出会い
あのね、いわゆる勇者が活躍する冒険譚ってやつを読んだ事あるかな?もしあるなら思い出しながら聞いてほしい。
いわゆる勇者様っていうやつは、いろんな理由で勇者になる。ほんっとうに色々な理由だよね。けど、どれをとってみても必ず共通しているのは、とにかく勇者っていうのは運命に恵まれてる。生まれつき凄い力がある場合もあるけどそれはむしろ例外で、大抵はじめは一般人と変わらない。そして大抵は優れた協力者がいたり、偶然や必然でいい先生に出会えていたり、運命という名の翼の下に守られつつゆっくりと成長していくんだ。
ど田舎の村に生まれようが、別の世界から理不尽に召喚されて来ようが関係ない。とにかく勇者は運命に導かれる。いや、ここで運命論する気はないよ?努力するのはもちろん当たり前なんだけど、ただ努力するだけで勇者になれるんなら、そこいら中勇者だらけだろう?
では勇者とそうした努力家さんを隔てる唯一の壁というと、これはもう「運命」しかないと思うんだ。
なに、話が長い?そうだね、そろそろ本題に入ろうか。
話したように「勇者」には運命という強い味方がある。味方があるからこそ、どんな逆境からでも這い上がっていくんだよね。まぁ、その「這い上がる」が得てして本人の意思によらない部分があったりするのは酷い話だと思うんだけどね。だってそうだろう?その「這い上がる」きっかけになったのが、平和に生きていた故郷の村皆殺しとかどうよ?そういう『英雄記』を昔読んだけどさ。運命を導いた女神様とやらを主人公の代わりに殴り殺したくなったのをよく覚えてるよ。何が英雄だふざけんな、彼女の故郷を、やさしかった人たちを返せと。
え?いいかげんにしろ?あははごめんね?
さて、話はすっとんで、この私。別に英雄様じゃないし、なりたいとも思わないんだけど、どういうわけか『別の世界で生きた記憶』なんてロクでもないものを持ってる。名前とか性別とか極度に個人的な情報については何故かぽっかり抜け落ちちゃってるんだけど、それ以外についてはよく覚えてる。時は20世紀。たぶん日本人。晩年は東京の片隅で過ごしたっぽい。
ん、凄いでしょう?凄いんだよ。たぶん……凄いはずなんだけどね。
「!」
鋭い音がしてわたしは飛ばされ、地面に転がった。
右の脇腹から右足にかけて強烈な痛み。
「こら起きろシロ!さぼってんじゃないよノロマ!」
「は、はい」
急いで立ち上がらないとさらに殴られる。元凶は怒声の主……つまり村長さんの持っている棒なんだから。わたしたちが着ているのは裸の上に麻袋に毛が生えたような簡素な着物一枚、当然、身を守る術なんて全くない。
刺すような痛みを右足に感じるけど、こらえつつ立ち上がり綿花の摘み取りに戻った。
あ、シロっていうのはわたしの事。犬みたいだって?これ名前じゃないよ、ただの識別。
この村以外の場所なんて知らないけど、少なくともこの村では未成年の女の子に名前なんてつけない。子供の死亡率っていうのもあるんだけど、そもそも女に名前をつける習慣がないんだ。結婚すると「○○の嫁」と呼ばれるようになるけど、やっぱり個人名はつかない。ちょっと昔の中国みたいな感じ?
