8. 環境アセスメントは万能ではない
メガソーラーへの批判に対して、よく使われる反論がある。
「日本には環境アセスメントがある」
「制度に従っているのだから問題ない」
「審査されているのだから環境破壊ではない」
一見すると、もっともらしい。
しかし、この主張には大きな飛躍がある。
環境アセスメントが存在することは、環境への悪影響が存在しないことの証明ではない。
制度があることと、問題が完全に防がれていることは別である。
労働基準法があるからブラック企業が存在しないわけではない。
道路交通法があるから危険運転が存在しないわけではない。
食品衛生法があるから食中毒が存在しないわけではない。
同じように、環境アセスメントがあるからといって、環境負荷や災害リスクが存在しないとは言えない。
環境アセスメントとは、事業が環境に与える影響を事前に調査し、予測し、評価し、必要に応じて回避・低減策を検討する制度である。つまり、環境への影響を可視化し、軽減するための仕組みであって、環境負荷をゼロにする魔法ではない。
ここを誤解してはいけない。
環境アセスメントを通過した事業であっても、森林が失われることはある。
土地が造成されることはある。
景観が変わることはある。
水の流れが変わることはある。
生態系に影響が出ることはある。
住民が不安を抱くことはある。
災害時に想定外の被害が出ることもある
。
制度上認められたことと、地域にとって望ましいことは同じではない。
合法であることと、合理的であることも同じではない。
ここに、環境アセスメントの限界がある。
第一に、環境アセスメントは事前評価である。
事前評価は、過去のデータ、調査、予測、シミュレーション、事業者の説明に基づいて行われる。しかし、自然環境は複雑であり、すべての影響を正確に予測できるわけではない。
特に日本では、豪雨、台風、地震、火山灰、積雪、土砂災害など、複数の自然要因が重なり得る。
平時の調査では問題が小さく見えても、災害時にはまったく違う姿を見せることがある。
斜面に設置されたメガソーラーが、想定を超える豪雨を受けた場合。
火山灰が降った後に雨が降り、排水設備が詰まった場合。
地震で地盤が歪み、その後に大雨が来た場合。
台風で設備が損傷し、復旧前にさらに豪雨が来た場合。
このような複合災害まで、事前評価で完全に読み切ることは難しい。
第二に、環境アセスメントは制度の対象範囲に左右される。
すべての太陽光発電事業が同じ厳しさで審査されるわけではない。規模、地域、条例、事業の形式によって、求められる手続きや評価の深さは変わる。対象外となる事業、小規模に見える事業、分割された事業、条例の網を抜ける事業もあり得る。
ここで問題になるのは、制度の有無ではなく、制度の適用範囲である。
環境アセスメントがあるといっても、それがすべての案件を十分に捕捉しているとは限らない。
対象になったとしても、評価の質が十分とは限らない。
評価が行われたとしても、事後の監視や責任追及が十分とは限らない。
制度は存在するだけでは足りない。
どこまで適用され、どこまで実効性を持ち、違反や想定外被害にどう対応できるかが問題である。
第三に、環境アセスメントは「住民の納得」を保証しない。
事業者は説明会を開く。資料を示す。影響評価を行う。行政手続きを進める。
しかし、それによって地域住民が納得するとは限らない。
住民が問題にしているのは、書類上の適合性だけではない。
実際にその土地で暮らす人間にとっては、景観、水害、土砂災害、騒音、工事車両、治安、将来の撤去、土地の荒廃が現実の問題になる。
行政手続きが完了していることと、地域がその事業を受け入れていることは別である。
説明を受けたことと、納得したことも別である。
ここを混同すると、制度を盾にして地域の不安を押し潰すことになる。
第四に、環境アセスメントは「将来の管理責任」まで十分に保証するものではない。
メガソーラーの問題は、設置時点だけでは終わらない。
運用期間中の保守、災害時の復旧、盗難対策、部品交換、パネル劣化、パワーコンディショナー交換、撤去、廃棄、原状回復まで続く。
事業者が二十年後、三十年後も同じ責任能力を持っているとは限らない。
採算が悪化するかもしれない。
会社が撤退するかもしれない。
倒産するかもしれない。
土地所有者が変わるかもしれない。
設備だけが残されるかもしれない。
環境アセスメントで事前に評価されたとしても、将来の管理不全や撤去費用不足を完全に防げるとは限らない。
メガソーラーは、設置した瞬間だけが問題なのではない。
むしろ、本当の問題は時間が経ってから表に出る。
パネルが劣化する。
部品が古くなる。
売電条件が変わる。
保守費が上がる。
盗難被害が出る。
災害復旧費がかかる。
撤去費用が不足する。
土地を元に戻せない。
こうした長期リスクを考えると、環境アセスメントだけで安全性や妥当性を証明することはできない。
第五に、環境アセスメントは「比較評価」を十分に担保しない場合がある。
本来、事業の妥当性を判断するには、代替案との比較が必要である。
なぜその土地なのか。
なぜその規模なのか。
