ゴブリン転生
人は、こんなにもあっけなく死ぬものなのか。
それが、俺の最後の感想だった。
仕事の帰り道だった。特別な日じゃない。いつも通りの、なんでもない一日だった。
残業を終えて、疲れた体を引きずるように駅へ向かう。スマホを見ながら歩く人、笑いながら帰る学生、居酒屋へ吸い込まれていくサラリーマン。
いつも通りの光景。
いつも通りの夜。
そして――
俺の人生最後の夜。
横断歩道の信号は青だった。
俺は普通に歩いていた。
その時だった。
ドンッ!!
凄まじい衝撃が横から来た。
何が起きたのか理解できなかった。体が宙に浮いた気がした。視界が回る。地面が近づく。
なんだ……?
何が……?
考えるより先に、体が動かなくなっていた。
遠くで悲鳴が聞こえる。
「きゃあああ!!」
「車が!!」
「誰か救急車!!」
ああ……そうか。
俺……轢かれたのか。
視界の端に見えたのは、ぐしゃぐしゃになった自転車と、止まった車だった。
体の感覚がない。
痛みもない。
ただ、力が入らない。
不思議と恐怖はなかった。
ああ……俺……死ぬのか。
そう思った瞬間、今までの人生が頭をよぎった。
特別な人生じゃなかった。
普通の家庭に生まれ、普通に学校へ行き、普通に就職した。
夢があったわけじゃない。
恋人もいなかった。
大金持ちでもない。
ただ、生きていただけの人生。
でも――
悪い人生ではなかったと思う。
もう少し……生きたかったな。
最後に思ったのは、それだった。
視界が暗くなっていく。
音が遠くなる。
意識が沈む。
まるで深い海に落ちていくようだった。
ああ……
終わりか……
そう思った瞬間だった。
声が聞こえた。
『――個体確認』
……は?
誰だ?
『魂状態安定』
何言ってる
『適合確認』
機械のような声だった。
男でも女でもない。
感情が一切ない声。
夢……?
それとも死後の世界?
『転生処理開始』
転生……?
え?
ちょっと待て。
転生ってあれか?
異世界転生?
いやいやいや。
そんなわけ――
『個体能力測定』
『知性:高』
『適応能力:高』
『戦闘能力:低』
ちょっと待て。
戦闘能力低いって余計なお世話だ
『特性付与』
『スキル:成長補正』
『スキル:解析』
『スキル:進化可能』
進化?
なんだそれ。
RPGかよ。
もしかして……本当に転生?
いやいや。
落ち着け。
こういうのは夢だ。
死ぬ前に見る夢だ。
そうに違いない。
『転生先決定』
え?
選べるの?
それなら――
せめて人間がいい。
チート能力持ちで。
美人ヒロインに囲まれて。
スローライフとか。
できれば貴族。
いや王族でもいい。
そう思った瞬間だった。
『転生先』
一瞬の間。
そして。
『ゴブリン』
は?は?は???
ちょっと待て。今なんて言った?ゴブリン?あの?RPGの?最弱モンスター?
雑魚敵?経験値?
『転生開始』
待て待て待て待て!!拒否!!拒否!!人間希望!!せめてオーク!!いやオークも嫌だ!!人間、人間にしてくれ!!叫んだ。
でも声は出なかった。
体がないからだ。
『処理完了』
嘘だろ……
『個体名:なし』
名前すらないのかよ!!
『転生完了』
その瞬間だった。
意識が落ちた。
そして――
目が覚めた。
……臭い。
最初に感じたのはそれだった。凄まじい悪臭だった。腐ったような匂い。獣の匂い。血の匂い。泥の匂い。
思わず顔をしかめた。
……顔?
あれ?
目が開く。
暗い。洞窟?天井は岩。周囲は土。
じめじめしている。
そして――
「ギャギャ」
声が聞こえた。横を見る。いた。
緑色の小さな生き物。
醜い顔。
黄色い目。
尖った耳。
汚い布を巻いている。
手には木の棒。
そして――同じ顔。……いや。違う。
俺もそれだった。
ゆっくり手を見る。
緑色。小さい。爪がある。皮膚が硬い。触る。顔。鼻が低い。口が大きい。牙がある。……嘘だろ。
近くの水たまりを見る。
映っていたのは――
完全にゴブリンだった。
終わった。
俺の人生終わった。
人間ですらなくなった。
しかも最弱モンスター。
どうすんだこれ。
「ギャ?」
隣のゴブリンが俺を見る。
知性を感じない目だった。
動物みたいな目。
いや、動物の方が賢そうだ。
こいつら……バカだ。
直感で分かった。
俺だけ違う。
俺だけ考えてる。
俺だけ理解してる。
つまり――
俺だけ人間の記憶がある。
それだけが救いだった。
その時だった。
視界の端に文字が浮かんだ。
――ステータス表示可能――
え?
念じてみる。
ステータス。すると。
文字が浮かんだ。
――――――――――
種族:ゴブリン
レベル:1
名前:なし
HP:10
MP:3
筋力:5
敏捷:6
知性:18
スキル:
成長補正
解析
進化可能
――――――――――
……知性だけ高い。
いやまあ元人間だしな。
ていうかHP低すぎない?10って。
犬に噛まれて死ぬレベルだろ。
でも――
進化可能。
その文字に目が止まった。
進化。つまり強くなれる。
ゴブリンのままじゃない。
その瞬間だった。
少しだけ。ほんの少しだけ。やる気が出た。もし進化できるなら。もし強くなれるなら。もし生き残れるなら。 ゴブリンでもいい。
どうせ一度死んだ命だ。
なら――
やるしかない。 生き残るしかない。強くなるしかない。俺は拳を握った。 小さな緑の拳。
でも――
決意は人間のままだった。
(まずは……生き残る)
(そして――)
(強くなる)
(誰にも殺されないくらい)
(最強になる)
その時だった。
洞窟の奥から咆哮が聞こえた。
グルルルルル……
何かいる。
強そうな何か。
周りのゴブリン達が震えている。
つまり――
ここは安全じゃない。
転生して5分で理解した。
この世界は――
弱いやつから死ぬ。
シンプルなルールだった。
俺は静かに立ち上がった。そして思った。
(絶対に死なない)
(今度こそ)
(生きてやる)
最弱の魔物として生まれた俺の――
本当の人生はここから始まった。