もちろん仕事をさせたりする時は不便だから暫定的なあだ名がつく事はある。だけどそれはその場だけのもので、男のようにちゃんとした名前ではない。女は子を生んだり村内や周辺の雑役をするための存在、それだけでしかない。
え?人権?うん、そうだよね、わたしも思うよ。思うっていうか何度嘆いたかしれないよ。
けどね、そもそも権利なんて思想自体がないんだよ。それどころか村の中で字が読める者なんて村長さん一家くらい。村長一家だけお金持ちで、おそらく租税のピンはねなんかもやっているんだろうけど、そもそもこっちの字が読めないってところはわたしも同じだし、たとえ誰かに訴えても女の言葉って時点で本気で相手にされない。そんな相手が権利の話なんて理解できるわけもない。せいぜい、村長一家の金儲けのからくりに便乗できないかって思う奴がいるくらい。
ふふ、ある意味「記憶があるがゆえの」嘆きかもしれないね。知らぬが仏、知らなきゃ嘆く必要もなかったんだろうから。
そんな事を考えている間にも作業は進む。
この時期は綿花のとりこみが最盛期だ。テレビのような情報媒体も娯楽も全くないし字も読めないから断言はしないけど、少なくともこの村の感じを見る限り、この国のまわりでは化繊のようなものは開発されてないんだと思う。すなわち羊毛、綿花、そして絹糸。元の世界と基本的な自然環境はあまり変わらないんだと思う。まぁ元の世界の綿花なんて写真でしか知らないけど、こうして見る限り、おそらく元の世界のと大差ないように思う。
夕方遅くなり、手元が暗くなりはじめた。
「ようし終われ!」
そんな声が遠くから響き、わたしとそのまわりで綿花をとっていた気配が動き出す。今からだと大急ぎでカゴを集めないと真っ暗になってしまう。急がなくちゃ。
その時だった。
「っ!」
小走りに動こうとしたところで脇腹と右足に激痛。転んでしまった。
痛い。痛い。声も出ないほど痛い。
まわりの子たちは、わたしをちらっと見たけどそれっきりだった。手助けなんかしてたらノルマを持っていくのが遅れるわけで、そうしたら晩ご飯が食べられない。みんな自分の事だけでせいいっぱいなんだ。
「!」
後ろからきた別の子が、わたしの積んでいた綿花を力まかせにカゴごともぎとった。わたしの事は蹴り飛ばして、そのまま去っていく。
何とか起き上がったけど、もちろん泥棒さんの背中はずっと向こう。もう追いつけない。
「……」
ダメだとわかったら逆に落ち着いた。そして急速に暗くなりつつある周囲を見た。
遠くまで続いている畑。
さっきの子はたぶん自分のぶんだと計上するつもりなんだろう。これで彼女の晩御飯は少しだけ量が増えて、そしてわたしの晩御飯はヌキ。
ひどい?いえいえ、そうでもしないと、この村では生きていけないんだよ。
わたしたちには親がない。流行病で家族が死んで村長預かりって事になっているんだ。割り当てられてる部屋は狭くてベッドは木製の箱みたいなのがふたりでひとつ。台の上で寝られるだけマシだろう。
食事抜きのうえに怪我してるとなったら、たぶん同じベッドの子はわたしを蹴りだすだろう。明日はもちろん夜明け前から日没まで仕事なんだから、一秒でも長く寝たいに決まってる。怪我したうえに血の臭いがして、しかも空腹でお腹鳴らしてるのが同じベットにいたら寝られないもんね。少しでもよく眠っておかないと翌日仕事にならなくなって、そしてその子もごはん抜きになる。だから他人に構っちゃいられない、情けなんてかけてる余裕はない。怪我する奴が悪い……それが当たり前。
ひどい話。だけどこの村じゃ親なし子は村長預かりって決まってる。体のイイ奴隷なんだけどね。もう少し大きくなったら別の仕事もあるとか言ってたけど、わたしは性知識もろくにないまわりの子たちとは違うから、もちろんその意味だってわかっている。
いや、こんなむちゃくちゃを強要されないってだけでこの村の家庭は似たりよったりらしいけどね。村長さん一家とその取り巻き以外は。
さすがに、もう限界かなぁ。
読み書きもできなきゃサバイバルの知識もない。記憶にある「前」の世界と自然界はよく似ているようだからアドバンテージがゼロとは言わないけど、全然違うところもある。たとえば『魔獣』ってやつ。魔法とかは噂にきいてるだけだから迷信の可能性もあるけど魔獣は違う。低レベルのもの限定なら実際に見たこともあるしね。
武器もない、戦うこともできない今のわたしでは、魔獣どころか肉食の獣にでも出会っただけでおしまいだろう。それを重々承知していたからこそ、こんな酷い生活の中でも耐えていたんだ。死ぬよりはマシじゃないかってね。
だけど今、わたしは迷っていた。
このまま生き続けて、運がよくても村長さんちの性奴隷、でなきゃこのまま飼い殺し。あるいは彼らの利益のためにどこかに売られるのか?それもたぶん、まっとうな人間としての扱いではないだろう。わたしはこの世界の学もないから、そういう仕事もできないし。
ならば……どうせ悲惨な未来しか見えないなら、死を賭して旅立つのもいいんじゃないか?たまたま別の世界に命を得た、ちょっとしたオマケだと思えば短い命でも諦められるかもしれないし。
そんな事を考えつつ、ふと衝動的に目を向けたその向こうには、
えらい美女が立っていた。
いや、美女に見えたけど美女じゃないのかもしれない。だって、どう見ても美女にしか見えないのに股間の方がわずかに盛り上がっていて、そこには『美女』ならあっちゃいけないものがついているように見えるからだ。
それに第一、気配がおかしい。
立っているのは人間に見える。少なくともヒトガタをしている。
なのに。
なのに、どうしてこんなに得体の知れない気配をしているの?
