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魔王進化譚  作者: 趣味に生きる


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12/22

火のある場所

 火の匂いがした。

 それは洞窟にも、森での二人旅にもなかった匂いだった。

 乾いた木が燃える匂い。

 少し焦げた肉の匂い。

 煙が鼻をくすぐる。

 俺は思わず足を止めた。


(……本当に、火を使ってるのか)


 目の前には、木を組んだ粗末な柵がある。

 柵と呼ぶには頼りない。大人が本気で押せば簡単に壊れそうな程度のものだ。だが、外敵を拒む意志は感じられる。

 その内側に、いくつもの小屋が並んでいた。

 木の枝と葉を組み合わせ、泥で隙間を塞いだだけの簡単な造りだ。それでも、雨風をしのぐには十分そうだった。

 小屋の間には火を囲う場所があり、石を円形に並べた中心で炎が揺れている。

 そのそばで、ゴブリンたちが座っていた。

 ただぼんやりしているわけじゃない。

 肉を裂いている個体。

 木の枝を削って槍にしている個体。

 子供らしい小柄なゴブリンに何かを渡している個体。

 見張りのように柵のそばに立っている個体。


(……役割がある)


 群れというより、村だ。

 規模は小さい。

 文化も未熟だ。

 けれど、確かに生活がある。

 あの洞窟で見たような、ただ集まって震えているだけの群れとは違う。

 俺たちを案内してきた上位ゴブリンが、一度こちらを振り返った。

 低く鳴く。


「ギャ」


 ついてこい。

 多分、そういう意味だ。

 俺は桜花を見る。

 桜花も目を丸くしていた。

 でも怯えているだけじゃない。驚きの中に、どこか懐かしむような色も混じっていた。

 もしかしたら、群れの記憶が少し残っているのかもしれない。

 俺たちは集落の中心へと進んでいった。

 その途中、何匹ものゴブリンがこちらを見る。

 あからさまな警戒。

 露骨な好奇心。

 値踏みするような目。

 やっぱり俺は浮いているらしい。

 まあ当然だ。

 俺自身、自分が普通のゴブリンと違う自覚はある。

 歩き方も、周囲の見方も、多分違う。

 それに、桜花と一緒にいること自体も珍しいのかもしれない。

 特に桜花は、子供に近い体格なのに俺のすぐ隣を歩いていた。

 それだけで、何かしらの関係性があると分かるのだろう。

 火の近くまで来ると、熱が頬に当たった。

 暖かい。

 森の夜の寒さを思い出すと、それだけでありがたい。

 その火の前には、もう一匹、別の上位ゴブリンが座っていた。

 いや、さっき俺たちを迎えた個体よりも、さらに存在感がある。

 体が大きい。

 肩幅が広い。

 右腕には古い傷が走っていて、片耳の先が欠けていた。

 その目だけは、驚くほど静かだった。

 力で押さえつけるだけじゃない。

 考える目だ。


(……こいつが本当のリーダーか)


 案内役の上位ゴブリンが、そいつの前で短く鳴く。


「ギャ、ギャ」


 報告しているらしい。

 言葉の意味までは分からない。

 でも、視線の流れで何となく察せた。

 俺たちがどこから来たのか。

 森から現れたこと。

 桜花が少し言葉を話したこと。

 多分、そのあたりだろう。

 リーダーらしき個体が、ゆっくり立ち上がった。

 近づいてくる。

 一歩ごとに空気が重くなる気がした。

 周囲のゴブリンたちも静かになる。

 やっぱり、中心なんだ。

 この集落の。

 リーダーはまず俺を見た。

 目を逸らさない。

 まっすぐ。

 試すように。

 俺も逸らさなかった。

 ここで下手に怯えるのは違う気がした。

 敵意はない。

 でも、弱く見せすぎるのもまずい。

 難しいな。

 リーダーはしばらく俺を見て、それから桜花に視線を移した。

 桜花は少しだけ緊張したようだが、逃げなかった。

 その時だった。

 さっき子供ゴブリンに触れられていた、小さな個体がまた近づいてきた。

 桜花のすぐそばまで来る。

 大人たちは止めない。

 危険はないと判断しているのか、それともただの子供の行動だからか。

 その小さな個体は桜花を見上げて、興味深そうに首を傾げた。


「ギャ?」


 桜花が一瞬、俺を見た。

 助けを求めるようにも見えたが、すぐにまたその子供の方を見る。

 そして、ゆっくり腰を落として目線を合わせた。

 小さく手を差し出す。

 子供ゴブリンは少し迷ってから、その手に触れた。

 それだけだった。

 でも、その瞬間に空気が少し緩んだのが分かった。

 敵じゃない。

 少なくとも桜花は。

 そんな空気。


(……やっぱり、桜花は強いな)


 戦闘力じゃない。

 こういうところで。

 俺にはできないやり方で、相手の警戒を解いていく。

 リーダーもその様子を見ていた。

 目を細める。

 考えている。

 それから、火のそばに置いてあった肉の塊を掴み、こちらに差し出してきた。

 正確には、俺と桜花の中間へ。

 食え、という意味だろう。

 一瞬、戸惑った。

 肉。

 しかも焼いてある。

 火を通した肉なんて、この世界に来て初めてだ。

 匂いだけで腹が鳴りそうになる。

 でも、すぐには手を出せなかった。


(罠……ではないよな)


