朝もぎスイートコーン缶
「今日も暑いねぇ。室内との温度差にやられそうですよ」
里見さんは、僕の隣まできて、薄っぺらいカーキ色のビジネスバッグを足下においた。
すぐに缶詰めの棚に向かい、上下左右に視線を走らせる。
「朝もぎスイートコーンがありますね」
「先週末に入れたの。やっぱり人気はバター炒め」
「冷たいポタージュがいいですね」
「ポテトのポタージュでいい?」
「もちろん。では半分スープに足して、残りをバター炒めで。二村くんもいかがですか」
いつも里見さんは僕にもお裾分けをしてくれる。遠慮なくいただくことにして、僕は竹箸をお渡しし自分の前の鯖の器を彼に寄せた。
「ポテトのポタージュに、コーンを足してしまうんですか」
きちんといただきますをした後、里見さんは玉ねぎを美味しそうに頬張った。
「コーンポタージュも美味しいですが、ケーコさんのポテトスープはしっかりめに塩味がついてるので、コーンを汁ごと足して軽く潰して食べると一味違った美味しさなんです。
「うちのはお上品にビシソワーズとは言えないのよね。だからポタージュ」
からからと笑いながら、ケーコママがミキサーにポタージュをいれた。
「はい、これ」
缶きりを渡される。僕は缶きりも好きだが、この店のは所謂どの家庭にもあるタイプで、赤い塗装が半分以上剥げてテカテカしている。
朝もぎスイートコーンの白い缶を手にする。ずっしりとした重みと、冷たい手触り。
銀色に鈍く光る縁をなぞり、引っかけた缶きりをくっと手前にゆっくり倒す。
この最初に缶詰めに穴をあける感触が、たまらない。
あいた穴からほんの少しずつ汁気が出て香りが漏れる。
ああ、これはちゃんとコーンの缶詰めだった。
安堵と、当たり前であるとう意識と、少しの残念な気分が僕を襲うのだ。
そう。肌の美しい少女に初めて触れたとき、蚊に喰われたあとを見つけたような。。
「二村くんは、いつも楽しそうに蓋を開けますね」
声にはっとなり、あわててケーコママにコーン缶を手渡した。里見さんは、ハイボール片手にニコニコと僕を見ている。ノンフレームの細身の眼鏡が少しずれ落ちたのを、中指で押し上げた。
「ゆきちゃんは缶詰めの銘柄には全然詳しくないし、何でもただ美味しいって食べるのに、蓋を開ける時は恍惚の表情よね」
「なんかすみません。てゆーか、そんなやばい顔してますか」
気をつけてはいるのだけど。
「23歳の大学院生で経済学やってるくらいしかしらないけど、学校でしてたらまずい顔にはなってる」
「マジすか。里見さんもそう思います!?」
「いや、幸せそうでいいのではないでしょうか。私は家で娘にしてる顔を他人に見られたらと思うと、恥ずかしくて死にそうですが」
「つまり、そんな顔を僕はしてるわけですね!?」
「それも缶詰め相手にねー。はい、これ食べたら恥ずかしさなんて消えちゃうわよん」
さっとミキサーにかけられたコーン入りポテトポタージュは、しっかりめに残ったコーンのしゃきしゃき感と優しい甘み、よく裏ごしされた滑らかで濃いジャガイモと塩気が相まって本当に美味しい。
「これ、冬場に熱々のも食べたい」
「そうですねぇ。ケーコさん、冬場のスープも期待してますね」
「覚えてたら。そういえば、ゆきちゃん相談があるんじゃなかったの」
バター炒めのいい香りがする。他の客からもオーダーが入り、ケーコさんは元気よくこたえている。
僕は空になったスープ皿に目を落としつつ、里見さんの顔を覗き見た。
満足そうにスプーンを措いたのを見計らって、僕は今日ここに来た理由をもう一度頭に浮かべる。
「里見さん。あの相談ってほどでもないのですが、ちょっとわからないことがあって」
「え、僕は経済学にはとんと疎くてお役には…」
「いえ!あの勉強のほうではなくて、プライベートなことなんですが」
「はあ。恋愛ごとではなければ、お話はうかがいますが」
「恋愛相談なら、あたし!」
「ケーコさん、そっちは全然関係ない」
「わかんないじゃん!不思議からLOVEになるかも」
「とりあえず、今はない」
ぶーたれるケーコママを横目に、僕は里見さんに向かって言った。
「3日前の日曜日なんですが、僕のアパートで古い缶が見つかったんです」
うまく話せる自信はないが、里見さんの穏やかな目にたすけれるように、僕はゆっくりと日曜日の昼からの出来事を話始めた。