知らない。
こんな気配をもつ人間なんて、わたしは知らない。
「……ほほう」
鈴を転がすように涼やかな、男とも女ともつかない声が響いた。
「姿を現したわけではないのに私が見えるのか。さすがだね、腐っても界渡りは界渡りか」
「誰?」
いや、それよりカイワタリって何だ?
「全くなんの教育も受けられてないようね。このうえなく貴重な存在だと思うのにねえ。もったいないわ」
「!」
背後で穏やかな女性の声がして、あわてて振り向いた。
そこには……ああ、今度こそ美女さんがいた。ナイスバディの艶かしい、したたるような美女。
ちなみにふたりとも、浮世離れした無地の布のようなものを身にまとっている。まるでギリシャ神話の神様か何かのように。
「あらら、わたくしの事も見えるのね。ほんとにもったいないわね」
「そうだな。だが考えようだな。いらぬというのなら我らがもらってしまおうではないか」
「ふふ、そうね」
え?え?え?
なんだかわからないが、もしかして、わたしをどうにかしようって話をしてます?
そもそもこの二人って何者?ヒトの姿してるけどどっちも人間とは思えないんだけど?
「うむ、知らぬなら自己紹介しよう」
美女っぽいけど実は男性、いやもしかしたら男の娘かもってひとの方が頷いた。
「私は風の精霊だ。まぁそこいらの小さな精たちとは少し違うが、眷属という意味では同じようなものだな。風の精霊王に仕えている」
「わたくしは水の精霊。わたくしも、そこの風の者と似たような存在なのですよ。水の精霊王様にお仕えしております」
「……そうですか」
精霊か。はじめて見たけど、こんなんなんだ。
とりあえずわたしは腰をおり日本式のおじぎをした。
「はじめまして風の精霊様、水の精霊様。本当なら名乗りが必要なのでしょうが、わたしはここの儀礼を全く知りませんし、そもそも名前すらありません。仕事をする時には、色白なのでシロとか白いのと呼ばれますが。失礼かと思いますが、どうかそれでご容赦を」
「名前がないですって?」
眉をしかめた美女、水の精霊様に風の精霊様が答えた。
「このあたりじゃ子供のうちは名前をつけないのさ。もっとも、もう成人も近いだろうに名を与えてないのは、たぶんロクな理由じゃないと思うけどね」
「あの、あくまで予想なのですが」
ん?なんだいと先を促してきた風の精霊様に答えた。
「たぶん、ゆくゆくは性奴隷にするか売るつもりなんだと思います。だったら名前はいらないでしょうから」
「!」
一瞬ふたりとも絶句した。
そして何かを確認するように見つめ合い、やがて水の精霊様の方が口を開いた。
「いいわ、とにかく今すぐ連れていきましょ。こんなとこに一秒だって置いておきたくないわ!」
「同感だな。さ、話は後にしてとりあえず行こうじゃないか。お腹も空いてるんだろ?」
「ま、待ってください」
いきなり手をとられたわたしは、思わず口を開いた。
「何だい?」
「あの、すみません。何かわたしを助けてくれようとしてくださってる……ように見えるのですけれど、いったいどうしムグ」
どうして助けてくれるんですか、と続けようとしたのだけど、背後から水の精霊様に口をふさがれた。あわてて逆らおうとしたんだけど、逆に背後からきっちり抱きしめられてしまう。
な、何?何が起きてるの?