 いや、こんな原始的な集落でそんな回りくどいことはしないか。

 警戒する俺を見て、リーダーは先に自分でも肉を噛みちぎった。

 同じものを。

 安全だと示したらしい。

 なるほど。

 そこまで知恵があるのか。

 俺はゆっくりと肉を受け取った。

 熱い。

 少し焦げている。

 けれど、噛んだ瞬間に肉汁が出た。

 美味い。

 びっくりするくらい。

 塩も何もないはずなのに、焼いてあるだけでこんなに違うのか。

 俺は思わず目を見開いた。

 隣では桜花も肉を受け取り、おそるおそる口にしていた。

 次の瞬間、桜色の瞳がぱっと見開かれる。

 分かりやすい。

 美味しかったんだろう。

 少しだけ夢中になって食べている。

 その様子に、近くの子供ゴブリンが面白そうに笑った。

 笑う、という表現でいいのか分からないが、少なくとも楽しそうだった。

 桜花は一瞬きょとんとしてから、ぎこちなく笑い返す。

 もう溶け込み始めている。

 早いな。

 俺がそんなことを考えていると、リーダーが俺の前にしゃがみ込んだ。

 手を伸ばし、俺の腕を掴む。

 反射的に力が入る。

 だが、攻撃ではない。

 傷を見ているのだと分かった。

 これまでの戦いでできた傷跡。

 爪の跡。

 噛まれた痕。

 新しいものも古いものもある。

 リーダーはそれを見て、低く鳴いた。


「……ギャ」


 意味までは分からない。

 でも、ただの蔑みではなかった。

 確認だ。

 こいつはどこまで生き延びてきたのか、みたいな。

 俺はその視線に応えるように、リーダーの方を見る。

 すると、リーダーはふっと鼻を鳴らし、立ち上がった。

 それから集落の奥を指さす。

 小屋だ。

 空いているのか、半分崩れたような小さな小屋が一つある。


「ギャ」


 使え、という意味か。

 桜花もそれに気づいたらしく、俺を見上げる。

 俺は小さく頷いた。

 今日は、少なくとも寝床には困らないらしい。

 俺たちは案内されるまま、小屋の方へ向かった。

 中は狭い。

 床は固い土のまま。

 壁も隙間だらけ。

 でも、木の上よりはずっといい。

 雨風はしのげるし、何より外から丸見えじゃない。

 俺が中を見回している間に、桜花は入口のところで立ち止まり、外を振り返っていた。

 そこにはさっきの子供ゴブリンがいて、こちらを見ていた。

 目が合うと、桜花は少し迷ってから小さく手を振った。

 子供の方も真似して手を動かす。


(完全に馴染み始めてるな……)


 助かる。

 正直かなり。

 俺が一人だったら、もっと険悪になっていてもおかしくない。

 小屋の中に入ると、外の火の光が壁の隙間から差し込んでいた。

 ゆらゆら揺れている。

 その光を見ながら、俺は腰を下ろした。


(……文化、か)


 火がある。

 住居がある。

 役割がある。

 子供と大人が分かれている。

 食料を分けている。

 これだけでも、ただの魔物の群れとは言えない。

 もしこの先、知恵や技術が加われば――

 もっと変わる。

 もっと強くなる。

 群れ単位で。

 そんな考えが、頭をよぎった。

 その時だった。

 視界の端に、うっすらと文字が浮かぶ。


 ――一定条件を満たしました――

 ――新規派生能力の兆候を確認――


 俺は目を見開いた。


(……なんだ?)


 だが、その先は表示されない。

 すぐに消えた。

 今のは何だ。

 進化?

 新スキル?

 条件達成?

 分からない。

 でも、何かが起き始めているのは確かだった。

 個人の成長だけじゃない。

 もっと別の。

 群れとか、支配とか、そういう方向の何か。

 桜花が俺のそばに座る。

 少し疲れた顔をしていたが、怖がってはいない。

 むしろ、どこか安心しているように見えた。


「……あたたかい」


 小さく、そう言った。

 ぎこちない発音。

 でも確かに言葉だった。

 火のことだろう。

 俺は外の炎を見る。

 そして、頷いた。


(ああ)

(あったかいな)


 火だけじゃない。

 この場所そのものが。

 森で二匹きりだった時とは違う。

 まだ信用されたわけじゃない。

 歓迎されたわけでもない。

 俺は異物だ。

 桜花は少しずつ受け入れられ始めている。

 でも、俺はまだだ。

 それでも。

 ここには、未来がある気がした。

 力だけじゃない何か。

 生き延びるための、次の段階が。

 外では、火を囲んだゴブリンたちの声が聞こえる。

 短い鳴き声。

 木を打つ音。

 子供の笑うような声。

 その全部を聞きながら、俺は静かに目を閉じた。


(まずは、認められることだな)


 この集落で。

 このリーダーに。

 そして、ここにいる全員に。

 ただ生き残るだけじゃない。

 ここから先に進むなら、それが必要だ。

 力で奪うのは、まだ早い。


 なら――


 示すしかない。

 自分の価値を。

 この群れにとって、必要な存在だと。

 そんなことを考えながら、俺は薄暗い小屋の天井を見上げた。

 火の光が、わずかに揺れていた。

 その揺れが、どこか未来の形に見えた。

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