか!?あなた達のしたことは、虐待ですよ!?」
大森達は吠えた。まぁ、当たり前だろう。
鉄パイプは初めて部室に来た時に戻っていた。その震える小さい背中。
俺はつぶやいた。
「鉄パイプ、お前、蒲田の家に戻れ。」
「はぁっ!?」
「本当に!?」
俺以外のその場にいた人全員が、寝起きに水をぶっ掛けられた顔をしてこちらを見る。
「蒲田さんよ、ただし条件があるんだ。」
俺は蒲田の手をそっと握った。そして手に冷たい物を持たせ、俺の肩の上に置いた。
「俺の首を、この子と同じように切り刻め。なら返してあげる。」
蒲田の手は震えた。俺はカッターナイフを首に当てた。微電流が俺の上半身に走った。それはハッキリと覚えている。
「やめろよ川崎!」
鶴見は俺に向って叫んだ。
「うるせーよ!!どうせ俺の首なんざキスマークだらけだわ!!そんなこともできねーくせに、鉄パイプを守ろうなんざ片腹痛いわ!!」
「いいからやめなよ!!!」
俺は田町に抱えられた。カッターナイフは首から離れた。刃の先にうっすら紅がついていた。
蒲田は硬直していた。
「鉄パイプ!」
鉄パイプは俺の近くに寄って来た。いつものビー玉のような丸い目で、俺を見つめた。
「さよならだ。」
俺は部室を飛び出した。
「お前、何考えてんだよ!!!」
こうして鉄パイプは蒲田の家に戻った。何も悲しゅうない。
あるべきところに戻っただけだ。
大森は俺の両肩をぐっと掴んだ。
「川崎」
「何だよ」
鶴見は俺の目の前に来た。
「あいつ、お前のことが大好きだったんだぞ」
「知ってるよ」
俺は突っぱねた。
「これ見ろ」
鶴見は持っていたバッグのファスナーを開けた。
「....」
「にゃー!」
そこには鉄パイプがいた。
「なん.....で....」
「蒲田の家を抜け出して来ちゃうんだってよ。」
俺はその場に腰を抜かした。
「ミャー」
鉄パイプは俺の膝の上で丸まった。
もうどこにも行かないよ。そう目で訴えていた。
それなのに。
お前は手の届かないところへ行ってしまった。
俺は蒲田の家に行けとは言った。
でもあの世に行けなんて、一言も言っていない。
全くよ、お前は本当にバカだな。俺に似て。
しかもバイク乗りの猫のくせにバイクに引かれるなっつーの。笑えねーだろ。
まぁ、今でも俺のバイクのシートはお前のために空けておくよ。化けて出てくれてもいい。いや、来い。
会いたいんだよ。
鉄パイプ。