慌てているわたしに、風の精霊様が言葉をつないだ。
「とりあえず話はあとだ。君は少し休んだ方がいいし、どういう選択をするにせよここに置いておきはしないからね」
「そうね。さ、いきましょう?」
いやあの、拘束解いて下さい。せめて説明を。
「安全圏に移動してからね。大丈夫、悪いようにはしないから」
だから話聞いてくださいよぉ!
あっというまの事だった。
綿花畑のど真ん中にいたはずなのに、次にいたのは何か古代遺跡みたいなところ。蔦に覆われ湿気も多く、ひどい状態だった。なのに、ふたりが手をふっただけで綺麗に片付けられてしまい、遺跡はまるで現役の神殿のようになってしまった。
すごい。
で、どこからか魔法のように運ばれてきた食事をいただいた。間に合わせでごめんねって水の精霊様に言われたけど、とんでもない。もしかしたらこの世界で始めてっていうくらいに立派な食事だった。
まぁ、喜んでたらやたらと可哀想な子を見る目をされたのがちょっと気になったけど……。
さて、食べ終わって落ち着いたところで話が再開された。なぜかまた後ろから水の精霊様に抱きしめられてるけど。
「別に私たちは慈善事業をしようってわけじゃないんだ。単に……そうだな、君にわかりやすく言えば、よさげな人材を見つけたって言えばわかってくれるかな?」
人材?わたしが?
「そ」
さも当然と言わんばかりに頷く風の精霊様。
だが今度はこっちが納得できない。
だってそうじゃん。わたしはこの世界では文盲だしなんの技能もない。
水の精霊様が口から手を離してくださったので、そのまんまの事を言った。
「あの、すみません意味がわかりません。だってわたし文盲だし頭悪いし何もできませんよ?」
「あーダメダメ嘘ついちゃいけないな。君は高度な教育を受けているし論理的思考もできるじゃないか」
「いえ本当です!教育なんてうけてませんから」
これは嘘じゃない。
なのに。
「まぁ確かに受けてないっていうのも間違いじゃないのか。でも元の世界で受けてるよね?」
「え」
い……今、なんていった?
「あのね」
今度は背後。耳元に水の精霊様の声が響いた。
ひ、ひぃ。耳に吐息かけないでってば!
「うふふ、かわいい反応だこと。ぺろぺろしちゃっていいかしら?」
「だ、だだダメですやめてください!」
水の精霊様はうふふと笑うと、そのまま耳元で続けた。
「あなたは別の世界からきた。そうでしょ?界渡りっていうのはね、世界を渡ってきた人って意味なのよ?」
「違います」
ふたつ返事で否定した。
「あらどうして?記憶があるのでしょう?」
「精霊様ですし、なぜご存知なのかは聞きませんけれど……わたしは正真正銘この世界の人間で、ただ単に異世界で暮らしてた記憶があるってだけなんです。それって単にこの世界に転生したってだけの話で、世界を渡ってきたとは言えないと思うんですけど」
「ああそういう事か」
今度は風の精霊様が頷いた。
「君は知らないようだからまず簡単に説明しよう。世界間移動では肉体は持って行かないものなんだよ。君のような形態をとるのがむしろ自然なんだ。それは何故かわかるかい?」
「いえ」
わからないから正直に言った。うん、と風の精霊様は頷いた。
「界が違うという事は理が違うという事だからさ。たとえば……ああソレがいいね、うん、君が今想像したパソコンとかいうやつだ。パソコンには基本ソフトとかOSとかいうものがまず入っていて、これが違うと同じソフトが動かなかったり致命的な不具合を起こす事がある。そうなんだろう?」
「ええ、はい……あ」
それはもちろんわかるからハイと言おうとして、その意味に気づいた。