なぜ屋根上や既開発地ではなく、自然回復の余地がある土地なのか。
なぜ別の再エネや省エネではなく、そのメガソーラーなのか。
その発電量は、土地改変や将来負担に見合うのか。
環境アセスメントは環境影響を評価する制度ではあるが、「その事業が社会全体として最適か」を完全に判断する制度ではない。
つまり、アセスを通ったからといって、その事業が最善の選択肢であるとは言えない。
特にメガソーラーでは、設置場所によって評価が大きく変わる。
住宅や工場の屋根。
駐車場の上。
工場跡地。
埋立地。
すでに開発された土地。
山林。
高原。
草地。
火災跡地。
伐採跡地。
植林可能地。
水源地に近い斜面。
これらはすべて同じではない。
自然環境の改変が小さい場所を優先できるなら、そうすべきである。
それをせずに、自然回復の余地がある土地を大規模に占有するなら、その理由が問われなければならない。
第六に、環境アセスメントは「合法性」を示すことはあっても、「倫理性」や「社会的妥当性」を完全には示さない。
法律や条例の基準を満たしている。
行政手続きを通過している。
必要な書類を提出している。
これらは重要である。
しかし、それだけで十分ではない。
法律は最低限のルールであり、地域社会のあらゆる不安や長期リスクをすべて吸収するものではない。制度の枠内であっても、社会的には疑問の残る事業はあり得る。
特にメガソーラーの場合、利益と負担の分配が問題になる。
発電事業者は利益を得る。
施工業者は工事で利益を得る。
部材業者は設備販売で利益を得る。
土地所有者は賃料を得る。
投資家は利回りを得る。
一方で、地域住民は景観変化、災害不安、治安不安、将来の放置リスクを背負う。
自治体はトラブル対応や撤去問題に巻き込まれる可能性がある。
将来世代は廃棄物や荒れた土地を引き継ぐ可能性がある。
この非対称性は、単に「環境アセスメントを通った」という事実だけでは解消されない。
制度を通ったかどうかではなく、誰が利益を得て、誰がリスクを負うのかを見なければならない。
また、環境アセスメントを過信すると、批判そのものを封じる道具になってしまう危険がある。
「アセスを通っているから問題ない」
「行政が認めているから文句を言うな」
「制度上適正だから反対派は感情論だ」
このような使い方は危険である。
制度とは、本来、議論を終わらせるためのものではない。
影響を可視化し、問題点を洗い出し、必要な対策を検討するためのものである。
制度を盾にして地域の不安や将来リスクを無視するなら、環境アセスメントの本来の意味から外れている。
メガソーラーを評価するなら、環境アセスメントの有無だけでなく、少なくとも次の点を問う必要がある。
その土地は自然回復や植林の余地があったのか。
水源や斜面安定に関わる場所ではないのか。
豪雨、台風、地震、火山灰、積雪への備えは十分か。
排水計画は長期的に機能するのか。
管理者が撤退した場合の責任は誰が負うのか。
撤去費用は十分に確保されているのか。
廃棄物処理の計画は現実的か。
住民は説明を受けただけでなく、納得しているのか。
代替地や代替手段と比較されたのか。
その土地を発電設備に変えるだけの必然性があるのか。
これらに答えられないなら、環境アセスメントがあるというだけでは不十分である。
重要なのは、制度を否定することではない。
環境アセスメントには意味がある。
無いよりは当然よい。
環境影響を調査し、事業者に説明責任を負わせ、行政や住民が判断材料を得るためには必要な制度である。
しかし、必要であることと、万能であることは違う。
環境アセスメントは、問題を見つけやすくする制度であって、問題を消滅させる制度ではない。
リスクを下げる制度であって、リスクをゼロにする制度ではない。
手続きを整える制度であって、事業の社会的正当性を完全に保証する制度ではない。
だから、メガソーラーをめぐる議論で「環境アセスメントがあるから問題ない」と言うのは、論理として弱い。
正しくは、こう問うべきである。
環境アセスメントは行われたのか。
その内容は十分だったのか。
対象範囲は妥当だったのか。
災害リスクは過小評価されていないか。
自然回復の可能性は考慮されたのか。
事後監視はあるのか。
撤去責任は担保されているのか。
住民の不安は処理されたのか。
制度の外に残されたリスクはないのか。
ここまでやって初めて、環境アセスメントは本来の意味を持つ。
制度があるから終わりではない。
制度があるからこそ、その制度で何が見えて、何が見えないのかを検証しなければならない。
メガソーラーは、長期にわたって土地を占有する事業である。
設置時だけでなく、運用中、災害時、撤去時、廃棄時まで責任が続く。
その負担は、事業者だけでなく、地域社会や将来世代に及ぶ可能性がある。
そのような事業を、「アセスがあるから問題ない」で済ませることはできない。
環境アセスメントは重要である。
しかし、万能ではない。
むしろ、メガソーラーのように国土、自然回復、災害、廃棄、地域負担が絡む事業では、環境アセスメントの限界を理解したうえで、より厳しい評価が必要になる。




