鯖の水煮缶
産まれながらに何かに固執する性質の人間が存在する。
例えば、誰も教えてはいないのに、ある日電車を見たとたん鉄道オタクまっしぐらな幼児がいたり。
例えば、ただひたすらにティッシュでコヨリを作っていた子供が、紙漉き職人になったり。
これは比較的いい例で、なかにはどうしようもなく性癖じみている場合がある。
それは僕にとって、蓋だった。
子供時代に牛乳瓶の蓋や、ビール瓶の王冠を集めていた人も多いだろう。
それらは確かに魅力的ではあったが、僕の興味は中身のわかる瓶の蓋の収集にはない。
パッカン。
そう、僕の心を占めてやまないのは、主に缶詰めなのだ。
「これにオニオンとポン酢でお願いしまーす」
「はい。今日もハイボールでいい?」
「いや、僕は鯖缶にはビール」
「じゃあ生ね」
近所にある馴染みの缶詰めバーは、テナント募集の看板が目立つ雑居ビルの2階にある。うなぎの寝床のような細長い店で、カウンタ―10席の今日は半分くらいが埋まっている。
壁一面に備え付けの棚から、自分で好みの缶詰めを選びママに調理してもらう形式で、缶詰めの原価にトッピングと調理代がかかる。
普通は蓋を開けずにママに手渡すが、以前来たときに開ける瞬間が好きだと言ったら、じゃあ開けてよと投げて寄越され、今にいたる。
「はい、生と鯖たま。かつお節はおまけ」
「こりゃどうも」
冷たいビールが喉をおりていく。
梅雨明け間近の蒸し暑さでも冷房弱めなこの店は、入ってしばらくしても汗がひかない。だからこそ、冷たいアルコールが堪らないわけだが。
ふーっと一息ついて、時計を見る。
19時過ぎの店内には、夫婦らしき中年カップル一組とワイシャツまくりのサラリーマンが二人。
「ケーコさん。今日はもう里見さん来てましたか?」
しゃきしゃきの玉ねぎは辛さが少し残る絶妙加減で、鯖の水煮の生臭さを良きものにした。
「そういえば今週はまだ見えてないわよ。水曜日は家族サービスデーって言ってたから、今日は来ないんじゃないかしら」
「え、ご結婚されてたの?」
僕の反応に、ケーコママはにやりと唇の端をあげた。
「気になるんなら本人に聞いたら~?」
何か勘違いしてるらしい。
オーダーが一段落ついているのか、赤茶けた長い髪を束ね直して、カウンターに頬杖をついた。
「里見さんに用があったの?」
用というほどの事ではない。
ただ、今の僕の疑問というか気になってやまないことに、里見さんなら答えをくれそうな気がしたのだ。
「用ってほどでもないんですけど。最近、ちょっと気になる事があって」
「気になる事?気になる女の子だったらお姉さんにいくらでも!」
「いや、違うから。ちょっとね、先週不思議なものを見つけたんです」
正直、僕は3日間悩んだのだ。
今日ここに来て里見さんに会えたら、彼ならどうするのか聞いてみたかった。
「不思議なものねぇ。で、ゆきちゃんは何を見つけたの」
「ゆきじゃない。自由の由と樹木でよしき。わざと広めようとしてるでしょ」
「可愛いじゃない。で、里見さんにはなれないけど、お姉さんにわかるかもよ。不思議なものの正体」
「うーん。正体は多分わかるんだよね。でも経緯がさ」
「経緯ってどういうこと?」
このまま、ケーコママに話してしまおうかと考えてる間に、入り口の重い防火扉が開いた。
「あら里見さん!ゆきちゃんがお待ちかねでしたよ」
里見さんは首筋の汗を手の甲でぬぐいながら、僕を見て今晩はと微笑んだ。