「それはつまり……パソコンをハードウェア、つまりひとつの小世界と例えて、OSにあたるものがこの世界での理であると?」
「うん、ほぼ満点」
にこにこと嬉しそうに風の精霊様は微笑んだ。
「ずいぶんと理解が早いのね」
「そりゃそうだろう。その子は、全ての国民が最低でも九年、普通は十二年ないし十六年も徹底した教育を受ける国の出身だよ?この世界の知識がないからってバカにできるものではないさ」
「十六年!?」
「いやぁ、そんなびっくりするようなものじゃないんですが……」
「君の国ではそうかもしれない。だけど、少なくともこちらの世界では『全ての国民に義務教育を九年』なんてまじめに提唱する奴がいたら、そいつは頭がおかしいと思われて終わりだと思うよ」
「ひどい」
「あはは」
風の精霊様はなんだか楽しそうだ。驚き顔の水の精霊様と対照的なのが面白い。
「ところで話を戻しますけれど」
「うん。界を渡る話だね?」
「はい。風の精霊様の話を総合しますと、こういう事になるわけですか?」
肉体をもったまま異世界にいくという事は、異種OSにパソコンソフトを移すようなもの。風の精霊様がおっしゃるのはズバリそういう事のようだ。
もちろん、どちらの世界も人間が暮らしている限り構造的にはそっくりになっているはず。だけど素人考え的にも致命的な違いがいくつかある。
たとえば、魔獣の存在。
あるいは、精霊様たちの存在。
とどめに、魔法の存在。
地球にいない種族がいるという事は、その種族由来の風土病などもあるだろう。地球人はもちろんそれに耐性を全く持っていないから、やられたらまず助からない。
いやそれ以前に、空気中の雑菌に致命的なものが含まれていたら?いやいやもっと単純明快なケースとして、大気中の一酸化炭素が、この世界の人々には問題ない濃度だが地球人には重篤な一酸化炭素中毒を引き起こせる濃度に存在したら?
それどころか、この世を支える根本原理である物理法則すらも異なっていたら?
そう。
つまり肉体ごと行くのはあまりにも非効率という事だ。生まれ変わりだか憑依だか知らないけど、現地の人間として生まれ直すわたしのようなケースが、なんだかんだいって理想的なわけだね。
そういう内容を、かいつまんで風の精霊様にお話したのだけど、
「うん正解。実に完璧に理解できたようで何よりだ」
風の精霊様のにこやかな笑顔が倍増したような気がする。
「まぁそんなわけで、君は典型的な界渡りの人間なわけだ。事故によるものか故意によるものかは知らないけど、少なくとも今の状況は故意に選んだものではない、そうだよね?」
「はい」
それはもちろん。
「あと、君は自分に才がないと思っている。あったとしても、頭の一番やわらかい幼少時代に教育を受けられず、今なお無学で文盲の自分では、これからこの世界の教育を受けてもたかが知れていると思っている。これも間違いない?」
「はい」
改めて言われると自分でも結構ショックなんだけど、まさにそのとおりだ。
「ふむ。なるほど君の言い分はわかった。そしてそれは正しい。だけど間違いだ」
「は?意みムグ」
意味がわからないんですけどと返そうとしたら、また後ろから口を塞がれた。水の精霊様の声がやさしく響く。
「確かに英才教育には遅すぎるわね。普通に教育を受けるにはちっともおそくなんかないけど、その程度の人材なら、わたくしたちがわざわざ出張らなくてもどうにでもなる。あなたの言っている事は確かに正しいのよ」
うん、わかります。ではどうして?
そういう意味でうなずくと、うふふと耳元で笑った。……だーかーらー、息がかかるってば!
「理由はあなたの魂よ。肉体と違ってその魂の半分は異界のものなのよ。その意味わかってる?」
「!」
あ。それは。
「あなたの魂はね、界を渡ってきてから今のあなたと融合したの。どうなったかというと、あなたの魂は普通の人間より強くて大きなものになった。まぁふたつぶんなんだから当然よね?で、もちろんそれは影響として現れるわけで、現時点でも魔力に関してはなかなかのものなのよ?少なくともわたくしたちの興味をひくくらいにはね」
「魔力ですか」
それはすごい。でも、
「だけど、魔力をもっててもわたしは魔法なんか使えませんし」
それでは宝の持ち腐れだ。もちろん今から勉強もできるだろうけど、誰かのお役にたてるほどつかいこなせるには何年もかかるだろう。
「そうね。普通に魔法を学ぶなら当然そうなるわよね。……普通の魔法ならね」
「普通の魔法なら?」
「ええ、そうよ?」
くすくすと水の精霊様は笑う。とても意味有りげに。
その笑みを見て、わたしはポンと脳裏に浮かんだ事をそのまま言ってみる。
「あの」
「なぁに?」
「それってもしかして、普通でない魔法があるって事ですか?たとえば……そう、精霊様と契約すれば魔法が使えるとか」
「!?」
ふたりの動きがピタリと止まった。いや、止まるならわたしを開放してください水の精霊様。
「ちょっと待て。なんでそうなる?」
「あ、間違いでしたか。すみません」
「いや、そうじゃない間違ってないさ。私たちが勧めようとしたのは確かに精霊魔法だし、これは対応する属性の精霊と契約すれば行使できる。一部の特殊な精霊以外はね。だから、これ以上なく正解だよ?」
ふむふむ。
「問題はそこじゃない。私たちが驚いたのは、どうして一瞬でその答えにたどり着いたかだよ」
「あー、そういう事ですか」
ぽんとわたしは手を打った。
「前世でわたしがいた世界には魔法はありませんでしたけど、物語の中では色々な魔法が想像されてたんですよ。その中に精霊魔法っていうのも登場しまして。契約で駆使する場合と、単に精霊に気に入られた時点で勝手に使用可能になるのと2つのパターンがありましたけど」
「なるほど」
勝手に使用可能になる、のところで風の精霊様がピクッと反応したような気がした。
「もしかして、特殊な精霊様っていうのはこの『気に入られたら使える』ってタイプなんですか?」
「いや、そうではないな。特殊というのは闇と光の精霊なんだが、彼らは人間にとって見つけにくい種類の精霊でね、もし見つける事ができれば、その時点で向こうから面白がって近寄ってくると思う」
「へえ」
精霊といってもいろんなタイプがいるんだな。
「それで、ねえ。どうかしら?」
「どう、と言いますと?」
わたしを抱きしめる水の精霊様の手に、少し力がこもった。
「私たち精霊側にしてみても、魔力が強く相性のよい使い手がいるというのはメリットがある事なんだ。だから遠慮する事はないんだよ?」
風の精霊様が、わたしの顔を覗きこんだ。
「ほ、本当に、わたしでいいんでしょうか?」
「もちろんよ」
「期待はずれかもしれませんよ?これから伸びるようで実はすぐ頭打ちかもしれないし」
「かまわない。どこまで伸びるかはわからないが、たとえ現時点のまま大きく伸びなかったとしても、それでも熟練を重ねれば充分に良き使い手となるだろう。それだけの魔力があるのは確かだしね。だからそのあたりは心配いらない」
「そうですか」
少しうつむいて、冷静に考えてみた。
不安が皆無とは言わない。わたしは全く何も教育を受けていないから、精霊魔法のシステムがどうなっているかなんて事もまるで理解していないからだ。変な話だが、おふたりに全く悪意がなかったとしても、人間であるわたしの立場からみれば到底許容できない条件である可能性だってないとは言えない。
だけど……だったら、今までのまま村にとどまるか?
「あの」
風の精霊様が顔を引き締めた。わたしを抱く水の精霊様の力が少し強くなった。
「それじゃあ、あの。わたしでよかったら、よろしくお願いできますか」
「うん、たしかに心得た」
「ええもちろん」
にっこりと風の精霊様が笑った。
「ではさっそく契約の儀式をはじめるとしよう。……水の、そっちの準備はいいかな?」
「ええいいわ、そちらは?」
「いつでも問題ない。問題ないが……」
「ああ、そうね。うーんどうしたものかしら?」
な、なんかわたしを置き去りに頭上で会話を始めましたよ?
「あの」
「なぁに?」
なんだか、水の精霊様の声がさっきより艷やかに感じるのは気のせいだろうか?
「あの、いったい何のお話をされているんでしようか?」
「もちろん契約の儀式よ。すぐにはじめないとね」
「そうですか。それって具体的には何をするんですか?」
やっぱり血の契約書にサインとかするのかな?いやそれは悪魔との契約だっけ?
「えっとね、決まった契約の形はないのよ。たとえば契約書を作って真名でサイン、なんて方法もあるけど、あなたはそもそもまだ名前がないでしょう?それじゃ書類は作れないからこの方法は使えない」
あ、なるほど。名前がなきゃサインできないもんね。
「なるほど、そうですね。じゃあわたしの場合はどういう契約を?何か今、悩んでらっしゃいましたよね?」
「ええ。実はね、ふたつの案があって、どちらにしようかってね」
ふむふむ。
「ちなみにどういう案なのか聞いてもいいですか?」
「ええ、いいわよ」
まず一つ目の案だけど、なんと『儀式を行わない』というものらしい。
「えーと、なんでいきなりソレなんですか?そういう極論的な案って最後に出てくるものですよね?」
「そうでもないわよ?そもそも精霊の契約っていっても『こうしなさい』って決まってるわけじゃないもの。使いたいです、いいですよって話すだけでも契約としては成立するわ……いえそれどころか、そもそもあなたがわたくしたちを視認できた時点で最低限の条件は満たしてるんだから、勝手に使えるようにしてしまってもいい。まぁこれは本当に極論だけどね」
「はぁ」
契約ってそんなアバウトなものだったのか。もう少し厳粛なものかと思ってた。
「で、もうひとつの案というのは何でしょう?」
「うん。紙の契約書が書けないならって事で、あなたの純潔をもらいましょうっていうのが2つ目の案ね」
は?
「じ、純潔……って」
「ええ、つまり処女よね」
「いやあの、ちょっと待って」
「なぁに?」
「あの、水の精霊様?それって何かおかしくないですか?」
「どうして?」
「いやだって……片方の案は『何もしない』ですよね?で、どうしてもうひとつが、わたしの純潔なんです?いくらなんでも比較対象が極端すぎません?」
「そうかしら?」
そうかしら、じゃないでしょおおおっ!
「ちなみに純潔もらっちゃうコースには凄い特典があるのよ?わたくしたち二人が常にあなたについててあげる」
「はぁ、そうですか」
ちなみにこの時のわたしは理解してなかったが、これは確かにとんでもなく破格の待遇だった。そもそもこのふたりは、こんな辺境の地で素人の小娘一匹たぶらかすような存在ではないんだ。本来なら。
まぁ、この時のわたしは二重の意味で騙されていたのだけど。
「まぁいい、おいで。契約をすませてしまおう」
「ちょ、待ってください!だって純潔って」
「もちろんそういう意味だけど?」
「そんな軽く言わないでくださいっ!」
暴れようとするのだけどピクリとも動けない。水の精霊様の拘束力だ。
別に締め付けられているわけでもないし、苦痛も圧迫感もない。
なのに一ミリたりとて動けない。なんで?
「わたくしは水の精霊。人間の身体だって水だらけですもの、とてもよくわかるわ。どうすれば動きを封じられるか、どうすれば痛みを与えず無力化できるか。指一本あれば全身麻痺させる事だってできてよ?」
えええええ、反則すぎ!
「そもそも逆らってどうするつもりだい?契約はすると決めたのだろう?」
「純潔と引換なんて聞いてないですよぅっ!」
なるほど、と風の精霊様は頷いた。
「まぁ気が進まないというのなら無理強いはしないぞ。だが、それをするかしないかでは君の場合、おそらく百倍以上の成長差があると思うし安全保障にも問題があるが」
「……はい?」
なんでそんなに差が出るわけですか?それに安全保障て何?
「あら、そんなの簡単よぅ。これから精霊魔法を使うって者が、他でもないその精霊そのものと精を交えるのよ?これが無意味なわけないでしょう?鍛錬やら魔力の引き上げやらメリットは計り知れないのよ?」
「それは」
確かに、それはそうかもしれない。
「あと、知らないと思うから言っておくが、過去に界渡りとされた者は判明した時点で全て聖教会に連れ去られている。そして平均二ヶ月後には聖教会に『勇者』やら『聖女』が誕生するのが常だ。彼らが信仰する神の名の元に戦い、聖教会の権勢を世界中に広げるために利用されてきた」
「え」
それって……?
「賢い君ならわかるだろう?界渡りは異界の者、当然この世界の宗教など知りはしない。つまり、洗脳や奴隷契約で縛り上げ尖兵として駆使しているわけだ。とんだ聖女様だが」
「……」
さすがにゾッとした。
「つまり、何も知らされず誰にも気づかれず、辺境の村で生きてきた事が、結果としてそういう人達に見つからずにもすんでいたって事ですよね?」
「そのとおりだ。まぁ、遠からず限界は来たが」
「?」
「わたくしたち二人があなたに気づいたのは、山脈をふたつも越えた向こうなのよ?生まれてから全く使われていない魔力が蓄積された結果で、しかもわたくしたちは事情があって界渡りの魔力に敏感、という事もあるのですけれどね……遠からずこの地域の魔物たちも、そして人間たちも気づくでしょう」
「ただ存在しているだけで、何もしなければいつかは災厄がくるという事ですか」
「その認識で間違いない。普通はもちろんこんな事にはならないんだが、君の場合はね」
「……」
ためいきをついた。
なんとなくだけど、おふたりにはおふたりの思惑がきっとある。そしてそれには、わたしが精霊魔法を習いおぼえて、きちんと成長する事が前提なんだなと。
延々と悩んでも仕方ない。切れるカードもないし、思い切ってそのまま尋ねてみた。そしたら、
「うん、それで間違いない」
「そうですか」
また、ためいきが出た。
いやまぁわかってるんですけどね、無償の助けなんてあるわけがないと。精霊様の思惑なんてわたしにはわからないけど。
そしたら、背後の水の精霊様の力が少しだけ強まった。
「風の、そんな言い方ないでしょう?いくら異世界の記憶があるといってもこの子自体はまだ子供同然なのですよ?」
「いや、それはそうなんだが」
困ったような風の精霊様に、水の精霊様はうふふと笑った。
「こうしてふたりでやってきて精霊魔法を薦めているくらいですもの、確かにわたくしたちには思惑があるわ。だけど、それはあなた個人をどうこうするってお話じゃないから心配いらないのよ?そのあたりは断言してもいい」
「わたしを求めながら、わたし個人にはあまり意味がないって事ですか。するとパワーバランス的にわたしみたいのを教会にとられたくないとか、そういうレベルの思惑って事ですか?」
「……」
「……」
「あの、精霊様?」
いきなり沈黙してしまったので何かまずい事言ってしまったのか?と一瞬焦ったのだけど、
「参った、そこまで理解されているとは。ならば隠す事はないな」
「ええそうですね」
何やら楽しそうに笑い合うおふたりに、いやな予感がひしひしとつのってくる。
「そこまで理解してくれているなら、もう言う事はひとつだけだ。ズバリいおう、私たちのものになりなさい。精霊魔法とはつまり、私たち精霊と親しくつきあうという事でもある。異界より流れつき、対人関係としてはあまり良好と言えない環境で育った君には後ろ盾というものがないからね。まぁ君が教会に関心をもち、向こうの陣営に加わりたいと心から願うのなら、私たちはそれに反対する事はできないが」
「いえ、それはありません」
教会の噂はきいた事がある。神の慈愛というが、その神様は人間至上主義で異種族どころか他の宗派ですら絶対認めないという恐ろしい神様でもあるそうだ。それは元の世界におけるキリスト教会にも似ている。十字軍や魔女狩りなど、ああいうのは人間至上主義の排他的唯一絶対神を中心に置く宗教の共通点なのかもしれない。
そんな宗教には関わりたくない。存在自体の是非はともかく、自分が関わるのは絶対におことわり。
はぁ……じゃあ、やっぱり仕方ないね。
「ひとつだけお願いしていいですか?」
「何だい?」
風の精霊様が顔を近づけてきたので、わたしはきっぱり言った。
「なるべくでいいですから、痛くしないでくださいね」
何を言われたのか一瞬わからなかったのだろうか。風の精霊様は少しだけ眉をよせた後、
「ああそういう事か。わかった」
そういって微笑まれた。